作品タイトル不明
幕間 魔王と元魔王
まったく、と。呟いた声が石壁に反響し、廊下へと響いた。
絵画の一つも飾られていない石の廊下は寒々しく、窓から覗く空は 曇天(どんてん) 。
時折厚い雲の中で稲光が青白く輝き、厚い雲によって頂上が隠れている火山は噴火の 赤光(しゃっこう) を覗かせる。
噴火する山は火山灰を発生させ、近いうちに降るであろう雨に混ざるのではないだろうか。火山灰が混じった雨は黒く淀み、大地を穢す。穢された大地では草木が育たず、人の世界に多く存在する家畜を育てる事も難しい。
魔物は魔物を喰らい、魔族もまた魔物を喰らう。弱者は強者の餌であり、弱者が生き残るためには強者を利用するしかない。
このアーベンエルム大陸が死の大陸と言われる 所以(ゆえん) だ。
この大陸では、弱い者は生き残れない。緑の無い剥き出しの大地、濁りきった川の水、淀んだ風。それらは、生命が生きるために必要な『強さ』を何一つ備えていない。
常に空を覆う厚い雲が、 太陽の光(生命の源) を隠してしまっている事も一因か。
魔族にとっては日常の光景だが、人にとってはそうでもないというのは、つい一年ほど前に知った事だ。
「儂も、見聞する世界が狭かったという事かのう」
ヤマダレンジ達と関わる様になって、幾度となくイムネジアやエルフレイムの大陸へと 赴(おもむ) いたが、向こうの大陸は居心地が悪く思えるほど空気が綺麗だった事を思い出す。それは、儂がこの大陸での生き方に心底から染まってしまっている証でもある。
大地は生命力が溢れ、水は美しく、風は美味い。
先日、久方ぶりに刃を交えた海など、ずっと殺し合っていたいと思えるほどに心地良かった。
決着をつける時は、ああいう場所が良いな、と考えながら廊下を歩く。この大陸のように、死に囲まれた場所で殺し合うのも悪くないが、生命溢れる景色の中で殺し合うのも心に感じるものがある。美しい花、瑞々しい緑、清らかな水に囲まれて死ぬならば、きっとお互いの胸に何かしらの感情を呼び起こすだろう。少なくとも、儂の心には悪くない記憶として残るはずだ。
そう思いながら、視線を廊下へと向ける。冷たい石造りの廊下には、等間隔で 意思を持つ鎧(リビングアーマー) が控え、その事が余計につまらなさを増長させている。その 意思を持つ鎧(リビングアーマー) も、鎧が磨かれているわけでもなく、歴戦の傷が刻まれたようなヤツだ。華も何も無い。血生臭さはあるか。
本当に、華の無い廊下だ。面白さも、何も無い。まあ、アーベンエルム大陸にまともな花など咲いていないのだが。咲いているとすれば、見ているだけで気分が悪くなってしまう毒花くらいだ。
カツカツと乾いた音を立てながらその廊下を歩き、こちらもまた何の飾りも無い無骨な扉の前に立つ。取っ手のような物は無い。
「戻ったぞ」
そう声を上げると、黒曜石を思わせる色をした扉が重苦しい音を立てて開いた。
同時に、部屋の中へ蒼い炎が現れ、ランタンに同色の焔が灯る。昏い炎に照らされる部屋には、やはり見て楽しむべきものは無い。強いて言うなら、多くの酒瓶が飾られている棚くらいだろうか。
亜人や人間の王族は部屋を飾ると聞いた事がある。それを見栄とするか、王族の 嗜(たしな) みとするかは意見が分かられるだろう。こちらとしては、過度の飾りは気分を害するが、適度に視界を楽しませるという意味で多少の遊びは必要だろうと思う。
「ようやく戻ったか」
「ああ。 生憎(あいにく) と、本調子からは程遠いのでな。中々に 手古摺(てこず) った」
魔物の骨で作った手甲を外した指で首元を軽く叩くと、フン、という 嘲(あざけ) りの吐息。その事に、特に気分を害する事無く肩を竦める。
そんな部屋の奥、アーベンエルム大陸の山々を一望できるほど大きな窓を背に、石造りの執務机に座っている男だ。稲光の逆光で一瞬顔が隠れるが、すぐにその表情は露わになる。魔族特有の病的なまでに青白い肌、吸血鬼の特徴を色濃く継いだ血色の瞳、側頭部から伸びる竜種の角。数多の種族から血を啜り、その特性を受け継ぐ吸血鬼の突然変異。
