軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

27.ジャレット家のフットマンチャーリーと、するべきこと/後(チャーリー視点)

「貴様、お嬢様に、何をした!」

男のいやらしい笑みを見て、俺は今すぐ掴みかかってやりたいのをぐっと耐える。

「何も。今はまだ、な」

「…………今さら俺に、何を望む」

「お前は優秀だったからな。また俺の為に働いてくれりゃあいい」

俺は、手に持った そ(・) れ(・) を一度見て、崩れないようにハンカチで包むと、丁寧に胸のポケットにしまった。

下卑た笑みを浮かべ、歩き始めた男の後について、薄暗い路地の奥へと足を進める。

一度だけ、今はお嬢様のいないジャレット家の方向を振り返った。

路地の奥、深い闇の世界へ、再び足を踏み入れる、その前に。

+ + +

入り組んだ路地の奥のさらに奥、下水の流れ込む地下への道を、男とともに進んでいく。

表の世界と決定的に相いれないこの男は、いつだって深く暗い場所に巣を作る。

やがて、真っ暗な中にぽっかりできた空間にたどり着いた。

小さな明かりがあるだけの、荷物や箱が乱雑に積まれただけのその場所には、いくつかの人影があった。

カビ臭いこの場所が、男とその仲間の根城らしい。

男は抑揚に、そいつらに向かって俺を紹介する。

「組織の古株だ。お前ら、ガキだと思ってデカい顔してると潰されるぞ。ハハ! ヒハハハ!」

そこにいたのは十人ほどの汚らしい奴らだった。

男の、てめえの身内を紹介するようなその口ぶりに、内心で激しく腹が立つ。

そこにいた男共は、俺を値踏みするように一瞬視線を向けたが、その視線はすぐに興味を失ったように散らされた。

一人だけ、大柄な体躯の男が、俺に向けた視線をそのままに、苛立たしそうに荷物の一つを蹴った。

蹴られた荷物は勢いよく吹き飛び、壁に当たってガシャンと嫌な音を立てて落ちた。

荷物を蹴ったそいつは立ち上がると、のしのしと重たそうな体を揺らして、俺と男に近づいてくる。

そいつは苛立たしさを隠しもせず、俺を見下したまま口を開いた。

「くだらねえ。全員を集めてすることがガキの紹介とはな」

その悪態を聞いて、俺は。

その場にいた奴ら全員の意識を刈り取った。

+ + +

「──これで、残党も全て狩り終えました」

屋敷に戻った俺は身を清めた後、ヘイデンさんへ報告を上げるために執事のための執務室を訪れていた。

もうステラお嬢様は屋敷に戻られ、今は旦那様と奥様と共に過ごされているらしい。

見習い執事のイソシギさんは、お嬢様のご友人のミシェル様とミシェル様のお母様を家まで送りに出ているらしく、執務室には俺とヘイデンさんの二人だけだ。

「上出来です。よく頑張りましたね、チャーリー」

ヘイデンさんにしては珍しく、飾らない言葉で褒められた。

それから、ヘイデンさんは少し逡巡するように間を置くと、少しだけ俺を気遣うような視線を投げて言った。

「チャーリー、落ち着くまでしばらく、業務を休んでも構わないんですよ」

「問題ありません」

なにかを言い辛そうにしているヘイデンさんに一言返すと、俺は思わず浮かびそうになった笑みを噛み殺した。

ヘイデンさんたちは、三年前、暗殺者として乗り込んできた俺を身内にすると決めた時、俺のいた組織をその構成員もろとも潰した。

それでも、組織のトップだったあの男の命だけは取らなかったらしい。

後になって男の生存を知った俺は、男を囮にして残党を狩るためにそうしたのだと思っていた。

だが、ヘイデンさんたちはその後、二度とジャレット家に手出しをしなかった男を狩ることはなく、あいつが新たにガラの悪い連中を集めようとしているのを知っても頓着しなかった。

