軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話 一人ずつ、名前を聞く

住民台帳の整備が始まった。

五千人超えの領地を二人で聞き取る。正面から全員を執務室に呼ぶのは非現実的だ。前世の住民基本台帳の初期整備でも、いきなり完璧を狙ってはいけない。

まずは「暫定台帳」を作る。区ごとに代表者を立てて、世帯単位で暫定登録をしてもらう。名前、住所、家族構成、職業。これだけでいい。課税額の確定は後回しだ。次に、暫定台帳の記載を本人確認しながら「本台帳」に移す。この段階で俺とフィーネが一人ずつ執務室で聞き取りをする。

前世のエクセルが恋しいが、ないものは仕方ない。手書きでやる。

(やっていることは、ウィリアム征服王のドゥームズデイ・ブックと同じだ)

十一世紀のイングランド。征服王は支配した土地を管理するために、全土地・全住民・全家畜の記録を作らせた。それが「審判の日の書」——ドゥームズデイ・ブック。「把握なくして統治なし」は、千年前からの行政の鉄則だ。あちらも全国を六つの地区に分け、地区ごとの担当官が聞き取りをした。全部一人でやったわけではない。

初日。

最初に来たのは、アルノルドだった。

「名前は」

「アルノルド・ベーレン。名前くらい知ってるだろ」

「台帳に書くので、正式な名前を教えてください」

「……アルノルド・ヴィルヘルム・ベーレン」

「ミドルネームがあるんですね」

「笑うな。死んだ親父が付けた名だ」

「笑いません。——家族構成は」

「妻が一人。息子が二人いたが、上は三年前に隣領に出た。下のやつは……まだ家にいる」

指が一瞬止まる。「三年前に隣領に出た」——レイガスが赴任した年だ。偶然ではないだろう。

「職業は」

「農民だ。——でも今は畑もろくに動いてない」

「台帳には『農民』と書きます。畑が戻れば、農民に戻るんですから」

アルノルドが鼻を鳴らした。だが、口元は緩んでいた。

フィーネが横で一生懸命書いている。視線を向けると、メモ帳に「アルノルドさん ミドルネーム:ヴィルヘルム おとうさんがつけた」と書いてある。そこまで書く必要はない。

だが、その下に更に小さな字で「はたけがもどればのうみん→ナカムラさん」と書いてあった。俺の言葉を一字一句、拾っている。

(この子は、筆記の天才か、それともただのメモ魔なのか)

聴き取りの合間、フィーネがアルノルドに聞いた。

「あの、ヴィルヘルムというお名前は、どういう意味なんですか」

「知らんよ。親父が勝手に付けた。——強い男になれっていう意味だと聞いたが」

「素敵な名前ですね」

アルノルドが照れくさそうに鼻を掻いた。六十過ぎの老人が、名前を褒められて照れている。

(聞き取りのついでに、住民との距離を縮めている。——教えたわけではないが、この子は天然でそれをやる)

◇ ◇ ◇

二日目、三日目と聞き取りが続いた。

最初は警戒されたが、「税の二重取りを解消するための作業です」と説明すると、協力的になる住民が増えた。

「あのー、去年、銅貨を五十枚余分に取られたんだが、返してもらえるのか?」

「台帳ができれば確認できます。二重取りが認められた場合は、返還します」

「本当か!?」

「記録に基づいて対応します。——だから、正確な情報を教えてください」

こうして住民が次々と情報を持ってきた。中には「うちは三年分多く払わされていた」という家もあった。

フィーネは隣の席で、聞き取りの補助をしていた。住民の名前を復唱し、メモ帳に書き留める。

左手でポケットの中の猫の木彫りを握りしめているのに気づいた。お守りのつもりらしい。

「えーと、マルティンさん。お子さんは三人で、上から——」

「八歳、五歳、二歳です」

「はい。八歳、五歳、二歳……」

フィーネが一文字ずつ丁寧に書いている。前世でいうひらがなのような簡単な文字だが、数字だけは正確だ。

三日目、フィーネが質問した。

「ナカムラさん。職業欄に『無職』って書くんですか? 偉そうなおじいさんなんですけど……」

「職業は、今やっていることを書いてください。堂々と書くのが気の毒なら、『元農民』とか『退役兵』とか。その人がどんな人かわかるように」

「なるほど……」

フィーネがメモ帳に「しょくぎょうはいまやっていることをかく」と書いている。その隣に「(わたしのしょくぎょうは『りょうしゅ』?)」と書いてあった。

(そうだ、この子は「領主」という職業名にすら自信がないんだな。——台帳の筆頭に「領主」と書いておいてよかった)

暫定台帳の回収に三日、本台帳への聞き取り移行に二週間。合計十七日で、全住民の登録が終わった。

終わった、と思ったのだが。

「ナカムラさん、あの……」

「なんですか」

「第三区の山の近くに、聞き取りに来てくれなかった家が三軒あります。訪問をしたほうがいいですか」

「三軒。——来られなかった理由は」

「一軒はおばあさんの一人暮らしで、足が悪いそうです。一軒は小さい子が三人いて家を空けられない。最後の一軒は——すみません、『お上には関わりたくない』って」

(足が悪い人、子連れ、行政不信。——三者三様だが、全員「窓口に来られない」という点では同じだ。前世の上下水道課でも、高齢者世帯への家庭訪問は重要な業務だった)

「行きましょう。『窓口に来られない人』こそ、行政が足を運ぶべき人です」

「はい! ——私も行きます」

フィーネが帳簿とメモ帳を抱えて立ち上がった。猫の木彫りがポケットから半分はみ出しているが、本人は気づいていない。

——訪問の結果、三世帯とも登録が完了した。おばあさんはフィーネの顔を見て「あら、先代のお嬢さん。大きくなったねえ」と涙ぐんだ。子連れの家庭は、フィーネが子供と遊んでいる間に俺が聞き取りを済ませた。「お上には関わりたくない」家は、一時間かけて説得した。最後に折れたのは、フィーネが「あなたの名前を、私に教えてください」と言ったからだ。

結果は、驚くべきものだった。

「ナカムラさん。この領地、人口が思ったより多いです」

フィーネが台帳の集計結果を持ってきた。

「先代の記録では人口五千人とされていましたが、実際に聞き取りをしたら——五千六百人います」

「六百人も未登録?」

「はい。レイガスさんの時代に流入した人が多いようです。ダンジョン攻略の仕事を求めて来たけど、チート転生者が全部一人でやってしまうので仕事がなく、でも帰る場所もなくて、居着いてしまった人たち」

「登録されていないから、行政サービスの対象外になっていたわけですね」

「はい……。この人たちにも税を課すべきでしょうか?」

「課税は必要ですが、まずは登録して、行政サービスの対象にすることが先です。噴水の水も、排水溝の恩恵も、登録された住民と同等に受けられるようにする」

「でも、六百人分の費用は——」

「税収が増えます。未登録住民を把握すれば、正規の課税ベースが広がる。財政は改善するはずです」

フィーネが台帳を見つめた。

「……チートで解決できなかったことが、台帳一冊で見えてくるんですね」

「行政の基本です。把握しなければ、対処できない。——前世の上司の口癖でした」