軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

10.

この世界は、前世で何度も読み返した〈恋する月の花〉の世界だ。

エンディングのヒロインは、新国王の誕生を祝う舞踏会で、婚約者の色のドレスをまとい、見惚れるほどの美しさで貴族達を魅了していた。

今日まさにその日がやってきた。

マーサはヒロインではないが、今日の舞踏会ではアシュリーの色―――夜空を思わせる紺色の生地に、銀糸の刺繍が入った華やかなドレスをまとって、そこそこの美しさを見せている。

新国王として玉座に座るアシュリーの隣で、次期王妃として座っていた。

前国王夫妻と第一王子と第二王子がどうなったのかは、〈恋する月の花〉には書かれていなかった。

アシュリーは国王に就いた経緯を不自然なくらいに話そうとしないので、マーサは(前世で気にならなかったのだから、今世でも気にしないでおこう)と考えている。

マーサは近くこの国の王妃となるだろう。

(私が王妃なんて……)と最初は荷が重く感じていたが、実際王妃教育が始まると、それほど難しいものではない事に気がついた。

淑女の中の淑女であるマーサにとって、マナーはもちろん、付けるべき知識もすでに身に付いている。

この世界の全ての知識が愛おしかったから、さらに専門的な事を学んでいても、学ぶ事は苦にならなかった。

むしろ面白い。

イークチィ家はしがない伯爵家ではあるが、マーサの商会で高位貴族と取引するうちに、マーサはこの国の要人には一目置かれていったし、隣国のエドモン王とまで関係は良好だ。

アシュリーの隣でただ淑女の笑みを浮かべていただけのマーサだったが、勝手に政治的な勢力がついていた。

〈希少な月の花を発見した上に、売上のほとんどを寄付する女神のような女性。

さらに驚くことに、劇場火災で「勇敢な女神」と噂された女性の正体は、イークチィ伯爵令嬢のマーサだった〉

マーサに取って、キレイな部分だけが切り取られた事実が、国民の心を感動で震えさせた。

マーサ自身は自分を善人だと思えないが、いまやマーサは「月の花の女神」と呼び名を変えて崇められている存在だ。

「誤解の力ね……」

「誤解の力?」

新王アシュリーの隣で、次期王妃として佇むマーサが呟くと、アシュリーに不思議そうに聞き返された。

会場では「月の花の女神様だわ」「素敵な人……」と貴族達がマーサに、羨望の眼差しを向けている。

マーサは淑女の微笑みを崩す事なく、アシュリーに答えた。

「前にもお話ししましたけど、私は勇敢な人ではないのですよ。あの火災で救助に入ったのは、本当にあの時だけの勇気なんです。………勇気とも言えないかも。上手く説明できないけど、罪悪感みたいなものだったんです。

多額の寄付も、過剰分だと思うお金を流しているだけだし、元々ボランティアに力を入れていたのも、慈愛心が強いからじゃないんですよ。他者への慈愛心というより、自分への自愛心からなんです。

