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永遠に生きていてほしい 【Webtoon】

作者: 三香

本文

「君を愛することはない。覚えておいてくれ、わたしには愛が理解できないと」

人生で聞きたくない台詞ワーストスリーに入るだろう言葉を言ったのは、結婚したばかりの夫レキシティス公爵ラグルドであった。

場所は寝室。

つまり初夜。

あまりにも予想通りの展開にジェシリアは苦笑を浮かべた。

17歳のジェシリアは伯爵家の次女で初婚。

25歳のラグルドは公爵家の当主で、子どもありの再婚だった。

ラグルドは、美しいものだけを集めて人の形と成したような美貌の主である。

公爵としての能力も不足なく、領主としても公平で優秀だった。智に優れ武に優れていたが、その性格は冷酷で情に左右されずに常に冷静であった。

次代の公爵として冷徹であれ、と幼い頃から教育をされてきたからだ。

魑魅魍魎が蠢く貴族社会で生き抜くために、冷淡無情であることはレキシティス公爵家の家訓であった。

慈悲や優しさは時に人に侮られ舐められることもある。しかし、恐れている相手を軽んじる者はいない。

前公爵であった両親の馬車による事故によってわずか15歳で公爵位を継承したラグルドも、徹底した教育のおかげで若くとも他の貴族たちに見下されることはなかった。

しかし年上の婚約者と結婚をして嫡子が誕生したものの、妻は厳格で冷徹な態度のラグルドに不満を持ち、護衛騎士と恋愛したあげくに駆け落ちをした。

即座に離婚となったが、ラグルド的には嫡子も生まれていることもあり再婚の予定はなかった。

第一王女がラグルドに恋をするまでは。

まずいことに第一王女には婚約者がいた。隣国の王族である。不仲で有名な婚約関係であったが、隣国との条約が絡む大事な婚約であった。

ラグルド自身も王女に対して百年の恋も千年の愛も捧げるつもりがなかったので、はっきり言って大迷惑でしかなかった。

いわばジェシリアとラグルドの結婚は、第一王女に恋心を諦めさせるためのものだったのである。もちろん王家もこの結婚を歓迎していた。

ジェシリアのカイズ伯爵家は派閥的にも経済的にも立ち位置的にも可もなく不可もなく毒もなく、公爵家の邪魔にならない家柄であった。王家と公爵家からの命令に近い婚儀に伯爵家は拒否などできない。ましてやジェシリアの意思は関係すらなかった。

こうして迎えた初夜であったが、結婚式で初めて会った夫であるラグルドの冷たい振る舞いにジェシリアは泣いたりしなかった。カイズ伯爵家にレキシティス公爵家から申し込みがあってから結婚までたったの一ヶ月。どこまでもレキシティス公爵家の事情が優先で、言葉すら交わしたことがなかったのだ。ほぼ強制に近い結婚にジェシリアは最初から期待をしていなかった。

「承知いたしました、ラグルド様。では、こちらの書類の確認をお願いいたします」

寝室であったが、ドレスをきっちりと着ていたジェシリアはポケットから書類を取り出した。結婚が決定した時から先を想定していたので準備をしていたのだ。

「これは?」

怪訝そうに眉根を寄せた表情でラグルドが書類を眺める。

「私とラグルド様との契約書です。簡単にまとめるとお互いを尊重いたしましょう、という内容です。私が公爵家で軽視されないようにラグルド様に、公爵夫人としての権限を認めていただきたいのです」

にこにこと微笑むジェシリアにラグルドが眉根を寄せる。

「必要か?」

「はい。絶対に必要です」

力強く頷くジェシリアにラグルドは顎に指先をあてて考えた。ラグルドとて自覚はあるのだ、結婚を強行したことについては。そして若いジェシリアの立場の難しさも理解していた。

氷のように冷たい双眸でラグルドがジェシリアを見た。ラグルドは誰に対しても氷の眼差しが標準装備なので、ジェシリアに特別に冷たいわけではない。別名が氷の魔王なのだから。

領主としての義務と責任を忘れずに一貫して合理的な思考をするので、ラグルドは公明正大であり、領地経営は右肩上がりとなっていた。公爵家当主としても申し分なく有能で厳正であった。なのでジェシリアの言い分を一笑に付して軽くあしらうことをラグルドはしなかった。

