軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八話 戦いが終わった後に2

暑い、と。

エルフレイム大陸の気温は高い。少し歩くだけで汗が滲み、気持ちが悪くて服の胸元を 扇(あお) ぐように少しでも風を送るがあまり変化は感じない。

それを我慢して倒木を乗り越え、毒虫を避け、乱れる呼吸を整える様に天を仰ぎ見る。

しばらくして周囲を見やるが、森の中に俺以外の姿はない。それもありなん。他の皆は、野営の準備中だ。食材調達係も楽ではない。同じく食材探しをしている宗一と真咲ちゃんは大丈夫だろうかと思案する。

……まあ、むしろ俺の方が心配される側か。

「レンジ」

「ん? ……今かよ」

そんな俺の様子をどう思ったのか、木洩れ日の隙間に陽炎が浮かぶように、限られた魔力を消費して彼女は実態をとなる女性体の身体を創り出す。

翡翠の魔力が僅かに漏れ、溢れたソレが空気へ溶けるように消えていく。代わりに現れるのは、黄金色の髪を風にそよがせる白い女性。白い肌と白いドレス姿だからか、森の中だと一層の存在感を感じてしまう。

その碧眼が僅かに開かれ、俺を捉える。冷たくて――しかし、まっすぐに俺を捉える宝石よりも美しいとすら思える綺麗な瞳。感情の起伏の感じられない――だからこそ冷たさすら感じる神々しさ。何度見ても美しいその光景に一瞬だが目を奪われそうになり、続いていつものように呆れた声で言葉を返す。

長く一緒に居ると自分の 相棒(武器) の事はよく分かるというか。

俺には無い魔力。阿弥達なら体を休める事で回復するのだが、コイツの場合は少し違う。

その肉体は人と同じ肉の身だが、中身は魔力で作られたもの。普通の人なら体を休める事で魔力を回復させる事が出来るのだが、魔力で創られたコイツは身体を休めただけでは魔力を回復させることは出来ない。逆に、コイツの場合は魔神の眷属を殺す事でその魔力を自分のものとする。

そうする事で剣の切れ味を増したりするのだが……こうやって身体を実体化させるのにも消費してしまう。その事を、エルも知っているはずなのだが……。

「あまり魔力の無駄遣いは……」

「少し、動かないで下さい」

俺の言葉を遮って、エルがその整った表情を俺の顔へ近付けてくる。大きな翡翠色の瞳はそのまま俺の目を見やり、逸らされる事は無い。相変わらず感情の起伏は見て取れないが、その瞳の中に自分が……自分だけが映っているというのは、とてつもなく恥ずかしく感じてしまう。

突然の事に驚き、一歩下がろうとする。しかし、それより先に白く、細い――コイツが神を殺すための武器とはとても思えないくらい綺麗な指がこちらへ伸ばされる。

それだけの事に酷く動揺して身体を固くすると、その白魚のような指が汗で額や頬へ張り付いた髪を整えてくれた。

「もういいですよ」

「ああ」

相変わらず、コイツの事がよく分からない。

髪を整える。

たったそれだけの為に魔力を消費する必要は無いはずなのに――と。一番弱い俺の身を第一に考える所や、魔神やその眷属を斬る事を優先するところは冷徹とすら言える時があるのに、こういう所は不条理というか理解に苦しむというか。こんな事をするくらいなら、神剣の切れ味を僅かでも増した方がマシだと思うのだが。

離れてしまったエルを見やると、彼女はそんな事を考える俺が分からないとばかりにこちらを見ていた。相変わらず、静かな瞳で。

それはやはりいつも通りで……だからこそ、特に意識する事無くそんな彼女へ向けて溜息を吐いた。

「じゃあ、しばらくはそのままか?」

「そうですね」

実体化してしまったなら、魔力がどうこうなど言っても後の祭りだ。使ってしまった魔力はもう戻らない。

なら、一人っきりの寂しい食材調達から解放されるとしよう。何をするにも、話し相手が居る事は嬉しい。

まあ、コイツの場合はメダルのままでも話せるのだが。……そう考えると、本当にこの場所で実体化した意味が分からない。

「どうかしたのか?」

「何がでしょうか」

「いや。いきなり実体化したから……」

「少々。気になる事がありまして」

「気になる事?」

歩き出しながら会話をすると、そう返される。

ドレス姿の彼女が歩きやすいように進むスピードを落とすと、横に並んでくる。その横顔を見ると、やはり表情への変化はない。

陽光に照らされて翠に輝く木々の葉と木洩れ日の輝きに照らされる姿は、見ているだけでも気持ちが良い。倒れた巨木を乗り越えて、エルへ手を差し伸べる。彼女の小さくて柔らかな手を握るだけで意識する……ような事は無い。

