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作品タイトル不明

10 公爵家侍女の呟き

わたくしは今日も、お嬢様のお部屋を隅から隅まで磨き上げる。

皆様ご機嫌よろしゅうございます。

わたくしはマクナガン公爵家のエリザベスお嬢様付き侍女、マリナと申します。

姓はございません。名は育ててくれた者が付けてくれました。

マクナガン公爵家は、この国に五つある公爵家の序列二位の大貴族様でございます。

その歴史は二百年を超え、王都にあるお邸も同様の歴史を誇る威容でございます。

公爵家のご家族は、ご当主である旦那様、嫋やかでお美しい奥様、クソ虫……もとい坊ちゃま、妖精の如きお可愛らしさと聡明さを併せ持つお嬢様の四名でございます。

お嬢様付きの侍女は、わたくしの他にもう二名居ります。わたくし共は毎日、お可愛らしくお優しいお嬢様のお付きであれる事を喜び合って、日々の仕事に励んでおります。

クソ虫(坊ちゃま) のお付きでなくて良かった、と、心から思いますとも。ええ!

わたくしはそもそも、序列二位の大貴族様のお邸の使用人などは烏滸がましい、卑しい身分の人間でございます。

幼い頃、生まれた家が、村が貧しすぎ、口減らしにと捨てられた子供のようでございます。

推測であるのは、わたくしが幼すぎ、親の顔すら覚えていないからです。

行商をしていた男に拾われ、マリナと名付けられました。

男に連れられ、国内の様々な土地を巡りました。時には国外へと行く事もありました。

男はわたくしに文字を教え、計算を教え、それ以外の生きていくのに必要な様々な事柄を教えてくれました。

火を起こす方法。野獣を仕留める方法。それを捌いて食す方法……。

そして、人を殺す方法も。

男と旅して数年。行商と名乗る男の職業が、闇稼業である事を知りました。

後ろ暗い者たちから多額の金銭を受け取り、依頼された相手を消す仕事でございます。

男はわたくしを、共犯者に仕立て上げていたのです。

わたくしはそれに、別に何の恨みも辛みもございません。男がわたくしを拾ってくれなければ、どうせ消えていた命でございます。

多少の恩義くらいはございます。

自身の正確な年齢などは分からないのですが、男が拾ってくれた時の年齢を三歳として年を数え始めました。

わたくしが十一歳の頃でした。

男が、仕事に失敗しました。

とある商人の商売敵となる商人を消す、いつも通りの仕事だったのです。

けれど、標的となる商人がそれを予見しており、男は捕まり殺されました。

わたくしも怪我を負いましたが、何とか逃げ切る事ができました。

逃げて、逃げて……、もう足が動かないと、どこかの雑木林の木の根元で力尽きてしまいました。

そもそも、何故逃げたのでしょうか。

男も死んでしまい、わたくし一人生き残ったところで、何がどうなるのでしょうか。

そんな風に思いましたら、急に気が抜けてしまったのです。

もう、どうにでもな~ぁれ☆

そんな気持ちでございました。

余談でございますが、この言葉はエリィ様が時折呟かれるものです。主に、 クソ虫(坊ちゃま) に纏わりつかれている際に。

まるで歌うような節回しが大変お可愛らしく、一時、使用人たちの間で大流行したフレーズでございます。

気付くと、どこかのベッドに寝かされておりました。

怪我をしていた手足も、きちんと手当てがされております。

質素な室内ながら、壁紙や扉は清潔で美しく、ここは恐らく貴族の邸だろうと当たりを付けました。

気付いたわたくしに、一人の男性が食事を運んでくれました。

執事であるトーマス様でございます。

灰色の髪をきっちりと背後に撫でつけ、銀の鎖のついた片眼鏡をかけ、皺一つないテイルコートをビシッと着こなした、『執事100%』なお方です。

その時はトーマス様の素性を知らなかった私ですら、「あ、執事キタ」と思うくらいに執事でございました。

「食事は、摂れそうですかな?」

低い静かな声で問われ、わたくしは頷きました。

トーマス様はベッドに身体を起こした私の膝の上に、パン粥の入った皿を置いてくれます。とても良い香りがいたしました事を、現在でも覚えております。

「ここはマクナガン公爵家の使用人部屋です。君は公爵家の敷地内の林の中で倒れていました」

わたくしがただの雑木林だと思っていた場所は、公爵様のお邸の敷地内だったようです。

