作品タイトル不明
第十三話 厄災と面倒事の足音
重く、動き辛い鎧を脱ぐと、その解放感に溜息のような息が漏れた。
それは隣の藤堂も同じようで、心底から疲れたような息を吐いている。その藤堂の鎧を脱がせていた茶髪のメイド長――アンジェラさんが、そんな様子に口元を緩めているのが印象的だ。
黒のワンピースドレスに、白いエプロン。セミロングの髪を後ろで纏め、その頭部にはヘッドセット。完璧なメイド姿であり、そのかっちりとした雰囲気は以前と変わらずこちらの気を引き締めてくれる……のだが。
このメイド長。いつもは 鉄面皮(てつめんぴ) で有名な人なのだが、今日……というか、今現在。藤堂の相手をしている時は、何処か表情が柔らかい様に感じた。少なくとも、数年前にこの城で過ごしていた時とは雰囲気が違う。まるで手の掛かる弟や子供を相手にしているような、でもそれにしては少し距離があるような。
多分、気のせいではないだろう。これでも、女の人を見る目はしっかりしているのだ。
「なあ、藤堂」
「ん、なんですか?」
「お前って結構、城に顔を出したりしているのか?」
俺がそう聞くと、意図を汲み取れなかったようでキョトンとした顔を向けてくる。
「別に、そんなには。どうかしたんですか?」
「いや、妙にアンジェラさんと仲が良さそうだからな。つい……」
「はあ……」
「気のせいではありませんか?」
『どうかしたのか?』
やはり俺が何を言いたいのか分からないようで、藤堂は首を傾げている。そして、特に感情を浮かべるでもなく言葉を返してくるアンジェラさん。
なんだろう。こう。距離というか、壁があるように感じるのは。俺の気のせいと言われればそれまでだが、これでもそういう変化には敏感だと自負している。……やはり藤堂と俺では、何かが違うと思う。
「ふうん」
「……なんか、気になる笑い方だなあ」
「気にするな」
『変な顔をしているぞ、レンジ』
そこは放っておいてくれ、相棒。顔が変なのは生まれつきだ。
心中で 僅(わず) かな悲しみを感じながら、そう返す。
エルメンヒルデと藤堂の二人とは違い、何かに気付いたのであろうアンジェラさんは……あまり表情に変化は無く、テキパキと藤堂の鎧を脱がせている。メイドの鑑というか、からかいがいが無いというか。からかいすぎて怒らせてしまいそうでもあるので、どこまで踏み込んでいいのか分からない。
脱ぎ終わった鎧を丁寧に机の上へ置きながら、どうやって藤堂をからかおうかと考えていると、ちらりとアンジェラさんが視線を向けてきた。そこには、宇多野さんのような冷たさの中に、僅かな羞恥が混ざっているような気がした。
「なにか?」
「相変わらず、意地がお悪いようで」
「これでも、気を使っているつもりなんですがね」
「……はあ」
その溜息は俺に向けた物なのか、それとも藤堂へ向けた物か。もしかしたら、自分自身に対してかもしれない。
藤堂の鈍感さも問題だが、アンジェラさんがあまり恥じらいを表に出さないのも問題だと思う。多分、そういう自分を出すのが悪いと思っているのだろうけど。
メイドと言うのは、自分を殺してでも主人を立てるものらしい。そういう自分が、感情を表に出すのは間違いだとでも思っているのか。なんだか、昔の宇多野さんを見ているようで、少し懐かしい気持ちになった。まあ、今もあまり感情を出す人ではないけれど。
そんな鎧を脱ぐというだけでイチャイチャしている二人を横目で見ながら、机の上に置いた防具一式を優しく撫でる。 精霊銀(ミスリル) の鎧防具一式。この装備をそろえるのに、いったい銀貨が何枚必要だろうか。
『何をやっているんだ』
「いや、こう。な」
『な。で分かるか』
普段俺が、指で弾いたり、ポケットの上から叩いたりと、エルメンヒルデを大切に扱わないからだろう。その声が少し苛立っているように感じる。
