軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第35話 議会の種

赴任十五ヶ月目。

夏の終わり。朝から蝉の声が鳴り止まない。

住民寄合が、定例化した。毎月第一の休息日。広場に百人以上が集まる。議長席にアルノルド。副議長席に帰還民代表のヴェンツェル。この配置はフィーネが決めたものだ。「残留民と帰還民、両方から代表を出すことが大事です」と彼女は言った。——教えていない。自分でたどり着いた。

二人の席には手書きの名札が置いてある。フィーネが作ったものだ。角がほんの少し曲がっているが、文字は正字で、きれいに書いてある。

「本日の議題は三件。一、南区下水溝の追加整備。二、学校の冬季暖房設備。三、次期作付計画について」

アルノルドの声が広場に響く。半年前まで感情で物を言っていたこの老人が、今は議題を読み上げている。台帳の番号を引用し、予算の柱を参照しながら。手元には、フィーネが前日に用意した議題メモがある。

(議会の芽が出ている。——前世で、地方議会の末席にいた時代を思い出す。議長が議事進行をし、住民が質疑する。形は簡素だが、構造は民主的だ)

フィーネが端の席で議事録を取っている。ペンの動きが速い。一年前は簡易文字で「よさん」と書いていた子が、今は正字で議事録を書いている。時々インクが飛んで頬につくのは相変わらずだが。

俺はこの寄合に「五人組制度」を提案していた。

五軒の家を一つの組にして、組長を置く。組長が住民の要望をまとめて寄合に持ち込む。個別の陳情を集約するための仕組みだ。前世の町内会制度を簡略化したものだが、この世界でも機能するはずだ。

(前世では「自治会長に」と言うと誰もが逃げた。この世界では「組長」と呼び方を変えたが、本質は同じだ。——それでも引き受けてくれる人がいたのは、学校で「話し合う習慣」が培われたおかげだ)

「ナカムラさんの五人組ってやつ、実際どうなんだ」

アルノルドが俺を見た。

「順調です。現在二十三組が編成済み。帰還民と残留民の混合組が十一組、残留民のみが八組、帰還民のみが四組です」

「混合組が半分近いのか」

「学校の効果です。子供が一緒に学んでいる家庭は、親同士も話をするようになっている。組の編成も、子供の友人関係に引かれる形で混合になった家が多い」

(子供が橋になった。——教育政策が住民自治に波及している。フィーネ様の学校は、行政のハブになりつつある)

フィーネが手を挙げた。議事録のペンを置いて、立ち上がる。石壁の隙間ではなく、今日はまっすぐ前を向いている。半年前の寄合では声が震えていたが、今は座ったままの住民と視線を合わせて話す。

「あの。暖房設備の件なのですが」

「はい、フィーネ様」

「学校が冬場は寒くて、子供たちの出席率が下がりました。レイガスさんに相談したら、余っている魔動灯を改造すれば暖房にできるそうです」

「改造の仕様書はありますか」

「……あ。まだです」

「では、レイガスさんに仕様書を書いてもらってください。予算は柱三の教育費から出せます」

「はい!」

(この子は、課題を見つけて→相談して→寄合に持ち込む、という手順を自然にこなしている。行政サイクルが身についている)

残留民の古参が手を挙げた。

「三つ目の議題の前に一つ。——五人組の組長だが、帰還民の組長は外したほうがいいんじゃないか。住んで半年の人間に、三年残った俺たちと同じ発言権があるのは納得いかん」

フィーネが立ち上がった。声は震えなかった。

「それは認めません」

広場が静まった。

「台帳には、住み始めた日は書いてあります。でも、住んでいる年数で発言権が変わるとは、どこにも決めていません。——この領地は、全員のものです」

一瞬の沈黙の後、男が口を閉じた。フィーネの目が真っ直ぐに男を見ている。——怒っている。だが、かつての寄合の時のような、震える怒りではなかった。根拠のある怒りだ。台帳と、自分の言葉と、先月住民の前で言った約束を武器にした、領主としての怒りだった。

アルノルドが小さく頷いた。「……次の議題に行くぞ」

(この子は、怒り方を覚えた。感情ではなく、制度と原則で怒ることを。ゲルハルトの横領に泣いた子が、今は住民の前で涙なしに「認めません」と言える。——これが、成長だ)

住民からも手が挙がった。南区の帰還民の女性だ。

「五人組の組長会議なんですが、場所が決まっていなくて。学校を使わせてもらえませんか」

「学校は夕方以降は空いています。レイガスさんに施錠の管理を相談します」

フィーネが即答した。場所の提供、時間帯の選定、管理者の指定。三つの判断を一度に下した。

(即答。——前世の新人が「確認して折り返します」と言うところを、この子はその場で答えた。しかも判断の根拠は、学校の利用状況とレイガスの巡回スケジュールの把握だ。頭の中に行政の全体像が入っている)

寄合が終わった後、アルノルドが煙草を吹かしながら俺に言った。

「ナカムラさん。これ、議会だろう」

「まだ寄合です。議会にするには、もう少し制度が要ります」

「制度ってのは」

「議事録の保管。投票制度。任期の設定。——まだ先の話です」

「お前は、いつも『まだ先の話です』と言うな」

「急いで壊すより、ゆっくり育てたほうがいい。議会は種です。植えたばかりの種を引っ張って早く育てようとしたら、根が切れます」

アルノルドが鼻を鳴らした。

「農業の比喩を使うようになったな。赴任したての頃は、もっと堅苦しいことを言っていた」

(農業の比喩。——確かに。前世では「PDCAサイクル」とか「ボトルネック分析」とか言っていた。ここでは「種を蒔く」と「根を張る」のほうが伝わる。——言葉が、この土地に馴染み始めている)

「アルノルドさん」

「何だ」

「議長、お疲れさまでした」

アルノルドが一瞬黙った。それから煙を吐いて、ぶっきらぼうに言った。

「……労われたのは初めてだ。お前に」

「前世では、議会が終わるたびに議長に労いの言葉をかけるのが通例でした」

「通例ね。——お前のいた世界では、こういうことが『当たり前』だったのか」

「はい。当たり前でした」

「……当たり前ってのは、いいもんだな」

アルノルドが煙草の灰を落とした。遠くで子供たちの声がする。噴水の前で遊んでいるのだろう。

(前世の「当たり前」を、この世界にも植える。——制度は種だ。習慣も種だ。「お疲れさまでした」という一言が根を張れば、この寄合はいつか本当の議会になる)

◇ ◇ ◇

夜。フィーネが執務室に来た。メモ帳を持って。

「ナカムラさん。今日の寄合、どうでしたか」

「良かったですよ。フィーネ様の暖房設備の提案は適切でした」

「本当ですか。——あの、実は、もう一つ考えていることがあって」

「何ですか」

「寄合で出た意見を、次の予算案に反映させたいんです。住民の声を予算に入れる仕組みを作りたくて」

(住民参加型予算。——前世では、自治体のパブリックコメント制度がそれに当たる。この子は、独力でその概念にたどり着いた)

「フィーネ様」

「はい」

「それは、とても良い考えです」

フィーネが嬉しそうに笑った。メモ帳に何か書いている。——覗くと、「じゅうみんさんかがたよさん」と書いてあった。簡易文字で。

(公文書では正字を書くのに、メモはまだ簡易文字だ。——俺の前でだけ、素が出る)