……どう見ても、何の手入れもなされていない、ただの雑木林だったのですが……。

「君の素性は、調べさせてもらいました。……『漆黒の死鳥』の養い子ですね?」

問われて、頷きました。

わたくしを拾ってくれた男の通り名でございます。……何故あの男は、この名を恥ずかしげもなく口にできていたのでしょうか? わたくしには無理でございます……。

し、漆黒の……(悶絶)。

「男の死体は、エイムス通りの裏路地で見つかっています。……確認しますか?」

トーマス様も、あの恥ずかしい通り名を呼びたくないらしく、『男』と呼んでくれます。

確認するか、と問われ、わたくしは黙って首を左右に振りました。

別に確認するまでもないと思ったからです。

もしもその死体があの男でなくとも、恐らく彼とわたくしはもう二度と顔を合わせる事はない。

仕事にしくじった裏稼業の小娘など、この先生きてゆく場所すら危ういのですから。

「君は、またあの仕事に戻りますか?」

問われ、口に運んでいたスプーンをピタッと止めてしまいました。

戻るか、否かではない。

わたくしには『そこにしか居場所がない』のですから。

トーマス様にそう申し上げましたらば、トーマス様は「成程」とだけ仰られました。

そのまま無言でパン粥を頂き、空になった皿を持ってトーマス様は出て行かれました。

わたくしはまだ、ここに居て良いのでしょうか。

トーマス様が何も仰られませんでしたので、分かりません。

ただ、怪我をした足が痛む。

取り敢えず、傷を癒すためにも休息を取ろう。

そう思って、わたくしはベッドに入ると毛布に包まったのでした。

毎日三食、誰かがわたくしに食事を運んでくれます。

品の良いお仕着せを着た使用人たちですが、彼女たちは無駄口を叩かないので、名も分かりません。

わたくしに食事を運んでくれて、包帯を取り換えてくれるのです。

不思議な日々でございました。

そういった日々が五日程度続きましたでしょうか。

トーマス様が部屋を訪ねて来られました。

手には侍女のお仕着せらしき物をお持ちです。

「貴女の制服です。居場所がないのであれば、ここに居なさい。不満ならば立ち去りなさい」

ばさっと、畳まれたお仕着せがベッドの上に放り投げられました。

わたくしに、使用人になれと仰せなのか。

聞き間違えたかと思い、わたくしはお仕着せとトーマス様を、何度も見比べるようにきょろきょろと見ました。

「私は廊下で待っています。さっさと着替えて出てきなさい」

トーマス様はそれだけ仰ると部屋を出て行かれました。

わたくしは訳が分かりませんでしたが、トーマス様のえもいわれぬ威圧感に逆らう事も出来ず、のそのそとベッドから降りました。

もう怪我は大分良くなっておりました。歩く分には全く支障がありません。

初めてで着方も良く分からぬお仕着せに、何とか身体を押し込むと、そっと部屋のドアを開けてみました。

すぐそこにトーマス様が立っておられて、びくっとしてしまいました。

……気配が全くなかったのです。

「出来ましたか。では、ついて来なさい」

それだけ言って歩き出すトーマス様を、わたくしはなるべく品よく見えるように歩きながら追いかけました。

そのままメイド長に預けられ、怒涛の日々が始まりました。

わたくしの教育係となったのは、エルザという女性でした。

現在、 クソ虫(坊ちゃま) 付きの侍女となっている彼女です。

当時十五歳であったエルザは、恐ろしい事に元・王宮の暗部という経歴の持ち主でした。

その彼女直々に、隠密術、暗器の扱い、体捌き……と、それはもう様々な事を教えていただきました。

……洗濯? 掃除? ええ、やりましたとも(極たまに)。

我流で通してきていた漆黒がどうたらとは違い、彼女の技術は確かな理論と経験に裏打ちされた、非常に高度なものでした。

合間にお茶の入れ方なども教わりましたよ。お茶に入れても味を変えない毒物の講習と共にですが。

まあそうでございますね。わたくしの考えていた『使用人』というものと、ほぼ全て違うものでございましたね。

けれど何だか、教わる内に楽しくなってまいりました。

何より、歳の近い同性とのお喋りやじゃれ合いが、とても温かく楽しかったのでございます。

公爵である旦那様はのんびりとしたお方で、奥方様はふんわりとしたお方です。彼らはわたくしたち使用人に声を荒げるような事がありません。