「わかった」

ラグルドは書類を確認するとサラサラと署名する。

書類を受け取るとジェシリアは淑やかに礼を執った。

「ありがとうございます。では、明日からよろしくお願いいたします」

寝室から出て行こうとするジェシリアをラグルドが呼びとめる。

「待て。初夜は?」

「お互いを尊重するお約束でございましょう? 私は愛のない行為は嫌でございます。ラグルド様も『愛することはない』とお気持ちを宣言されていましたし……」

「政略結婚ならば愛のない初夜は珍しくもない」

「はい。政略結婚ならば、ですよね? 厳密には、この結婚は政略になりません。王家と公爵家の都合だけがよくて、我がカイズ伯爵家には何の恩恵もありませんもの」

微笑んでいるがジェシリアの瞳は笑っていない。

政略結婚は、政治的、社会的な目的が伴う。

国ならば同盟、武力や経済的支援、安全の保障、王位継承権など。

家同士ならば、勢力拡大、連携強化、経済的利益など。

政治や経済の観点に立つ結婚であるはずなのに、ジェシリアとラグルドの結婚は王家と公爵の都合だけが重視されてカイズ伯爵家には利益がないものであった。

ラグルドがつかのま黙る。眉間に皺が一本追加された。

スッとジェシリアは真剣な表情となって、言葉を続けた。

「ラグルド様の目的は第一王女殿下避けの妻でございましょう、なので公爵夫人として仕事はいたします。でも、ラグルド様が『愛することはない』とおっしゃったのですから自分の言動に責任を持って、私にも愛を求めないでくださいませ。ラグルド様の絶世の美貌や公爵家に欠片も興味はありません。私の心を無視した結婚に私が喜んでいるとは、まさかラグルド様も思っていらっしゃるなんてことはないでしょうし」

自己中心的な恋とは無縁のお互いの立場を守る相互理解の夫婦になりましょう、とジェシリアの瞳が釘をさす。

ウッ、とラグルドが喉で息を詰まらせた。ますます眉間の皺が深くなった。

毒のない伯爵家のおとなしい令嬢だと評判だったからジェシリアと結婚したのに、嫌味を織り交ぜた口撃が見事すぎる。

「ラグルド様は『覚えておいてくれ』とおっしゃいました。では私からも一つ。貴族の娘ですもの、政略結婚は覚悟しておりました。でも、ラグルド様と結婚しなければ、低い確率であっても私を愛して幸福にしてくれる殿方と結婚できていた可能性をラグルド様が奪ってしまったということも覚えておいてくださいませね」

と、ジェシリアは峡谷となっているラグルドの眉間の皺に指先を伸ばした。撫で撫でと指で皺を広げる。

「それでも縁があって夫婦になったのです。お互いを見るだけではなく、同じ方向を見て歩いていけるようになれば、と願っております」

ジェシリアの指がラグルドの眉間から離れた。

「おやすみなさいませ。よい夢を」

白い百合の花のようにピンと背筋を真っ直ぐにして寝室から出て行くジェシリアを、今度こそ見送るしかなかったラグルドであった。

パタン。

扉の閉まる音にラグルドの胸がざわつく。

なんとなくラグルドは指で、ジェシリアが触れた眉間にさわった。眉間が熱いような気がする。

ほんの少し心臓も苦しいような気がして、ラグルドは過剰な仕事のし過ぎで体調不良になってしまったのか、と自己を分析して疲労回復の高価な錬金薬を飲んだのだった。

レキシティス公爵家が[冷酷]を選択したように、カイズ伯爵家は[無毒]を貴族社会での生存戦略として選んだのである。[無毒]であっても無力ではない。[無毒]であり続けるためにカイズ伯爵は不屈の精神力と揺るぎない力を代々所有してきたのだった。

ラグルドが沈着冷静を装備するように。

ジェシリアは折れない心を持っていたのである。

ちなみにジェシリアの趣味は(カイズ伯爵家の趣味も)武芸百般なので、家族以外には知られていないが恐ろしく強い。見た目は天使、中身は殲滅の悪魔、と家族から密かに囁かれるほどに限界突破していた。

