軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十一話 精霊の国2

コウタロウ様に 倣(なら) って黒い穴を通ると、一気に視界が開けた。

先ほどまでは森の中だったというのに、穴の先は見渡す限りに緑の森が広がる絶景。海は何処にも見えず、周囲は森。イムネジア大陸では見掛けない大きな鳥が群れを作って飛び、強い風が髪と 外套(ローブ) を攫う。乱れる髪を手で押さえると、きゃ、という小さな声。その声の方へ視線を向けると、丁度黒い穴から出てきたアヤさんが、髪とスカートを押さえていた。

「ちょっと、幸太郎さん?」

「風は僕の所為じゃ……」

僅かに頬を赤くしたアヤさんがコウタロウ様を睨んでいる。仲が良いのか悪いのか。レンジ様なら、多分ケンカするほど仲が良いと言うのだろうな、と思いながらもう一度視界いっぱいに広がる大自然へ視線を向ける。

切り立った崖の上なのか、見下ろすような形で見るエルフレイムの大陸は本当に緑豊かだ。イムネジア大陸は人が住むために森を切り開いたそうだが、エルフレイム大陸に住む亜人や獣人は森と共に生きる。木の伐採は最小限に、しっかりとした土台になる木の上に家を作ったりしていると書物にあったが、本当に巨木の上へ家が建てられているのを目の当たりにするとやはり驚いてしまう。地面に建てられた家もあまり木材は使われておらず、木の葉や 藁(わら) のような物で作られているようだ。ここからは見えないが、ドワーフ達は岩場や崖をくりぬいて家にしているとも書かれていた事を思い出す。是非見てみたいものだ。

魔力で視力を強化しながら初めて見たエルフレイムの世界は、私の胸を高鳴らせる。見た事も無い葉をつける木々に、大きな鳥。おそらく、生息している生物自体がまったく違うのだろう。

知識としては知っている事も、いざ目の前にするとまったく別物に見えてしまう。私が持っている引き出しの小ささに驚きながら周囲を見ると、私の顔程もある大きくて赤い花が咲いていた。その花に興味を惹かれて近付くと、 外套(ローブ) を引かれる感覚。振り返ると、ムルルちゃんが私の外套を掴んでいた。

「それ、誘惑草」

「?」

その花の名前に聞き覚えが無く首を傾げると、 外套(ローブ) を掴む手に力を込めながらムルルちゃんも首を傾げた。その仕草は、どう説明すればいいのか迷っている時の癖だ。

その事を不思議に思いながら、もう一度赤い花へと視線を向ける。とても艶やかで美しい、紅玉を連想させそうな赤。どのような香りなのだろうかと興味を惹かれていると、コウタロウ様が口を開いた。

「フランシェスカ殿。その花の香りを嗅ぐと、花の蜜の事だけを考える暗示に掛かるぞ」

「暗示、ですか?」

そうやって悩んでいるムルルちゃんに代わって、コウタロウ様が教えてくれる。暗示、という言葉をあまり聞く事は無いが、だからといって聞いてもあまり気分の良い言葉ではない。

もう一度、その艶やかな赤い花へ視線を向ける。こんなに綺麗なのに、と思っているとまた外套を引かれた。

「その匂いを嗅ぐと、その花の事だけを考えるようになる。結構強いから、半日は効果が消えない」

「そ、うなの?」

「うん。そうやって 虫(餌) を捕まえて食べる。人にも効くから、危険」

そうなのか。

綺麗な花で興味はあったけど、少し怖くなって離れる。

「イムネジア大陸には麻薬に似た、状態異常を起こす草花がほとんど生息していないが、エルフレイム大陸には多いからね。私か阿弥、それかそこの獣人が傍に居ない時は知らない物には触れない事だ」

「獣人、ではなくムルル」

「それは失礼。ムルル殿」

そう言って肩を竦める仕草は、どこかレンジ様に似ているような気もした。

フェイロナさんへ視線を向けると、イムネジア大陸から外に出た事が無いと言っていただけあって、興味深そうに赤い花を見ている。その隣に居るソルネアさんもしばらく見ていたが、すぐに興味を失くしたように周囲へと視線が動く。

よく見ると、他にも彩り豊かな草花が周囲には咲いている。誘惑草とムルルちゃんが言っていた赤い花、黄色に青、中には紫や血のように濃い赤の花も。

その全部が人に害のある効果を持っているとは思わないが、先ほどの話を聞いた後だと少し尻込みしてしまう。

「ふふ。さて……では、目的地まで少し歩くとするか」

そんな私が面白かったようで、僅かに口元を緩めながらコウタロウ様がいつの間にか地面に刺さっていた短剣を抜く。その意匠には見覚えがあった。どこで見たのか思い出そうとするがその答えはすぐ傍にあって、すぐに見付ける。アヤさんの腰にある、イムネジア王家から賜ったという短剣と同じ意匠なのだ。

