軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十七話 神の器4

その匂いを、どう表現すればいいのだろうか。

何も感じないわけではない。だが、乾いたような、乾物を干したような……なんとも言えない、表現し辛い匂いが鼻につく。いや、臭気……だとは思う。

匂いと言うよりも、臭い。しかし、不快ではない。違和感のようなものを感じるが、しかし嗅いでいてもそこまで気にならない。

乾いた臭い。……とでも表現すればいいのか。

洞窟へ入ってから、ずっとこの匂いがしている。それは、壁からだ。その壁を、もう一度指で撫でる。

ランタンの明かりに照らされた壁は驚く綺麗に掘られていて、どちらかと言うと抉られたと言った方が正しいのかもしれない。歩いている地面もだ。自然に出来た洞窟……いや、人が彫った洞窟であっても、ここまで滑らかな床のように掘る事は不可能であるはずだ。

そうすると、考えられるのは魔術で岩を抉り、洞窟を作ったという事になるのだが。 吸血鬼(ヴァンパイ) にそれほどの魔力は無いし、それともこのような事象を起こせるほどの魔力を持つ魔物が他に居るのか。

「阿弥、お前なら岩を抉れるか?」

「出来ると思いますけど、ここまで綺麗には難しいですね」

そうだろうな、と。魔術とは想像を現実にする奇跡。逆に言えば、想像できなければどのような奇跡も起こせないという事。

こんな綺麗に岩を抉る 想像(イメージ) をもったまま、これほど深く洞窟を作れるのか。俺には、不可能に思えてしまう。

「一旦引きますか?」

「そうだなあ」

考え込むように、指を顎へ添える。

入り口付近は、こうではなかった。普通の洞窟――荒い岩肌に、歩き辛い地面。だというのに、太陽の光が完全に届かないほどまで潜ると、人口というにも綺麗過ぎる丸穴が出来ている。

おそらく少しずつ地下の方へ向いているのだろう、まだ終わりは見えてこない。

阿弥が言うように、一旦戻ってフェイロナ達と一緒に潜るべきか。だが、これが 吸血鬼(ヴァンパイア) の……いや、何かしらの魔物が用意した罠だとするなら、全員で行動するのは逆に危険か。