先日儂の血も吸ったが、どうやらその特性はまだ表れていないようだ。その容姿には、先日別れた後から何の変化も現れていないように見える。
部屋へ来た儂へ特に何も言ってこない男をしばらく見た後、立って話すのも面倒なので部屋へ置かれている血色の革が張られたソファへ腰を下ろす。
ついでに、部屋へ備え付けられている棚からワインを一本拝借するのも……まあ、頑張った自分への 労(ねぎら) いというものだ。ソファは柔らかく、固い椅子へ座り慣れているからか、どうにも座り心地が悪い。
「よく言う。今の貴女でも、あの男の相手は十分だろうに」
「そうでもない……見ろ。 高々(たかだか) 、制約を一つか二つ解放しただけの状態で、儂の右足を貫きおったわ」
その傷口を見せるように、豪華な装飾の施された机へ右足を乗せる。出血はとうの昔に止まっているが、傷は完全に癒えていない。ようやく痛みを感じなくなった程度で、傷口はまだ足の甲を貫通している。
女神の剣(エルメンヒルデ) によってつけられた傷。ヤマダレンジに付けられた傷。そう思うだけで心が躍るのは、きっと儂が我慢弱いだからだ。
儂もあの男も不完全だが、それでも殺し合い、永遠にも思える刹那の中で刃を交わしたい。
思い出すのは、ヤマダレンジとネイフェル様の戦い。あの時、あの瞬間。確かに儂はヤマダレンジの全力に触れ、歯牙にもかけられなかった。あの時の力を向けられたなら。斬り合えたなら。戦えたなら――きっとそれは、何よりもの至福だろう。
強者との戦い。それは魔族の本能だ。神を殺せるほどの……神を殺す事のみを追い求めた存在。その本気と向き合いたい。全力で戦いたい。儂はその願いの為に、生きている。
「油断するからだろうが」
「遊んではいたが、油断していたつもりは無いぞ」
ワインのコルクを抜く事無く、口の部分を爪の先で切り落として穴を開けると、そのまま一気に 煽(あお) る。次いで、備え付けられたテーブルの上に左足も乗せて足を組むと、新しい魔王が顔を 顰(しか) めた。大方、行儀が悪いとでもいうのだろう。そのような堅苦しいものなど、魔族には何の価値も無いと思うのだが。
それにしてもと、手元にある酒瓶へ視線を落とす。人間達が飲む酒らしいが、何が美味いのか全く分からない。
魔族が飲む酒というものは喉どころか身体の芯まで焼けてしまいそうなほど強いものだ。このような 葡萄酒(ワイン) など、香りと味の付いた水に等しい。
「……手に入れるのに、苦労したのだがな」
「それは 重畳(ちょうじょう) 」
聞こえるように呟いて、これ見よがしにもう一度 煽(あお) りながら飲むと、あちらも耳に届くほどの大きな音を立てて溜息を吐いた。
「成果は?」
「ほれ」
次に紡がれた言葉も、なんと面白味の無い事か。もう少し会話を楽しむ感性は無いものか。まあ、それもまた魔族には無い物だが。その辺りは、儂がズレているのだろう。
そのまま、聞かれたとおりに『成果』を投げ渡すと、あっさりと受け止められてしまう。顔面を狙って、それなりの力で投げたのだが。
やはり、本調子でない身体は扱い辛い。これがヤマダレンジの日常かと思うと心も躍るが、あの男が傍に居ないなら何の楽しみも無いのも事実だ。
首元の拘束具へ指を伸ばすが、やはり儂の力をもってしても外す事は叶わない。もう遥か過去に作られた呪具。 嵌(は) めた相手の魔力を一部だが抑える効果があるのだそうだ。まさか儂にも効果があるとは思わなんだが。
ヤマダレンジは制約という枷を持ち、その時々で使い分けながら上手に立ち回っていたと思う。自身の限界を知っている身で、日常的に力を封じられる事がどれほど苦痛か……なるほど、と思う。
以前から何度もアレは自身の無力に嘆いていたが、戦いたい時に全力で戦えない気持ちが少しだが分かった気がする。
「これを外してはくれぬかえ?」
「まさか。自殺願望は無いよ、シェルファ」
「ふは――儂はお主を殺したりせぬよ、ベルド」