どうやらフェイロナさんも気付いたようで、どうしてそんな短剣が地面に刺さっていたのだろうかと揃って首を傾げると、そんな私の視線に気付いたコウタロウ様がこちらを向いた。

「先ほど、転移しただろう?」

「はい」

「穴を作る際に、目印になるものがあると転移先を思い浮かべるのが楽でね」

そういうものなのだろうか。

だが、確かに景色だけを思い浮かべるよりも、自分の持ち物を想像する方が楽かもしれない。例えば、火の矢。私は弓を 嗜(たしな) まないので矢というと他の魔術師達が使っている簡単な魔術の形を思い浮かべるが、それがもっと身近なモノ――例えば、新しくレンジ様が用意してくださった 精霊銀(ミスリル) の剣。こちらの方が想像しやすいし、より鮮明に思い浮かべる事が出来る。

魔術とは想像を具現化する力。その想像が鮮明で顕著なほど、効果は高まる。

矢と剣という違いはあれど、これは使えるかもしれない。

「どうした、フランシェスカ?」

「いえ」

そう考えるとすぐに試してみたいという気持ちが胸に湧くが、胸を押さえて我慢する。

「楽しそうだな」

「そうでしょうか……」

向けられた笑顔が気恥ずかしくて視線を逸らす。けど、その言葉はフェイロナさんにも当て嵌るのではないだろうか。不愛想という訳ではないがあまり感情を表に出さないフェイロナさんが、今はまるで子供のように周囲を見渡している。

森の民であるエルフが、精霊が生まれる地であるエルフレイム大陸の森に何かしらの感じるものがあるからかもしれない。

そうやって暫く舗装もされていない道……というよりも、コウタロウ様を先頭に森の中を歩く。

深い……というよりも歩き辛く見渡しの悪い森と言うのは『腐霊の森』で経験しているが、流石は 精霊の国(エルフレイム大陸) と言うべきか、あの時のような不快感や疲労感は感じない。むしろ、歩いて汗を掻いているというのに気持ちが良いとすら感じてしまう。身体の芯から熱くなり、まだまだ動けそう。

それは、体内の魔力が活性化しているのだとアヤさんが説明してくれた。

私達『人』は、体内に魔力を持っている。休むことで魔力を回復し、体内にある限られた力で魔術を発現する。しかし、精霊という存在は大地や緑、風や火といった世界を構成するものから魔力を分けてもらって存在するらしい。

今の私が感じている事は、その精霊から魔力を分けてもらったというか、精霊から漏れた魔力が私の中にある魔力と合わさって活性化しているのだとか。

何となく理屈は分かるが、いまいちピンとこない。

「アヤさんは物知りですね」

「んー……まあ、私の知識も、半分以上は受け売りですけどね」

私が感心すると、アヤさんはそう言って恥ずかしそうに笑った。私は、アヤさんがどうしてそこで恥ずかしそうにするのかが分からなくて、首を傾げてしまう。

そんな私を見て、クスリとアヤさんが笑う。

「フランシェスカ先輩って、本当に魔術が好きなんですね」

「は、あ……まあ。はい」

そのいきなりの言葉に、よく分からないけど好きなのは本当なので頷くと、アヤさんがまた笑う。今度は肩を震わせて、なんだか楽しそうに。

まあ、笑っているから楽しいのだろうけど。何が楽しいのかは分からないけど、アヤさんが楽しいならいいのかな、と思いながら視界を上に向ける。木の葉に遮られても眩しい太陽の光は、緑色の綺麗な光を放っている。涼しい風が吹くと髪が揺れ、その気持ち良さに大きく息を吸う。心なしか、空気まで美味しい気がした。

「羨ましいです。そこまで、魔術を好きだと言えるのは」

「? アヤさんは、魔術が嫌いですか?」

「いいえ」

ですよね、と。

なんだか嫌いだと言わんばかりの物言いだけれど、アヤさんが魔術を嫌っている様子は今まで感じられなかった。

でも、羨ましいと言われるほど、私は魔術の事を知っているわけでも、魔力が強いわけでもない。

その言葉の意味を分かる事が出来ず返事を 窮(きゅう) しながら、視線を 彷徨(さまよ) わせる。ふと、その視界がソルネアさんを捉えた。

ユイさんと並んで歩く彼女は、ナイト様の黒と相まって、より一層『黒』に感じる。服装が黒いから、ではない。なんとなく、雰囲気がナイト様に似ているというか。

そのソルネアさんが、こちらを向いた。私の視線を感じたのかもしれない。普段はぼうっとした彼女だが、人の気配や視線には時折驚くほど敏感に反応する。それは、特にレンジ様が居ない時にある事だ。

