軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第27話 魔動灯の下で

レイガスが帰還して三日目。

俺は夜の巡回をしていた。

北区の通りに差し掛かると、魔動灯の下に人影があった。レイガスだ。背中を壁にもたれて、座り込んでいる。

「レイガスさん」

「……ああ」

「何をしているんですか」

「別に。——どこにも行くところがないから、ここにいる」

三日間、レイガスは誰とも話していない。住民は近づかない。フィーネだけが食事を差し入れていたが、レイガスは受け取るだけで何も言わなかった。——いや、四日目に、ようやく「どうも」と言った。たった二文字だが、フィーネはほんの僅かに顔がほころんだ。

フィーネは毎日、工夫を凝らしていた。干し肉とパン。カブの煮物。晴れた日にはスープも。レイガスが受け取る様子を、窓から見ていたことがある。レイガスはフィーネが行った後、しばらく食事を見つめてから、静かに食べ始めた。

初日はパンだけだった。二日目はパンと干し肉。三日目は、小さな花が一輪添えてあった。

(花を添えた。——それは行政の範囲を超えているが、この子らしい)

レイガスは花を見て、手が止まった。それから、何も言わずに食べ始めた。花は、食べ終わるまでそのままだった。

(あの男は、食事を「もらう」ことに慣れていない。前世では母親がドアの前に置いた食事を、誰もいないときに取っていた。フィーネは、その役割を無意識に引き受けているのかもしれない。だが、一つだけ違う。母親は花を添えなかった)

フィーネは四日目、食事を置きに行った後、こっそり振り返って俺に言った。

「ナカムラさん。レイガスさん、今日は『どうも』って言いました」

「『どうも』」

「はい。昨日までは、何も言わずに受け取るだけでした。でも今日は『どうも』って。——それだけですけど、それだけでも、よかったなって」

(「どうも」。たった二文字だが、レイガスにとっては大きな一歩だ。そして、それを「それだけですけど」と言いながらも報告するフィーネは、小さな変化を見逃さない)

五日目には、レイガスは「おいておき」と言った。受け取るとき、フィーネの方を見た。一瞬だけだが、見た。

(「おいておき」。——「置いておいてくれ」という意味だろう。拒否ではなく、受容。そして、フィーネの方を見た。「ありがとう」と言おうとして、できなかったのだろう)

俺はレイガスの隣に座った。石畳が冷たい。

「レイガスさん。一つ聞いていいですか」

「何だ」

「あなたは、この領地で何がしたいですか」

「……何も」

「何もない?」

「何もないんだよ。前からそうだ。ダンジョンを潜るのも、魔物を斬るのも、別にしたくてやってたわけじゃない。それしかできなかっただけだ」

秋の虫が、草の中で鳴いている。寒くなってきた。石畳の冷たさが、尻から背骨に伝わる。

(——「それしかできなかった」。この男は、自分の無力を知っている。チートを持っていて、なお無力だと感じている)

ふと、俺は倉庫の話を振った。

「レイガスさん。倉庫に、正体不明の光る球体があったのを覚えていますか」

レイガスの目が、一瞬動いた。

「……ああ。あれか」

「何ですか、あれ」

「精霊石だよ。ダンジョンの最深部にあった。——魔力の塊みたいなもんだ。光るだけで、別に何もしない」

「何もしない?」

「何もしない。触っても平気だ。——俺が持って帰って、倉庫に放り込んだ。使い道がわからなかったから」

「フィーネ様が触ろうとした時、俺は止めました」

「……正解だよ。俺もわかってなかったから。ただ——」

レイガスが天を仰いだ。金髪が揺れた。

「あれは、ダンジョンの最深層を一人でクリアした証なんだ。モンスターを全部倒して、最後の部屋に置いてあった。——唯一の、トロフィーだった」

(トロフィー。——RPGの最終報酬を、倉庫に放り込んで忘れた。それが、フィーネが「さわらない!!」とラベルを貼った球体の正体だったのか)