ランタンを左手に持ちながら、阿弥がこちらを見上げている。案は出したが、俺の意見に従うという事だろう。

「エルメンヒルデ、お前はどう思う?」

『私はレンジの意見に任せるが……』

「……が?」

珍しく、歯切れの悪い声で言葉を切る。ソルネアがそうだったように、女神の力の一端を持つエルメンヒルデも何かを感じたのかと、次の言葉を待つ。

『レンジは、この洞窟に見覚えは無いか?』

「見覚え?」

そう言われ、もう一度岩壁や天井、床を見る。

今度はもっと注視して観察してみるが、しかしエルメンヒルデが言うように見覚えのような物は感じない。

「阿弥は、どこかで見た事はあるか?」

「いいえ……ごめんなさい、覚えていません」

「いや。俺も覚えていないし、謝らなくてもいいんだけどな」

はて。阿弥が覚えていないとなると、阿弥と再会する前か、別行動をしていた時か。

まあ、阿弥の記憶力だって完璧という訳ではない。それほど気にしていないモノなど、人間は忘れてしまうものだ。

しかし、エルメンヒルデが何か引っかかりを感じると言うなら、俺も見ているはずなのだが。何だかんだで、ずっと一緒に居るのだし。

「悩んでいても仕方がないか」

『そうだな』

そう呟いて、取り敢えず探索を再開する。

カツ、カツと。乾いた音が洞窟に響く。それにしても、こんなにも綺麗に岩が削られると、風情のような物がまったく無い。これでは、人口の宮殿でも歩いているような気分だ。

洞窟というのは、もっとジメジメしていて、歩き辛く、圧迫感のようなストレスを感じるもののはずだというのに。

森や湖、山や平原。自然の美しさが、 欠片(かけら) も無い。何となく、それを寂しいような、勿体無いような。そんな風に感じてしまった。

「阿弥、疲れていないか?」

「え?」

無言でいるのもあれなので、何か話そうと適当な事を口にすると阿弥は気の抜けたような、普通に驚いた声を上げた。

そんなに変な事を聞いただろうかと、こちらが驚いて阿弥の顔を見てしまう。

『どうした、そんなに驚くような事は言わなかったと思うが』

エルメンヒルデも同じように、阿弥が過剰に驚いた事に疑問を感じて言葉を紡いだ。

「あ、いえ……」

そう口籠って、歩く足を止めないままに視線は前へ向いてしまった。

ランタンの淡い明かりに照らされる横顔は、別段それほどの変化を感じさせない。ただ、洞窟を進むという事に緊張が滲んでいた表情……その口元が、僅かに緩んでいるくらいか。

そんなに、何か変な事を言っただろうか?

先ほどの言葉を反芻するが、阿弥が疲れていないかと聞いただけである。いや、別に常日頃は心配していないという訳ではない。いつも聞いているはずなのだが、と。

そう考えていると、不意に阿弥が小さく肩を震わせた。思い出し笑いという奴かもしれないが、二人っきりという状況なので、少し驚いてしまう。……エルメンヒルデは居るが、コイツは一枚だ。

「どうした?」

「いえ……こうやって、エルも一緒ですけど、二人で何かをするのは初めてだなあ、と」

『そうだったか?』

阿弥の言葉に、エルメンヒルデが言葉を返す。俺も、同じ意見だった。

別に、二人っきりが初めてという訳ではない。何かをした事も……あったような気がする。

けど、憶えていないという事は、阿弥と二人で何かをするのは初めてなのか。いや。

「王都で、二人で一緒に夕食を食べただろう?」

「そう言うのじゃなくて……えっと、こうやって、危ない事を。二人で」

――そうだっただろうか。

やはり、その言葉に首を傾げてしまう。夕食を食べたり夜営の準備や火の番をしたり、魔物を退治したり。今ではなく昔も、二人でしたことは沢山ある……と思う。

だからやはり首を傾げると、また阿弥は肩を震わせた。

「昔は、宗一や弥生が一緒でしたし」

「ああ」

そういう事か、と。宗一や弥生ちゃん。真咲ちゃんに幸太郎。他の皆。

皆と一緒に旅をしていたし、阿弥と一緒に行動していてもすぐに誰かが傍に居た。傍に来た。

そういうのが無い――本当に、今は阿弥と二人で行動している。そう、言いたいのだろう。

まあ、何かあったら幸太郎や他の仲間達が来てくれると思うが。それを口にするのは、野暮というものだろう。後、エルメンヒルデも。

「そうだな」

そんな、なんとも表現し辛い空気を察したのだろうか。エルメンヒルデは黙ったままだ。

ついにこの相棒も、空気を読むという事を覚えたのだろうかと、別の事を考えてみる。アヤに指摘された事が、少し気恥ずかしかったからだ。

……これでは、どちらが子供なのか。そう思い、俺も声を出す事無く肩を震わせる。

子供だ子供だと思っていたが、こうやって子供は成長するのか。なんとも寂しいような、嬉しいような。

「レンジさん」

そうして二人揃って笑い、二人揃って足を止める。

洞窟の終わりだ。歩いた時間は、 大凡(おおよそ) 十分ほどか。正確に計る事は難しいが、普通に歩くスピードでずっと直線の洞窟を進んだので、結構な深さにも感じる。

「これは……」

そこには、見覚えがあった。

喉が詰まる。

今まで通って来た道もそれなりに広かったが、終点であろう大きなホールは更に広い。ランタンの弱い光源では全部を照らす事が出来ず、茜色の光が照らしているのは入り口となっている俺達が先ほど通って来た道だけ。だが、それとは別の光源が 広場(ホール) 全体を照らしている。