ラグルドが誤解したおとなしい令嬢というのも、黙っていれば天使に見えるのだからと社交界で壁の花になることを家族が指示したからであった。

もし素直にラグルドが用意した書類にサインしなければジェシリアは実力行使をするつもりだったので、ある意味ラグルドは命拾いをした夜であったのだ。

翌朝。

そよりと夜がほどけて、枯れた押し花のくすんだ色の地平線が徐々に朝の陽光の眩しい蜂蜜色に染まり、星々の瞬きを呑み込んでいく。

白い雲に光が宿る光景は美しく。

増してゆく小鳥の囀りは愉しげで。

色彩豊かな花々も艷やかな緑の葉も朝露でキラキラと飾られていた。

ジェシリアは朝の光に照らされた庭の小道を散歩していた。空気が爽やかで心地よい。

ぱちゃん。

水音にジェシリアが振り返った。

木々の向こうに小さな池があった。

子どもが一人、池の縁にしゃがみ込み水面を覗いている。

レキシティス公爵家の嫡男のルイゼルトであった。

ジェシリアは周囲を見回した。

ルイゼルト付きの側仕えの姿がなかった。ジェシリアは勝手に部屋から抜け出てきたので一人だが、ルイゼルトはまだ3歳。必ず側仕えが危険に備えて離れることがないはずであった。

ルイゼルトが池に身を乗り出す。

グラリ、と小さな身体が傾いた。

飛ぶようにジェシリアが駆けて、とっさにルイゼルトの身体を抱きしめた。素晴らしい俊足であった。

きょとん、とルイゼルトがジェシリアを見上げる。

目があった。

優しくジェシリアが微笑むと、ルイゼルトがおずおずと口を開いた。

「……にゃ」

まだ3歳なのでルイゼルトの滑舌は悪い。

「はい。にゃんですか?」

「にゃにゃちて」

「にゃにゃちて? あ、離して? わかりましたにゃー。ルイゼルト様、私はジェシリアですにゃー。昨日、ご挨拶をしましたにゃー」

他人を見るようにルイゼルトが警戒をしているので、ジェシリアはにゃーにゃー会話でルイゼルトにあわせた。

ゆっくりとジェシリアがルイゼルトをバランスよく立たせる。じっ、とルイゼルトがジェシリアを凝視した。

「あいちゃつ……、きのう」

ハッ、としたようにルイゼルトが顔を閃かせた。

「………………ははちゃ」

「はい。ははちゃですよ、ルイゼルト様。おはようございます。何か池におりましたのでしょうか?」

「おななな」

「お魚がおりましたか、そうですか。そろそろラグルド様が宰相補佐のお仕事で王宮に行かれるお時間です。いっしょに参りましょう?」

「あい」

ジェシリアがルイゼルトを抱き上げた。

びっくりしてルイゼルトが目を丸くする。

「……らっこ……」

「お嫌ですか?」

ぶんぶんとルイゼルトが首を横に振った。

「らっこ、初めて。嬉ち」

初めて、というルイゼルトの言葉にジェシリアは少し顔を歪めた。各貴族家にはそれぞれの教育方法がある。それは否定しない。が、幼児には幼児の成長に欠かせない愛情ある環境も整えるべきではないか、とジェシリアは思った。