そして俺は悟った。

優しいヘイデンさんたちは、俺のためにあの男の命を取らなかったのだと。

身内に入れた俺の親代わりだったあの男に、この家の人たちは温情をかけようとしてくれていたのだと。

今だってヘイデンさんは、親代わりだった男を仲間ごと街の警備に突き出してきた俺のことを、気づかわし気な表情で見てくれている。

いつも厳しいヘイデンさんが仕事中にこんな表情をするのは、本当に珍しい。

それだけ、俺のことを思って、心配してくれているのだろう。

俺はあんな男や元いた組織に、なんの愛着も未練もないというのに。

事情を知らないヘイデンさんや旦那様は、あの男が俺の育ての親だったのだろうと思って、ずっと気遣ってくださっていたのだ。

俺はただ、あの男がトップであった組織に、捨て駒にされるために買われた子どもの内の一人だったにすぎない。

やりたくもないことをさせられ、常に命の危険が付き纏う日々。

可愛がられるなんてもってのほか、八つ当たりを受け、理不尽に折檻され、優しくされたことなんて一度もない。

使い捨てられる中の一人、その中でたまたま、俺自身の運と力で生き残れただけのことだ。

ヘイデンさんや旦那様があの男を潰すのを戸惑うなら、俺がヘイデンさんたちに育ててもらったこの手で 以(もっ) て、あんな男は一捻りにしてやればいい。

俺は今日、俺が一人になったのを見つけたあの男がまんまと接触してきたことを、むしろ幸運に思ったほどだった。

いつか手ごろなタイミングで潰してやろうと思っていたのだ。

あの男は何を思ったのか、俺の拾ったものを見て、お嬢様を人質にとっているかのような口から出まかせを言ってきたのには驚いたが。

思わず怒りで目の前が真っ赤になりもしたが、あんな男が師匠たちの護衛をかいくぐってお嬢様をどうこうできるはずもない。

俺は男の思い込みを利用して、根城まで案内させるために話に乗ったフリをした。

そもそも、男がお嬢様の持ち物だと思った俺の拾いものだって、ステラお嬢様の物ですらない。

思えばいつだってあいつはそういう男だ。

ずる賢く、人が嫌がるようないやらしい思いつきだけは得意だった。

出鱈目な野望ばかりを口にして、大した実力もないくせに群れを作りたがり、どれだけそうしたって身の内の寂しさを埋められない残念な男だ。

もしもあいつが俺の育ての親のような何かだというのなら、可哀想なあいつの人生に引導を渡してやるのが、俺があいつにしてやれる唯一の親孝行だ。

俺は目の前の恩人の姿を見やる。

何も持たなかった俺を、手塩にかけて育て、心を傾けてくれたこの人は、まだ心配そうに俺の様子をうかがってくれている。

俺が本当に親のように思っているのは、目の前のヘイデンさん、そしてジャレット家の旦那様と奥様だ。

ヘイデンさんは言い辛そうにしながらも、俺に確認してくれる。

「……あなたにとって彼は、家族のようなものだったのではないですか?」

ヘイデンさんらしくない、心配そうなその表情に、俺は心が温かくなるのを感じる。

ポカポカと心地のいいこの感情は、俺がこの屋敷に来てから知ったものだ。

「ヘイデンさん、俺の家族は 目の前(ここ) にいます」

ヘイデンさんの目を見つめ、笑って言った俺に、目を見開いたヘイデンさんは、少しだけ頬に朱を乗せると顔を伏せた。

「生意気になったものですね。さあ、今日は昨日からの引継ぎもあります。忙しくなりますよ」

「はい!」

俺は笑顔でヘイデンさんに返す。

いつもより少しだけ早口の、ヘイデンさんのその声が震えていることには気づかないふりをして。

+ + +

それから数日、俺たち使用人はみんなが打ちひしがれていた。

ステラお嬢様が、なんとなくふさぎ込んでらっしゃる様子だったからだ。

祭りの翌日、屋敷に戻られたステラお嬢様は、その翌日の朝食の席で自身の行いを私たち使用人へ謝罪された。

「みんなに心配かけて、ごめんなさい」

そう言うお嬢様が痛ましくて、俺たち使用人は心で泣いていた。

そうなるように指示を出した旦那様も、もちろん断腸の思いでいらっしゃったのだろう。

奥歯を噛み、辛そうな表情を見て、俺も辛い気持ちになった。

旦那様の指示に従った師匠たちもまた、拳を握りこんで耐えている。

奥様が「許してやってね」とお嬢様に重ねるようにお声を掛けてくださり、表面上の事情しか知らされていない女性の使用人たちがお嬢様の背をさすり、優しく朝食の席へと進めていた。