「使い道、あるんですか」

「光源としては最上級だ。光魔晶の十倍くらいの明るさが出る。ずっと光ってるだろ」

「——それは、教えてほしかった情報です」

「すまん。……当時は、誰に言うつもりもなかったから」

(誰にも言わなかった。誰にも見せなかった。ダンジョンの最深部で手に入れたたった一つの成果を、暗い倉庫の棚に放り込んだ。——この男の孤独は、トロフィーの扱い方にも出ている)

「フィーネ様に伝えておきます。もう触っても大丈夫だと」

「……あのチビ、まだ気にしてるのか」

「倉庫の棚に『さわらない!!』と感嘆符二つのラベルが貼ってあります」

レイガスが小さく、ほんの小さく、口の端を上げた。

「レイガスさん。あなた、前世で日報って書いたことありますか」

「日報? 何だそれ」

「今日やったことを書く報告書です」

「……書いたことない。ニートだったからな」

「では、明日から書いてみてください。三行でいい」

「三行? 何を書くんだ」

「今日やったこと。気づいたこと。明日やりたいこと。——それだけです」

レイガスが俺を見た。虚ろだった目に、微かな疑問が浮かんだ。

「……それ、意味あるのか」

「あります。自分が何をしたか記録すると、『何もしていない』とは言えなくなります」

レイガスが一瞬、目を見開いた。——「何もしていない」という言葉が、この男の前世からの呼び名だったことが、表情から読み取れた。

「……何もしていない。そう思ってた。ずっと」

「それが変わります。『今日、魔動灯を直した』。それが三行の中の一行になるだけで、『何もしていない』は崩れます」

(「何もしていない」が「何かをした」に変わる。それだけで、人は変われる。——前世の新人研修でも、日報を書かせるだけで動きが変わる新人がいた。日報は、最小単位の自己肯定装置だ)

レイガスが黙った。長い沈黙だった。

魔動灯を見上げている。自分で直した光だ。光魔晶の柔らかな光が、金髪を照らしている。

(——前世では、モニターの光だけが世界の全部だったはずだ。今は、自分が直した灯りの下にいる)

夜風が吹いた。秋の匂いがする。レイガスの金髪が揺れた。

「……紙とペン、どこにある」

「執務室に来てください。明日の朝」

レイガスが立ち上がった。背の長剣が月明かりで鈍く光った。——その剣で魔物を斬り、土地を焦がし、街を壊した男が、明日、紙とペンを持つ。

(前世でニートだった男が、日報を書く。——行政は時々、奇跡を起こす)

帰り道、振り返るとレイガスはまだベンチにいた。毛布を肩にかけて、魔動灯を見上げている。自分が直した光を。

◇ ◇ ◇

翌朝。レイガスが執務室に来た。

フィーネが驚いて立ち上がった。

「れ、レイガスさん……!」

「……日報を書くと言われた」

紙とペンを渡した。レイガスは字が書ける。前世でゲームの攻略メモを取っていたらしく、筆跡は雑だが読める。

フィーネが小さく言った。

「レイガスさん。お茶、飲みますか」

「……いい」

「お菓子は? マリアさんのパン、ありますけど」

「……いらない」

「そうですか。——でも、置いておきますね」

フィーネがデスクの角に、パンを一切れ置いた。レイガスは何も言わなかった。

(フィーネ様は、拒絶されても引かない。「置いておきます」。その「置いておく」が、この子のコミュニケーションだ。拒絶されても、「窓」を残す)

夕方、日報が提出された。パンはなくなっていた。

『朝、起きた。広場を歩いた。魔動灯が一つ消えていた。——以上』

三行だ。約束通り。

俺は赤字を入れた。

『魔動灯はどこの通りですか。消えた原因は確認しましたか。修理可能なら明日直してみてください』

翌日の日報。

『北区の通り三番目の魔動灯。光魔晶が切れていた。在庫を確認したところ交換用があったので交換した。点いた。——以上。なんか変な達成感がある』

(——「なんか変な達成感がある」。この一文に、全部詰まっている)

俺は赤字を入れた。『魔動灯の修理、お疲れ様でした。——それが「仕事」というものです』