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作品タイトル不明

(閑話)音楽家ディジョネッタ・ジャレットと王子様(ディジョネッタ視点)

「ディー、僕は──」

あら? あらあら?

思わず、口元が緩みそうになったのを堪えます。

目の前、耳を赤くしてこちらを熱っぽい目で見ながら言葉を紡ぐ旦那様は今まで見たことのないご様子で、彼を見ている 私(わたくし) までなんだかムズムズと、不思議な感覚が胸に満ちるのを感じてしまいました。

もしかして、これが世に言う“トキメキ”というものなのかしら。

+ + +

私の名前はディジョネッタ。

今は旦那様ゲイリー・ジャレットと結婚し、ディジョネッタ・ジャレットという名前になりました。

私と旦那様の出会いは学園時代。

恋仲になったわけではなく、家同士の利益と、私と旦那様個人の利益とが合致した結果結ばれました。

私の実家は長く続く少々お堅い家柄。

国仕えの文官や査問官を輩出することもあり、一代限りとはいえ爵位を賜ったこともある伝統ある裕福な家系です。

一方、旦那様のお家はお義父様が商会を立ち上げた初代、旦那様はその二代目。

歴史のない商会とはいえ、彼の商会の成長は目覚ましく、それがまだ学生である二代目、ゲイリーの手腕であるという話は有名でした。

学園での旦那様は一言でいえば有名人でした。

貴族をはじめ、伝統のある家や裕福な家の子息令嬢、そしてそんな彼らと縁を結びたい者たちが集まる学園で、将来有望な人物の噂はひっきりなしに交わされます。

彼もそうして名前が挙がるうちの一人でした。

当時、といってもまだ十年も経たないわけですが、私と旦那様が初めて言葉を交わしたのは、学生時代も終わりを迎える最終学年の半ばを過ぎた頃。

『ピアノを弾き続けられると言ったら、どうする?』

突然投げられた言葉に、現れた目の前の有名人ゲイリー・ジャレットに、私は驚き言葉を失いました。

それまで面識もなく、挨拶すら交わしたことのなかった彼、ゲイリー・ジャレットは、初対面だというのに私のことをよく知っている様子でした。

こちらに手を差し出し、挑発的にこちらを見る目は自信と活力に満ち満ちていて。

綺麗な顔だわ。

ただそれだけ思ったのを覚えています。

学生だというのにその経営手腕であちこちの話題に上がり、庶民だというのに、女子生徒からは貴族子息に引けを取らない人気があった彼。

そんな彼と初めて対峙して、私は聞いていた以上に整ったその容姿を、まるで美術品を鑑賞するようにぼんやりと眺めていました。

『 私(わたし) と結婚すれば、君にその自由を約束しよう』

結局、彼の演技がかったそんな一言は、私を頷かせ手を取らせるのに十分な効果を持っていました。

躾に厳しく、教育に力を注ぐ我が家にとって、私のピアノの才能は扱いに困る代物でした。

礼儀作法の一環の手習いでしたが、私はそのピアノに傾倒していきました。

学園に入るころには、私にとってピアノというものは、私自身を表現する手段といっても過言ではないほどでした。

しかし、型にはまった教育を好む両親や親類はあまりいい顔をしていませんでした。

それが分かっていたからこそ、私は卒業と同時にピアノを捨てると決めていたのです。

卒業が近づくほどに考えないようにしていました。

無意識に机を鍵盤に見立てる手を、音を追う指を抑え込んでいました。

ピアノを弾く楽しさを、表現する自由を、私は家のため、別のものに置き換えなければいけないのだと必死で自分に言い聞かせていました。

友人たちは、貴族子息や将来有望な男子生徒を見て楽しそうに話に花を咲かせます。

私はそれを、同じように浮かれた気持ちで聞いていました。

私に恋愛はわからないけれど、好きな人の話をする彼女たちは楽しそうで、輝いていて、私にもいつか私を輝かせてくれる“王子様”が現れてくれたらと、夢見るように思っていました。