躊躇い無く、力強く引き上げるとすぐ傍で花の香りが薫った気がした。

「それで? 何が気になったんだ?」

その事に動揺する事無く、聞き返す。しかし、僅かばかり動作が慌てたソレへとなってしまったのは……まあ、愛嬌か。

俺に手を引かれたのが痛かったのか、エルはしばらくぼう、と。俺に引かれた手を見て顔を上げた。

「昨晩の事ですが」

「……」

そして、次の言葉を聞いて身を固くする。彼女が何を言いたいのか。その事に思い当たる節があったからだ。

昨晩、宇多野さんと二人で会っていた。まあ、何をしていたかなど考える事も野暮な事だろう。

エルは宗一達へ預けていたはずなのだが……どこかで見ていたのだろうか。

そう考えると、壮一もあの場を覗いていたという事なのだが――深く考えないでおこう。大丈夫、そこまでイカガワシイ事はしていない。

「あー……」

なるほど。彼女が実体化したのは旅の途中で逢引きをしていた俺達に対する注意の為か。

言葉に詰まり、どう説明しようかと思っていると、エルの左手が右頬に触れた。そのまま力を込めて、エルの方を無理やりに向かされてしまう。

それは先ほど話したからか――昨晩の宇多野さんと同じ仕草を想起させ、だから自然ととその先を考えると身が硬くなり……。

「…………」

そのまま、やはり昨晩のように唇が重ねられた。違うのは、今は夜ではなく昼間で、相手は宇多野さんではなくエルであるということ。

普段は冷静で、内心は激情家であるところも似ていて――そうやって比べるのも失礼か。

驚きに目を見開いた俺とは対照的に、エルは目を閉じていて、その事が普段は凛々しい彼女を可愛いと感じさせた。

混乱した頭でそう考えていると、俺が反応するよりも早くエルがその唇を俺のソレから離す。身長の高い彼女だが、背伸びをするようにして口付けをする様子は……少しだけ愛嬌を感じさせる。

「なるほど」

自分でも分からない意図をもってその小さな肩へ手を伸ばそうとすると、それより先に……まるで鈴の音を連想させる、涼やかな声で彼女は笑った。

続いて、どこか不思議そうな顔をする。白魚のように美しく細い指を唇に重ねながら、物静かな彼女らしい、艶やかな女性らしい笑み。

しばらくすると自分の感情に得心がいったのか、なるほど、と。もう一度呟く。

女性なのだが男性のようにも聞こえる、中性的な声。一層笑みが深まると、その笑顔に見惚れそうになってしまった。そんな自分が気恥ずかしくて、慌てて咳払いを一つ。

「ユウコが、貴方と口付けを交わす気持ち……少しだけ分かった気がします」

「……なんでそこで、宇多野さんが出るんだ」

その声をしっかりと耳で聞きながら、こちらも呆然とした仕草で彼女のソレが先ほどまで重ねられていた唇を……指で撫でようとして、いやいやと首を横に振る。

そこに残る感触は本物だ。だが、それを認めるのはどうにも気恥ずかしい。嬉しさよりも羞恥が勝り、だからこそ気の無い返事をする事で落ち着きを取り戻そうとする。

まるで初めて口付けを交わした 学生(コドモ) のような思考に、溜息が出てしまいそう。だが、初めて交わした口付けの後に溜息というのは、少々というかかなり礼儀に欠けるのではないだろうか。

だから溜息を我慢すると、また目の前の女は不思議そうな顔をして首を傾げた。

やはりその仕草はいつものこいつそのもので、夢や幻ではなく現実で、だからこそ不思議と――こいつのような美女と口付けを交わした感動や興奮よりも、驚きの方が先に立つ。

「なあ」

「どうかしましたか、レンジ?」

何を言えばいいのか分からず口籠ると、いつもとは逆に目の前に立つ彼女がこちらをからかうように聞いてくる。

どこか茶化すというか、 悪戯(いたずら) 心の混じった声のように感じるのは、つい先ほどの口付けに俺が動揺してしまっているからだろうか。

普段の彼女らしくない声。まるで悪戯好きな子猫のよう。こちらの反応を見て楽しんでいる。……きっとそれは、俺の考え過ぎでしかないのだが。

だが、そのような声もまた――魅力的で。自分でも驚くほどに呼吸が乱れてしまう。

いったい何をやっているのか。

その動揺を悟られないように視線を逸らすと、木洩れ日に輝く森の木々。――気の持ちようとは大事なもので、たった一度、一瞬、刹那の間に起きた口付けだけで、最近で見慣れたその景色も……先ほど以上に輝いて見えてしまう。

