作品タイトル不明
10:限界だった……が。 side:スヴェン
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「君とはもうやっていけない。離婚して欲しい」
もう限界だった――――。
父が亡くなり、二十代後半で辺境伯という立場を引き継ぐことになった。隣国などとの情勢問題もあり、率いていた騎士団を辞めるわけにはいかず、騎士団長を続けていた。
小競り合いだったり領域侵犯の対応を続けているうちに、褒章が増え続け、気づけば国から存在を危ぶまれるようになった。国に反する気はないと言っても、信用されないのは分かってはいた。我が領の持つ軍事力が王族の持つものを超えそうな勢いがあったので、足枷はいくらでも引き受けようと思っていたが…………。
まさか王族に連なる幼い妻を娶らせられるとは、思ってもいなかった。
キャスリンは、精神的にも年齢的にも幼い妻だった。煌びやかな王都から国の端の辺境まで連れてこられ、厳しい寒さに耐えるだけの日々。質実剛健と言われている辺境の城は、飾り気も人の気配も少ない。そんな中、若く都会に慣れた令嬢が、楽しみなど見つけられるはずもなかった。
だから、金を湯水のように使い王都から人を呼び寄せ、満たされない思いを黒く染め、使用人たちや領民たちへと矛先が向いてしまうのだろう。
事情は多少理解できていたため、みな耐え続けた。
だが、幼い子どもを鞭打とうとした瞬間を見て、もう無理だと思った。慌てて止めたので怪我はなく大事には至らなかったが、『良かったな』で済む話ではない。
キャスリンは打つ振りをしただけだと言い張っていたが、もうそんなことは関係なかった。看過できるはずもなく、最後通告を言い渡したが――――。
「え? あれ? え、ええ?」
人を睨みつけるような、いつものつり上がった目ではなく、ぽやんとした気の抜けた顔と声であたりをキョロキョロ見回して、窓を見ながら頬を撫でたり抓ったりしていた。
いったい何なんだと、腹の底から怒りが湧き出しかけた瞬間、キャスリンがこちらをジッと見てきた。
「聞いていたのか? いますぐ――――」
「ああああのっ、ちょぉっと気分が優れないと言いますか、ちょいと時間が欲しくてですね? あ、いやもちろん話し合いはします! ちゃんとしますから、ちょっとお腹痛いっていうか…………いったん失礼しますっ!」
腹痛や体調不良など微塵も感じさせない声量でそう言うと、ドレスのスカートを両手でがっしりと掴み膝まで持ち上げると、見たこともない速さで走って逃げた。
――――は?
それから数日、部屋に引きこもり続けているキャスリン。
部屋で大きな声で叫んでいると聞きつけ向かうと、明日の朝にまた来いと言い出した。庶民のような服装で。一体何がしたいのか訳がわからなすぎる。
翌朝、予想だにしない事実を突きつけられる。鏡を通して異世界にいる人物と会話? キャスリンの中身が入れ変わっている?
俄には信じがたいが、信じざるを得ない程の光景が目の前に広がっていた。
「ふむ……なんとなく解った。なにか不思議な力が働いているようだな」
「はい」
「未だに信じられないが。あの半裸の女は、キャスリンなのだな?」
そう言った瞬間、キャスリンの姿をした女が顔を真っ赤にして『忘れろ』と叫んだ。
「なるほど。そして、あの姿の中身が君だと」
「ちょ、脳内から消してって!」
「ふっ、ふははははは!」
いつぶりだろうか、こんなにも心が湧き立つのは。
予想だに出来なかった状況に、取り敢えず離婚だなんだといったことは取りやめにした。こっそり書いておいた離縁手続きの書類は、執務机の奥底にしまい込んだ。
キャスリンがこの世界にいないのであれば、必要なさそうだから。
リンと名乗るキャスリンの姿をした女性ともに食事をとるようになり、キャスリンとリンとの違いをまざまざと知ることとなった。
まず、食事を見て笑顔になる。そして、「いただきます」と「ごちそうさまでした」という不思議な挨拶をする。
好き嫌いを一切言わないし、食べ残さない。
あの女は、すべてに文句を言い、その時の気分で食事を作り直させたりしていた。それなのに、作り直させたそれでさえ食べ残していた。
何よりも驚きだったのは、見た目がまるっきり変わったことだろうか。
毎朝メイドにさせていたヘアセットや着替えは自分で行っているらしく、化粧もほぼしていない。
素材はキャスリンそのものなのだが、なんとなく田舎にいる素朴な娘といった雰囲気なのだ。
お忍び用の服なのだろうが、ブラウスとロングスカートで、髪はひとつ結びにしているだけ。
――――こうしていると可愛いな。
一瞬そう思った自分に、驚いた。
腹の底から怒り狂っていたはずだった。顔も見たくない程に。国王陛下や王都の議員たちから何を言われようとも、絶対に離婚する。今までの迷惑行為を書類にして、父親である公爵に突きつけようと思っていたのにだ。
最近は、顔を見ても怒りなど一切湧かない。それどこころか、徐々に暗くなっていく表情のほうが気になり、心配になってきていた。
使用人たちに聞けば、奥様は部屋から一切出てこない、文句も言わないし、とても平和だ、と言われた。ただ、特定の時間になると部屋で何やら一人で話しているようで、時々声を荒げているようだと。
特定の時間の謎の行動は、向こうの世界にいるキャスリンと話しているせいだろう。性格は全く違うのに波長が合うのか、あのキャスリンとわりと仲良くしているらしい。
ほとんど部屋から出てこないのは、本人の意志だと思っていたが、執事からかなり滅入っている様子だと言われた。
「なぜそう思う」
「スヴェン様の前では笑顔でいらっしゃいますが――――」
私の前では穏やかに微笑んでいることがほとんどだったのだが、部屋に戻るときや使用人たちの怯えた反応を見ては、少し泣きそうな表情になるのだとか。
執事は、先日の離婚騒動からキャスリンが心を入れ替えたと判断しているらしい。中身ごと入れ替わっている、というのはあまりにも荒唐無稽なため言えないでいる。
「気晴らしに、どこかに連れて行くか……」
「冬市はいかがでしょう? 先週から開催しておりますので、まだまだ賑わっていますよ」
「ん。そうするか」
どうにかリンを誘い出し市場に来たが、やはりと言うべきか、皆に怯えられてしまった。
普段なら一切気にしないのだが、リンの淋しそうな表情を見て心臓が握りつぶされるかと思った。
――――傷つけてしまった。
そんな考えが、そんな気持ちが、自分の中に芽生えるとは思ってもみなかった。
子どもたちに浮気だなんだと言われ、隣りにいるのは妻だと伝えると、嘘だと言われた。
「嘘じゃない。奥さんとデートしている」
そう言った瞬間、自分の想いに気づいてしまった。
リンには『視察』だと言っていたが、視察は冬市の開催前に済ませていた。視察というのはただの口実だった。リンを連れ出したい、もっと話してみたい、心からの笑顔が見たい、そんな思いから吐いてしまった嘘だった。
あぁ、この気持ちは――――。