まるで、誰かを待っているかのような。そんな感じ。

その誰かは、まあ。少し考えれば分かる事なのだろうけど。しかし、それが好意かと聞かれると首を傾げてしまう。ソルネアさんの視線は、好いた恋たという視線ではないように思う……多分。

そう考えていると、私が何も言わなかったからか、ソルネアさんはついと視線を逸らしてしまった。

「好きですけど。私にとっての魔術は、やっぱり戦うための武器ですから」

「武器?」

「はい。この世界に来て、最初にもらった武器。強力過ぎて、周りも傷付けてしまいますけど」

その言葉に耳を傾けながら、アヤさんが何を言いたいのか分からないので迂闊な返事を出来ない。

どうして私が魔術を好きという話から、アヤさんの魔術の話になっているのだろう。

「でも、その武器で守りたいけど、守りたい人は私を守ってくれて、私は守られる事が多いんです」

「アヤさんが、ですか?」

「ふふ。ええ……これでも私、凄く弱いんです」

そしてまた、楽しそうにそう呟く。情緒不安定と言うか、落ち着かないというか……こんなアヤさんは初めて――ではない。

ふと、記憶に過ぎるものがあった。それは、『腐霊の森』の事。レンジ様が怪我をして、倒れた時の事。

あの時、アヤさんは酷く狼狽していた。混乱していたと言ってもいい。今のように落ち着いているのとは違ったが、だが、似ているようにも思う。重なって見える。

「大丈夫ですよ」

そんな時、私はどう声を掛ければいいのか分からない。大事な人を失った事は無いのだから、経験の無い私の言葉はきっとどんなモノよりも薄っぺらい。

だから、私が言えることは、この一言だけだ。

「レンジ様。冗談はよく口にしていますけど、約束は守る人ですから」

多分。私が知らないだけで、船の上でも不安だったのかもしれない。レンジ様なら大丈夫と気丈に振る舞っていたけど、一番辛いのはこの人のはずなのだ。

コウタロウ様と会って少し気が緩んだのか、それとも隠しきれないほど、誰かに話さないといけないほど、辛かったのか。

ただ、それでもまだ本心を口にしないだけ、我慢しているのだろう。

そんな私の言葉に、アヤさんはまたクスリと微笑む。

「ですよね」

「はい」

以前、一度だけ……あれは、魔術都市の外で魔神の眷属と相対した時か。オーガに襲われるアヤさんを助けるためにレンジ様が駆け付けた時の言葉。

剣戟と怒号が溢れる場所で、不思議と耳に届いた言葉。

『守る』という約束。それは、アヤさんだけに向けられた言葉だった。

「大丈夫ですから。だから泣かないで」

他の誰にも聞こえないように呟くと、その顔を隠すように俯いてしまったアヤさんへ肩を寄せる。

すると、ムルルちゃんとフェイロナさんがこちらを向いていた。私の視線に気付くとフェイロナさんが視線を逸らし、そのフェイロナさんに肩を叩かれてムルルちゃんも視線を逸らしてくれる。

嗚咽の声は無い。俯いて表情も見えない。でも、アヤさんは泣いているのではないだろうかと思った。歩く速さが変わるわけでも、嗚咽が聞こえる訳でも、肩が震えているわけでもない。でも、俯いてしまったアヤさんが小さく見えた。

英雄だと言われても、やっぱり私より年下の女の子なのだ。好きな人が居なくなれば不安なのだ。確信は無いが、そう感じた。

レンジ様は、よく戦いたくないと言っている。それは、エルメンヒルデ様をちゃんと扱うにはいくつかの制約があり、その制約を解放できないなら自身の実力は並の冒険者程度だから、という事だった。

戦う事が怖い。痛いのは嫌だし、死にたくないといった事をいつも言っていたが――ようやく、少しだけその言葉の真意の欠片に触れる事が出来たような気がする。

レンジ様がこうやって居なくなったり、怪我をしたりすると悲しむ人が居る。きっとあの人は、こうやって泣かれるのが嫌なのだろう。だから戦いたくない。怪我をしたくない。死にたくないのではないだろうか。

……まあ、私の勝手な想像だが。レンジ様の事だから、本気で戦うのが嫌という可能性も捨てきれない。

「アヤさんは、凄いですね」

コウタロウ様に案内してもらいながら、足を止めることなく進み続けるアヤさんにそう言葉を掛ける。

俯いた顔はそのままに、その気配がこちらを意識したのが分かった。

「多分、私がアヤさんと同じ立場だったら、不安で動けなくなってると思います」

それは本心からの言葉だった。

私はアヤさんのように誰かを好きになった事はまだ無いけれど、もしその誰かがムルルちゃんやフェイロナさん。私の知る人だったら、やっぱり悲しくて立ち止まってしまうと思う。俯いて、動けなくなってしまうと思う。