その光源。エルメンヒルデが言ったように、俺には見覚えがあった。視線の先にある祭壇のような場所。まるでそこへ祀られているかのように、蒼い光を放つ水晶のような宝石がある。それの大きさは一メートルほど。大きな水晶のような宝石が、空中に浮いてくいる。

剣と魔術の世界なのだから、 水晶(クリスタル) が浮いているという光景も不思議ではなく、むしろ神々しさすら感じるほど。

確かに、俺はこの光景を知っている。一度、見た事がある。

「きれい……」

阿弥が呟く。

「そうだな」

その水晶へ、特に警戒する事無く歩み寄る。一拍の間を置いて、阿弥も後ろから付いて来た。

「危ないですよ、蓮司さん!」

「大丈夫だ」

その言葉へ、端的に答える。心持ち、歩く足が速い。

ただ、確かめたかった。その水晶の中を。――ソルネアが居た場所とよく似たこの光景に、ソルネアに代わる誰かが居るのか……と。

しかし、実際に俺の考えは杞憂であった。

水晶の中には誰も居らず、空っぽ。

それが当然なのだが……水晶を確認して、安堵の息を吐く。

何故。そう自問するが、答えは簡単だ。ソルネア……もしくは、それに準ずる誰かが居なかった。その事に、安堵した。

……魔神の座へ導く。そんな面倒事など、ソルネア一人で十分だ。――安堵の溜息の理由は、そういう事にしておく。

『よく似ているな』

「ああ」

ただ、水晶の中に人が居ない。それ以外は、ソルネアが眠っていた……で正しいかは分からないが、あの場所によく似ている。

よく見ると、この蒼い光を放っている水晶は、少し小さいかもしれない。まあ、違いと言えばそれくらいだ。

「知っているんですか?」

「ソルネアと初めて会った……ソルネアを見付けた場所にそっくりだ」

「……え?」

何か信じられない事を聞いた、と。そんな顔を向けられてしまった。

阿弥に言っていなかっただろうか?

そう考えて、もしかしたら宇多野さんや九季、オブライエンさん達にしか言っていなかったかもしれない。

「ソルネアさん、こんな所に居たんですか?」

『ああ。この……あの時はもっと大きかったと思うが、水晶の中に裸でな』

「…………」

エルメンヒルデが何気なく口にした『裸』という単語に、阿弥の視線が険しくなったような気がする。先ほどまでの、 和(なご) やかな雰囲気が微塵も感じられない。

そんな、怒った時の宇多野さんみたいな顔をした阿弥に気付かないふりをして、 広場(ホール) を見渡す。目ぼしい物と言えば、この水晶くらいか。

洞窟を歩いている時に足跡のようなものが無かったので予想はしていたが、 巨大猿(エイプ) や 吸血鬼(ヴァンパイア) が居た形跡も無い。ある意味でアタリだが、ある意味でハズレ。

おそらく、ソルネアが言っていた“なにか”はコレの事なのではないだろうか。ただ、そうなると何故 吸血鬼(ヴァンパイア) に噛まれた 巨大猿(エイプ) からこの水晶の気配を感じたのか……。

「一旦戻るか」

……考えるが、答えは出ない。ソルネアなら、また何か感じるモノがあるかもしれないので連れてくるべきか。

そう口をして阿弥の方を見ると、彼女は何を思ったのか自分の胸元を見ていた。

一瞬の間を置いて、眼が合う。

「戻るぞ」

「な、何か言ってくださいよっ!?」

いや、こういう場合に何かを言うと、藪を突いて蛇どころか火竜が出てきそうな。なんだか最近、どこかで似たような遣り取りをしたような気がした。

ランタンと水晶の明かりでは分からないが、多分顔を真っ赤にしている阿弥を置いて歩き出す。そういえば、ファフニィルも赤いなあ、と。関係の無い事を考えて、先ほどの光景を忘れようとするのは親心である。