儂を騙し、隙を突いて呪具を嵌めた新しい魔王――ベルドへ笑いかける。
先ほどの言葉は本心だ。
この拘束具を嵌められたのは儂の落ち度だが、その程度で命を奪うつもりは無い。というよりも、この男は殺す価値も無い。
儂よりも弱い事は誰の目にも明らかだし、ベルド本人もそれを自覚している。だからこそ不意を突いて儂の魔力を弱らせた。王の座へ至る為の行動だが、それを責めるつもりは無い。儂にとって魔王の肩書などその程度だし、別段未練も無いのだ。
そのような相手を殺して、何になると言うのか。
儂は、戦う事を至上の喜びとしているが、それは殺す事ではない。強者と戦い、その中に悦びを見出し、己を高める。その結末が死であろうと、それはそれで受入れよう。
そういう意味では、ヤマダレンジは最高の相手だと言える。アレもまた、戦いの中で成長する者だ。人は戦技を磨き、知識を深め、経験を活かす事で成長する種族だが、アレの成長する速さは常軌を逸している。
アレはもはや、一種の進化だ。
他の仲間と同じように女神の力を授けられたとはいえ、その力を十全扱う事が出来ず、半端な力で戦場を駆けるバケモノ。儂をも圧倒する力を発揮する時もあれば、 小鬼(ゴブリン) にも劣る実力しか出せぬ時もある。
しかし、その時々、どのような状況に置いても生きる事を諦めない姿勢は、世に 遍(あまね) くどの宝石よりも美しい。
そうではないか。圧倒的な存在を前にして、絶望するでもなく己を奮い立たせて剣を握る。この世界に、そのような事を出来る人がどれだけ居るか。魔族でも、そうそう居ない。魔族にあらゆる能力が劣る人が、絶望を前に逃げださぬ胆力を得るには並々ならぬ経験が必要だ。あの男は、それを持っている。
そのような 人間(ヤマダレンジ) だからこそ、決着をつけたいし、刃を交えたいし、 相見(あいまみ) えたい。きっとこの感情は、他の誰にも理解されないだろう。殺したいわけでも、殺されたいわけでもない。だというのに、こうまで殺し合う事を切望している。
刃を交え、傷つけ合い、殺意を向け合う。首を刎ね、心の臓を穿ち、その血で身を染めたい。きっとその時、儂は満足と共に絶望するのだろう。
そう思える相手は後にも先にも アレ(ヤマダレンジ) 一人で、決着をつけるという事は永遠に満たされぬ時間を生きる事になる。それとも、死ぬのはこちらか。そうなった場合、ヤマダレンジも何かしらの思いを抱いてくれるのか。今わの際に、聞いてみるのも悪くないかもしれない。
どちらにしても……決着をつけたいが、決着をつけるのが勿体無い。
その辺りを理解していない辺り、この男の器が知れる。儂が殺したいのは、今はもうヤマダレンジただ一人であり、その他はどうでもいいのだ。勇者も、魔剣使いも、騎士も、復讐者も――数多の武器を使いこなすあの男も。そして、儂を 謀(たばか) って力を封じたこの男も。
そんな男を殺す意味も無ければ、そのような時間こそ無駄であり無意味であろう。
「まあ、 良(よ) いさ。今しばらくは、この状態を楽しもう」
本気で戦えず、半端な状態を強いられる。自分の意思ではどうしようもないこの状況は、中々に面白い。拘束と制約という違いはあれど、ヤマダレンジと似た状態というのも悪くない。
あの時。海上で刃を交えた際に、決着をつけることは出来た。しかし、やはりそれは面白くない。アレは全力には程遠い状態であり、こちらも全力を出せない現状。そのような決着にどれだけの価値があるというのか。
ならば、似た条件、似た状態での殺し合いを今しばらくは楽しむとしよう。
「――シェルファ」
「なんじゃ?」
口を鋭利に切られたワイン瓶。それを揺らして遊んでいると、ベルドが低い声を出す。視線を向けると、こちらを恨みがましい目で見ている。
「どうした、ベルド。なにか不手際でもあったかえ?」
からからと笑うと、ベルドの 眦(まなじり) が吊り上がる。
苛立っているのだろう。その感情が手に取るように分かり、気分よくワインを煽る。