そう考えると、俯いてでも歩いているアヤさんは、本当に凄い。

どれくらい歩いただろうか。

俯いていたアヤさんが顔を上げると、ようやく森の終わりが見えてきた。森の影で隠れるように俯いていたから、光が強くなると顔を上げる。

その仕草を見ると、やっぱり強いなあ、と。

「な、なんですか?」

「いいえ。アヤさんの事、もっと好きになりました」

「ぅ……なんですか、それ」

照れた声に肩を震わせると、顔を背けられてしまう。その仕草が可愛らしくて声に出して笑うと、また顔を俯かせてしまった。

「何をやっているんだい?」

「――っ」

そんなアヤさんを心配したコウタロウ様は、突然何かへ 躓(つまづ) いてしまい、咄嗟に支えようと動いたユイさんを巻き込んで倒れ込もう……として、その襟首をナイト様へ掴まれていた。まるで小動物を扱うような仕草で、襟首を掴まれたコウタロウ様がぐえ、という声を上げる。

しかし、あれだけ重そうな鎧姿なのに、今の動きはほとんど分からなかった。突然の事で私が集中していなかったというのもあるが、それでも速い。

よく見ると、フェイロナさんとムルルちゃんも驚いた目でナイト様を見ている。

「ぁ、ぁの……ご、めんなさいっ」

「ナ、ナイト――」

まず謝ったのは、何故かユイさん。どうして謝罪するのかは分からないが、そんなユイさんの言葉に反応する事無くコウタロウ様が苦しげな声を上げる。

苦しげな声は、現在も襟首を掴まれている事で首が締まっているからだろう。しかし、ナイト様はそんなコウタロウ様の事を気にせず、そのまま力を込めて持ち上げた。

また、ぐえ、という声。

「こ、殺す気かっ」

開放されたコウタロウ様が声を荒げるが、ナイト様はユイさんの後ろへと下がってしまった。残ったのは、申し訳なさそうな顔をしたユイさんである。

流石に彼女へは強く言えないようで、コウタロウ様は肩を落としてしまった。

「そりゃあ、いきなり結衣を押し倒そうとしたのは悪かったと思うけどさ」

押し倒そう、という単語の辺りで、ナイト様から殺気が漏れた気がした。知らず、寒気を覚えて一瞬足が止まってしまう。

「それに、芙蓉さん……いきなり何を」

そんな殺気を感じていないかのように、コウタロウ様がこちらを向く。どうしてか、ファミリーネームで呼んでいるが。

「幸太郎さんが後ろを向くからじゃないですか」

「後ろを向いたら駄目なの!?」

「駄目ですよ」

そうやって、またアヤさんとコウタロウ様の仲が良い喧嘩が始まる。どうやら先程は、照れた顔を見られたアヤさんが植物の 蔦(つた) を操って足を引っ掛ける罠を仕掛けたようだ。よく見ると、木の葉に隠れて不自然に編まれた蔦が見える。なるほど、こういう使い方をすると気付かれにくいのか。

ナイト様も落ち着いたようで、先ほどの殺気はもう感じない。あとは、もう何度も見た、ある意味で見慣れたアヤさんとコウタロウ様の口喧嘩。そして、それを見て慌てているユイさんという構図が出来上がる。

「ふふ」

私が笑うと、喧嘩をしていたアヤさんがこちらを向いた。

「元気を出してくださいね? 落ち込んでいたら、レンジ様に笑われますよ」

すると、まだ薄暗い森を抜けていないというのに、アヤさんの頬が真っ赤に染まったのが分かった。

「ああ。柄にもなく落ち込んでいたのか?」

そう言った瞬間、コウタロウ様が視界から消えた。よく見ると、コウタロウ様が立っていた場所には人が三人ほど入れそうな穴が開いている。

「穴の底に水を溜めるのは酷いよっ」

どうやら、そうらしい。

それにしても、コウタロウ様は慌てると口調が変わるようだ。もしかしたら、そちらが素なのだろうか?

