作品タイトル不明
040話「癒やしの聖女_04」
戦場はエスカード領の北端、魔境と呼ばれる深い森との境界にあった。
森からやって来る魔族を、丘の上に集まった人族の兵が迎え撃つ――いや、迎え撃ててなんかいなかった。兵士のほとんどは肉の盾であり、盾が潰されている間に魔法使いが ぶ(・) っ(・) 放(・) す(・) というのが王国側の戦術だった。
当然、被害が大きい。
だからというべきか、ミゼッタが戦場に到着したときにはもう救護施設は怪我人であふれ返っていた。
配備されていた回復魔法の使い手たちはとっくの昔に疲弊しきっており、これ以上の魔法行使は彼らの生死に関わるような有様で、それなのに怪我人は次々と運ばれてくる。まさに修羅場である。
ミゼッタは到着早々、その場の責任者に話を通して片っ端から怪我人に回復魔法をかけていった。
「すごい……これほど連続で、こんなにも正確に、ここまで強力な回復魔法の使い手がいたなんて……!」
わざとらしすぎて嫌味じゃないのかと思うような賞賛が向けられたが、考えてみれば、この場所には冗談や嫌味を差し挟むような余裕などありはしない。
これもレオポルド卿の思惑通り、か。
とはいえ、金持ちの腰痛を癒しているよりは、ずっとまともな仕事だ――そんなふうに思ってしまった。
傷病者に貴賤なし、と考えられるほど、ミゼッタは聖人ではないのである。
◇ ◇ ◇
その日はミゼッタが魔法を使いまくったせいで、処置できる者がいなくなった。もちろん全員が『快復』したとは言えない――例の体力問題があるからだ――が、とりあえず、回復術士たちの仕事は一段落した。
ちょっと大袈裟じゃないかというほどの感謝を浴びつつ救護施設を辞し、護衛の騎士がミゼッタに用意された天幕へと案内してくれた。
どうやらミゼッタが仕事をしている間に、案内役の男やメイドたちがあれやこれやを調整していたらしい。
ようするに、やること自体はなにも変わっていないのだ。
それしかできないので、ミゼッタとしても別に構わないけれど。
天幕に入り、メイドが淹れてくれた茶を啜り、それでようやく一息つけた。ぼんやりと先程までの『治療』を頭の中で反芻し、もっと上手くできなかったかどうかを考えてみるも、あの状況ではあれが精一杯だったとも思う。
「さすがですな、ミゼッタ殿」
案内役の男が言った。
レオポルド卿の甥らしく、ぎょろりとした目付きの――しかしレオポルド卿ほどには怖さのない、何処かしら愛嬌のある男だった。
「いえ、できることをしただけです」
謙遜というわけではなく、正直な気持ちだったが、現場の術士たちがミゼッタを褒め称えていたのも事実だ。
どうやらミゼッタは 普(・) 通(・) の(・) 回復魔法の使い手であれば、とっくに衰弱死しているような質と量の魔法を使っていたらしい。そのあたりの感覚は、周囲に魔法使いなんて一人もいない環境で育ったので、正直よく判らない。
「そいつは重畳ですな。そういえばエックハルト殿が顔見せに来るそうですよ」
「え……?」
「ミゼッタ殿と同様、彼もまた名を売るために駆けずり回っておりますのでね。この戦場に来るのもまた必然でしょう」
「あぁ――なるほど」
なんて、そんな間抜けな反応くらいしかできなかった。
それから少しして、エックハルト・ミュラーが天幕にやって来た。
◇ ◇ ◇
実際逢うのは、たぶん三ヶ月ぶりくらいだろうか。
久しぶりに顔を合わせたエックハルトは、かなり様変わりしていた。
最後に見たときは、ミゼッタに対して少々とんちんかんな慰めの言葉を口にしていた。その少し前は、クラリス・グローリアの件で憔悴していたはずだ。
今は、なんだか逞しくなったような……。
「きみの活躍は聞いているよ。苦労をかけてすまない、ミゼッタ」
生真面目で、清潔感があり、少し不器用な貴族の次男。
それがエックハルトに対する曖昧な印象だった――正直なところ、そこまで真剣に観察していなかった――が、今のエックハルトは明らかに違っていた。
もっと、ふわっとした男だったような気がする。
でも今は、すごく現実味がある。
「あ、いえ……」
と、ミゼッタは曖昧に首を横に振るしかなかった。エックハルトは小さく苦笑を洩らし、天幕の入口側へ視線を向ける。
「もっといろいろと話をしたいのだけど、先に顔合わせだけ済ませよう。二人とも、入って来てくれ」
どういう意味か、と考える間もなく、天幕に男が二人入って来た。ミゼッタは咄嗟に案内役の表情を窺ったが、当然のような顔をしているだけだ。
ならば、こちらの方が本題なのだろう。
別にミゼッタへの労いを言いに来たわけではなく。
……残念、なのだろうか?