その反応がおかしくてからかうと、返ってくるのは少し拗ねたような、苛立ったような声。その声を聞くと楽しくなる俺は、あまり性格が良い方ではないだろうと思う。
「ボクとしては、山田さんとエルさんの方が仲良さそうに見えるけどね」
『…………そうか』
「まあな」
お返しとばかりにニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべているつもりになっている藤堂が言ってくる。実際その通りなのだろうが、俺としては痛くも痒くもない。
その言葉に苛立たしげに応えているが、言葉尻が上がってしまっているエルメンヒルデ。分かり易いヤツである。だからあえて否定せずに返事をすると、先ほどの不機嫌な雰囲気は完全に消えていた。
「本当に、仲がお宜しいご様子で」
「誰に似たのか、小言がうるさいけどな」
『それは、レンジがだらしないからだ』
藤堂の冷やかしに応えると、俺の言葉に心外だとばかりにエルメンヒルデが声を上げる。しかし、やはりその声はどこかいつもより高いように感じる。どうも、相当機嫌が良いようだ。
最近、あまり構ってやれなかったからだろうか。それとも、エルメンヒルデではなく 精霊銀(ミスリル) の剣を使っていたからかもしれない。
「それで。最近はどうですか、アンジェラさん?」
「最近?」
「お前の事だよ、藤堂」
笑いながら言うと、藤堂は首を傾げ、その後ろでは藤堂に気付かれないようにアンジェラさんの瞳が細められる。
以前なら萎縮するような強い視線も、この場に限っては照れ隠しにしか感じられない。
「そこはご想像にお任せいたしますわ、レンジ様」
俺達の会話に耳を傾けながらも、藤堂の鎧を脱がす手は 滑(なめ) らかに動いている。その辺りは、流石はメイド長だと感心する。俺の意図を悟ったからか、問い掛けにも表情どころか言葉に感情が乗る事も無い。
やはり、俺と藤堂だとこう、壁があるように感じてしまう。
別に、それが寂しいという訳ではないし、むしろそれが楽しいのだが。
『また、意地が悪そうな顔をしているぞ』
「またって言うな」
そんな顔をした覚えはないのだが。
そして藤堂は、やはりよく分かっていないような顔をしている。……こいつ、鈍感か。
武闘大会初日の後片付けが忙しいのか、俺には手伝いのメイドさんは居ないというのに。その辺りをどう思っているのだろうか、こいつは。
「それより、賭けはどうします?」
「賭け?」
「賭けてたじゃないですか。勝ったら飯を、って」
『うむ』
「うむ、じゃねえよ。一番最初に負けたのはお前だろうが、エルメンヒルデ」
『…………』
都合が悪くなったら黙りやがって。
まあ、今のエルメンヒルデでは料理が出来ないのでしょうがないのだが。というよりも、俺達が賭けたチームの中で、宗一達が一番最初に敗退するだなんて誰も予想していなかった。
どちらかというと、藤堂が賭けた商業都市の冒険者チームが一番最初に負けると予想していたのだ。なにせ、あそこは装備はしっかりしているが中身は素人……とまではいかないが、練度が足りていない所がある。
それは土地柄で、戦術都市周辺は魔物がそう多くないのだ。その辺りも魔神の眷属の影響なのだが、それは今はいいだろう。
それよりも、宗一と真咲ちゃんの勝負。まさかあそこで、宗一が反則負けになるとは思っていなかった。いや、あれはあれで楽しかったし、盛り上がったからいいのだが。
宗一の変化。女神アストラエラの加護と精霊神ツェネリィアの加護。それは勇者の特権であり、聖剣の所有者である証でもある。二柱の神から祝福されているのは、俺達十三人の中でも宗一だけだ。
その代わり、髪は銀色に、瞳は金色に。幸太郎ではないが、かなり容姿が変化してしまう。元が 童顔(どうがん) ということもあり、女性っぽい容姿になってしまうのもそのためだ。あれでもっと身長があれば世間が言うように、確かにアストラエラに似ていない事も無い。
「まあ結局、勝ったのは九季だからなあ」
