軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一話 悪夢

振り回される大鎌を腰を低くして 躱(かわ) し、全力の踏み込みで 懐(ふところ) へ飛び込む。

ボロ布のような赤い 外套(ローブ) の下には、こちらもボロ布のような露出度過多な黒いドレス。僅かな所作で 翻(ひるがえ) り、秘すべき下着を簡単に覗かせるそれは、もう服とは呼べないのかもしれない。だが、視覚に多大な影響を与える服装でありながら僅かばかりの欲情すら抱けない。そんな事に思考を割くくらいなら、死に物狂いでこの化け物を打倒する方法を考える。

両の腕にはその細腕には似つかわしくない何かしらの魔物の骨で作られた無骨なガントレットを嵌めており、その背にはカラスのような黒濡れの翼。そしてその頭部には山羊を連想させる、美貌に似つかわしくない巨大な角。

この異世界に王を冠する存在は多々あれど、竜王ファフニィルと同等の影響力を持つ王はただ一人。

魔王シェルファ。

ぼさぼさで手入れの行き届いていない長い紫銀の髪に、紅月のように赤い瞳。病的なまでに白い肌。目も眩むような美貌でありながら、その全てを台無しにしてしまう禍々しい雰囲気を撒き散らす大鎌と狂気染みた殺意。

その全てを向けられながら、大鎌を振り抜いた体勢で無防備な胴へ 神剣(エル) を振り抜く。

しかし、目にも止まらぬ速さで後ろへ飛んで距離を開けると、逆に神剣を空振りした俺を狙って手に持つ大鎌が振り下ろされる。シェルファの身長以上に大きな鎌だというのに、片手で軽々と振り下ろすさまはまさに魔王と呼ぶに相応しい威圧感がある。

その攻撃を、剥き出しの岩肌を転がりながら避け、斬り合いを仕切り直す。

耳に届く荒い息遣いは、俺のものだ。目の前に悠然と 佇(たたず) むシェルファは、息一つ乱す事無く俺を見下ろしている。

そのシェルファの背後から、 精霊銀(ミスリル) の剣を構えた宗一と緋咲さんが躍りかかる。その不意打ちの攻撃を、まるで背中に目でもついているかのように的確な動きで大鎌を操って薙ぎ払う。

吹き飛ばされた二人が、 苔(こけ) の生えた岩へ背中から叩きつけられる。当たり所が悪かったようで、そのまま微動だにしない。気絶したのか、それとも機を 窺(うかが) っているのか。どちらにしても、シェルファを挟んだ反対側なので確認のしようは無い。

井上幸太郎――井上君が『玄武』と名付けた山のように巨大なカメの背中での死闘。それは悪夢のように、絶望的に、俺達の前に立ち塞がる。

「情けないのう。これがアストラエラが異界より呼び寄せた英雄かえ」

情けない、情けない、と。かかと陽気に笑いながら露出狂の魔王は大鎌を一薙ぎ。玄武の背が、一部吹き飛んだ。

笑っているが、その殺意に僅かの曇りも無い。その向けられる殺意に、覚えがある。それは王都イムネジアの大聖堂で 魔神(ネイフェル) から向けらえたソレによく似ている。いや、殺意の濃度というものがあるなら、あの時の方がまだマシだ。

だから、陽気に笑う魔王の目を見据えて立ち上がる。

シェルファの顔が驚いたように固まり、続いて破顔する。

「おうおう。よいぞ、英雄。この程度の事で折れてくれるなよ」

ニタリ、と。その艶やかな唇が三日月のように歪んで裂ける。血のように赤い、蛇のように長い舌が唇を舐める。映画やマンガでよくみる悪魔の笑顔。まさにそう称するのが正しいと思える、狂気を孕んだ表情。

病的なまでに白かった頬が僅かに赤らんでいるのは、愉悦ではなく興奮からか。追い詰められているが、気持ちを落ち着けながら魔王を観察する。

ズン、と 足場(玄武) が揺れる。今この時も、このイムネジア大陸最大最強と言われている魔神の眷属は王都へ向けて進んでいるのだ。このままでは、後半日もしないうちに王都へと到達して、その巨体を持って蹂躙するだろう。