そのときのお嬢様は少なくともお元気そうに見えたのに。

それからステラお嬢様は、外出を控えるようになってしまった。

俺があの手この手で街へお誘いしても、「やることがあるの」と断られてしまう。

以前にも増して勉強熱心になられたお嬢様は、部屋で机に向かわれる時間が増えた。

当然、付き人で護衛である俺の出番も少なくなる。

ステラお嬢様と離れて過ごす時間がこんなに多くなるのは、俺がジャレット家へやってきて初めてのことだった。

俺はお嬢様が少しでも明るい気持ちになってくださるよう、気晴らしになるようにと精一杯あれこれと思い巡らせ工夫した。

ヘイデンさんはお嬢様用の勉強道具を使いやすいものに調整していたし、女性の使用人たちはカーテンや室内の花を変えてお嬢様の気が晴れるようにと願った。

庭師の翁は、お嬢様の部屋の窓から見える庭に新たに花壇を設け、料理人は差し入れと言ってさまざまな菓子を作ってはせっせと部屋まで運んでいた。

使用人一同徒党を組んで、お嬢様の友人であるダニーやポーギーをけしかけもしたが、二人だってステラお嬢様にとことん弱いのは変わらない。

お嬢様に「二人にもないしょなの」と言われれば、それ以上は踏み込めなかった。

俺や門番の師匠たちはもちろん、これまで以上にせっせと体を鍛えた。

お嬢様に怖い体験をさせてしまったことを悔いて。

天真爛漫なお嬢様が、陰りを見せられるようなのが見ていられなくて。

そんなことしかできなかった。

ある日、マルクス様とルイ様がステラお嬢様を訪ねていらっしゃった。

使用人一同、彼らに大いに期待を寄せた。

対等なご友人である彼らなら、ステラお嬢様の気持ちを前向かせてくださるかもしれないと。

お二人を招き入れたお嬢様は、少し元気でいらっしゃるように見えた。

ちょっとは安心できたそのとき、お嬢様はお二人をお部屋に招きながら、俺におっしゃったのだ。

「チャーリーには、出ていって欲しいなあ」

そのときの、俺の気持ちが分かるだろうか。

聞き間違いかとも思ったものの、ここ数日避けられているように感じていた記憶が、押し寄せるようにして俺を襲う。

そんな俺を見て慌てた様子のお嬢様が言った「チャーリーに見せたくないの」は、俺にとどめを刺すに十分な破壊力を持っていた。

俺は、マルクス様がなにやら励まそうとしてくれている言葉も耳に入らず、幽鬼のようになったまま、ステラお嬢様の部屋の外で立ち尽くしていた。

俺を廊下に置いて部屋の中に戻りながらも気づかわしげだったマルクス様の優しさが、やたらと心に染みていた。

+ + +

ややあって、部屋の中へと呼ばれた俺は、解雇通告でも受けるのではないかと、そんな恐ろしい想像すらし始めていた。

しかし、部屋の中のお嬢様は恥ずかし気であるものの嬉しそうで、少しだけ期待する気持ちが沸き上がる。

そして。

「“チャーリーへ。

いつもいっしょにおでかけしてくれてありがとう。

だいすきよ。わたしのひつじさん”」

目の前のステラお嬢様は、祭りのあの日、下駄を楽しそうに鳴らしていらした時の笑顔をそのままに、明るい笑顔を俺に向けてくださっていた。

ニパッと、全幅の信頼が寄せられていることが分かる、俺が大好きなお嬢様の笑顔だ。

そして、俺の手にはお嬢様から渡された、一生懸命書いてくださったことが分かる、お嬢様から俺への手紙。

たくさんの色を使って描かれている笑顔の少年は、俺の似顔絵なのだろうか。

絵の中の俺は、なんて幸せそうに笑っているんだろう。

ステラお嬢様の前で俺は、こんなにも幸せな笑顔を浮かべているんだと、お嬢様からもそう見えているんだと思えば、胸がいっぱいで言葉が出ない。

お嬢様が“だいすき”と綴ってくれた。

お嬢様が“わたしのひつじさん”と呼んでくれた。

苦しくて、幸せに飲み込まれて窒息しそうだ。

手紙には、小さな光るものが添えられている。

見覚えのあるそれは、師匠たちが村で作って売り物にしている飾りボタンだ。

幸せの海に溺れ、身動きもできない俺の耳へ、お嬢様の可憐な声だけが染み込むように届く。

「あのね、チャーリー。それ、飾りボタンって言うんだって。ガラスに、深い青と紫のお花が入っていて、チャーリーに似合うかなって思ったんだけど、どうかな。私とお揃いなの」

お嬢様の言葉の意味を飲み込めた時、嬉しさのあまりぐっと手紙を持つ手に力がこもりそうになり、シワひとつ付けるものかと力を抜くことだけに注力した。

気づけば、俺の視界は低くなっていた。

そこでようやく俺は、自分が尻もちをついたことに気づいた。

あまりの幸せに朦朧としている俺は、うっかり自身を支える足の力まで抜いてしまったらしい。

けれど、それだって今はどうでもいい。

綺麗だ。

飾りボタンから目が離せない。

師匠たちに作っているボタンを見せてもらったことはあった。

その時に見た様々な種類のボタンは、こんなに綺麗な物だっただろうか。

こんな、宝石のように輝いていただろうか。

俺のために、たくさんのボタンの中からお嬢様がこのボタンを選んでくださったのだと思えば、馬鹿になってしまったらしい俺の涙腺から、とめどなく涙が流れた。

深い青と紫の、こんなに綺麗な花を、お嬢様は俺に似合うと思ってくださるのかと。

そして、ご自身と揃いで持たせてくださるのかと。

もう、ダメだった。

+ + +

俺は、一度に与えられる幸せの多さに耐えられず、情けなくも自室で休みをもらっていた。

マルクス様はパンクして停止してしまった俺をまたもやフォローしてくれた。

マルクス様をあんなにいいやつだと思ったのは今日が初めてだ。

これからは少しだけなら彼の稽古に付き合ってやってもいいと、今なら思えた。

そうして俺は、呆れた様子のヘイデンさんが呼びに来てくれるまで、手紙と飾りボタンを眺めて幸せに浸っていた。

呼び出しに来てくださったヘイデンさんは少しだけ目元が赤くて、いつにも増して余裕があるその様子を見て、俺はステラお嬢様が屋敷中の使用人に幸せを届けて回っているだろうことを悟った。