「だね。場所と食材は用意するから、料理を手伝ってくださいよ」
「りょーかい。ま、その位はしないとバツにはならないわな」
『私は何をすればいい?』
「応援でもしてくれ」
『わかった』
「いや。それはそれで、キャラが違い過ぎるというか……」
俺達の遣り取りに、藤堂が困ったような声を上げる。実際、反応に困っているのだろう。
確かに俺も、エルメンヒルデに『がんばれー』などと応援されても、その後どういう顔をすればいいのか思いつかない。
そういう馬鹿な会話をしていると、アンジェラさんが藤堂の鎧を脱がし終わる。俺が一人で脱ぐよりも時間がかかったのはどうしてだろうか。
その事を聞いても、応えてくれないだろうけど。
「ま、飯は大会が終わってからだな」
「なんだか、フラグっぽい言い方だよね。それ」
「おい馬鹿。やめろ」
いきなり何を言い出すのか。まったく。
「フラグなんて、立てるつもりはねえよ」
そう言って、鎧の下に来ていた服の首周りを緩める。
藤堂も首周りが苦しかったのか、笑顔を浮かべながら首や肩を回している。
「それでは、鎧の方は私の方が責任をもって保管しておきます」
アンジェラさんが手をパン、と鳴らすとドアの外に控えていたのか、数人のメイドが部屋の中に入ってくる。
これだけの数が居るなら、俺が装備を外すのを手伝ってくれる人が一人くらい居てくれてもいいと思うのだが。別に理不尽という訳でもないが、こう、何となく納得がいかないというか。微妙な気分になってしまう。
そのメイドさん達からねぎらいの言葉を貰いながら、部屋を出る。
ただ、その内の一人から「もう少し空気を読んでください」という、ありがたいお言葉をいただいたが。
『レンジも、空気を読めないものな』
「お前ほどじゃねえよ」
少しぶっきらぼうに答えながら、溜息が漏れてしまう。
だって、からかいたくなるじゃないか。堅物のメイド長と、鈍感な料理人。きっと、見守っているつもりだったであろうメイド達も、内心では楽しんでいたはずだ。
鎧を脱いだからか、冬の寒さを感じながら石造りの廊下を藤堂と並んで歩く。人と擦れ違わないのは、その 殆(ほとん) どが闘技大会の観戦に向かっているからだ。残っているのは、鉄製の鎧兜に身を包んだ兵士達と一部のメイド達だけである。
擦れ違うと頭を下げてくるが、どこか浮ついているように感じる。きっと、兵士達やメイド達も武闘大会を観に行きたかったのだろう。
「どうかした?」
「いんや。平和なのは良い事だな、ってな」
「そうだね。良い事だよ」
藤堂と二人、しみじみと呟いてしまう。
そう思うのはおっさん臭いのかもしれないな。そう思いながら、十字路を左へ曲がる。
「ああ、そうだ」
そこで、つい今しがた思い出したかのような声を上げ、藤堂へ顔を向けた。
突然声を上げて立ち止まった俺を見上げながら、藤堂も足を止める。
「そういえば、アンジェラさんに言い忘れてたわ」
『何かあったのか?』
「いや。後で宇多野さんに話があるから、俺の部屋に酒を持ってきてくれって頼むのを忘れていた」
「…………ああ、そう」
なんだよ、その呆れた視線は。
藤堂からジト目を向けられながら、その肩に手を置く。
「頼んできてくれ」
「なんでボクが!?」
「いや、絶対に小言を言われるからな」
「分かっているなら我慢すれば……」
『そもそも、レンジが酒を止めればいいのだがな』
「そう言ってくれるな」
ポケットから メダル(エルメンヒルデ) を取り出すと、その 縁(ふち) を指で撫でる。
というよりも、俺はお前とアンジェラさんの仲を取り持つキューピッドなのだ。
決して、先ほどメイドさん達に空気が読めないと言われたことを根に持っているわけではない。
「頼むよ、藤堂」
「でも、アンジェラさんに悪くない?」
「気にするな。むしろ喜ばれるはずだ」
『むしろ、呆れられると思うが』
まあ、そうかもしれないな。現に、エルメンヒルデは呆れた声を出している。
