軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 偶然のヒーローと、お気楽な不貞の始まり

スティーブの冷徹な一喝によって応接室の空気が凍りつく少し前、カサンドラは自らの脳裏で、ある男との甘い出会いを思い出していた。

第一騎士団の若き花形騎士で、ロイデン伯爵家次男のダリル。

彼との関係が始まったのは、ほんの数ヶ月前の、よく晴れた午後のことだった。

その日、カサンドラは市井の高級ブティックを訪れた帰り、不運にも少々ガラの悪い平民の男たちに絡まれていた。御者が目を離した一瞬の隙を突かれたのだ。高貴な身分をチラつかせて虚勢を張っても、路地裏に近いその場所では効果が薄く、カサンドラが恐怖で顔をこわばらせたその時、一人の騎士が颯爽と割って入った。

「そこまでにしてもらおうか。麗しい令嬢が怯えている。これ以上無作法を働くなら、第一騎士団の名において容赦はしない」

見事な体捌きで男たちを蹴散らし、カサンドラの手を取ったのがダリルだった。

仕立ての良い騎士服を完璧に着こなし、爽やかな笑みを浮かべる彼は、まさに物語から飛び出してきた「王子様」そのものだった。

「お怪我はありませんでしたか、ご令嬢」

「え、ええ……ありがとうございます」

二人は、もともと学園の同学年だった。

とはいえ、ダリルは騎士科、カサンドラは名門貴族の淑女科だ。学園時代は接点などなく、ただ大講堂や式典の折に「顔を見たことがある程度」の認識しかなかった。

だからこそ、市井での劇的な再会は、カサンドラの乾いた心を刺激するのに十分すぎた。

その日のうちに、二人は近くの格式高いカフェへと場所を移した。

会話を重ねる中で、お互いに「結婚を約束した相手」がいることはすぐに分かった。しかし、それが誰なのか、具体的な名前までは最初は明かさなかった。ただ、互いのパートナーに対する不満を、都合の良い言い訳として吐き出すだけの関係。それが心地よかったのだ。

「俺の婚約者は、本当に生真面目でね。いつも俺のために部屋を掃除して、作り置きの飯を用意してくれるような、良い子なんだけど……いかんせん地味で、面白みがないんだ。たまにはこうして、君のように華やかで美しい令嬢と、大人の会話を楽しみたいと思ってしまうよ」

ダリルは、カサンドラの荒れ一つない白い手をそっと包み込み、耳元で甘い言葉を囁いた。悪気など微塵もない。彼にとってこれは、日々厳しい訓練をこなす自分への「ちょっとしたご褒美」であり、男としての甲斐性を確かめるゲームのようなものだった。

対するカサンドラも、その言葉に深く満足して目を細めた。

「私の婚約者も同じよ。王太子の側近だか何だか知らないけれど、いつ会っても冷たい鉄のような顔をして、私を値踏みするばかり。愛の言葉一つ囁いてくれない、本当につまらない男。ダリル様、あなたのように強くて優しい騎士が私の本当のパートナーだったら、どんなに幸せだったかしら」

お互いに別の婚約者がいる。

だからこそ、責任を負う必要がない。

二人が交わすのは、中身のない「言葉だけの愛」だ。「愛している」「君が一番美しい」と囁き合いながら、ダリルはカサンドラの財力と美貌に甘え、カサンドラはダリルの甘いマスクと騎士としての力強さに溺れた。

お互いが割り切った、気軽な恋愛ごっこ。

その不貞が決定的な歪みを見せたのは、出会いから数週間が経ち、互いの婚約者の名前を明かし合った時だった。

「へえ、君の婚約者はオレオ侯爵家のスティーブ様なのか。それはまた優秀な男だな」

「ええ。でもあんな男、ちっとも魅力的じゃないわ。……ところで、あなたの婚約者はどんな女なの?」

「俺の? ああ、メリッサっていうんだ。今はオレオ侯爵家で侍女をしていてね……」

その名前が出た瞬間、カサンドラの顔は見事に歪んだ。

学園時代、どんなに努力しても勝てなかった、あの忌々しいメリッサ・メーデン。

(まさか、あの女がダリルの婚約者……!?)

驚愕の後は、どす黒い歓喜がカサンドラの胸を満たした。

優秀だったはずのメリッサは、今や自分の婚約者の家で働くしがない侍女。その上、メリッサがボロボロになって尽くしている自慢の婚約者は、今、目の前で自分の手の中に転がっているのだ。

「そう……メリッサ、ね。本当に可哀想な女」

カサンドラは邪悪な笑みを浮かべ、ダリルの胸元に寄り添った。

ダリルはカサンドラの真意など何も気づかず、「やっぱり俺のメリッサは地味だから、彼女も同情しているんだな」などとお気楽な勘違いをしていた。

こうして、二人の不貞は加速していった。

ダリルはメリッサから引き出した金をカサンドラとのデートに注ぎ込み、カサンドラはそれを受け取って優越感に浸る。すべてが自分たちの思い通りに動いていると、この時は信じて疑っていなかったのだ。

――そんな甘美な回想から、カサンドラを引き戻したのは、目の前に立つメリッサの、恐ろしいほどに冷徹で美しい微笑みだった。

「私には、もう関係のないことですわ」

きっぱりと言い放たれたその言葉の重みに、カサンドラが逆上しかけたその瞬間、応接室の扉が開き、地獄の底のような冷気と共に、スティーブが姿を現したのだった。