今思えば、現実から目を逸らし自分を納得させるのにいい希望だったのでしょう。

『私はジャレット商会を大きくする。この国一番にしてみせる。そして君は音楽に、ピアノに生きればいい。私たち二人は協力できる』

ゲイリーの言う提案は、私に都合のいいものでした。

私は、学園卒業後は良い家と縁談を結ぶためにピアノを捨てて花嫁修業をするはずでしたが、成長著しいジャレット商会商会長の跡継ぎが相手であれば十分です。

彼は彼で、商会を大きくするために私の家の名と援助が必要だと言いました。

私は彼に実家の援助を提供する。

彼は私にピアノを弾く自由を提供する。

私と彼の結婚は、互いに利のある話としてまとまり、互いの実家を巻き込み納得させてよい縁となりました。

『どうして私だったのですか? 貴族のご息女のみなさまでも、ゲイリー様の希望は叶ったはずですが』

いつか、婚約を結ぶかという頃にそう問うてみたことがあります。

彼は少し困ったように視線を伏せ、言いました。

『 僕(・) は、恋愛を知らないんだ。互いに利益で繋がるだけのほうが安心できるし、』

そこで言葉を切った旦那様は少しの間の後、『傷つけずに済むだろう?』と、困ったように笑いました。

その時の旦那様ゲイリーの顔は少し幼く見え、普段の貴公子然とした様子とは違った素顔を見れたような気持ちになったものです。

優しい誠実な人なのだとわかりました。

この人とは、信頼関係が築けると思いました。

恋とは違うのでしょうが、私の“王子様”はこの人なのだろうとすとんと心に落ちたのを覚えています。

ビジネスライクというには距離が近く、夫婦というには一歩踏み込めない私たちでしたが、娘のステラのおかげもあってとても温かな関係を築けていると思っています。

今では、私の実家の資金に頼ることなくジャレット商会を盛り立て大きくしていくことができています。

実家の援助が必要なくなっても変わらず私を妻として大切にし続けてくれている旦那様に、やっぱりこの人を選んで良かったと、選んでもらえて幸運だったと、今度は私自身が彼の力になりたいとそう思うようになっていました。

そんな毎日の中、今日も変わらない一日のはずでした。

ステラを伴って出かけていた旦那様が帰宅された際の様子を不思議に思ったのは、ただの勘です。

変化というには大げさで、けれども見逃せない違和感のようなものがその時の旦那様にはありました。

学生時代に友人が言っていた“女の勘”、それがこれなのではと思うのと同時に、女の勘の出番はあまり好ましい場面ではないということも思い出されました。

“ピンときて調べたら、やっぱり彼ったら浮気していたの!”

“怪しいと思ったの。やっぱり後ろめたいことがあったのね”

友人が言っていた言葉が脳裏を過ぎます。

まさか。

旦那様に限って。

疑うことも馬鹿らしいとは思いつつ、けれど、もし、彼が 知(・) っ(・) て(・) し(・) ま(・) っ(・) た(・) のだとしたらと、そう思ってしまったのも確かでした。

あの時の旦那様の言葉が思い起こされます。

“僕は恋愛を知らないんだ”