「よくもしゃあしゃあと。これは何だ?」
「ネイフェル様の心臓であろう? ヤマダレンジはそう言っておったが」
しょうがないではないか。儂はあの御方の心臓がどのようなものか実物を見ておらぬのだ。心臓の欠片を集めてこいといわれても、困る。
そういう事にしておこう。アレがどこまで儂の現状を理解したかは分からぬが、偽物を渡したという事はもう一度来いという合図であろう。儂から情報を得る為であろうが、この状況を利用しない手は無い。
ああ、次は何時あの男と相見え、刃を交わす事が出来るだろうか。そう考えるだけで心が躍る。明日が楽しみになり、この鬱屈した部屋の空気すら軽く感じるほどだ。
「一応、魔力はあるようだがのう。どうした、問題でもあったかえ?」
さてさて。ネイフェル様の心臓を知らぬ儂は、ヤマダレンジへ取引を持ち掛け、渡されたものを信じるしかない。
ああ、しょうがないしょうがない。これは、情報を秘匿した魔王様の落ち度ではないだろうか。おそらくベルドは儂が知っていると思っているのだろうし、実際儂はネイフェル様の心臓を直視している。
それでもこんなにも分かり易い偽物を手土産に戻ってきたのは、単にこやつへの嫌がらせでしかない。儂を顎で使ったのだから、これくらいの嫌がらせは正当だろう。
「こんなものっ。ただの石ころではないかっ」
「ただの、とは心外な。神を殺した男からの贈り物だ、家宝にしてみてはどうだ?」
「私はっ。お前に、ネイフェル様の心臓を回収してこいと言ったはずだ」
「そう言われてものう」
渡せと言って渡されたものがそれなのだ。しょうがないではないか。
「偽物かえ? それは困ったのう。儂は、ヤマダレンジに 謀(たばか) られたという事か」
わざとらしく口にして、ついでにワインを口に含むと――ほとんど空になっていた瓶が砕け散った。かなりの量が減っていたとはいえ、中にはまだワインが残っているのも事実。
砕かれた瓶の破片と、残っていたワインが飛び散り服と肌を汚す。ヤマダレンジが時折色目を向けていた肌が、薄紅色の液体に 塗(まみ) れてしまった。
甘い酒精の香が辺り一面を見たし、彩りがまったく無かった部屋に華を添える。
「勿体無い。手に入れるのに苦労したのではなかったのかえ?」
「どういうことだ?」
「しょうがあるまい。儂はネイフェル様の心臓を求め、ヤマダレンジはソレを渡した。これはどうにも、謀られた儂が悪いな」
かか、と笑って天井を仰ぎ見る。
廊下と同じ飾り気の無い部屋は、やはり天井を見ても面白くない。
「そんな言い訳が――」
「通用するさ。のう、ベルド?」
そう呟くと、ベルドは黙ってしまう。
なにせ、ヤマダレンジに対抗できるのは儂だけなのだ。アレがどれだけ弱者と言い張ろうとも、その事実は変わらない。肉体で劣り、魔力で劣り、何もかもが魔族より劣る人間。その人間の中でも魔力が無く、最下位に属するであろうヤマダレンジ。
だというのに勇者達と共に旅をして、経験と知識を蓄え、抵抗できるだけの膂力と胆力を手に入れた。
勝つことは難しくないのだ。所詮は僅かばかりの力しかない人間。下級の魔族でも敗走させる事は難しくない。だが、こと殺すとなると話は別になる。あの男ほど目先の勝利に無頓着でありながら、生き汚い人間もそうはおらん。
負けても次に勝てばいい。最後に立っていればいい。生きて、最後に 武器(刃) を握っていた者こそが勝者。その考えには、諸手を上げて賛同しよう。
「また、儂が 赴(おもむ) こう。さて、今度はどのようにして楽しませてくれることやら」
しかし、よく考えると。あの男を海の只中に放り出して戻ってきたのか。
今頃、海の藻屑ないし、魚類の餌になっておらねば良いが。機転は回るが、結局は人間でしかないからのう。海中では サハギン(雑魚) にも劣る。それでいて儂と渡り合うのだから、アレの相手はやめられぬ。
神を殺した男が溺れて死んだなどという、不名誉な最期を遂げておらねば良いが。
「ちっ」
「王が舌打ちなどするでないわ。器が知れるぞ、ベルド」