使用人を家畜か何かと間違えているような貴族を多く見て参りましたので、旦那様と奥様には驚きました。

気付けば公爵邸は、とても居心地の良い場所となっておりました。

穏やかな旦那様と、お美しい奥様。当時はまだ愛らしいばかりであった坊ちゃまと、花の妖精のようなお嬢様。

彼らと、彼らの暮らすこの公爵邸の為に、己の持つ力を使おうと。

いつの間にか、そのように心が決まっておりました。

有難くも、旦那様より『お嬢様付き侍女』というお役目を賜り、愛の女神の落とし子の如きお嬢様のお側に侍る栄誉に浴しました。

お嬢様が健やかに綺羅綺羅しくご成長なさると同時に、坊ちゃまの クソ虫(シスコン) も大きく成長してしまいやがりました。

わたくしと クソ虫(坊ちゃま) との闘争の記録は、長くなる上に気分が悪くなりますので、割愛させていただきます。

クソ虫はクソ虫である、とだけ申し上げておきましょう。

わたくしの様々な侍女としての技術の向上に合わせ、 クソ虫(坊ちゃま) も成長してゆくのが、ただただ忌々しく苦々しい思いでございます。

わたくし共が必死の覚悟でお守りしたお嬢様が王太子殿下のご婚約者となり、殿下よりご寵愛賜っておられるというのは、わたくし共の喜びでございます。

殿下もとても素晴らしい人格者であらせられ、わたくし共の敬愛するお嬢様をお任せするに申し分ないお方でいらっしゃいます。

お嬢様がご成長なさると共に、 クソ虫(坊ちゃま) の クソ虫(シスコン) がより大きく醜悪に成長されております。

マクナガン公爵家のここ数年の懸案事項は、 クソ虫(坊ちゃま) からどのようにお嬢様を守り抜くか、でございました。

マクナガン公爵家二百余年の歴史において、最も難しいとされる問題、とまで言われておりました。

……基本的に事なかれで平和主義な方々なので、二百余年もの歴史がありながら、余り大問題が起こった事のないお家なのでございます。

その超難問を解決してくださったのが、王太子殿下その人でございます。

クソ虫(坊ちゃま) 如きでは這い寄る事も敵わぬ王城に、お嬢様を匿ってくださると仰られたのです!

あの瞬間を、何と表現したら良いのでございましょうか。

(殿下の件の発言は、マクナガン公爵家に伝わるハンドサインにて、全構成員に瞬時に伝達されております)

女神の落とし子であるお嬢様をお見初めになられたのは、神そのものであらせられたか!と。

本気でそう思いました。

あの発言に感動しなかったのは、そんな発言自体を知らない クソ虫(坊ちゃま) ただお一人です。

ある日気付いたら、使用人の休憩室に、小さな手作りの祭壇が出来ておりました。

王太子殿下の肖像画が飾られ、美しい花に囲まれております。

誰が供えたものか、菓子やコインなども並べられております。

わたくしも思わず、祭壇に向かって手を合わせ、瞳を閉じました。

お嬢様がお幸せに、お心安くお過ごしになられますように ×3

ふぅ。これで安心でございます。

マクナガン公爵邸の救いの神・王太子殿下でございますから、ご利益はバッチリでございましょう。後でお賽銭も上げておきましょう。

今日の夕食のデザートもお供えした方がよろしいでしょうか?

その祭壇は王太子殿下直々のご要望により撤去されてしまうのですが、ひっそりと場を移し、未だ祀られている事は殿下には秘密です。

なんと充実した、楽しい日々なのでしょうか。

言われるがままに悪事を繰り返した日々と、雲泥の差でございます。

以前、トーマス様に言われた事がございます。

全ての感謝は、旦那様や奥様、そしてお嬢様へと捧げなさい、と。

一生かかっても捧げきれない程の感謝の念は、どうしたら良いのでしょうね? 幸せな疑問でございます。

お嬢様は現在、王城でお過ごしでございます。

わたくしは元々が孤児で、しかも流浪の裏稼業の人間でございますので、お嬢様と共に王城へは入れません。

ですので現在も、公爵邸で使用人をいたしております。

それでもわたくしは未だ『エリィお嬢様の侍女』でございます。

奥様が「エリィちゃんが婚姻式を終えるまで、その名を名乗りなさいな」と仰ってくださったからです。

わたくしは今日も、お嬢様のお部屋を調えます。

家具を磨き、寝具を替え、お部屋の空気を入れ換えます。

お嬢様がいつお里帰りをされても良いように。帰っていらしたお嬢様が、少しでもお心安く居られるように。

わたくしは、マクナガン公爵家のご令嬢エリザベス様の侍女、マリナでございます。