私だって知らない。

だから、それを知ってしまったとき、私の王子様が、旦那様が、どうなってしまうのかは分かりません。

だからこそそれはずっと不安のしこりとなって、私の意識の端に引っ掛かり続けていたのですから。

帰宅したばかりの彼の様子に、私は今逃がしてはいけないと、話を聞かなければいけないとそう思いました。

「ディー、僕は、ちょっと──」

「久しぶりに二人でお茶をしたいわ。よろしいかしら」

彼の言葉を上塗ってしまったけれど、今どうしてもお話を聞かないといけないと思ったんです。

珍しく腰がひけたような、遠慮がちな旦那様は私と目を合わせようとはせず、その様子に私の感じる違和感は大きくなります。

「……お茶の用意を頼む」

何か覚悟を決めたように居住まいを正した旦那様の言葉に、出迎えに出ていた執事のヘイデンはすぐさまテラスを整える準備をしてくれました。

不安になりかけていたその時、やっと旦那様と目が合います。

そして、その瞳が瞬間溶けるのを、私は見てしまいました。

キュンと、胸が詰まりました。

なんて瞳で私を見るのでしょうか。

熱っぽく火照ったようなお顔をした旦那様は、私と目が合った途端にその理知的な瞳を柔らかく溶かしたのです。

私は、私の先ほどの心配が間違いなく杞憂なのだと悟りました。

こんな、とろけるような甘い目をした旦那様を、私は初めて見たのです。

今度こそ私の女の勘ははっきりと働きます。

この人は私を裏切ってはいません。絶対に。

旦那様の口元が動いた気がしました。

無意識でしょうか。彼の口が、声には出さずに『ディー』と私の愛称の形に動きました。

気づけば、私は思わず笑んでいました。

そんな私に、旦那様も同じように目を細めます。

またひときわ大きく胸が鳴り、甘いうずきが体を満たしていきます。

お茶のためのテラスが整ったのは、そのすぐ後でした。

テラスに移動した私たちは、日が落ちてきて涼しくなった風を受けました。

今日は一日作曲作業で室内にいたので、外の空気がことさら心地よく感じます。

椅子を引いてくださった旦那様は「寒くはない?」といつものように声をかけ、慣れた手つきで私に上着を貸してくださいました。

使用人が淹れてくれた香りのよい紅茶をいただきながら、今日あったことを話します。

ステラと孤児院へ行ったこと。

予定通り、お忍びの第二王子デイヴィス様にお目通りしたこと。

そして、思いがけずデイヴィス様より婚約打診があったことなど。

旦那様は予想外だと言いますが、私にはそれほど驚きはありませんでした。

正直、旦那様の商会は貴族からも一目を置かれておりますし、ステラは親の贔屓目があるにしてもとても良い子です。

デイヴィス様といえば、ピアノの発表会でも私がするステラの話に強く関心を持たれた様子でした。

旦那様がステラに確認して今回の打診はお断りしたようですが、私としては、デイヴィス様はなかなか良いお相手だと思うのですが。

お立場に伴う責任はもちろんあるでしょうが、お人柄も良く、多方面に優秀だと聞き及んでいます。

ピアノの演奏会で直接お話もさせていただいて、私自身それを感じました。

ステラのこともきっと大切にしてくださるでしょうし、音楽を通じて私たち両親とも仲良くしてくださるかもしれません。

私の、そんな考えが透けていたのでしょう。

私がデイヴィス様の名前を出すと、ほんのわずかに旦那様の目が温度を下げたのを感じました。

「ディーは、随分デイヴィス様が好きなんだね」

不意に、旦那様が感情を抑えるような目をされました。

きっと、可愛い娘がお嫁に行くのが面白くないのでしょう。

優秀で、いつだってそつのない旦那様の、普段は見えない大人げない一面を見た気がして、私は内心面白くも感じました。

「王子様は、いつだって女の子の憧れだもの」

「そう。そうなんだ。ふうん」

私がわざと明るく返した言葉に、旦那様は笑顔をそのままに瞳をさらに暗くさせるのですから、ステラは将来お相手探しに苦労しそうだわと心の中で苦笑してしまいました。

一通り今日の話を聞き終えた私は、デイヴィス様のことでやや不機嫌になった気がする旦那様に、聞きたいことを聞くことにします。

「それで」

私の声に、私がお茶へと誘った本題に移ったことを察したのでしょう。

