真実の愛という揮発性物質
作者: マンムート
本文
離宮で開かれた貴族たちがつどう夜会。
「王太子である私フィリップは、バラード侯爵令嬢アーシュラに婚約破棄を宣言する!」
フィリップ王太子は、アーシュラに宣言した。
アーシュラは、王太子の隣に立つプルシアを見た。
名もない弱小男爵家の娘。
彼女は、恋の情熱に輝き、ただでさえ可憐なのに、さらに美しく見えた。
アーシュラは思った。
ああ、無知ゆえだとしても、わたくしには無理だわ。
フィリップは、唇をにたり、とゆがめ、
「アーシュラ! お前の――」
それを遮ったのはプルシアだった。
「アーシュラ様、いえ、バラード侯爵令嬢様……こんなことになってしまって申し訳ありません……何度も忠告をしていただいたのに……」
「いいのです。貴女がわたくしをあしざまに仰っていないことは判っております」
そして心の中で付け加えた。
貴女が、物語に出て来る泥棒猫のような女だったら。
わたくしは、侯爵家の力と、全ての権謀術数を駆使して貴女を破滅させたでしょうに。
プルシアは、大きく息を吸い、会場中に響く声で告げた。
「ここに改めて言わせていただきます。面白がって噂している方々! バラード侯爵令嬢はわたしをいじめてなどおりません!」
フィリップとフィリップの側近達が、顔色を変えた。
アーシュラは知っていた。
彼らが『被害者』と『加害者』を用意していたことを。
愚かな。
被害者にするはずのプルシアがここまで明快に「なかった」と言ったら、冤罪が成立するはずがない。
それに殿下達は判っていない。
プルシアという少女が、そんなことを認めるわけがないということを。
フィリップが気を取り直し、取り繕うように、
「そ、そうだ! これは真実の愛ゆえである! アーシュラには何も落ち度はない!」
本当に真実の愛でも、そうでなかったとしても、彼女らの未来は……
アーシュラは、その思いを胸の奥底に押し込めると、高位貴族の令嬢らしい見事なカーテシーをフィリップ、いやプルシアに対して示した。
「婚約破棄、了解いたしました。おふたりに……本当の真実の愛がございますように」
そして、くるり、と踵を返すと、その場を立ち去った。
背後から喜びの声が追いかけて来る。
「プルシア! これで私達は結婚できる!」
「フィリップ様のお嫁さんになれるなんて嬉しい! 夢みたい!」
アーシュラは足を止めず、ちいさく呟いた。
「さようならプルシア嬢……せめて真実の愛があることを祈っております」
泣きそうになったが、泣かなかった。
三日後。
王家から、フィリップとプルシアの病死が発表され。
フィリップの側近達の姿は、王都から消えた。
人々はますます確信した。
『真実の愛』などないのだと。
※ ※ ※
フィリップの父である国王は、筆頭魔法使いに尋ねた。
「どうだった?」
期待していない声だった。
筆頭魔法使いは恭しく、
「あの場ですぐ採集できたことがよかったようです」
「なんとまことか!?」
「状態も非常によく純度も高かったです。離宮に施設を作っておいた甲斐がありました」
フィリップとプルシアは、あの後即座に殺害されていた。
離宮の一室で待つように言われ。
ふたりきりになり、見つめあい、唇を近づけ、キスしようとした瞬間。
魔術的結界が作動した。
極低温の冷気が結界を満たし。
ふたりは近づきあう姿勢のまま瞬時に凍結。
彫像と化したふたりの唇は一瞬重なり。
ガラスが砕けるのに似た音を立てて砕け散った。
舞い散る破片は金剛石のようにきらめいた。
結界が、鎮魂歌を思わせる音を響かせる中、破片は一斉に揮発し七色の雲となり。
天井の穴から吸い込まれていった。
真実の愛。
それはうつろいやすく。
疑念や利己心ですぐ劣化し消滅してしまう。
それゆえ作られた施設だった。
「ふたりから採集できたとなれば、その量も――」
筆頭魔法使いは小さく首を振った。
「女の方からだけでした」
「そうか……息子からは取れなかったか……」
国王は、溜息をついた。
「若い男にありがちな性欲と愛の混同にすぎなかったか……よくあることだな」
「だと思われます」
「あの娘……単なる泥棒猫だと思っていたのだがな……まこと純情な娘であったとは……」
「遺族はどうされます?」
王は顔色も変えずに告げた。
「族滅だ」
「では、そのように」
極低温を維持する装置がついたフラスコが運ばれて来た。
周囲には白い冷気が漂っている。
そのフラスコの中に、キラキラと七色に光る気体が揺らめく。
「これが真実の愛か……きれいなものだな」
「触ってはなりませんぞ」
「ああ、わかっている……だが、ひどく心惹かれるものだな」
「どんな宝石より貴重な、真実の愛ですから」
そう会話しつつも、国王も筆頭魔法使いも七色のきらめきから目が離せない。
「この極低温のフラスコから出せば一瞬で揮発するのだったな……まことにうつろいやすきものだ」
脇に控えていた筆頭神官が、
「これで王国は当分安泰です。王都及び国王直轄地を防護する結界を30年間維持してなお余りある分量ですから」
「今の残量は?」
「あと3年分でした」
「余りあると申したが、侯爵家への賠償として何年分回せる?」
「侯爵領の結界を15年は維持できる分量が」
「ではそれを賠償の代わりとしよう……だが、こうして見ても未だに信じられん……ほんとうに真実の愛はあるのだな」
「ええ、10年間に1度か20年に1度しか現れませんが……」
王は改めてフラスコを見た。
フラスコの中で、真実の愛は虹色に輝いてゆらめいている。
「この国は真実の愛ゆえに、保っているというわけか……」