やっぱり、まだまだ子供だなあ、と。

そりゃあ、男は外見……容姿や胸の大きさを気にするだろうけど、結局、異性と上手く付き合うには性格だ。性格が合わなければ、それだけ素敵な容姿の異性と知り合い、付き合っても長続きはしない。……と思う。

まあ、ソルネアは結構胸があるもんなあ、と。宇多野さんに初めて合わせた時も、胸を気にしていたような気がする。

そんなに気にするような事でもないというのに。俺としては、あの人は胸が無くても十分美人だし、綺麗で、格好良い女性なのだが。……格好良いは、女性には褒め言葉ではないのかもしれないが。

昔、その辺りの事で工藤から怒られたような気がしないでもない。なので、口にしない。人は、成長するものなのだ。

「うぅ」

『そんなに気にするような事でもないだろう』

「……嫌味?」

『何故そうなる』

阿弥とエルメンヒルデの遣り取りに耳を傾けながら、洞窟を歩く。

陽光が差し込む出口が遠い。まあでも、歩いて十分ほどなのですぐに――と。

そこまで考えて、出口から差し込む光が一瞬遮られた。続いて、激しい爆音にも似た高い音が洞窟内に反響する。鼓膜を破るほどではないが、しかし反響した高い音は脳を揺らして頭痛を感じさせる。

頭を押さえて出口を睨むと、また光が一瞬だが遮られる。

「蓮司さんっ」

「ああっ」

走り出す。出口はすぐそこなのだ。

焦る気持ちを押さえて全力で走り、俺より魔力で肉体を強化した阿弥が先に行く。

「エルメンヒルデっ」

『ああ。やるぞ、レンジ』

右腕を一閃。翡翠の魔力光が集まり、神剣へと変わる。刀身の色は銀。解放された制約は、一つ。

それで十分だと、洞窟から躍り出る。

そこには、矢に射られた 吸血鬼(ヴァンパイア) と、 巨大猿(エイプ) の死体。周囲を見渡すと、ソルネアを守るように前に立つ幸太郎とフランシェスカ嬢を見付けた。

他にも、数匹の 巨大猿(エイプ) と、空を飛んでいる 吸血鬼(ヴァンパイア) 。どうして陽光が苦手なはずの 吸血鬼(ヴァンパイア) が空を飛んでいるのかと思ったが、考えるのは後にして向かってきた 巨大猿(エイプ) の攻撃を避ける。

振り下ろされた拳を後ろへ跳んで避けると、その頭に上っていたムルルがその頭蓋ごと頭を潰した。俺へ向かってきた勢いのままに 巨大猿(エイプ) が地面へ倒れ込み、丁度俺の前で止まる。

突然の事に一瞬面喰った俺の隣へ、丁度ムルルが降りて来た。

「――遅い」

「これでも急いだんだがな」

その軽口に笑みを浮かべると、ムルルも笑みを返してくれる。

「いきなり襲われた」

「そうか。返り討ちにしてやるぞ」

「…………」

そう言うと、浮かんだ笑みが消え、代わりに驚いた表情で俺を見返してくる。

別に、変な事を言ったつもりは無いのだが……。

「変な物を拾って食べた?」

「失礼な」

同時に、悲鳴が上がる。 巨大猿(エイプ) だ。見ると、阿弥が 魔術短杖(ロッド) へ魔力を通して作り上げた剣で 巨大猿(エイプ) の両腕を一薙ぎで切り飛ばしていた。

「……真面目な事を言った」

それだけを言うと、ムルルが駆け出す。

「――失礼な」

それだけを呟いて、俺も阿弥とムルルへ倣うように、エルメンヒルデを片手に 巨大猿(エイプ) へと向かっていった。