作品タイトル不明
086話「獣人②_01」
レクス・アスカは豹族の集落に生まれ、やや落ちこぼれ気味に幼年期を過ごした。身体能力が低かったのが理由だ。
獣人の領域、その西南西あたりに位置する森林と草原が交差するような場所に集落はあり、アスカ氏族は狩猟をすることで生活の糧を得ていた。
近くには農耕を営む羊族の集落があり、彼らに肉を渡すことで穀物と引き換えにする物々交換があった。
レクスは狩猟が苦手だった。
物心ついたときには周囲の豹族と比べてかなり身体能力が劣っているのを自覚しており、氏族が行う狩りの練習にも全くついていけなかった。父と母がレクスの分も狩ってきたので食べるには困らなかったが、氏族に貢献していないことはレクスの中で奇妙なしこりになっていた。
劣等感……とも違うナニカだ。
自身の能力が劣っていることに、実を言えばレクスは負い目も引け目も感じていなかった。そのように生まれたし、努力しても改善できなさそうだったのだから、そこで思い悩んだところで無駄だと思ったのだ。
ただ、氏族になにか貢献したいという気持ちはあった。
何故なら両親も仲間たちも、レクスに優しかったから。
父はこんなふうに言った。
「レクスは父さんと違って、考えるのが上手だろう。アスカ氏族では珍しいから、そこを伸ばしてみるといいかも知れないな」
母は母で、別の言い方をした。
「いいか、レクス。我々は 疾(はや) く強い。だけど疾いだけでは駄目だ。強いだけでもいけない。我々の中でおまえは疾くも強くもない。きっとそれには意味がある。我々はおまえが意味を探して我らに示すのを待つ」
アスカ氏族は――他の豹族がどうかはレクスには判らないが――どちらかと言えば女の方が強く、気性も荒い者が多かった。男の方だって別に弱いわけではないが、気性は穏やかな者の方が多かった気がする。
両親が喧嘩をしたときは父の方が折れ、母が矛を収める場面が多かった。けれどたぶん、母は母で後からきちんと謝っていたのだろうとも思う。
だって、アスカ氏族はレクスを軽んじたりしなかったのだ。
そんな氏族の者が、自分の伴侶を、氏族の仲間を軽んじたりするわけがない。
次第にレクスは自分の意味を考え、価値を示すようになった。
例えば効率的な狩りの方法。獲物の選び方。狩り場の選定法。他には他氏族との物々交換における上手な交渉方法。アスカ氏族の集落内で農耕を試したりもした。
群を導くための力が、レクスにはあった。
もちろん最初からあったわけじゃない。自分の意味を考えたとき、レクスは己が示すべき力をそれだと感じ、鍛えたのだ。
思索は嫌いじゃなかった。
身体を動かすのと違い、どれだけ考えてもへばるほど疲れたりしなかった。氏族の仲間たちにレクスの考えを話せば「頭が痛くなる」なんて言われたりもしたので、彼らにとっての頭脳労働は、きっとレクスにとっての肉体労働なのだと思った。
この力を鍛えて強くすれば、きっと飢える日々をなくせるだろう。凍える冬をもっと楽に過ごせるはず。だからもっと強くならなくては。
そんなふうに思っていたあるとき、アスカ氏族は滅びた。
獣王ランドール・クルーガに襲われたからだ。
◇◇◇
今となっては理由など判らない。
なんとなく気に障ったとか、ちょっとした揉め事があったとか、あるいは逆に気に障らなかったせいかもしれない。どんな理由だろうが、もはやどうでもいい。
とにかくアスカ氏族の者はランドール・クルーガたった一人に蹂躙され、何人かの女を残してほとんどが殺されてしまった。
残された女のうち一人は、レクスの母だった。
ランドールはレクスの母を気に入り、犯して子供を産ませた。
母は子を産んだ後、ランドールに襲いかかって返り討ちにされ死んだ。
レクスが生き延びたのは、別に女としてランドールに気に入られたからではない。当時のレクスはまだずっと幼く、ランドールにそんな趣味はなかった。
ことは単純、レクス・アスカが価値を示したからだ。
頭を動かすという、多くの獣人が苦手とする力を見せたからだ。
ランドールが気まぐれに配下を増やし、彼を王とする集団が大きくなればなるほど、レクスの存在価値は高くなった。誰もレクスより上手に頭脳労働をすることができなかったから。
レクスは獣人たちに適切な仕事を与え、十分な食料が行き渡るようにした。まずは飢えて死なないこと。発展や改善はその先の話だった。
