軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12:女神の涙

さあさあと、雨が降り注ぐ。

砂漠の国にとって、雨は天からの恵みそのものだ。

乾いた大地を潤し、枯れかけた命を救う、女神の慈悲。

炎に包まれつつあるウォーベック侯爵邸にとっても、救いの雨であった。

「雨が……」

ウォーベック侯爵ユーインが、剣を振るう手を止め、夜空を見上げる。

頬を打つ雫は不思議なほど冷たさを感じず、むしろどこか温かみさえ覚えた。

燃え上がっていた火勢が、その雨を受けてみるみる弱まっていく。

だが、異変はそれだけではなかった。

先ほどまで激しく斬りかかってきていた襲撃者たちの動きが、目に見えて鈍ったのだ。

「これは――」

ユーインが眉を寄せる。

見れば、襲撃者一行は皆、降りしきる雨を浴びて苦しみ 藻掻(もが) いていた。

「がっ……!」

「ぐ、う……っ」

口を大きく開き、喉を押さえ、地面を掻き 毟(むし) る。

雨粒は容赦なく彼らの目に入り、鼻を塞ぎ、喉へと流れ込む。

まるで水そのものが意思を持って、彼らの呼吸を奪いにきているかのようだった。

気道を塞がれた男たちは、呼吸も出来ず、もはや地面を転げ回ることしかできない。

他の者にとっては、恵みの雨。

だが、侯爵邸に火を放ち、聖女ローレルを傷つけたラドクリフ神聖国の特使一行にとって、それは死を告げる雨だった。

中でもひときわ激しく苦しんでいたのは、特使の代表であるギンズベリー子爵だった。

「あ……がっ……た、助ひぇ……」

もはや言葉にならない。

泥にまみれ、大地を這いずりながら呼吸を求めるその姿は、先ほどまで高圧的に命を下していた男と同一人物とは思えぬほど惨めだった。

「まさしく神罰だな……」

ユーインが低く呟く。

屋敷を襲い、火を放ち、聖女に刃を向けた。

その凶行に対して、人知の及ばぬ力が文字通り天から下ったのだ。

「――貴方!」

侵入者たちが完全に戦闘不能に陥ったのを見て、ソフィアが駆け寄ってきた。

「ローレルは……!?」

「ヘンリーとルークと共に、エルドン公爵家に向かった。あそこでなら、すぐに手当てを受けられるだろうが……」

そこで言葉が途切れる。

手当てを受けたところで、ローレルが深手を負った事実は変わらない。

血を流し、ルークの腕の中でぐったりと崩れ落ちたあの姿が、今も脳裏に焼きついている。

無事でいてくれればいいが――。

ユーインが唇を噛むのを見て、ソフィアはローレルの容態が決して楽観できぬものだと悟った。

「……この雨は、女神様の涙なのね」

ぽつりと零れたソフィアの言葉は、降りしきる雨音に掻き消された。

エルドン公爵家では、深夜にもかかわらず、すぐさま主治医が呼び寄せられた。

処置は迅速かつ適切に行われた。

だが、それでもローレルは目を覚まさない。

公爵邸の一室。

静かな寝台に横たわるローレルの顔は青白く、まるで儚い人形のように見える。

その傍らで、ルークはひたすら祈り続けていた。

「ルーク……」

ヘンリーが声をかけても、ルークはぴくりとも反応しない。

いや、聞こえてはいるのだろう。

それでも、この場を離れる気など欠片もないのだ。

「いいよ。彼の気の済むようにさせてあげて」

そうヘンリーへ声をかけたのは、エルドン公爵家の一人息子、マシューだった。

「すまない」

「ううん……彼女が、話に聞いていた聖女様?」

問いかけに、ヘンリーが静かに頷く。

エルドン公爵家は、ベレスフォード王国でも有数の名門貴族だ。

そしてマシューは、ヘンリーが親友として深く信頼している相手でもあった。

ルークのためにローレルの養子入り先を考える中で、最有力候補として挙がっていたのが、このエルドン家だった。

その話は、既にマシューを通じて公爵夫妻にも伝わっている。

マシュー以外の子に恵まれなかった公爵夫妻に、異論はなかった。

むしろ夫人は「娘ができるのね」と喜んでいたほどだ。

だが、その娘になるかもしれなかった少女は、血に塗れた姿でこの屋敷へ運び込まれてきた。

「……酷い話だね」

マシューが低く呟く。

バタン、と扉が閉まる。

ローレルの傍を離れようとしないルークをそのままに、ヘンリーとマシューは、公爵邸の廊下を歩いた。

「侵入者は?」

「確証はないが、十中八九、神聖国の手の者だろう」

「だろうね……」

マシューが息を吐く。

聖女の恵みは、もはやベレスフォード王国全体へ広がり始めている。

ローレルの存在を知らぬ者たちですら、戻りつつある水と緑に歓喜し、女神への感謝を口にしているのだ。

……その聖女に、刃を向けるなど。

「協力できることがあれば、何でも言ってくれ」

マシューは拳を握った。

「僕だって、未来の妹を傷つけられて、腹が立ってるんだ」

「おいお前、少し気が早すぎるだろう……」

ヘンリーは一瞬だけ怒りを忘れ、呆れたように目を瞬かせた。

だが、悪い気はしない。

ローレルの存在が、この国に受け入れられつつあるということなのだから。

ローレルが倒れてから、二日が過ぎた。

その間ルークは一睡もせず、ほとんど彼女の傍を離れようとしなかった。

守ると誓ったのに、守れなかった。

あの刃を、どうして防げなかったのか。

ローレルが割って入るより早く、自分が気づけなかったのか。

襲撃者たちが憎い。

だがそれ以上に、彼女を傷つけさせた自分が許せなかった。

「ローレル……」

呼びかけても、返事はない。

ローレルの頬はまだ熱を持ち、唇は色を失ったままだ。

ルークの目の下には、濃い隈がくっきりと落ちている。

「頼む……どうか……」

目を覚ましてほしい。

ただそれだけを祈り続けていた。

そっと、震える指先を、ローレルの頬に伸ばす。

ずっと閉じられたままだったローレルの瞼が、ぴくりと震えた。