まろやかな頬を赤くしてルイゼルトがジェシリアの首に腕を回した。額を子猫のようにグリグリ押しつける。

「らっこ……。ルゥのははちゃ……」

「はい。もう私はルイゼルト様のははちゃです。これからいっぱい抱っこをいたしますよ」

「ルゥのははちゃ」

「はい、ルイゼルト様」

ぎゅ〜、とルイゼルトがジェシリアにしがみつく。

あたたかなルイゼルトの体温がせつない。

昨日、紹介された時にジェシリアはルイゼルトの部屋を訪れた。

立派な部屋であった。

高級な家具。高額な品々。壁には一面に本が並んでいた。

しかし、おもちゃはなかった。絵本すらない部屋だった。

スケジュールも3歳の子どもではあり得ないほど過密で、勉強で埋められていた。

むふ、とジェシリアの目が猫のように三日月になった。

公爵夫人の権限をもらったのだ。

権力は利用してこそ価値がある。

ぜひともルイゼルトのスケジュールを見直そう、とジェシリアは決めたのだった。

カッ、カッ、カッ。

靴を鳴らして玄関ホールにあらわれたラグルドは驚愕で思わず足を止めた。薄い氷が張っているかのように無表情の顔が、冬の湖面のごとく揺れる。

ジェシリアとルイゼルトが待っていたからだ。しかもルイゼルトはジェシリアに抱っこされて嬉しそうに笑っている。

「あ! ラグルド様!」

ててててて、とルイゼルトを抱っこしたままジェシリアが近づく。

「王女殿下に付きまといをされませんように。おまじないです」

んちゅ。

ラグルドの右頬にジェシリアが小鳥のキスをする。ラグルドは微動だにしない。ルイゼルトは目を真ん丸にしている。

「いってらっしゃいませ」

耳元で囁かれ、ラグルドはぶわっと毛が逆立つような感覚に襲われた。ジェシリアの甘い香りがフワリと漂う。

「はい。ルイゼルト様も」

カチーン、と固まっているルイゼルトの両脇を持ってジェシリアがラグルドの左頬にくっつける。んちゅ。

おそらく父子の初めての触れ合いであった。

ものすごくルイゼルトが硬直している。冬の凍った小鳥のようにカチコチであった。キスをするなんて予想もしていなかったのだ。

ラグルドは反応しない。反応できなかった。

人生で初めて頬にキスをされたのである。いつも瞬時に物事を判断するラグルドであったが、これまた人生で初めて意識を5秒間も断絶させてしまっていた。

ギギギ、と右足と右手を同時に出してラグルドが再稼働をした。

冷たい無表情のまま玄関を急いで出て行く。

ジェシリアが手を振っているが無視をした。ジェシリアの甘い香りを吸いたくなくて、馬車に乗るまで呼吸も止めていた。ちょっと酸欠で半分死にそうになった。

ラグルドは胸を押さえた。

心臓がおかしい。

動悸が激しくなって胸が高鳴る。

昨日からの体調不良がまだ続いているのか、とラグルドはもう一本錬金薬を飲むことを決めた。

その日。

ジェシリアはルイゼルトの側仕えを調べて、さぼっていた者の総入れ替えをした。くわえてスケジュールもゆるやかになるように調整する。商人も呼びつけて、おもちゃと絵本を大量に買った。さすが公爵家、お金持ち万歳。

「ルゥのおもちゃ……?」

「ええ、ルイゼルト様。私とたくさん遊びましょうね」

ルイゼルトの瞳が輝く。

「ははちゃと?」

「はい、私とルイゼルト様で。遊んで、お昼寝をして。私、魚釣りも剣も弓も得意なのですよ」

「嬉ち……!」

ぎゅぎゅ〜、とジェシリアにルイゼルトが抱きつく。朝の父親へのほっぺちゅーの衝撃も遠い彼方に吹き飛ぶほど喜ぶルイゼルトであった。

一方ラグルドは原因不明の体調不良が続いた。

特に、ジェシリアを前にすると不可解な気持ちになり体調が悪化した。

ソワソワするような。

キリキリするような。

ドキドキするような。

医師に相談すると生ぬるい目を向けられた。

解せん。こんなにも体調が悪いのに。

ラグルドには自覚がなかったのだ。

領民を守り家を守るために育てられたラグルドは、愛情を知らない。抱きしめられたこともない。ラグルドの語彙目録には、『妻に恋をする』とか『妻が淑女にあるまじき腕力で子どもを高い高いする姿が可愛い』とかのワードは存在しないのである。