そう言いながら藤堂を置いて歩き出すと、後ろから溜息。そのまま、足音が遠ざかっていく。
『流石にあれは、ヒイラギに悪いと思うが……』
「だな。あとで、何か埋め合わせをするさ」
『はあ……』
まあ、これで何かしらの進展があれば、逆に感謝の言葉でも貰えるかもだが。
……しないといけないだろうな、埋め合わせ。
俺が旅に出て一年。その間に少しは進展したのかもしれないが、それでも男女の仲という感じはしなかった。なら、この程度の後押しでは進展など……まあ、武闘大会というか、お祭り気分で盛り上がってくれれば御の字か。
実は俺が気付かなかっただけで、本当はあの二人、イイ仲なのかもしれないけど。それならそれでいい。やはり、仲間の幸せは嬉しいのだから。
「さて、これからどうするかね」
『ソウイチ達は?』
「学院の友達と一緒だろ」
流石に、その時間を邪魔するほど野暮じゃない。団体戦を一緒に戦ったのだ、今日は仲間たちと一緒に過ごしたいのではないだろうか。
宗一を公衆の面前で本気になったことでからかおうとも思ったが、それは今度でいいだろう。宇多野さんや九季も仕事で忙しいだろうし、工藤と結衣ちゃん達はどこに居るか分からない。
取り敢えず部屋に戻ろうと、歩いて来た道を戻る事にする。先ほどは宇多野さんの名前を出したが、そんな約束をしていないのでこれから時間があるのだ。
フェイロナたちに会いに行くのもいいのだが、もう外は暗い。この時間帯に、王都で人探しというのも現実的ではないだろう。
「取り敢えず、着替えるか」
鎧を脱いだとはいえ、今着ているのは高価な生地を使った、貴族が着るような服だ。少し激しく動いただけで破けてしまいそうな、そんな脆さを感じて不安になってしまう。
冒険をし過ぎて、実用性重視で考えてしまうのは良い事か、悪い事か。
そう考えながら部屋まで歩くと、ドアの前で部屋の中に気配がある事に気付いた。
工藤か結衣ちゃんだろうかとも思ったが、それでも俺の部屋に誰かが居るという状況には警戒心が湧いてしまう。左手でドアノブを握り、右手にエルメンヒルデを握る。
「エルメンヒルデ」
『ああ、分かっている』
淡い翡翠の魔力が漏れ、手の中に片刃の 短刀(ナイフ) が握られる。
警戒しながらドアを開けると――。
「やあ」
「…………」
部屋の中に居た不審人物が、片手を上げてにこやかに笑いかけてくる。部屋の中央に据えられた椅子に座り、テーブルの上にはどこで用意したのか、湯気を立てる紅茶が二人分置かれている。用意のいい事だ。
風に 靡(なび) く銀髪に、赤と金に彩られた 虹彩異色症(オッドアイ) の瞳。女性と間違えそうなほどの美貌は微笑を浮かべ、その視線はまっすぐに俺を捉えている。
もう日は落ちているというのに明かりも点けていない。窓から差し込む朱月の淡い光だけが、部屋を照らしている。それでも明るく感じるのは、なにかしらの魔法なのかもしれない。
その視線を見返すと、緊張していた自分がバカらしくなり、溜息が漏れた。同時に、翡翠色の魔力となって、 短刀(ナイフ) が霧散した。
「人の部屋で何くつろいでやがる、幸太郎」
「しょうがないだろう、蓮司殿。人目に付くと、私は色々と面倒な立場でね」
お前の場合は秘密主義が祟って、宇多野さんに目を付けられているだけだろうが。もっと要点だけを 纏(まと) めて、その左目の魔眼が見た未来を教えてくれれば誰も文句は言わない。
そう思いながら、後ろ手でドアを閉める。
「丁度良かった。退屈をしていたんだ」
「それは 重畳(ちょうじょう) 。私達が退屈なのは喜ばしい事だ」
「まったくだな」
「それでも貴方は、面倒事に巻き込まれているみたいだがね」
「分かっているなら助けてくれよ」
幸太郎の対面へ座り、苦笑しながらそう口にする。
