軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8

オリヴィアが城で書類の決裁を手伝うようになって数日が過ぎた日のことだった。

「王妃様が呼んでる?」

仕事がひと段落付き、小休憩を取っていると、王妃の遣いである王妃付きの侍女が部屋へとやって来た。

王妃の侍女は例にもれず「オリヴィアは愚者」という城中に広がっている噂話を信じているようで、オリヴィアに向かって蔑んだような視線を向けてくる。テイラーが眉を跳ね上げて、いつ追い返してやろうかと構えているのに気づきながら、オリヴィアは苦笑を殺しながら訊ねた。

「どうしてわたしを?」

「それについてはわたくしは存じ上げません。王太子殿下と婚約破棄なさったあなたを憐れんでいらっしゃるのではないですか? 王妃様はお優しい方ですから」

「な――」

思わずと言った様子で口をはさみかけたテイラーをそっと手で制して、オリヴィアは鷹揚に頷いた。

「わかりました。いつお伺いすればよろしいでしょうか?」

「明日の昼に王妃様のお部屋で二人だけのお茶会をとおっしゃられています」

「なるほど。お受けいたしますとお伝えくださいますか?」

王妃の侍女は顎をしゃくるようにうなずくと、挨拶もそこそこに部屋から出ていく。

ばたんと部屋の扉が閉まると、テイラーがその扉に向かってクッションを投げつける。

「失礼にもほどがあります!」

「まあまあ。相手にするだけ疲れるだけよ? いつものことじゃないの」

「またそんな呑気なことを!」

テイラーは怒るが、オリヴィアにしてみればもう関係のないことだ。王太子の婚約者であったときは、ゆくゆく王妃になるのであれば、どこかで関係を正さないといけないだろうと思っていたが、もうオリヴィアが王妃になることはない。ならば、好きなように言わせておけばいいのだ。さほど実害はないし。

オリヴィアはテーブルの上のクッキーの入った皿に手を伸ばした。

「ほら、甘いものでも食べて少し落ち着いて。このクッキー、おいしいわよ?」

「クッキー? ああ、サイラス様が差し入れてくださったクッキーですね」

テイラーはオリヴィアの隣に腰を下ろすと、勧められるままにクッキーを一枚口に入れる。

オリヴィアもクッキーを一枚手に取った。砕いたアーモンドがふんだんに練りこまれている、さくっと軽い口当たりのクッキーだ。

「オリヴィア様はアーモンドのクッキーがお好きですからね。さすがです、殿下!」

テイラーのサイラスへの評価は高い。とにかく高い。さっさとくっついてしまえと無言の圧力を感じるほどに、高い。

オリヴィアも、サイラスが嫌いなわけではない。ただ突然のことに驚いたこともあり、まだ判断がつきかねているだけだ。貴族である以上、いつかは結婚しなくてはならない。王太子から婚約破棄された傷物であるオリヴィアにとって、サイラスは良縁すぎるほどの良縁だ。

だから、父か兄か――もしくはサイラス本人から、たった一言「命令」してくれさえすればオリヴィアだって迷わない。貴族の結婚は政略結婚。家のための結婚だ。オリヴィアにはその覚悟があるし、逆に言えばその覚悟しかない。だから、「口説く」という言葉を使ったサイラスに戸惑っている。口説くとはどういうことだろうか。口説かれるとは、どういう状況を差すのだろうか。選ぶとはどうすればいい。

あのような言葉を使った以上、サイラスはオリヴィアが「家のため」の結婚を選んだ場合、納得してはくれない気がした。つまりオリヴィアが彼の言う通り「口説かれ」「選ば」なければ、この結婚はまとまらない。

その気にさせて見るとサイラスは言った。だが、オリヴィアは自分が「その気」になるときは来るのだろうかと不安に思う。オリヴィアは幼いころから、自分の結婚と感情を切り離して考えている。というか、恋愛が何かもわからない。公爵令嬢であるオリヴィアが自分で選んでつかみ取れるものは、非常に少ない。そのはずだ。

(どうしてお父様は何も言わないのかしら……?)