幸いにというか意外にというか、獣人をまともに働かせれば、あっという間に食糧問題は解決した。多様な種族から多様な農耕技術を聞き出してまとめ、必要な場所に十分な農地を設けて働かせれば、三年もしないうちに問題はなくなった。
つい最近になって食べ物が美味しくないということに気づいたが、それはさておき。
――我々は個々に散らばりすぎている。
そのことを考えるようになったのは、人族や魔族について知るようになってからだった。アスカ氏族の中で生きていた頃は、獣人以外の人種など知りもしなかったが、見識が広まれば知見も増える。
人族に関しては、獣人の領域と森を隔ててはいるものの、行き来ができる程度の距離感にある。獣人は人族に、人族は獣人にそれぞれ興味を抱いていなかったので基本的には不干渉ではあったが、中には例外もいる。
レクスは獣人族の領域に『行商人』を巡らせることで各地の情報を『耳で識る』よう手配していた。行商人たちがもたらす情報の中に、稀に人族のものが紛れ込むことがあった。
大概は人族の領域にいられなくなった犯罪者や、はぐれ者。彼らが語る人族の情報に、レクスは驚かされることになった。
人族は、頭を動かす種族なのだ。
獣人たちが身体を動かす種族であるのと、ちょうど正反対に。
だから人族の中にも身体を動かすのが得意な個人も存在する。そう、獣人の中にレクスという例外がいるように。そして人族は獣人たちと違って、混じり合うことを強く拒まない。
いや、無意識的に交わろうとしている――ような気がした。
獣人たちが氏族単位で暮らし、交わろうとしないのと正反対に。
レクスは思った。
だとすれば、いずれ――獣人たちは人族の中に交わってしまうだろう。
これは予想というよりは直感で、勘というよりは確信だった。
人族の中に、獣人たちが取り込まれる。
その未来はどうにも不可避に思えた。
少なくとも、ランドールのような者が王であるうちは。
殺(・) さ(・) ね(・) ば(・) な(・) ら(・) な(・) い(・) 。
アスカ氏族を皆殺しにされたことに、実を言えばレクスはそこまで強い恨みを持っていない。母が犯されて獣王の子を身籠ったことにも、子を産んだ母がランドールに殺されたことにも、燃えるような恨みなんて抱いていなかった。
強者が弱者を喰う。
それはこの世の基本原則だ。
だからランドールへの殺意は、怨恨というよりは義務感だ。
獣人という『群れ』をランドール・クルーガに任せておくわけにはいかない。
アスカ氏族という群れの中でレクスが生存を許されていたのは、レクスという余分を抱えていても氏族が生きていられたからだ。その余裕があってこそ、レクスという頭脳労働者を育むことができた。ランドールの統治では、第二のレクス・アスカなど生まれるはずもない。
レクスは待った。
布石を打ち、布石のための布石を打ち、そのための布石だって打ちながら、ひたすらに待ち続けた。
いろんなことが起こった。
ランドールの子供たちがどんどん大きくなり、レクスの妹にあたる獅子王の娘が親子喧嘩をして都を出たりした。ランドールは常に女を侍らせていたが、産ませた子供のうち、まともに育ったのはガーランドとプラドの二人だけ。
あとの子息たちはランドールに殺されたり、実の母に殺されたり、あるいはランドールという父親に嫌気がさして都を離れていった。
狐人たちの問題は、レクスに好都合だった。
獣人たちの中にあって身体よりも魔力を使うのが得意な妖狐たちは、ランドールにとって好ましい存在ではなかったようだ。「うざってぇ」と当人は述べていたが、潜在的な脅威を感じていたのかも知れない。
単純な暴力であればランドールはそう負けないが、なんだかよく判らない妖術でなんだかよく判らないことになる……かも知れない。
もちろんランドールのように高密度の魔力を有する者には、生半可な魔術など効きやしないのだが、それでも獣王は狐人たちを疎んじた。
狸獣人と揉め事を起こした妖狐たちを解散させ、領域内の各地に彼らを散らばらせたレクスは、行商人を通じて彼らのうち何人かと連絡を取り合った。
彼の中で最もランドールを恨んでいたのは、妖狐の代表であるカイラインという人物だった。魔力だけではなく、頭を動かすのも得意な男だった。
布石。
布石。
布石布石布石。
気が遠くなるほどの一手を打ち続けるうちに、刻が流れる。
そしてあるとき、獣人の領域の端、妖狐セレナを配置した辺境に、クラリス・グローリアが現れた。
他のモノたちと混ざり合いながら、彼女は強く大きくなろうとしていた。
刻が来たのだ。
探して鍛えた己の意味を、示す刻が。