『腐霊の森』でのことを思い出すと、何を言えばいいのかがイマイチ分からなくなってしまう。俺が死ぬ未来を見て結衣ちゃんに接触していながら、幸太郎本人が動かなかった理由は分からない。助けてくれた事は分かるが、それでもこの 魔法使い(中二病予備軍) が何を考えているかは分からないのだ。
そんな俺をどう思ったのか、幸太郎は何も言わずに紅茶を口へ運んだ。
『元気そうだな』
「そちらもね、エルメンヒルデ」
「――――」
その物言いに、胸を掴まれたような錯覚を覚えた。
「ああ、元気だ。俺も、エルメンヒルデも」
「それは良かった。心配していたよ、二人の事は」
言葉に詰まりながら、なんとかそう口にする。
宗一達、魔神を倒すために旅をした仲間達はエルメンヒルデの事をエルと呼ぶ。
それは以前、俺がそう呼んでいたからだ。
長いじゃないか、エルメンヒルデ。だから、愛称というかなんというか。もっと親しみやすい、呼びやすい名前で呼んでいた。
それに――エルメンヒルデが神を殺す武器として、女神の道具として生まれたのなら……武器としてではなく、道具としてではなく、違う名前で呼んでやりたかったというのもある。というよりも、最初はそんな理由で呼んでいた気がする。
……エル、と。
『どうした、レンジ?』
「いいや、なんでもない」
一瞬だけ懐かしい気持ちに浸り、それを忘れるように頭を横に振る。そして、視線を幸太郎へ向けた。
どうして俺の部屋に居るのかは分からないが、こいつが俺の前に現れたというのなら何かしらの意味があるのだろう。まあ、遊びに来たというだけなら、それこそ大歓迎なのだが。
「どうやらその様子だと、まだ伝えていないようだね」
「まあな。俺は、臆病なんだよ」
「なるほど。確かにその通りだ」
エルメンヒルデに、どう説明すればいい。
お前は一度死んでいて、蘇った存在だと。その際に記憶の一部を無くしていて、本当のお前は……。
……それが言えれば、どれだけ楽か。蘇った直後ならもっと簡単に言えたのだろうが、一年も経った今では本当にどう言えばいいのか分からない。そしてなにより、今の関係もそう悪くないように思えるのだ。
エルではなくエルメンヒルデだが。それでも、こいつとの旅は……。
『何の話をしている?』
「お前には……近いうちに話すよ」
エルメンヒルデにそう言うと、渋々といった様子ではあるが、一応納得はしてくれたようだ。
「その近いうちが、本当に近ければいいのだがね」
まるで、俺の事を全部分かっているような物言いだが、それに腹が立つわけでもない。
こいつはこういう奴なのだ。未来視の魔眼で全部を知ったつもりになったり、それで助言まがいの事を口にしたりするが、そのせいで大ポカをやらかす。
そして、こいつがポカをやらかせば俺達がその尻拭いをする。
未来視の魔眼は確かに便利だが、万能ではない。未来は無限に広がっており、幸太郎の魔眼で見る事が出来るのは無限の中にあるたった一つだけ。役に立つのか立たないのか、判断に困る異能である。
その幸太郎が言いたいのは、俺がエルメンヒルデに、宗一達に……エルの事を伝えていない事だろう。
エルが死んだ時。その場に居たのは宇多野さんと幸太郎だけなのだから。
まあ、ファフニィルは薄々感づいているようだが。
「隠し事はよくないよ。私のように、不要な警戒を抱かれる」
「分かっているならその性格を直せ、馬鹿野郎」
「なに。僕のは愛嬌というのだ、蓮司殿」
んなわけあるか、馬鹿。
呆れた視線を向けるがどこ吹く風で、俺の事など気にせずに紅茶を飲んでいる。
「まったく……こんなことを言いに来たのか、お前は」
「まさか」
クツクツと芝居がかった声で笑うと、ティーカップがテーブルへ置かれた。
その虹彩異色症の瞳が俺へ向けられる。
「非常に残念な事なのだがね、蓮司殿」
「おう。残念なのは、お前の頭の中もだけどな」
「それと、蓮司殿の顔もだね」
「うるせえ、 似非(エセ) 美形」
『子供か、お前たちは』