そんな事がありながら更に少し歩くと、太陽の光が段々と強くなり、少しずつ森の外が見えてくる。そうやって深い森を抜けると、拓けた場所に出た。急に遮る物が無くなり、太陽の眩しさに目を細める。

視界が太陽の光に慣れると、まず最初に映ったのは巨大な岩を 刳(く) り貫いて作ったような 祠(ほこら) 。見上げるほどに大きい。剥き出しの岩肌には 苔(こけ) や 蔦(つた) がある。その事が、この祠が長い年月を経てここに在る事を教えてくれる。

その祠の入り口……で正しい表現かは分からないが……入り口には人一人が通れるほどの僅かな隙間があり、なにやら 藁(わら) を編んだような飾りがある。そして、入り口を守る様に二人の獣人が立っている。耳は、ムルルちゃんと同じ形で、尻尾も同じ。ただ、色が違う。一人は地面と同じ土色で、もう一人は燃えるような赤。

二人とも精悍な身体付きで、一目で戦いに慣れている事を感じられる。気配というか、目付きが以前武闘大会で戦った傭兵の人を連想させた。

手に持っている槍も使い込まれているようで、真新しさは感じられない。相当な使い手なのだろう。

しかし、その印象もすぐに消えてしまう。

何故なら、周囲を見渡した視線が、ソレを捉えてしまった。

最初はそれが何なのか理解できなかった。大きな壁。茶色い崖かとも一瞬思ってしまったほどだ。

大きな樹。

先ほど視界に映った祠も相当な大きさだけど、その巨木――大樹は、私が今まで見たどんなモノよりも大きい。

転移の直後に見た景色も素晴らしかったが……今、私の視界を占める景色と比べると、どうしても見劣りしてしまう。豊かな自然、色とりどりの鳥たち、風にそよぐ緑。そして――それらの自然を見下ろすように、見守る様に。

大地へ根を伸ばした天を突くほどの大樹。木の葉の隙間から漏れる陽光は、まるで絹のヴェールのよう。

これほどの大樹なら、その根はどれほどまで伸びているのか。もしかしたら、この広大なエルフレイム大陸全体まで……その考えさえ信じられそうなほど、目の前の大樹には雰囲気というか、存在感がある。

「――――」

言葉が無い。

離れた位置から見えているのに、それでも全体を見る事は叶わないほどの大樹。本で見た事があった。

知識として知っている。けど……この感動は、きっと見た者にしか分からない。

気付いたら、隣にフェイロナさんが居た。そして、ソルネアさんも。三人で並び、ぼう、とその大樹を見上げる。

世界樹。

精霊神ツェネリィアの寝所であり、精霊達が生まれる場所。これだけ離れていてもその美しさに心を奪われ、雄大な自然に囲まれた大樹を見れただけで幸福すら感じてしまう。

それほどまでに美しく、綺麗で、凄くて……そんな陳腐な感想が思考を占めてしまう。

「……すごい」

ただ。その一言が、自然と口から漏れた。

「そうだな」

そんな私の呟きに、フェイロナさんが同意してくれる。

私への言葉だというのに、その言葉へ返事も忘れて世界樹を見上げてしまう。心が奪われるほどの衝撃に、思考と身体がバラバラになる。

どれほどの時間、世界樹を見上げていただろうか。不意に肩を叩かれると、すぐ傍にコウタロウ様が立っていた。

「そこまで感動してもらえるとツェネリィア様も嬉しいだろうが、まずは向こうに挨拶をしようか」

「え?」

そう言われてコウタロウ様の視線を追って、先ほどまでは二人の獣人が居ただけの祠へ向く。そこには、いつの間にか数人の獣人、亜人が立っていた。

その中には、いくつか見覚えのある顔もある。

見覚えがあるというのは、魔神ネイフェルがまだ健在だった頃に、その方々がイムネジア大陸を訪れた事があったからだ。直接話した事は無いが、王城を尋ねられた際に遠目で見た記憶がある。

あれは確か、戦いが終わる一月ほど前だっただろうか。王都へ避難していた時だ。

獣人の長グラアニアと、エルフの王デルウィン。後の三人は知らないが、そのお二人と並んでいるという事は同格ないし、近い立場の方々なのだろう。

慌てて膝を付こうとすると、そんな私をコウタロウ様が制した。

「必要無いよ。君は客人扱いだ」

その言葉の意図はよく分からないが、ここはコウタロウ様の言葉に従う事にする。しかし、何もしないというのも失礼になりそうなので、軽く会釈をした。すると、その後へ居た方々が会釈を返してくださった。

「久しぶりだな、アヤ。少し、身長が伸びたか?」

「そうでしょうか?」

「ああ。最後に会った時は、確かこれくらいだったはずだ」

そう言ったエルフの王は、自信の胸あたりへ手の平を置く。そこは、今の阿弥さんよりも頭一つ分ほど低い位置だろうか。

「そこまで低くなかったですよ。……多分」

「そうか? 人間の成長は早いからな」

「本当ね。ちょっと見ない間に、すっかり大きくなっちゃって」

エルフの言葉に同調したのは、 半人半蛇(メリジューヌ) の女性だ。下半身は濃い紅色の鱗で 覆(おお) われた蛇で、上半身は人間の女性。その肢体を隠すのは薄手の服と、胸当てだけ。その服も、どちらかというと 肩掛け(ショール) のようなもので、程よく日に焼けた肌を隠していない。