「いや。どうかしたとかじゃなくて……」

「?」

落ち着こうと深呼吸をするが、やはり口籠ってしまう。そんな俺を見て彼女は首を傾げるも、その口元には涼やかな笑みが残っていた。

たったそれだけの事が気恥ずかしく、溜息を吐いて頬を指で掻く。

暖かい気候のエルフレイム大陸だが、それとは別の理由で身体が火照って汗が噴き出してくる。

こんなにも自分は初心だっただろうか。そう自問して、ついに我慢できず溜息を吐いてしまった。

ありえない。

内心で呟くと、深呼吸を数回。

いかんいかん。動揺すればするほど、コイツは俺を追い詰めるのだ。本人は無自覚なのだろうが、無自覚だからこその行動は俺のような 天邪鬼(あまのじゃく) には辛すぎる。

「ほら。さっさと獲物を探すぞ」

「そうですね」

恥ずかしさを隠してそう口にすると、今までと変わらない様子でエルは俺の隣へ並んで歩き出す。

ああ、ちくしょう。

目を開けると、見慣れた簡素な幕舎の天井が目に映った。

使い古され、色がくすんだ 幕舎(テント) の屋根。それを寂しく感じて右手を掲げようとして、手に違和感。

視線を向けると、そこにはこの世界で唯一の眼鏡をかけた女性が俺の右手を握っていた。

「……エル?」

「起きたかしら?」

その声と共に、俺の右手を握る手に僅かだが力が籠められる。柔らかくて、暖かい。冷たいはずの手が温まるほどに俺の手を握ってくれていたのだと理解すると、その手を握り返す。

容姿も、声音も。何もかもが違うのに、違う女性の名前を呼んでしまう。

その事に怒る事も無く、宇多野さんは手を握り返してくれた。

「ごめん」

「何を謝るの……」

それは、何に――誰に向けたのだろうか。

自分にすら分からない謝罪は、きっと何の意味も無いのだろう。

身体が重い。寝顔をずっと見られていたのかと思って寝返りを打とうとするが、それすらも億劫に感じてしまう。

幕舎の厚い幕越しには分からないが、入り口の暗さを見る限りどうやら今は夜のようだ。

最後の記憶は 魔神(ネイフェル) を斬った後、その事を皆に伝えて……鬨の声を聞きながら、眠ったのだったか。

よく覚えていない。何もかもを忘れたくて、逃げるように幕舎へ逃げ込んだような気もするし、オブライエンさん達と話してから別れたような気もする。

記憶が曖昧だ。ただ……。

「……」

何かを言おうとして、口を 噤(つぐ) む。

今口を開いたら、きっと弱音を……泣き言を口にしてしまうと、そう分かったから。

それだけは、してはいけない事なのだ。

俺は一番年上で、男で、大人で――強い大人で居ないといけないから。そうでなければ、大人としての立場が無いから。子供達が不安に思ってしまうから……。

「何か食べる?」

その問いかけに返事を返す事無く、寝返りを打つ。寝顔……というよりも、今の顔を見られる事が嫌だった。鏡を見るまでも無く、酷い顔だろうと分かる。

「宗一君達には、まだ何も言っていないわ」

「――――」

しかし、手を握ったままだったので、その寝返りも中途半端な形になってしまう。

そんな俺へ、そんな事を言ってくる宇多野さん。やはりその声はいつも通りで、動揺のような物は何も感じられない。

エルが死んだのに。その様子を近くで見ていたのに。だというのに僅かも動揺しない彼女へ怒りを抱きそうになり、激しく息を吐いて怒りを鎮める。

これは俺の勝手な思考で、身勝手な八つ当たりで……そうと分かっていても、宇多野さんと重ねている手へ力を込めてしまった。成人男性の、それなりに鍛えている握力だ。しかし、悲鳴どころか呻き声も上げる事無く受け止めてくれる。