でも良いイメージがつくと、こんな嫌がらせをしても誰も気が付かないのですよ」

あまり良い人だと思われると、些細な事で良い人のイメージは暴落してしまうものだ。

ある日「そんな人だと思いませんでした」とアシュリーに失望されてしまわないよう、マーサは好感度を適度に落とすようにしている。

「ちゃんと見ててくださいね」と断りを入れたマーサは、少し離れた場所で、騎士団長として立つダリルに視線を向けて、小さく手を振った。

マーサの方に顔を向けていたダリルが、頭を下げる。

貴族達の目がダリルに走る。

「今、マーサ様が手を振られたのは、ダリル様だ」

「ダリル様は月の花の女神様をずっと側でお守りしていたらしい」

「彼こそが騎士団長に相応しい人だ」と、称賛の声が広がっていく。

ダリルの近くにいるグレンダとその取り巻き達が、気づいてほしそうにマーサを見ていたが、気づかないフリをして、エバンス侯爵夫妻を見つけて小さく手を振った。

貴族達の目がエバンス侯爵夫妻に走る。

「今、エバンス侯爵夫妻に向かって親しげに手を振られたぞ」

「エバンス侯爵様が、あのマーサ商会の立ち上げに、全面的に協力したそうだ」

「マーサ様はそのおかげで、多くの寄付が出来るようになったらしい。なんて素晴らしいご夫妻だ」と、貴族達がエバンス侯爵夫妻を褒め称える。

エバンス侯爵夫妻の近くには、カシアンとフィオーレが気づいてほしそうにマーサを見ていた。

マーサは視線を合わせないように気をつけながら、カシアンの事を考える。

カシアンは結局、副団長にはなれなかった。

〈恋する月の花〉でカシアンが副団長になれたのは、やはりフィオーレを通じてのコネ昇進だったらしい。

この世界では、副団長という地位も莫大な財産も、マーサが強奪してしまった事になるが―――だけどしょうがない。

これからのこの世界は実力主義に変わるのだ。

マーサの方が強かったという事だろう。

大丈夫。カシアンには美貌もあるし、美しい婚約者のフィオーレもいる。

なんとかなるだろう。

マーサはカシアンとフィオーレに気づかないフリをして両親を探す。

見つけた両親に小さく手を振ると、貴族達の目が両親に走った。

「イークチィ伯爵夫妻だ。マーサ様のご両親だぞ」

「イークチィ伯爵夫妻はなんと立派な教育をされたのだろう」

「ご両親であるイークチィ伯爵夫妻も、きっと素晴らしい人徳者に違いない」と両親を持ち上げた。

マーサは自分の影響力を分かった上で、慈愛の微笑みを浮かべながら、アシュリーの前でわざと贔屓をしてみせた。

もうすぐ夫になろうとしている人に、「見てくれましたか?」と声をかけると、微笑んで頷いてくれた。

涼しげな顔をしたアシュリーは、マーサだけに優しい顔を見せてくれる、とても素敵な人だ。

もうすぐ妻になろうとしている人が、アシュリーに嫌がらせを見せつけていた。

マーサ曰く、「アシュリー様に失望されないように、適度に幻滅してもらおうと思うんです」という事らしい。

彼女は嫌がらせをする時は必ず、「見ててくださいね」と断りを入れてから嫌がらせを始める。

大した嫌がらせでもないし、そんな事で幻滅するはずもないが、彼女が楽しそうならそれでいい。

マーサの話す「嫌がらせ」は、力ずくで騎士団長の座を勝ち取ったダリルの評価を上げて、悪徳商法で有名な、ピエトラ商会長のエバンス侯爵の悪評を退けるものだ。

マーサが妃となる事で、アシュリーの謀反も「女神の導きだ」と美徳に変えられている。

アシュリーは隣に座る、アシュリーの色をまとった美しい婚約者を見つめる。今日の彼女は、会場中の貴族を魅了していた。

今日のドレスはアシュリーが贈ったものだが、デザインはマーサがデザイナーと決めた物だ。

マーサが身につける物は、今の貴族界の流行を作る。それを分かった上でマーサが選んだのは、胸元を強調するデザインだった。

マーササイズのドレスを指して、「このくらい生地を詰めた」と言われたのが余程悔しかったのだろう。「このくらい」が、どの部分かを強調させるデザインを流行らせるようだった。

マーサが選んだデザインは、上品ながらも豊かなバストの持ち主でなければ着こなせないデザインだ。

桃色の髪をした、細いだけの女には着こなす事はできないだろう。

本当に彼女は愛おしい人だ。

初めての感情に、この想いが彼女を愛する気持ちだとなかなか自覚できないでいた。

だけど初めて会ったその日に、イークチィ伯爵家に届く求婚状を止めさせたのは、会ったその日すでに恋に落ちていたからだろうか。

アシュリーは、庶子に不公平な世の中を作った神など信じてはいないが、マーサとの出会いには強く運命を感じさせられている。

マーサはアシュリーの運命を変えてくれた人だ。マーサがいてくれたから、玉座に座る今のアシュリーがいる。

マーサを見つめるダリルの視線に熱がこもっていた。

護衛として共に側にいたダリルも、マーサに惹かれていたのだろう。

ダリルが今騎士団長でいるのも、マーサが変えた未来なのだ。

アシュリーの治世は実力主義に変えるつもりだ。

ダリルまでを出し抜いて、実力で勝ち得たマーサという幸運をアシュリーは手放すつもりはない。

アシュリーはマーサの手を取り、皆の前で口付ける。

会場中の貴族を魅了するマーサが、誰のものであるかを今日は見せつけておくべきだろう。