胸当てだけで隠されている豊かな胸が僅かな所作で揺れ、その柔らかさを伝えている。……恥ずかしくないのだろうか。

見ているこちらが恥ずかしくなりそうな薄着だが、これだけ暑いとその薄着にも納得できてしまう。森の中を歩いていた時は陽の光を感じずにすんでいたが、今はその輝きを直接受けてしまっている。

僅かに汗が滲む額を服の袖で拭い影を探すが、近くには見当たらない。それに、見つかったとしても暑いからと一人馬を離れるのは失礼になってしまうだろう。

結局我慢するしかないのか、と内心で溜息を吐いた。

「ふふ。人間はちょっと気候が変わると、すぐに疲れちゃうものね」

しかし、そんな私の状態を察してくれたのか、 半人半蛇(メリジューヌ) の女性が背負っていた杖を手に取ると、涼しい風が吹いた。

「あ……ありがとうございますっ」

「いいのよ。貴女は特に、アヤやコウみたいに頑丈じゃないみたいだし」

「……その。頑丈という表現はやめてもらえません?」

そう満面の笑顔で言ってくださった 半人半蛇(メリジューヌ) の女性へ抗議するように、アヤさんが小さく呟く。その抗議の声を聞いた女性は、胸を逸らして陽気に笑う。

確かに綺麗で美人な女性だが、その仕草から感じたのは格好良いという感情だ。私の周りには居なかった性格の女性に、自然と笑顔を浮かべてしまう。

そんな私の表情を見て笑顔を返してくれる辺り、良い人なのかもしれない。淀みない仕草で肩から覗くほど大きなロッドを背にある鞘へ納める半人半蛇の女性。

「こちらはスィさん。種族はもうわかっていると思いますが、あの人は精霊魔術ではなく私達が使う魔術を得意としている方です」

アヤさんが小声で教えてくれる。

しかし、その説明が聞こえたようで片目を閉じながらこちらへ笑顔を向けてきた。その笑顔に、こちらも笑顔を返す。

「初めまして。フランシェスカ・バートンです」

「ええ、よろしく。さっき紹介してもらったけど、スィよ」

蛇特有の地を這う動作で近付き、右手を差し出される。

上半身は人だが、下半身は蛇。分かっていても、その動作に驚いてしまい身体が強張ると、スィさんは不思議そうに首を傾げた。

「あれ? 人間の挨拶って、握手からじゃなかったかしら?」

「あっ、いえっ」

そんな自分が恥ずかしくなりながら、慌てて右手を差し出す。腕は細いし、私と違って 生粋(きっすい) の魔術師なのだと思う。だというのに、握られた手の力は強くて、その事に驚いてしまう。

……なんだか今日は、驚いてばかりのような気がする。

「はい。よろしくお願いします……スィ様」

「様はいいわよ。スィで」

「では……スィさん、と」

「ええ。よろしくね、フランシェスカ」

そう言って、緊張しているこちらを気遣って笑いかけてくれる。本当に良い人だ。

「こちらはフェイロナさんで、こっちはソルネアさんです」

「ふふ。よろしくね?」

「アヤ殿に紹介していただきましたが、もう一度。フェイロナと申します」

フェイロナさんは自分でちゃんと名乗りながら軽く会釈をして握手をする。その仕草は、凄く様になっていた。

私は驚いて固まってしまったけど、普通はああいう挨拶が正しいはずだ。……私、失礼な事をしてしまったのかもしれない。

自分の行動を思い返して顔を青くしていると、ソルネアさんは普通に握手をしていた。

「ふむ。初めて見る顔もいくつかあるから、自己紹介をした方が良いか?」

次に口を開いたのは、ドワーフの男性だ。

私の腰くらいまでの身長に、伸びた髭。イムネジア大陸でも最近は良く見かけるようになった鍛冶を得意とする種族。その人の背にも、スィ様と同じく自身の身長よりも大きい、こちらは斧を背負っている。

よく見ると、 エルフの王(デルウィン様) の背には弓、腰には剣。 獣人の長(グラアニア様) も腰に帯剣している。鎧も身に纏っており、まるで 戦(いくさ) 前の装備にも見える。