「男はいつまでたっても子供なのだよ、エルメンヒルデ。特に心はね」
「俺をお前と一緒にするな」
溜息を吐き、紅茶を飲もうとして……空になっている事に気付き、ティーカップをテーブルに置く。
「それで。何を言いに来たんだ、お前は」
「うむ、そうだった」
『相変わらずお前たちが話すと、会話が進まないな』
「そうだね。私としては、こういう語らいは嫌いではないのだが。優子殿は、短気で困る」
「宇多野さんはな」
むしろ、お前のその語りに付き合ってくれるだけ、大分マシだと思うぞ。
阿弥だと、下手をしたら魔術が飛んでくる危険がある。
「この前は、いきなりエルフレイム大陸の中央まで飛ばされて焦ったよ」
「焦っただけで済む、お前が凄いよ」
俺なら確実に、魔物に襲われてお陀仏だろうな。
あの辺りの魔物は森の生態に特化しているので、毒や麻痺のような状態異常を引き起こす攻撃をしてくるやつばかりなのだ。
何の準備も無く森へ入れば、旅慣れている俺でも生きて戻れる自信が無い。
「それにしても、蓮司殿。驚いたよ」
『驚いた?』
「ああ。お蔭で、面倒事は全部蓮司殿が引き受ける事になりそうだが」
「……は?」
いきなり何を言い出すんだ、と。
呆けた声が出てしまった俺を、誰が責められるだろう。
『気の抜けた声を出すな。情けない……』
ああ、俺を責める奴は居たな。すぐ傍に。
「まあ、それはいつもの事か」
「勝手に、俺が面倒事を受けるのをいつもの事にしないでくれ」
そもそも、面倒事など御免なのだが。そういうのは勇者の仕事だろう。
やけに楽しそうな幸太郎は、クスクスと笑っている。中性的な顔をしているので見る人によっては女性が笑っているように思うかもしれない。もちろん、俺は間違えないが。
「で、何を驚いたって?」
「いや。蓮司殿の仲間さ。今、一緒に旅をしている」
「あ?」
そう言われ思い浮かぶのはフランシェスカ嬢たちだが……あの連中が幸太郎の言う面倒事というものに、どうしても結びつかない。
フランシェスカ嬢は貴族のご令嬢だが、ただの人間だ。フェイロナとムルルも、それほどあの二人の事を知っているわけではないが、特別な存在だとは思わない。
そんな俺の感情を読んだように、幸太郎が椅子から立ち上がる。
「気になるなら、アストラエラに会うといい」
『アストラエラ様?』
「ああ。彼女も、君と話したがっているよ」
「…………」
返事も出来ず、頬を掻く
そういえば、ここ一年。魔神を殺した……あの時からずっと会っていない。その事を気にはしていたが、それでもどこか会い辛いと思ってしまっている。
色々あるのだ、俺達も。
「蓮司殿。君はそろそろ、アストラエラと向き合うべきだ」
「向き合うというほど、避けているつもりは無いけどな」
「本当にそうかい?」
「ああ、そうだよ。元 引き籠り(ニート) 」
「いっ、今は僕の事なんてどうでもいいんだよっ」
ちょっとしたことで素に戻る辺り、相変わらず打たれ弱いというか、なんというか。変わらないな、本当に。
それにしても――アストラエラ、か。彼女の事を思い浮かべようとして、その容姿がどういうものだったのか、上手く思い浮かべる事が出来なかった。もう一年以上も会っていないのだ、記憶から薄れてしまうのもしょうがないのだろう。それが酷く悲しい事に思えた。
銀の髪が美しい女性だ。性格に少し難があったが、だからこそ親近感を覚えたこともある。……だが、思い出せるのはそれだけだった。
「ま、考えておくよ」
それでも、やはり気まずいという気持ちがあるのだ。
エルを、エルメンヒルデを蘇らせる際の、彼女の言葉は今でも覚えている。俺はあの時、彼女の言葉に耳を傾けるべきだったのだと思うのだ。
だからこそ……今更、顔を合わせるのが気まずい。
何を言われるか、ではない。きっとアストラエラは、今の俺とエルメンヒルデを見て、悲しむだろうから。
「蓮司殿」
「ん?」
「厄災が来るよ」
その一言と共に、幸太郎が窓へ歩み寄る。