魔力で身体能力が鍛えられているからといって、痛みが消える訳ではない。いくらかの痛みは感じるはずなのに受け止めて――。

「山田君もエルも、疲れて休んでいる事になってる。それが、あの子の、最期の願いだものね」

「……ありがとう」

それだけを返す。

エルの最後の言葉を、この人は叶えてくれたのだ。

泣かないで。

そう言った彼女の願いを。誰にも泣いてほしくないと願った、彼女の祈りを。

魔神が倒され、きっと今は残った魔族の討伐を行っているのか。それとも帰り支度をしているのか。

眠っていたので分からないが、どちらにしても戦いはもう終わる。記憶の中では、オブライエンさん達は喜びの、鬨の声を上げていた。あの顔を、泣き顔で曇らせないために嘘を吐いてくれたのだ。

あとは、幸太郎の転移魔術でイムネジアかエルフレイムの大陸へ移動するだけだろう。シェルファも……あの調子なら、しばらくは手を出してこないはずだ。少なくとも、俺の調子が戻るまでは。

そう考えると――本当に、終わったのだろうかという疑問が湧く。

魔神は死んだ。俺が殺した。

けど、魔族は健在で、魔物も生きている。魔王など、俺の首を狙っている。

何も終わっていないように感じるが――もう、どうでもいい事だ。

少なくとも、今は何も考えたくない。

溜息と共に目を閉じる……と。それを見計らったかのように、宇多野さんが手を引いた。

「お腹、空いていない?」

「空いてない」

食欲などあるものか。

疲労感と無力感。空虚な気持ちが胸を締め、何をするにも気力が湧かない。

むしろ、このまま死んでしまいたいとすら思い――きっとそれを口にしたら烈火の如く怒られるだろうと自嘲する。

そうして、またしばらくの無言の間。相変わらず、この人は不器用だ。

何かを言いたそうなのに、それを言えない。『賢者』とは賢い者と書くが、まったくもって賢くない。

……こういう時は、放っておいてほしいのだ。一人になりたい。独りで居たい。

だって、誰かが傍に居ると大人は泣けない。この人は、それを分かっているはずなのに。

「こっちを向いて」

そんな俺の意図など伝わるはずも無く、宇多野さんが普段の彼女らしくない明るい声でそう言ってくる。

しかしだからといって今の状態で顔を見る事など出来るはずも無く、やはり寝返りを打ったまま顔を向ける事すら拒否してしまう。

まるで不貞腐れた子供のように宇多野さんの声を無視して……手の届く範囲に、 メダル(エル) が居ない事に気付いた。夢見が良かったから忘れたのか、そんな自分の反応に薄情さを感じながら慌てて体を起こす。

疲労の溜った身体が突然の行動に眩暈を起こし、吐き気を感じながらも視線を幕舎の中に巡らせる。

そして、宇多野さんの後ろ――用意されていた小さなテーブルの上にある割れたメダルを見付けて、倒れ込みそうになりながら宇多野さんを押し退けてメダルを両手で掴んだ。

そのまま胸に掻き抱き……やはり返事も温もりも無いその メダル(抜け殻) に……涙が零れた。

――ああ。

「エ、ル……」

悪い夢であったなら、どれだけ幸せだっただろう。

美しかった翡翠の宝石は曇り、その周囲を囲んでいた色とりどりの宝石達も光を失ってしまっている。もう、輝く事は無いのだ。

魔神を斬る為に、殺す為に生まれた彼女は、もう何も斬らなくて、殺さなくていいのだ。

――それを素直に喜ぶことが出来ず、涙を流す。

俺は、薄情な人間だ。きっと、最低の人間だ。

エルと一緒に居られるなら、戦いの日々も悪くないと――殺し殺される、殺伐としていた毎日も輝いた記憶に思えた。

「…………」

膝を突き、 項垂(うなだ) れる。そんな俺の前に、誰かが立った。

その誰かは俺を抱きしめて、胸に抱いてくれた。

まるで泣き崩れる子供を抱きしめるように、柔らかく抱きしめられる。彼女の代名詞ともいえる黒衣の胸に抱かれると、どうしても我慢が出来なかった。

せめて声が漏れないように唇を強く噛み、肩を震わせる。

――泣かないで。

その声が、胸中に蘇る。色褪せぬ記憶となって、頭に響く。男のような、女のような。中性的な声が聞こえた気ような気がして……でも、やっぱりそれは錯覚で。

「貴方は、私達のいない所で……こうやって泣いていたのね」

俺は強くない。

強くなんかない。

……だって、本当は泣き虫なのだ。