一刻も早く魔王を倒して、この魔神の眷属を討伐しなければならない。

深呼吸を、一つ。二つ。三つ――。

「エル。やるぞ」

『はい。貴方が望むまま、存分に』

神剣(エル) を両手で握る。魔力の無い身でありながら、全力を振り絞るようにイメージする――。

翡翠色の刀身に“芯”が通る。一本の芯。

決して折れない、曲がらない、砕けない。

絶対の“芯”。

「――力を貸してくれ。エル……アストラエラ様」

輝く。刀身から溢れる翡翠の魔力が、この身から溢れる翡翠の魔力が。

もっと。

もっと。

もっと。

もっと――輝け。

「覚悟は決まったかえ?」

「テメエのその翼をぶった切って、ここから叩き落としてやる」

『口が悪いです、レンジ』

瞬間、視界から消えたように感じるほどの速さで飛び上がったシェルファが大鎌を振り下ろす。

横に跳んで避けると、玄武の背中が爆発した。岩肌だけではなく、甲羅の一部まで破壊するほどの威力。しかし、それに 驚嘆(きょうたん) する間もなく、避けた俺を狙って跳ね上がった大鎌の先端を剣の柄で受ける。

大鎌の先端と、柄尻の宝石が一瞬だけ火花を散らした。

独特の形状である大鎌を防ぐことは難しい。これは、一度限りの奇策でしかないだろう。その一度きりの奇策は、俺の予想通りにシェルファの表情を驚愕に歪める事へ成功する。

足場を粉砕させる勢いで蹴りつけ、その懐へ飛び込む。シェルファは先ほどのように後ろへ跳ぶが、俺もそれを追ってもう一歩を踏み込む。その避け方は一度見ている。対応は難しくなかった。

そしてそのまま、 神剣(エル) を斬り上げる。

僅かな抵抗も感じないまま、その右腕と、宣言通りカラスを連想させる黒い翼を斬り飛ばした。衝撃で、シェルファの小柄な体が宙を舞う。

落とした。翼を斬ったから飛べないはずだ。

――その直後、一瞬の油断をついて叩き込まれた魔力弾に吹き飛ばされた。

玄武の背から落ちる。

――ドスン、と。

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

周囲を見渡すと見慣れた宿屋の一室で、驚いた顔をしたフェイロナが俺を見下ろしている。

『何をやっている……』

そして、頭に響く男性のような女性のような、どちらとも取れる中性的な声。その声が、呆れの感情を多分に含んでいるのは気のせいではないだろう。

しばらくして、ようやく俺の今の状況を理解できた。

同時に、部屋のドアが激しくノックされる。

「何事ですか!?」

部屋へ入ってきたのは阿弥のようだ。フェイロナのベッドが邪魔でその姿は見えないが、声で判断する。

『なんでもない。レンジが寝惚けてベッドから落ちただけだ』

という状況らしい。

説明してくれる声は、呆れているというよりも情けなさを滲ませているような気がする。

「……痛い」

『さっさと起きろ。情けない』

そう言われて、ようやく体勢を整えて立ち上がる。変な堕ち方をしたのか、首筋が 矢鱈(やたら) と痛い。

窓から差し込む紅月の明かりで、今が夜だと判断する。どうやら、とても中途半端な時間にベッドから落ちてしまったらしい。

「あー……すまん。多分寝惚けていた」

俺がそう言うと、阿弥と、その後ろに居たムルルが安堵の息を吐く。どうやら、随分驚かせてしまったようだ。

「気にするな。身体の調子はどうだ、痛い所はあるか?」

「頭を打ったみたいだ。あと、首が痛い」

自分のベッドへ腰を下ろして、右手で左肩を揉む。すると、すぐに痛みは引いてしまった。一時的な物だったようだ。

右肩も同じように左手で揉むと、すぐに首の痛みは無くなる。逆に、数週間前のグリフィン討伐時に負った傷が僅かに疼くが、こちらはそこまで酷くないので無視する事にする。

「大丈夫ですか? 肩、揉みましょうか?」

「ああ。大丈夫大丈夫。少し夢見が悪かっただけだよ」

心配してくれる阿弥へそう答えると、軽く伸びをする。夜中だというのに、随分外が明るい。

窓の外へ視線を向けると、今夜は満月だった。いつもは朱色の夜だというのに、今夜は血のように赤い気がする。……もう慣れたつもりだったが、やはりあまり気分の良い夜ではない。