もしかしたら今晩、料理人あたりが使用人を集めて、祝いの会を開きたがるかもしれない。

ヘイデンさんは、俺の未熟さなんてお見通しだ。

おかしそうに笑って言われた。

「その様子を見るに、どうせまともに礼も言えていないのでしょう?」

図星だ。

俺はヘイデンさんからアドバイスをもらって、慣れないながらも慌てて飾りボタンをジャケットに縫い付けると、それを羽織ってお嬢様のいる医務室に向かった。

廊下を余裕なく、ほとんど駆け足で行く俺を、今日だけはヘイデンさんも叱らなかった。

医務室に着けば、ステラお嬢様の満面の笑顔がある。

お嬢様の隣に立てばしっくりと馴染み、ここが俺のいるべき場所だと、帰る場所なのだとはっきり分かった。

+ + +

翌日、朝食の席でステラお嬢様は夜通しで門番をしていたクラクさんとウゲツさんを呼び止めると、二人に手紙の説明をして悩殺していた。

クラクさんとウゲツさんは、使用人の中ではお嬢様への好意を隠そうとしているほうだが、どう見てもバレバレなのでもっと素直になってもいいと思う。

今だって、普段であれば朝食を食べれば寝るだけという態度だというのに、お嬢様の言葉を受けて、すっかり目が冴えている様子だ。

二人の目はギラギラしているのに、足だけはガクガクしていて、見ていてちょっと怖い。

きっとこの後体を動かすだろうから、手が空いているところを見つかればただでは済まないだろう。

俺は、二人のギラギラした瞳を見ながら「喜んでくれて嬉しい」と笑顔を浮かべるステラお嬢様を見やる。

きっと、昨日一日で、お嬢様への愛を隠せない使用人たちを喜ばせて回ったお嬢様は、多少のリアクションでは動じなくなってらっしゃるのだろう。

ご機嫌なステラお嬢様ではあるが、そんなステラお嬢様を一番の上機嫌にできないようでは“お嬢様のひつじさん”失格だろう。

「お嬢様」

「なあに? チャーリー」

俺は、ステラお嬢様を呼び止め、片膝をついて目線を合わせると、胸ポケットからあるものを取り出した。

「これ、街で偶然見つけたのですが、ミシェル様が付けてらっしゃったものではないでしょうか」

俺の手にあるのは、あの男と会った路地で見つけ、拾った花飾りだ。

ピンクの花を模したこの花飾りは、祭りの日の朝、乗り合い馬車でミシェル様が髪に付けられていたもので間違いない。

伝令からの情報と、村で見たミシェル様の様子から、泥棒に追われた際に落とされたのだと当たりをつけて、昨日は路地を探していたのだ。

お嬢様のことだ、ミシェル様がこれを失くしたことを気にされていたことだろう。

そんな俺の予想は、やはり当たっていたようだった。

きょとんと、俺の手の中の花飾りを見つめたステラお嬢様は、やがて目をまん丸にして口をカパリと開くと、想像以上に驚いてくださった。

「ええええ! チャーリー! そうだよ! きっとこれだよお! すごい! すごぉい!」

ピンクの花飾りを両手で受け取って、俺の顔と花飾りを交互に見たお嬢様は、ぴょんぴょんと跳ねて喜んでくださった。

近くにいた女性の使用人に花飾りを見せて、「これ、ミシェルが失くしたってぇ! チャーリーが見つけてくれたの!」と喜びを伝えてくださっている。

俺はにっこりと、ひどく微笑ましい気持ちでそんなお嬢様を見つめる。

「チャーリー! ありがとお!!」

「いえ、お嬢様やミシェル様のお役に立てて光栄です。よろしければ今日、お届けに行かれますか?」

「そうだね! 行こう! きっと喜んでくれるよぅ!」

今日は久しぶりに、ステラお嬢様との外出が叶いそうだ。

ピンクの髪飾りを手に、俺に笑顔を向けてぴょんぴょんと跳ねていらっしゃるお嬢様。

この笑顔を守りたい。

ずっと笑っていていただきたい。

そのためなら俺は、どんなことだって頑張れそうな、そんな気がするんだ。