成人男性にしては華奢な後姿を目で追うと、淡く輝く赤い月光が美しい髪を照らす。
「相変わらず、持って回った言い方だな」
「性分でね」
「で? 厄災、っていうのは穏やかじゃないな」
「それは、聞きたまえ。今、この世界に起きている異常を知る彼女に」
この世界の創造主の一柱であり、女神として崇められる存在――アストラエラ。
異常というと、先日宇多野さん達と話したことを思い出す。魔物の活性化。そして、魔神の眷属がまた動き出しているという事。
どうやら幸太郎は、どうしても俺とアストラエラを会わせたいらしい。それをお節介と受け取るべきか、それとも余計なお世話だと突っ撥ねるのか。
……小さく、本当に小さく。エルメンヒルデにも悟られないほどに小さく、溜息を吐いた。
「蓮司殿。エルフレイムで待っているよ」
そして、俺の返事を聞く事無く、幸太郎の姿はだんだんと薄くなっていき……あっという間に、消えてしまった。
転移の魔法。この世界で、宇多野さんと幸太郎だけが使える瞬間移動を可能とする魔法だ。
エルフレイム大陸。エルフのような亜人や、獣人達が暮らす大陸。――精霊神ツェネリィアが守護する国。
『レンジ?』
「いや……」
椅子の 背凭(せもた) れに体重を預け、天井を仰ぎ見る。
どうして世界はこう、俺を厄介事に巻き込もうとするのか。もう、戦いなどこりごりだというのに。冒険者稼業だけで、精一杯だというのに。
もう――こいつを危険に晒したくないのに。
どれほどの時間、そうやって天井を見ていただろか。
しばらくすると、ドアが優しくノックされた。返事をすると、一人のメイドが静々と部屋の中へ入ってくる。アンジェラさんだ。
「失礼致します」
「あ、れ?」
「いえ。こちらの方を……」
その手には銀のトレイ。そしてその上には、ワインであろう液体が入った瓶と、グラスが二つ。
そういえば、藤堂をアンジェラさんの元へ行かせるために適当な事を言ったのだった。その事を思い出し、しかし忘れていた一瞬を見透かされたようにメイド長の視線が鋭くなった。
「お一人でお飲みに?」
「いや、まぁ。あとで、誰かを誘おうかな、と」
「そうでございますか」
そう言うと、音を立てないようにして、テーブルの上にワイン入りの瓶とグラスが置かれる。もちろん、グラスは一つだ。
「あら」
そして、テーブルの上に置かれていた二つのティーカップに気付いて声を上げた。
誰もこの部屋に紅茶を運んでいない事を知っているのだろう。何より、ティーポットが無い。明らかに不自然なカップだ。
「このカップは……」
「ついさっきまで、友人が部屋に居たんだ」
「はあ」
納得していないという顔だが、それ以上は何も言わずにカップを下げてくれるアンジェラさん。
こういう詮索しない所は、本当に助かる。そのまま退室しようとして。
「ああ、そうだ」
いつもの業務然とした口調ではない、少しだけ柔らかな口調だと思った。
「ありがとうございました」
月明かりだけという暗い部屋の中、いつもは 鉄面皮(てつめんぴ) の彼女が、柔らかく微笑んでお礼を言っていた。
そして、そのまま静かな音を立ててドアが閉められる。
『ふむ』
「上手くいったようで、良かった良かった」
『そうなのか?』
「そうなんだ」
……ま、いつもの事だな。確かに。
幸太郎の言葉を思い出し、反芻しながらそう思う。
厄介事も、面倒事も、いつもの事だ。
宗一達も、宇多野さん達も、藤堂達も、それぞれ頑張っているし、この世界を楽しんでいる。なら、それを壊させるわけにはいかないだろう。
ワイン瓶を開ける。グラスへ注ぐと、芳醇な香りが感じられた。
「一人で飲む酒は寂しいね、まったく」
『変に見栄を張るからだ。ユウコたちは明日の準備で忙しいだろうから、ヒイラギを誘うか?』
「そんな事をしたら、俺は馬どころかアンジェラさんに蹴られて地獄に落ちるわ」
『なんだ、それは?』
「さあな」