「ふん――それで、ネイフェル様の器は?」
「 良(よ) い仕上がりなのではないか? ファフニィルを圧倒しおったわ」
「そうか」
まあ、不意を突いたからこその成果とも思うが。アレが本気であれば、相打ちにでも持ち込みそうなところだろうが。
そういう気性を知っているだけに、何もせず海へ沈んだのが不思議ではあるが。まあ、あれだけの攻撃に 晒(さら) されたのだ。生きていてもしばらくは動けまい。ヤマダレンジは……まあ、自分で何とかするだろう。確か一緒に、小五月蠅い妖精の女王も居たようだし。
「連れて行った仲間は?」
「すまぬのう。そちらは、儂等が回収へ向かった時には死んでおったわ」
流石に、上級とはいえ並の魔族で騎士と魔導士の相手は辛すぎたようだ。まあ、どうせ儂のお目付け役だ。生き残ろうが 屍(しかばね) を 晒(さら) そうがどうでも良い事だ。
儂とヤマダレンジが戦っている間、邪魔者の相手をしてくれるだけで十分過ぎる。
そんな儂の答えに、溜息を吐く事無くそうかとだけ答えるベルド。きっと、この結果になると予感していたのだろう。そう予感していながらたった一人しかお目付け役を寄越さない辺り、最小の犠牲で済ませたと考えるべきなのかもしれない。
「さて。しばらく休んだら、また出よう」
ソファから立ち上がり、そこが砕かれた酒瓶を適当に投げ捨てる。掃除は……まあ、多少知恵の回る魔物に出もさせるのではないだろうか。
正直、瓶の破片が散らばるこの部屋がどうなろうが知った事ではない。
帰り際、再度棚から適当に酒瓶を選んで手に取る。
「まて」
そうやって部屋を出ようとしたところ、呼び止められた。
振り返ると、儂すら気づかぬ間に立ち上がったベルドが背後に立っていた。これだから吸血鬼は苦手だ。気配が薄い。
「次はエルフレイム大陸を攻める。お前はそちらだ」
「断る」
何故儂が、かのような島を攻めねばならぬのか。
即座に否定すると、その手が首へ伸びた。動きは見えている。しかし、身体が反応出来ない。魔力を制限された状態では、この男の動きに反応出来なかった。
その細腕が首を掴み、踵が浮くほどの力で持ち上げられる。
竜の膂力。その力は凄まじく、一切の抵抗が出来ないまま投げ捨てられた。先ほどまで座っていたソファへ背中から叩きつけられ、木材を砕く。その勢いのまま石床を転がると、先ほどまでベルドが立っていた場所へ視線を向ける。
しかし、そこにはすでに姿が無い。代わりに、背に膝が触れた。
瞬(またた) く間も無く影を移動し、後ろを取ったのだ。タネは分かっているが、反応出来ないのでは意味が無い。
「いいな?」
「しょうがない。我慢しよう」
はあ、と。これ見よがしに溜息を吐く。痛みは僅かも感じず、驚きもあまりない。吸血鬼の常套とも言える戦い方。真新しさも無いのだから、心も動かない。魔力が……身体の反応が万全ならば、最初に儂の首を捉えた際、即座に心臓を穿っていたのだが。
「つまらぬのう」
それに、何が楽しくて儂の相手を出来ぬ集団が集まる場所へ行かねばならぬのか。つまらない。ああ、本当につまらない。 精霊神(ツェネリィア) の加護を受けた戦士が居るとはいえ、それでも受ける加護は微々たるもの。精々が勇者と同程度。 神殺し(ヤマダレンジ) のように神の力そのものを持っているわけではない。
せめてもの抵抗とばかりに、ゆっくりとした動作で立ち上がる。
「それで? 今度は何を?」
「世界樹を焼け。世界を混乱させろ」
「ふむ」
その言葉を聞いて、顎に指を添える。
世界樹とは、 精霊神(ツェネリィア) へと繋がる門であり、亜人達が使う精霊魔術の元ともなる精霊達を生み出す大樹だ。その大樹が失われれば精霊魔術はこの世界から消えてしまう、もしくはかなり制限されてしまうのではないだろうか。実際に失われた事が無いので分からないが。
ネイフェル様の復活を目指して戦意を高める魔族、争いが激化すれば精霊の加護を制限された亜人達は多くの屍を 晒(さら) す事になるだろう。