旦那様の動きがややぎこちなくなりました。

先ほど、玄関先での甘い瞳を見ていなければ、浮気を疑ったかもしれない挙動不審さです。

少しだけ、ほんの少しだけ悪い話になるのではないかという気持ちが再び湧いてしまいました。

控え目に、「私には言えないこと?」と問えば、目を逸らすように視線を流した旦那様は、紅茶を一息に飲み干し、それから目をつむって上を向きました。

ぐっと目元に力をこめていた旦那様は、鼻から大きく息を吸います。

そんなに言いづらいことなのでしょうか。

私が心配している間に、にわかに、旦那様の耳が赤く染まるのが分かりました。

「え」

思わず、目をつむった旦那様の顔をじっと見つめてしまいます。

彼の耳はみるみる真っ赤になり、それはそのままじわじわと頬へ広がっていきます。

旦那様が息を吐き、正面の私を見つめるまでのその間に、彼の顔はすっかり茹で上がったような赤になってしまっていたのです。

驚いた私の顔は、間が抜けていたのでしょう。

真剣な顔で私を見据えた彼でしたが、「フッ」と小さく笑って笑顔になりました。

ああ、この表情を、私はとても好きだわ。

とても自然にそう思いました。

赤くした耳。

力の抜けた笑顔。

それから、先ほども見た甘い瞳で私を見つめ、とても優しい声で旦那様は言います。

「ディー、僕は恋をするつもりはなかったんだ」

「……ええ」

私が聞いていることを確かめるように、旦那様は私の返事を待ってくれます。

私の頷きを待って、「少し長くなるかもしれない。聞いて、ディー」と言った旦那様は、少し困ったような泣きそうな顔に見えました。

「僕と君は、お互いにとって都合がいい相手だっただろう?」

「ええ、そうね」

「僕は結婚すれば店を継いでいいと父から言われていた。僕は店を大きくするために、援助を受けられる家と縁を結びたかった。そうして知ったのが君だ」

旦那様は、これまでもなんとなく聞かせてくれていた求婚に至った話を、詳しく教えてくれます。

いつもと違うのは、家と家の話から踏み込んで、私、“ディジョネッタ”に対して感じていたことも話してくれたことです。

「君に結婚を提案する少し前まで、僕は君のことを知らなかったんだ」

「君もそうだろう?」と言われ、私は曖昧に頷きました。

女子生徒から人気の高い彼の話はよく聞いてはいましたが、彼自身のことなんて何も知らなかったからです。

「君のことを知ったのは、決まった相手のいない裕福な家の女子で僕に恋愛感情がなく、性格や交友関係に問題のない者を絞っていった末のことだ。そして、君には才能があることを知った。その才能を、腐らせようとしていることも」

旦那様が話すことに、私は耳を傾けます。

「結婚すれば親から店を継げることになっていた僕は、親が納得する相手で余計なしがらみがないならば大したこだわりはなかったし、君が持ってくる持参金は店の発展のために魅力的だった。あの頃の僕は自分の店でやってみたいことが、それはもうたくさんあって、まっすぐそのことだけしか見えていなかった」

私もそう。

制約の多い下位貴族に嫁ぐより、ピアノを弾ける、自由のある生活ができることが魅力的でした。

それが全てでした。

「君はピアノが弾きたくて、音楽のことだけを考えていたくて、そして自由でいたかった」

そう。そうです。

私が大きく頷くのに、旦那様はやっぱり泣きそうに見える潤んだ瞳で優しく笑いました。

「僕たちは互いに恋情だとか男女のややこしいやり取りを必要としていなくて、かといって家を立てなければいけない立場上早く結婚をしてしまわなければならない。そういう意味で、互いに理想的な相手だった」

一拍置いて、旦那様の話は続く。

「話だけは知っていた君と初めて直接会った時、猫のような女性だと思ったよ。入籍して同じ家に住むようになってからも、その印象は変わらなかった」

旦那様から語られる私は私で、けれど自分でも忘れていたようなことも、旦那様は覚えてくれていました。

「大きな水晶玉のような瞳は、他人の家であった僕の屋敷を、庭を、好奇心に満ちた目で見回していた。使用人に対しても不躾ではないながらも観察するような目を向けることが多く、どこか浮世離れした雰囲気を持つ君は、身の回りの事象の把握にいつだって余念がない」

