軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

シエナ様がんばる

公爵家に初めて来たとき、母の実家ということ以外何も知らなかった。そもそも“公爵”という地位のことさえ、貴族なんだなという認識しかなかった私には、あまりに大きなお屋敷に、たくさんの使用人に、二の足を踏んだのを覚えている。その大きなお屋敷のそのまた奥の庭を抜けた最奥に、これまた立派な建物があって、それこそが母屋であると聞いたときにはめまいがしたほどだ。フカフカのじゅうたんの敷いてある立派な廊下を、案内の初老の男性に連れられて歩いていた。実家の家とは比べるべくもなく、そこの領主のお屋敷より数段立派な建物に、調度品、そして使用人もだ。私のいたところは良くも悪くも田舎だったのだと、このお屋敷に来て改めて実感した。扉を抜けて母と同じ色の髪を見たとき、本当に私はこの場の異分子になった気がした。

母の弟と名乗ったので、一応叔父さまと認識した。叔父様の隣には金髪で女神のような女性がいて、その人が叔父様の奥様だった。叔母さま、というとにこやかに笑ってくれて、この屋敷に来てから始めてほっと息をついた。そのうち後ろの扉をノックする音がして、お二人が嬉しそうに返事をした。そこにいたのは黒髪で眼鏡をかけた、私と同年代くらいの女の子だった。

実家のほうは魔物の防衛の最前線に当たるため、女性はもともと少なかった。その上私と同年代は領主の息子の年上の男の子がいるだけで、同年代の女の子との交流はあまりなかった。珍しい黒髪の女の子が、あまりに美しい所作で、はじめまして、とあいさつしたので自分も慌ててお辞儀をした。あんな綺麗な挨拶はきっとこの子も貴族だ。

「初めまして、シエナといいます。」

「シエナ様…。はじめまし…」

目が合ってそこまで言って、目の前の女の子が力なく倒れてしまった。そのあとはパニックだった。半狂乱の叔母様と、医師を連れて来いと檄を飛ばす叔父様。一気にあわただしくなった執務室に、叔父様と叔母様のいなくなった部屋で、全くはた迷惑な、とつぶやく使用人…。

「ああモニカ、モニカ、最近は落ち着いていたのに一体どうしたのかしら。」

涙ながらに、モニカと呼ばれた女の子のベッドに縋りつくさまは、あまりに痛々しい光景だった。

そんなことがあったからか、叔母様と叔父様と、私との間には見えない壁のようなものができつつあったのだ。

そんな時モニカの体調が回復して、やっと挨拶をできるようになった。叔父様と叔母様はまだモニカの体調を気遣って延期をしたほうがいいと言ったのだが、モニカが押し切ったようだった。

「初めまして、モニカ・Ⅾ・バージェスと申します。わたくしは公爵閣下のいとこの娘でございまして、こちらに養子に入りました。以後よろしくお願いいたします。」

きっちりとはきはきした挨拶に、堂々とした立ち振る舞いが、すごくかっこよかったのを覚えている。こんなに元気のいいモニカが、前回は急に意識を失ったのだ。今回もきっと叔父様と叔母様はハラハラしながら見ているのだろう。モニカが丁寧な話し方で優雅に、私に話しかけてくれた。目が合うとにこりと笑って。可愛いと言ってくれた。モニカが潤滑油となって、叔父様と叔母様とも気負いなく話せるようになってきた。モニカが叔父様に、弟はいても妹はいないのでうれしいと、そう言ってくれていたのをたまたま聞いてしまったが、いまだに嬉しくてたまらない。私は同年代の女の子のお友達はいなかったし、一人っ子のため姉もいなかった。初めてできたお友達で、お姉ちゃんが、モニカだった。

モニカには甘えたり、わがままを言ったり、まねしたり、公爵家に来て勉強は大変だったが楽しかった。その勉強でさえも、わからなかったらモニカに聞きに行く理由になるのだから苦ではなかった。そうして日々を過ごしていくうちに、悲しいことに気づいてしまった。

私はそんなに大好きなモニカの、婚約者に惹かれてしまったのだ。

このことに改めて気が付いた日の夜、ベッドの中で呆然としてしまったのを覚えている。

気さくで頼りになって、笑顔がとてつもなく素敵で、一緒にいると楽しくて楽しくて、自然と目で追って行ってしまっていた。初めてのことで、どうしていいかわからなかった。しかも当のモニカは、宮上がりの日の馬車では、いつも以上に静かで口数は少なく、明らかに乗り気でない。顔色はあの時倒れた時と同じほど真っ白で。瞳はガラスが埋め込まれた人形のようで、何も写してはいなかった。

「緊張しているのです。」

そう言ったモニカの声にも、生気が感じられなかった。緊張とは違う、別の何かがあるような違和感。しかしそれが何かわからなかった。硬い表情で王宮で過ごすモニカは、いつものニコニコのモニカとは、似ても似つかなかった。いつものモニカのほうがずっと素敵なのに。

リチャード様はそんなモニカのことを、とても大事にしているように見えた。私は彼に恋をしているから、もっと自分を見てほしいと思ったし、話したいと思った。でも同じくらいモニカを大事にしてほしかった。いつも彼のことを見ていたから、モニカを大切にしようとしているのは本当の、リチャード様の気持ちだと気付いた。不器用で一生懸命でかっこよくて少し、切なかった。