「紹介は後で。幸太郎さんから、ここで説明すると聞いていますが――また戦争が始まるのですか?」

最初、アヤさんが何を言っているのか分からなかった。数瞬の間を置いて、驚いて隣を見る。

どうやら驚いたのは私だけではないようで、フェイロナさんもアヤさんを見ていた。

「ふうむ。そうは思っていないのだが……どのように伝えたのだ、コウタロウ?」

「いや。私の『眼』が見たままを」

「……相変わらず説明が下手なようだな」

言葉と同時に、肩を落とすエルフの王。その様子に、こちらは首を傾げるしかない。

もう一度アヤさんへ横眼を向けると、こちらも困惑したような表情を浮かべている。続いて、コウタロウ様へ鋭い視線を向けた。

「また嘘ですか?」

「また、というのは人聞きが悪いな。まあ、私の主観だから他の者の意見は別かもしれないが」

すぐさま、アヤさんがコウタロウ様の足を踏む。しかし、今度は痛みを感じていないようで微動だにしない。

本当にコウタロウ様の身体はどうなっているのだろう。アヤ様に足を踏まれたら、レンジ様はいつも 蹲(うずく) っているのに。それでも手加減はちゃんとしているが、コウタロウ様へは手加減をしている仕草が感じられない。

「ああ。気にしなくていいですよ。身体だけは頑丈ですから」

「本っ当に、蓮司殿以外には厳しいよね、君」

「幸太郎さんにだけだと思いますけど」

「仲が良いのは分かったから……コウ、『眼』で見た事を教えてちょうだい」

そんな二人を、スィさんが止める。他の三人はむしろ二人の件かを楽しんでいるようにも見える。戦争という単語が出た割には、落ち着いているというか。

私が気にし過ぎなのだろうか?

コウタロウ様の『眼』というのは、未来を見通す魔眼の事だろう。吟遊詩人の歌に謳われる程度の事しか知らないが、先ほどの言葉から考えるとまた戦争……戦いが起きるという事か。

私は学生だったので魔術都市の防衛が主で戦場には出ていないが、やはり戦争という言葉は好きではない。沢山の人が死ぬというのは、やはり嫌だ。

「七日後、魔族が攻めてくる。申し訳ないが、フランシェスカ殿。それにフェイロナ殿も――力を貸してくれたまえ」

最初、コウタロウ様が何を言っているか分からなかった。

そんな私の心情を代弁するかのように、ユイさんが口を開いた。

「なんで、フランシェスカさん達を?」

「さて、ね。そればかりは、私の『眼』に聞いてほしい」

「私……聞いて、ないよ?」

「言ったら反対されるからね」

「……本当にね」

呟いたアヤさんの声は、とても低い。

その声を聞いたコウタロウ様は、私でも分かるほど口元を引き攣らせた。

「しょうがないだろう。今の所、フランシェスカ殿にフェイロナ殿。それにムルル殿の力を借りるのが一番犠牲が少なく済むのだ」

「……その辺りは、また後で話し合いましょうか」

「話し合うと言いながら、どうして拳を握るのかね?」

「言わなきゃ分からないのかしら、幸太郎さん?」

「分からないというよりも、分かりたくないです」

アヤさんとコウタロウ様はいつも通りなのかもしれないが、こちらはいきなりの事に不安を感じてしまう。

魔族との戦いに、私が参加しなければならないという事。フェイロナさんやムルルちゃんは戦いに慣れているけど、私は……。

動悸が激しくなり、眩暈を起こしたように身体から力が抜ける。

――そんな私の手を、誰かが握ってくれた。その冷たくて柔らかな手の持ち主は……ソルネアさんだった。

「大丈夫です」

ただ一言、それだけを呟いた。

「取り敢えず。詳しい話を聞きたいので、中に入らないか?」

そう言ったのは、今まで黙っていたグラアニア様だ。頭を掻きながら、疲れたように溜息を吐いている。その言葉に、この場に居る殆どの人が全員が頷いた。頷けなかったのは、混乱している私とフェイロナさん、そして何を考えているか分かり辛いソルネアさんだ。

先ほどの大丈夫という言葉も……どういう意味だろうか?

「あの――」

「何ですか、フランシェスカ?」

どうして大丈夫といったのか。その事を聞こうとしたが、まっすぐに視線を向けられると何も言えなくなってしまう。

黒色の瞳は、レンジ様と同じ色。まるで吸い込まれてしまいそうなほど、深くて何も無い。……どうしてか、そう思った。

「しっかし。相変わらずレンジが居ないと仲が悪いのな、お前ら」

ドワーフの男性が言う。それは、私達の視線を受けながらも喧嘩を始めたアヤさんとコウタロウ様へ向けたものだった。

コウタロウ様に会ってから、今まで見た事も無いほどアヤさんは感情を 顕(あら) わにしている。良く言えば年相応だが、こういう場では少し自重してほしくもある。

今までその事を感じなかったのは、この中にレンジ様が居たからかもしれない。レンジ様の前では、アヤさんは英雄の一人として振る舞っていた。今のアヤさんが本当で、今まで私達が見ていたアヤさんは無理をしていたのか。