「今思えば、あの頃の君は緊張していたのかな」

そう言われて、当時を思い出しました。

自分の家からついてきた使用人などはおらず、初対面の人間ばかりの環境。

夫の彼はといえば継いだばかりの店の仕事が忙しくて、店を大きくすることに夢中で、家には寝に帰るだけだったように思います。

「そんな僕らの生活に大きな変化をもたらしたのは、他でもない、娘のステラの誕生だった」

旦那様の顔が、普段よく見る優しいお顔になります。

ステラ。

娘のステラを思えば、きっと私も同じように顔をほころばせているのでしょう。

「生まれたばかりの小猿のような不思議な生き物は、目も開いていないというのに、もごもごと動いては何かを求めるように手を動かした。周囲の音が聞こえ始めると、ディーや僕の声にばかり反応した。ふにゃふにゃの手で僕の手を掴むと、すぐに口に入れようとする。何をあげてもそれをじっと見て、振り回して、そしてやっぱり口に入れた」

旦那様の言葉は優しく穏やかで、私は目を瞑ってそのころの情景に思いを馳せました。

旦那様と私、使用人の助けを借りながら小さな小さなステラに四苦八苦した温かな思い出です。

旦那様の語り口はまるで子守歌のように私を安らかな気持ちにさせました。

「ほっぺをつつくと、信じられないくらいに柔らかい。気に入らないことがあるとすぐに泣く。気に入らないことがなくてもすぐに泣く。ある日突然熱を出すし、そうなると真っ赤な顔でぐうぐうと唸って文句を言った」

彼の言葉に、目を瞑ったまま聞いていた私は思わず微笑みます。

そう、そんなこともあったわ。

「ステラは、赤ん坊など触れる機会のなかった僕からしてみればわけのわからない生き物で、目を離したら死んでしまうのではないかと心配で、ディーや使用人に任せているというのに、小さな時間を見つけては様子を見に帰った」

「こんなに我が子のことが分からない自分が情けなくなることもあったが、僕と同じように取り乱し、ステラの扱いが分からなくて困るディーを見ていると安心できた」

とつとつと語ってくれていた彼の言葉が途切れ、私はそこで目を開けました。

目の前に座る彼と目が合い、彼が優しく微笑むのが視界に入ります。

私を見たまま、彼は再び言葉を紡ぎ始めました。

「子猿のようだったステラは気づけば人間らしくなっており、そしてとんでもなく可愛くなった。ディー。君とそっくりな彼女は、髪や瞳は僕と同じ色をしている。ステラが熱を乗り越えるたびに、ステラの体がその 嵩(かさ) を増すたびに、僕やディーも慌てることが少なくなって、親になっていく気がした」

旦那様の言葉は愛情に溢れていて、彼がどれだけステラを大切に思っているのかが伝わってきます。

けれど、それだけではなくて。

「ディー」

私の名前を短く呼んだ彼は、テーブルの上、私に向かって右手を差し出しました。

エスコートをする時のように手の平を上へ向けて差し出された手にキョトンとして彼を見ると、彼はまっすぐ、強い瞳で私を見ていました。

自信と活力に満ちた目。

その目と差し出された手は、学園で初めて声をかけられたときのようでした。

彼と私は協力できるとそう言って、婚約を持ちかけたときのように私をその手に誘います。

その時と違うのは、彼の耳がひどく赤いこと。

私はあの時とは違い、何も迷うことなく彼のその手に自分の手を重ねました。

「ディー。僕の奥さんになってくれてありがとう。ステラがいて、ディーがいて、自分の店があって。僕が今これほどに幸せなのは、きっと他でもない君がこの手を取ってくれたからだ」