まるで、オリヴィアがサイラスの求婚を断るのであればそれでもいいとばかりに、父は沈黙を続けている。

難解な謎かけを解いているような気分だった。

オリヴィアは常に、その時に一番正しい答えを選ぶようにしている。ならば、この難問の「正しい」答えはなんだろう。

(だめね、わからないわ……)

オリヴィアはアーモンドクッキーを咀嚼しながら、久しぶりの「難問」をどう処理すべきなのだろうかと考えた。

「母上がオリヴィアをお茶に誘った?」

護衛官コリンからの報告に、サイラスは思わず舌打ちした。

どこかのタイミングで動いてくるだろうとは思っていたが、まさかこんなに早くとは思わなかった。

(オリヴィアが兄上の仕事をやっていることがもう耳に入ったのか……)

サイラスは自室の扉に手をかけながらコリンを振り返った。

「ティアナは今日、城に来ているかい?」

オリヴィアが部屋を訪れると、王妃は笑顔で出迎えた。

アランと長らく婚約関係にあったが、思い出してみる限り、王妃と顔を合わせたのはパーティーなどがせいぜいで、個人的にお茶に誘われたことはなかった気がする、

王妃付きの侍女たちからの冷ややかな視線が気になるが、オリヴィアがソファに腰を下ろすとほぼ同時に、侍女たちは王妃によって部屋から追い出された。

すでにテーブルの上にはティーセットが用意されていたが、色とりどりのお菓子が並べられた中にひとつ、異彩を放つものがおかれており、オリヴィアの目が釘付けになる。

(……チェス?)

テーブルの真ん中におかれていたのは、チェス盤だった。王妃はチェスをたしなむのだろうか? チェスをたしなむ女性がまったくいないというわけではないが、この国においては非常に少ないはずだ。

「まずは、この度の王太子の非礼を詫びます。ごめんなさいね」

王妃は凛とした声で告げて、まるで礼儀作法の手本のような隙のない動作で頭を下げた。

オリヴィアは慌てて居住まいを正して首を振った。

「そのようなことをなさらないでください」

「いいえ。これはけじめです。わたくしのあずかり知らぬうちにとはいえ、王太子がとんでもないことを。……陛下も、どうして容認したのか」

王妃はわずかに眉を寄せて細い息を吐き出す。

それから、恐縮しきったオリヴィアを見ると、ふと相好を崩した。

「あなたとこうしてお茶を飲むのははじめてですね。固くならずに楽にして頂戴。今日のお茶はわたくしの兄の領地でとれたものなの。なかなかおいしいのよ」

「はい。ありがとうございます」

オリヴィアは勧められるままにティーカップに口をつけた。確かに薫り高く、渋みの中にも甘さを感じる美味しい紅茶だった。

王妃もティーカップに口をつけながら、おっとりと、けれどもアーモンド形の瞳を油断なく光らせながら訊ねてくる。

「そうそう、あなたが王太子の仕事を手伝っていると聞きました。本当かしら?」

オリヴィアはぎくりとした。

もしかして、今日はそれを咎めるために呼ばれたのだろうか。確かに、オリヴィアはもう王太子の婚約者ではないから、彼の仕事を手伝う権利はない。だが、これは王の命令であるのに。

オリヴィアは表情を崩さずに王妃の様子を伺いながら、けれども虚偽報告はできないので、仕方なく頷いた。

「はい。ほんの少しではございますが」

「謙遜しなくて結構よ。あなたがほとんど片付けていると、ある大臣の一人に聞いたの」

どこの大臣だか知らないが、余計なことを。オリヴィアは舌打ちしたくなった。

「聞いた話によると、今までもあの子の仕事のほとんどをあなたが処理していたそうね」

「……はい」

「そう。……正直耳を疑ったけれど、本当だったのね」

王妃は紅茶を飲み干すと、からになったティーカップを脇に置いて、突然、チェスの駒の入った箱をオリヴィアに差し出した。

「あなた、チェスはできる?」

「え? ええ、一通りルールは……」

「そう、じゃあ一勝負してくださるかしら? もちろん、手加減なんてしないでね」

オリヴィアは、王妃が何を考えているのかさっぱりわからなかった。