判らない。
さておき、天幕に入って来たのは、短い金髪の少年と――あの虜囚だった。
ギレット姉弟に手首を切り落とされ、ミゼッタが治療した、あの男。
「先日は世話になった。ノヴァという者だ。感謝が遅れてすまない」
ぺこりと一礼する男の顔を、ミゼッタは初めて見たような気になった。
たぶんノヴァと名乗った人物を『言葉を交わす相手』としては認識していなかったからだ。あのときは双子の相手で精一杯だったのもあるし、ノヴァの事情など知りたくなかったというのもある。
今だって、別に知りたくはない。
「いえ……するべきことをしただけですから」
と、やっぱりミゼッタは曖昧に首を横に動かすしかなかった。
ノヴァは太い眉を片方だけ持ち上げ、それ以上はなにも言わなかった。
「なんだなんだ、聖女サマってのは随分と事務的なんだな」
代わりに――というわけでもないだろうが、ノヴァの隣に立っていた少年が、これ以上ないほど胸を張りながら前へ出た。
あまり見たことのない感じの衣服の上に、簡易的な黒革の鎧を着込んでいる。なにより目立つのは、背中に担いだ身長ほどもある長剣だ。
「ジャック・フリゲートだ。エックハルトがトチらない限りは、長い付き合いになるだろうな。よろしく、聖女サマ」
嘲るような口調だったのに、浮かべた笑みは天真爛漫だった。あまりの邪気のなさにミゼッタの毒気が抜かれてしまったほどだ。
「彼は僕が見つけた戦士だ。まだ少年だが、非常に強力なので徴用することにした。口と態度に見合った実力はある」
「へへっ。そういうエックハルトも、俺みたいなガキを使おうって発想が出来るんだから中々のもんだぜ」
「頼りにしてるよ、ジャック」
貴族に対してとんでもない不敬だというのに、エックハルトは笑ってそれを許した。けれど、エックハルトからジャックに対しては、そこまで親しさを感じない。
ああ――と、ミゼッタは思う。
これは、レオポルド卿だ。
優れた人材を見つけだし、身分も出自を問わずに使う。
「イルリウス卿の口利きで、侵攻してくる魔族の首魁を相手取ることになったんだ。もちろん僕ら三人でやるわけじゃないが、敵将首はジャックが取る」
「任せておけよ、エックハルト」
そうして名を売るのだ。
でも、その後は?
ミゼッタの名を売り、エックハルトの名を売り、結婚することになって――それで、その先、どうするというのだろう?
判らない。
判りたいとも、あまり思わなかった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、ミゼッタは護衛の騎士を伴って『戦場』を見てみることにした。
どうしてと言われても困るし、実際に訊かれて困ったのだが……なんとなく、治療することになる人たちが、どんな場所でどんなことをしているのか、知っておいた方がいいような気がしたのだ。
どのような誰であれ、治せと言われればそうするしかないのだけれど。
さておき。
魔族たちは魔境と呼ばれる森の奥からやって来るという。
人族は森の際にある丘に陣を敷き、魔族を迎え撃つ。
基本的に、人族は魔族に敵わない。ただし例外的に強力な魔法使いの魔法であれば、魔族を打倒し得る。
だから人族は丘の斜面にいくつもの小さな部隊をちりばめ、その中に魔法使いを紛れ込ませるのだという。魔族が『外れ』を相手にしている間に、強力な魔法を撃ち込む……そういうことらしかった。
つまりは、大半の兵は囮役なのだ。
その中で運のない者が死に、わずかに運の強かった者は負傷しつつ生き延びる。ミゼッタは彼らを治し、彼らはまた運試しの戦場に立つ。
――頭がおかしくなりそうだった。
彼らがどんな気持ちで戦場に立っているのか、ミゼッタには理解不能だった。推測することもできない。使命感や義務感と呼ばれるようなナニカかも知れないが、考えてみればミゼッタはそのようなものを抱いたことがなかった。
今だって、半ば仕方なくこんな場所にいる。
だったら――もしかしたら、彼らも?
ひどく暗い気持ちになり、我知らずミゼッタは長い溜息を吐き出した。
ほとんど無意識に丘の下を眺めているのに気付き、魔境の暗闇から視線を引き剥がすようにして空を仰いだ。やけに大きく見える月が夜空の雲に陰影をつくり、その陰影がそのまま地上へ落ちている。
――ふと、人影が見えた。
長い金髪の少女だ。
あまりにも場違いなモノが、散歩しているような気楽さで丘を降りている。
丘の中腹にはいくつかの部隊が待機しており、少女は兵たちの合間を縫うように歩いていた。戦場を縦断しているというのに、嘘みたいに足取りが軽い。だからミゼッタは何度も目を擦って少女の実在を疑わねばならなかった。
護衛の騎士は、少女に気付いていない。けれど一度目を離してまた見直しても、少女は消えたりしない。
じっと見ていても、姿は確かなまま。
月明かりを反射する金髪を揺らし、少女はそのまま丘を下りきり、魔境の暗闇に消えていった。
ミゼッタは、そのまましばらく丘の下を見つめ続けていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
目を覚ましてすぐに、ギレット姉弟の死を報された。
犯人はクラリス・グローリアである可能性が高く、そのクラリスは姿を眩ませてしまったという。
なにがなにやら、ミゼッタにはわけが判らなかった。
ただ……あの金髪の少女がクラリス・グローリアだったのかも知れないな――というようなことを、ぼんやりと思った。
誰にも言わなかったけれど。