そうなれば、世界はまた魔族と人の死体で溢れる事になる。
それはそれは。
「とても楽しそうだな」
きっとそのような事になれば、あの男は激昂するだろう。
多くの民が死に、きっとその中には女子供、 戦(いくさ) に関係のない命も散るはずだ。それをあの男は許せない。すべてに手を伸ばそうとする。どれだけ、何度、どうしようもないほど失敗しても、それでも手を伸ばしてしまう。その結果がどのようなものか学んでも、それでも手を伸ばす。
それはあの男の悪い癖であり、英雄の本質。第一歩。誰かを守りたいという気持ちは力になるが、同時に 枷(かせ) でもある。
女神の力は強大だ。使い方を考えねば、周囲を巻き込んでしまうほどに。そのような力を手に入れていながら、周囲を守りたいと思ってしまう。その思考は、枷でしかない。
ファフニィルはあの男が腑抜けたと言っていたが、人間の本質がそう簡単に変わるものだろうか。腑抜けたとしても、それは 上辺(うわべ) だけだ。
儂には分かる。
きっとそうなれば、全力で阻止しようとする。ないし、全力で報復するだろう。
そう、全力で。
「くふ…… 良(よ) いぞ。そういうものは大歓迎だ、ベルド」
心の底から湧き上がってくる愉悦を抑えられず、下を向いて笑顔を隠す。
ああ、ああ。
楽しみだ。
とても、とても――その時が楽しみだ。
「喜ぶのはいいが、今度はちゃんと仕事をするようにな」
「分かっているとも」
ネイフェル様の器に、ヤマダレンジ。
世界はまた動く。争いに向かって。
それを成し遂げる為に、手を抜くような事はしないとも。
砕けたソファの破片を踏みながら部屋の出口へ向かい――ふと、今度は呼ばれるわけではなく振り返る。
「もう話す事は無いぞ」
「名は付けぬのか?」
儂がそう言うと、部屋の惨状を見ながら腕を組んでいたベルドが、こちらを向いた。
「アストラエラはヤマダレンジという使い手に、 エルメンヒルデ(武器) という器を用意した。それを模すというのなら、ネイフェル様の器にも名が要るのではないかえ?」
「そ――」
そこまで模すつもりは無い、とでも言うつもりだったのだろうか。
しかし、その言葉を途中で留めると、考え込むようにその口元を右手で隠した。
神を殺した ただの人間(ヤマダレンジ) 。それは、一つの可能性を魔族に示した。神の恩恵を受けた存在ならば、神を殺せる。
ならばまず、この世界で唯一神を殺した男を模すべきだとベルドは考えている。
儂としては、それはとても難しく、意味があるのか疑わしい模倣だが。
ネイフェル様は世界を壊そうとした。儂等が居る世界を。きっとヤマダレンジが神殺しを成し遂げなかったなら、きっと世界は崩壊し、生命が存在しない荒野か、また新しい世界が生まれていたのかもしれない。
その事実に目を背け、目の前の新しい魔王は神殺しへと執着している。ネイフェル様の名を利用しながら自身よりも遥かに強大な存在へ挑む準備をしている。強者へ挑むのは、魔族の本能だ。その本能が、神殺しという偉業を求めてしまっている。
その一つの形が、ヤマダレンジ。ネイフェル様を殺した神殺し。人の身に女神の力を宿し、神を超えた男。
ベルドは|ネイフェル様を殺した 男(ヤマダレンジ) を憎んでいるが、その実 羨(うらや) んでもいる。だからこその模倣。ヤマダレンジに 女神の器(エルメンヒルデ) があったように、自分にも 魔神の器(ネイフェル様) を望んでしまっている。
それがどうなるのか――そして、そうなった時にヤマダレンジはどう動くのか。
「くふ」
ああ、本当に……楽しみだ。
ヤマダレンジ。貴様は、女神との約束をどのような形で叶えてくれるのかのう?
あの、偽物の女神と共に。
一人では弱者以下でしかない無力な人間よ。今のままでは、大事な大事な約束は果たせぬぞ。
一人と一本。
二人揃ってこその最強。
その姿を見るためなら。 最強(神殺し) と戦うためなら。儂は何だってするぞ、ヤマダレンジ。
貴様は、その事を知っているはずだ。