語彙目録には『子どもの愛し方』も『妻に告白する方法』も載っていない。

両親と周囲からラグルドに求められたのは完璧な公爵家当主になること、それだけなのだから。

「ジェシリア」

「はい。ラグルド様」

「ルイゼルト」

「あい。とーたま」

呼びかけてみたもののラグルドは言葉を継ぐことができない。何を言えばいいのか、わからないのだ。

だから無難に、

「昨日の夜は冷えたな」と天気の話とか。

「今日は晴れたな」と天気の話とか。

「明日は雨が降るそうだ」と天気の話とか。

そうすると、毎日毎日天気の話をするラグルドに使用人たちまで生ぬるい目を向けるようになってしまったのだった。

解せん。天気の話ならば安心安全なのに。

ジェシリアはジェシリアで、ラグルドの微妙な変化に首を傾げた。

ルイゼルトと庭で遊んでいると、熱烈にラグルドが視線を固定してくるのだ。

「ラグルド様」

「何だ?」

ジェシリアはヘタレなラグルドと違って、きちんと誘うことができるので、

「ごいっしょに影踏みをして遊びませんか?」

と笑顔で言った。

眉間に大峡谷をラグルドが刻む。

「……したことがない」

ラグルドは遊んだことがない。

悲しい時に泣いたこともない。

つらい時に甘えたこともない。

「ルールは簡単ですから。さぁ、ラグルド様」

にこやかにジェシリアがラグルドに手を差し伸べる。

「とーたま」

小さな手をルイゼルトも伸ばす。

「……………………」

遊びに誘われるなんて人生で初めてである。

どんな場面でも瞬時に返答できるラグルドであったが、この場合の最適解がわからない。

返事が思いつかないラグルドは無言でジェシリアとルイゼルトの手に手を重ねた。氷の魔王と呼ばれているのに、ヘタレの極みであった。

「そうそう。王女殿下の様子はいかがですか?」

ぎこちなく動くラグルドにジェシリアが尋ねる。

「会うことがなくなった。おまじないの効果だろう。これからもおまじないを毎朝してくれ」

実は、ラグルドが結婚しても恋心を断ち切らない王女にとうとう立腹した国王が王宮の奥に監禁しているだけなのだが、ラグルドは言わなかった。

「はい。わかりました。明日も気合いを入れましょうね、ルイゼルト様」

「あい、ははちゃ」

おー! と勇ましく拳を上げるジェシリアとルイゼルトが可愛い。

こうして少しずつジェシリアとラグルドとルイゼルトは歩み寄り、ラグルドにとって多くの人生で初めてとともに家族としての日々を積み重ねていった。

もちもち。

もちもちのパンをもちもちのほっぺたのルイゼルトがもちもちと食べている。もちもちのもちもちでもちもちである。

「……子どもとはもちもちなのだな」

と、ラグルドがしみじみと言う。

「うふふ、ルイゼルト様は可愛いでしょう?」

「……………………ああ」

進歩である。半年間で可愛いに返事ができるほどにラグルドはレベルアップしていた。

結婚して半年、今日は家族3人で近くの森にピクニックに来ていた。

小鳥の鳴き声。

フェアリーサークルのような木漏れ日。

大気よりも濃い緑の香りが漂い、散りゆく風が木々の葉を揺らす。

公爵家のピクニックなので即席の豪奢なテントが幾つも設置されて、大勢の使用人がキビキビと働き、多数の護衛が油断なく周囲を警戒していた。

「使用人たちの構成が少し新しくなっているな。よく働いている」

「はい、入れ替えを少しいたしました。公爵家の使用人であることを誇るのは許せても傲って調子に乗る者は不用ですもの」

「領地経営と王宮の仕事が忙しくて屋敷の管理が杜撰になっていた。手数をかけたな、ありがとう」

「家政は私の仕事ですから。これも公爵夫人としての権限を保証してくださったラグルド様のおかげです」

もぐもぐするルイゼルトを膝に乗せたジェシリアが微笑む。

ここでジェシリアに美辞麗句を綴れるほどレベルアップしていないラグルドは、口を噤んで眩しげに目を細めた。

「……わたしがピクニックなんて、夢みたいだ……」

ポツリ、とラグルドが呟く。

「いいえ。楽しい現実ですよ、ラグルド様。カイズ伯爵家のモットーは、生きている間に幸福にならずにいつ幸せになるのか、です」

言葉通り、ジェシリアはルイゼルトのぽっこりしたお腹を両手で撫で撫でして幸せそうに笑う。

「ルゥのははちゃ」

ジェシリアの透明な揺り籠みたいな甘い匂いに包みこまれ、ルイゼルトも幸福そうに笑った。

ラグルドの胸の奥が疼く。

ラグルドは恋を知らない。

自覚をしていないから愛しいと思っていることさえも曖昧だった。

それでも。

ルイゼルトが。

ジェシリアが。

長生きをして。

ずっと笑っていてほしい、とラグルドは思った。

幸福そうに笑って。

もしできることならば、永遠に生きていてほしいと。

5年後。

ジェシリアは、星が爆発するみたいな産声をあげる女の子を出産した。

母子ともに無事な姿に、ラグルドとルイゼルトは号泣して抱きあった。この時ラグルドは、嬉しくても涙は流れることを初めて知ったのだった。