「ゲイリー……」

名前を呼べば、彼の顔はますます赤くなって、その口元は耐えられないという風に笑みの形になっていきます。

「好きだ。好きなんだ、ディー。愛してる。失いたくない。ディー、ずっと一緒にいてくれ。好きだ」

満面の笑顔。

今まで見た中で一番嬉しそうで、一番真っ赤な顔をした彼は、普段のスマートさはどうしてしまったのかと思えるほど愚直に、矢継ぎ早に愛を紡ぎ始めました。

「ゲイリー? 突然、えっと、どうしたの?」

私も、どんどんと顔が熱く熱を持つのを感じます。

どうしましょう。

心臓がドキドキとうるさくて、自分ではどうしようもありません。

「好きだ。ディー、言って。お願いだ。君も言ってくれ。聞きたいんだ、お願い」

「愛、しているわ、ゲイリー」

ガタン! と。

私の拙い言葉の直後に大きな音を立てて立ち上がった彼は、まるで乗り越えるみたいな勢いでテーブルを迂回して私の元へ来ました。

その勢いのまま、椅子に座ったままだった私に覆いかぶさってきます。

「愛してる! ディー、好きだ! どうやら、僕は君に初恋をしていたみたいなんだ! 気づいたばかりで、自分ではどうしようもない、済まないが受け止めてほしい」

そう言って、しっかりと抱きしめられます。

温かな圧迫感と共に言われた言葉にどんどんと顔が紅潮します。

彼に言われている言葉もなにもかも、半分以上が訳のわからないまま、ただ、私の顔よりもずっと熱を持った彼の顔が肩口に寄せられるのがくすぐったくて、たまらなく愛おしい気持ちが湧いてきてしまいます。

どうしましょう。

私も、気づかないうちに、彼に初恋をしてしまっていたみたい。

次から次へと湧いてくる、甘く持て余すようなこの気持ちは、先ほど彼が語って聞かせてくれた愛情を受けて、すっかり芽吹いてしまった私の恋心でしょう。

初めて恋を知った私たちは、それからしばらくお互いを支えるみたいにして抱きしめ合っていました。

日が落ちて、冷えた風が頬を冷ましてくれるまで、私たちは胸に湧く愛しさに、改めて気づかされた手にある幸せに、互いの大切さに心を温め寄り添っていました。

その日の夜、ふと思いついて彼に聞いてみました。

「突然、私への気持ちを自覚されたのには、何かきっかけがあったの?」

「……デイヴィス様が」

「デイヴィス様?」

思わぬ方の名前が出て、聞き返してしまいます。

「彼がずいぶん君のことを買っていて」

「光栄だわ」

おかしなことは言っていないはずなのに、旦那様はわかりやすく顔をしかめました。

今日の旦那様は表情豊かね、と彼の新しい一面にまた愛おしさが湧くのがわかります。

「ステラのことよりも、彼がディーのことばかり気にしている気がして……、気が付いたら……」

旦那様の言葉が徐々に小さくなっていきます。

その様子に。

「──まさか」

「……」

私は、目を丸くしてしまいます。

だって、いつも落ち着いていて冷静な旦那様がもしかすると──。

「仕方ないだろう。王族に望まれれば、万が一はある。それに、君は“王子様”が好きだと言っていたじゃないか」

「あなたって……」

顔を赤くして「失うかと思ったら、はっきり分かった。気づいたらデイヴィス様に真っ向から対抗意識を燃やしていて……、帰ったら頭を冷やして気持ちを整理しようと思っていたのに君と来たら今すぐお茶だと言うし……」なんてブツブツと言う彼が、なんだかとても可愛く見えてしまいます。

彼は、私が“王子様”に憧れていたことを覚えてくれていたのかと思えば、その意味が正しく捉えられていなかったとしてもなんだか嬉しい。

私を自由にしてくれた“王子様”は、ずっと大切にしてくれていた“私の王子様”は、あなたなのよ、ゲイリー。

伝えるべきか迷って、けれど、気恥ずかしさが勝って言葉にはしませんでした。

明日、ステラが起きたらきっと彼はステラにも愛を告げるのでしょう。

そのときはきっと、私も彼とステラに言葉の限りの愛を伝えましょう。

私の、大切でかけがえのない家族を思い、私はいつもより一段と温かな眠りへとついたのでした。