王妃様に初めて会った日のことはよく覚えていた。怖くて声が出なかった。あの、何も映していない瞳に見られたくなくて、必死に気配を殺していた。話の通じない爬虫類の目を見ているようだった。モニカはそこで、2年後に婚約解消すると約束させられていた。あんなのは脅しだ。本意不本意に関わらず、あんなに一方的に話を進めていく王妃様に狂気を感じた。子供二人であの人に無理やり約束させられたのだから無効ではないのか?とも思っていたが、モニカはそれから明らかに元気になったのが、少し哀しい。

モニカはリチャード様が苦手らしい。

それはダンスの練習の時にはっきり気が付いた。モニカはレオン様とダンスの練習の時は少し表情が柔らかい。足を踏んでもいい相手のせいか、気負わずに練習できていた。2人とも小声で何やら話しながらたまに笑っていた。モニカの表情はヤケクソ感が出ていたが、その度にリチャード様が少しだけ動揺していた。手を握ってダンスをしているのだから、そんな些細な動きもよくわかってしまった。

「もお、なんでできないんでしょうね?わたくしはこれでもシャドーを特訓してきましたのよ。なのに…。」

「嘆かないでください。うっとうしいです。それを言ったら俺のほうが…あ、失礼。私のほうが。」

「俺で構いませんよ。さあもう一周行きましょう。」

「じゃあ次から。」

去年最後のお茶会は、かくれんぼだった。久しぶりだったので少々本気を出して、温室の温度調節小屋の屋根の上に登って伏せていた。先ほどモニカが捕まっていた。リチャード様に温室に誘われていたのに、モニカはそれを断っていた。レオン様は捕まっているし、私のことは気にせずに、温室の中に入れてもらえばよかったのに。首飾りのことだって、毎日見てリチャード様のことを思い出していますくらい言えばいいのに。

モニカはリチャード様の婚約者なのだから。

リチャード様はもうとっくに見つけていた。リチャード様がモニカが温室を熱心に覗いているのを後ろで見ていたのだ。近づいて行っても全然気が付かないモニカを、楽しそうな顔で眺めていた。

きっと、リチャード様は、私とレオン様に気を使って、あんなに覗き込んでいた温室を後回しに出来るモニカが…。

リチャード様はそういうモニカが好きなんだわ。

いじわるもするし、口をとがらせて文句も言うけどきっと、それはモニカの気が引きたくて、仲良くなるきっかけを作りたくてやっているとしか思えない。

こうなったら正々堂々勝負をしよう。モニカはお茶会という名のダンス練習に私を必ず連れて行ってくれた。チャンスは平等にあった。私は私を磨いて、リチャード様を振り向かせる努力をする。チャンスがあるのなら掴むべきだろう。でもモニカにも、正確に言えばリチャード様の思いにも、チャンスは平等にあるべきだ。

リチャード様が私に振り向いてくれたら、私の勝ち。

リチャード様がモニカを振り向かせたら、リチャード様の勝ち。

モニカは可愛くて優しくて世界一いい子なのだ。自慢の…お姉ちゃん、なのだ。絶対に幸せになってもらわないといけない。

なのにどうしてリチャード様ったらお茶会に遅れているのかしら。レオン様が少し遅れます、と言って入り口付近に待機していた。

「さようですか。どのような要件かは、お話になれませんか。」

モニカが珍しく食い下がっていた。トランクを開けて何やらごそごそしていた。

「王妃陛下に捕まってしまいました。少し長くなるかもしれません。」

「でしたらこちらでお茶でもいかがです?」

「結構です。」

そっけない返事にも慣れた様子のモニカはトランクから出した袋を持って、レオン様のほうに歩み寄った。

「これ、例の本です。それから前回はしおりをありがとうございます。」

「…!ありがとうございます。」

レオン様の表情が一瞬でぱっと明るくなった。本の貸し借りをしているらしい。これはリチャード様に言ったらレオン様が怒られる奴だな。仕方ないから黙っておいてあげよう。お茶をすすってクッキーを食べた。

「しおりのお礼です。教会で買った守護のお守りです。」

「あれは本のお礼ですから、お返しなんていいのですが…。」

「用意したので貰ってくださいまし。そんな高いものではございませんが。」

「ありがとうございます。」

うん、このやり取りも秘密にしておいてあげるね。

「ねえレオン様、そこでずっと立っているのは疲れるんじゃないの?」

「そうですよね、シエナ様!ささ、こちらへどうぞレオン様。」

「いえ、ちょっと殿下の様子を見てきます。」

モニカがレオン様の腕を掴もうとしてスカした。彼はさっさと扉を閉めて行ってしまった。

「焦らずともいいですのに、ねえ。」

残念そうな響きが妙に耳に残った。ダンスの練習相手として組んでから、二人は仲良くなったらしい。レオン様に少し嫉妬しているリチャード様の態度は切ないが、それも私が振り向かせればいいだけのこと。私は貴方のこと大好きなのよって示せばいいのよ。よし、気合を入れて頑張るぞ!