先ほどの夢の事もあり、何か不吉な物のように感じてしまう。

『特に 魘(うな) されていなかったが、 厭(いや) な夢を見たのか?』

「ああ。少しな」

「どんな夢だ?」

その言葉に反応したのは、フェイロナだった。珍しい、と視線を向ける。

「いきなりの奇行に、目が覚めた」

「奇行言うな。泣くぞ」

まったく、と。息を吐くと俺のベッドに阿弥が、フェイロナのベッドにムルルが腰かける。

「……なんだ?」

「気になる」

「蓮司さんがベッドから落ちるの、初めてですし。気になって」

その二人の言葉に、もう一度深く息を吐く。

野郎の夢を聞いたとしても、そんなに面白いとは思わないが。

「ソルネアは?」

「呼んできましょうか?」

「いや、いい」

誰彼に聞かせるような話でもない。

「夢を見ただけだよ。玄武――このイムネジア大陸で最大最強と言われていた魔神の眷属。その背で魔王と戦った時の」

「……魔王」

俺の言葉を、ムルルが反芻する。

魔王シェルファ。

その名前は、イムネジア大陸でもよく知られている。最強の魔族。最強の魔物。魔族を統べる存在。

魔の王、その名に相応しき存在。

呼び名や意味は様々だが、言える事は一つ。

出鱈目に強い。

俺達十三人の中でも接近戦を得意とする宗一や真咲ちゃん。勇者や剣士が同時に掛かっても軽くあしらわれる程の敵。

その名前を耳にして、フェイロナとムルルの身体が強張ったような気がする。その緊張を和らげようと、おどけた調子で肩を竦める。

「夢だって。昔の話だ」

「昔の話という事は、実際に戦ったのか?」

「まあな」

俺としては、悪夢でしかないが。

あの一戦でシェルファから目を付けられて、それ以降は何度も勝負を挑まれたというか、喧嘩を売られたというか、襲われたというか。

……本当に悪夢である。

俺が溜息を吐くと、阿弥が慰めるように背中を撫でてくれた。まるで年下の子供をあやすような仕草である。視線を向けると、俺の苦労を知っているだけに苦笑していた。

「その様子だと、あまりいい思い出ではないようだな」

「何度か死に掛けたからな」

特に、玄武の背から落ちた時は、まだファフニィルもアナスタシアも居なかったので、本気で墜落死しかけたのだ。アレから俺の墜落癖が……と思うのは、考え過ぎだろう。

「珍しいですね。シェルファの夢を見るなんて」

「本当にな。ああ、嫌だ嫌だ。もう早く寝よう」

俺がどれだけ嫌なのか知っている阿弥は、何も言わずにベッドから立ち上がる。

話は終わりだと感じたのか、ムルルもそれに続いた。

「それでは。おやすみなさい」

「おやすみ」

「ああ。すまなかったな、起して」

いいえ、と。そう呟いて阿弥とムルルが部屋から出て行く。残ったのは俺とフェイロナ、そしてエルメンヒルデである。

一気に部屋が静かになる。

「それじゃ、俺達も寝るか」

「そうだな」

『明日も早いのだからな』

「わかってるよ」

明日は船旅の準備と、工藤に頼んでいた物を……ベッドに横になると、すぐに眠気が襲ってくる。

隣のベッドからは、すでに寝息が聞こえていた。

早いな、と考えながら窓の外――真紅の満月を見上げる。

ああ、嫌な月だ。

満月だからシェルファを思い出したのか、それとも俺の勘が何かを訴えているのか。

どちらにしても、 魔王(シェルファ) はアーベンエルム大陸に居る。 魔神(ネイフェル) が居ない今、いきなりイムネジア大陸に現れると言うのも難しいはずだ。

そう安心して、目を閉じた。