そこはアヤさん本人ではない私が考えても分からない事か。

森の中での事もある。本当は弱いと言っていた彼女は、本当にレンジ様に守られていたのか。

それを悪いとは思わないし、むしろ私よりも年下なのだから頑張っているとすら思う。

「ムルル、こちらへ来なさい」

「はい」

そして、続いてグラアニア様がムルルちゃんを呼んだことで、余計に混乱してしまう。

慌ててムルルちゃんへ視線を向けると、名前を呼ばれた事を特に気にする事無くこちらへ視線を向けてくる。その視線は、どうして私が驚いているのか分からないといった風だ。

「アレ、お父さん」

「……ぐ」

アレ呼ばわりされたお父さんは、見えない刃で心臓を貫かれたかのように胸を押さえて呻くと、俯いてしまった。その様子を見て、私とアヤさん、フェイロナさん、ソルネアさんを除く皆が笑っている。

「え?」

「――記憶している限りでは、あの方は獣人の長であるはずだが。……父親、なのか?」

「うん」

「……聞いていないぞ、ムルル……殿」

「言っていないから。あと、殿は要らない。変な感じ」

よく見るまでもなく、グラアニア様はムルルちゃんと同じ銀の髪に銀の尻尾、同じ形の耳を持つ種族だ。顔立ち……はあまり似ていないが。男親なのだから、そういうものだろう。私も、お父様には全然似ていないと言われるし。

「え、聞いていなかったのですけど?」

「言っていない」

「グラアニアさん、結婚していたんですか!?」

「ああ」

驚くアヤさんに、グラアニア様があっけらかんと答えた。

「教えてくれたらよかったのに。というか、ムルルはもう十五だから……初めて会った時に紹介してくれてもっ」

「うむ。紹介しようとは思ったのだが……あの時は、お前は何時もレンジにべったりだったではないか」

大きな声を出すアヤさんに、やはり慌てる事無くグラアニア様が言葉を返す。

ふとスィさんへ視線を向けると、あちらはお腹を抱えて笑っていた。

「親バカねえ」

そして、一言。

どうして、ムルルちゃんを紹介しない事と親バカが関係あるのだろう?

もしかしたら答えを知っているかもしれないユイさんとコウタロウ様へ視線を向ける。コウタロウ様もお腹を抱えて笑っていた。

「ユイさん、一つお聞きしても良いですか?」

「ぁ、はい。……あと。敬語、いいです。その――大丈夫ですから」

「そう、ですか?」

「うん」

ナイト様へ視線を向けると、こちらも無言のまま頷かれる。

「え、っと。それで、なに?」

「あ。その、グラアニア様がどうしてアヤさんにムルルちゃんの事を教えなかったのか、分かります……分かる?」

「……うん」

その質問の答えに興味があったのか、フェイロナさんもこちらに来る。

アヤさんは……どうしてか、スィさんに抱きしめられていた。その豊かな胸に、顔が埋まっている。

どういう事になったら、ああいう状況になるのだろう。まあ、全員が楽しそうならいい……のかな?

「蓮司お兄ちゃん。グラアニアさんに誤解されている、から」

「誤解?」

「う、ん。お兄ちゃん、その……胸が、小さい人が好きだって」

そう言うと、恥ずかしかったのか俯いてしまった。フードと白い髪で殆どが隠れてしまったが、少し頬に赤みが差しているような気がする。

「そ、そうか」

「は、はあ」

しかし。フェイロナさんと二人、その言葉にどう返事をすればいいのか迷ってしまう。

どうしてそのような誤解が生まれているのだろうか。

……おそらく、原因の一つはアヤさんのような気もするが。というか、原因の一つはアヤさんだろう。そう断言できそうだ。

でも、流石にムルルちゃんのような子供に……と思うが、よく考えるとアヤさんとも歳が十も離れているのか。

異世界の恋愛関係がどのようなモノか分からないが、私達の常識では十程度の歳の差など普通だ。ムルルちゃんでも十三……十分、問題無い。

それを心配したのか。グラアニア様は。

「まあ、なんだ。な」

「そうですね」

口にするのは憚られるので内心で、おそらくフェイロナさんと同じ事を考える。

親バカだなあ、と。

「ユイ」

そして、なんとも言えない空気の中で、ソルネアさんが口を開いた。

「はい。なんでしょう、か?」

「レンジは胸が小さな子供に恋愛感情を抱くのですか?」

「そんな事は、無いと思う……よ?」

けど、そう答える声はどこか自信無さげにも聞こえた。

それと、胸が小さな子供という言葉が、アヤさんに聞こえなくてよかった、と思った。

スィさんの抱擁から脱出して、肩で息をしているアヤさんを見ながら、レンジ様が一日でも早く合流してくれることを心から願ってしまいそうになった。