作品タイトル不明
05.厄介な客人
リチャードは目の前の扉を開いてすぐ閉めた。
「──なんで居るんだ」
ギルベルトに泣き付かれ、最初から険しい顔つきだったリチャードは、ますます眉間に皺を寄せた。
不愉快さを隠そうともせず、呼び出したギルベルトを八つ当たりのように睨んでいる。
「気が付いたら居たのです。他の貴族にバレるのを避けるためにとりあえずここに案内しましたが、書簡を届けに来たと仰いました。早く中に入って下さい」
「嫌だ。お前が行け」
リチャードはギルベルトの背中に手を回し、前に押し出す。
入れさせたい者と入りたくない者の攻防戦が続く中、ギルベルトは小声で訴えた。
「そんなこと言わずにお願いします。陛下は会議中ですし、この案件はリチャード殿下、元々は貴方が責任者でしょう?!」
ギルベルトは身をねじって逃げようとする。
「知らない。もう終わった。私の出る幕はないからと父上に押し付けたのを忘れたのか?」
負けじとリチャードは右手でドアノブを取り、左手でギルベルトの体を扉に近づける。
「嫌です。私だってあの方嫌なんです。何考えてるか分からないし、人を殺しながら笑ってるのを見ると自分まで殺されそうで…………へぶっ」
急にあちらから開け放たれた扉。躱せなかったギルベルトは強かに顔面を強打した。
「申し訳ございませんギルベルト様。まさかこんなに近くにいるとは思いもよりませんでした」
涼やかな声とともにぺこりと頭を下げた女──ルヴァは無表情のまま扉を開けて固定する。
「──あら、入ってこないから何かあったのかと思ったのだけど。ぶつけたの? 大丈夫?」
すっとハンカチを差し出したのはジェニファー王女本人で。今の話を聞かれていたのかとギルベルトは表情を取り繕うことも忘れ、口をはくはくと動かす。
「こんにちはジェニファー王女、単刀直入に言わせていただきます」
リチャードは外面向きの笑みを顔にのせ、次の瞬間には眉を寄せながら廊下を指さした。
「──ルルクレッツェに帰れ、今すぐ」
「え、嫌だわ」
即答だった。
「ほら、書簡を持ってきたの。欲しくないの?」
「書簡を人質にとるな」
ピラピラと揺らすのを奪えば、ジェニファーは不服そうに唇を尖らす。
「何よ。この私が直々に届けに来たというのにその態度は……毒を盛られたいの?」
ジェニファーの細い手がリチャードの顎をなぞる。
「ひえっ! どうかそれだけはご勘弁を。仮にも我が主は王太子なのです。殺さないでください!」
そう言って無理やり二人の間にギルベルトは身をねじ込んだ。
ジェニファーだったら本気で毒を盛りかねないと思ったのだろう。小刻みに震えている。
リチャードは珍しく自分を守ろうとするギルベルトをしげしげと眺め、漠然と子鹿のようだなと感想を抱いた。
「じゃあ、貴方が主の代わりに盛られる? 死にはしないわ」
「…………死なないなら殿下にどうぞ」
「おい」
リチャードを守ろうとしているのは評価対象だったのに、手のひらを返すのが早すぎる。軽く頭を叩けば涙目にながら後ろの方に退いていった。
「まあ、おふざけはこれくらいにして。ルルクレッツェの使節団が来た表向きの理由は、貴方の婚約の祝福なのは知っているでしょう?」
まるで自室であるかのようにソファに座り直したジェニファーは、リチャードに対して正面に腰を下ろすよう促す。
「だからって何で王女が使節団にいる。祝言は書面上でいい」
予定ではルルクレッツェ側の要人──外交官がスタンレーを訪れる予定であった。彼女も要人と言えば要人だが、地位が違う。本来ならば来ないはずなのだ。
「そりゃあ楽しそ────」
「ジェニファー王女はこういうお方です。王太子殿下、どうかご容赦くださいませ」
被せるようにルヴァがジェニファーの代わりに頭を下げる。
「仕方ない。とりあえず王女はここから出ないで」
使節団の中に王女がいると他の貴族に知られたら、色々めんどくさくなる。彼女が大人しくしてくれているとは思えないが、一応釘を刺す。
「いいわ」
(嫌な予感がする)
こうすんなり承諾するような性格では無いはずだ。裏がある気がしてリチャードは警戒を強めた。
「ふふ、私、ここに案内される途中で聞いたの」
面白可笑しそうに、爛々と瞳を輝かせながら、ジェニファーは続ける。
「エレーナ様、来るのでしょう? 彼女にお会いしたいわ」
(よりにもよってそこか)
彼女が言った通り、今日はエレーナが王宮に来る予定であった。だからリチャードもここに来るまでは機嫌が良かった。
今すぐ廊下で婚約者の話をしていた人物を理不尽だが懲らしめたい。
「貴女のような危険人物に会わせたくないと言ったら?」
他国の王族を貶すのもどうかと思うが、こんな予測不能で危険な王女に自分の大切な婚約者を会わせたいと思うだろうか?
考える間もなく、答えは否だ。
「変なことはしないわよ。嫌われるのは嫌だし」
「信用ならない」
「……流石に外交問題は起こさないわ」
どの口が言うのだろう。ルルクレッツェでは自由に動けないからと、くだんの件でスタンレーを巻き込んだくせに。
(だが、レーナもジェニファー王女に会いたがっていたな)
そうは言ってもエレーナだけでジェニファーに会って欲しくない。しかし、今日はリチャードが付いていられない。
(使節団が来たとなるとそちらの対応をしなければ)
婚約をしたのはリチャードであって父である国王ではない。他国からの祝福に対して自分がきちんと対応しなければ周りから小言を言われてしまう。
別に自分に向けられるだけなら無視すればいいのだけれど、そういうものは婚約者であるエレーナに向くのが貴族達のやり方。
だからリチャードは使節団を優先しなければならなかった。
「くれぐれも変な真似はするなよ」
「はいはい」
生返事だが大丈夫だろうか。いささか不安が残りつつもリチャードは席を立つ。
「ギルベルト、レーナが来たらここに案内して傍に付いていて」
「わかりました」
◇◇◇
「──説明してくれるな」
ジェニファーを睨めつけるリチャードの腰には、エレーナがぎゅうっと抱きついていた。瞳は蕩け、頬は紅薔薇色に染め上がり、焦点はあまり定まっていない。
「リーさま? わたしを見てください」
むうっとした婚約者は不満そうにリチャードを見上げる。
「レーナのことだけを眺めていたいのは山々なのだけどね。私はちょっとジェニファー王女と話をつけなければいけないんだ」
即座に声色を切り替えて、婚約者の頭を撫でればえへへと笑った後に大人しくなった。どうやら眠ってしまったらしく、今度はリチャードにしがみついたまますぅすぅ寝息を立てている。
「もう一度聞こう、説明してくれるな」
リチャードはジェニファーに問う。
先程迎えに戻った時、扉を開けると一目散に駆け寄ってきたエレーナ。彼女はふにゃりと笑いかけながら頬を擦り寄せて来たのだ。
呆気に取られたリチャードは柄にもなくエレーナに抱きしめられたままになってしまった。
『リーさま~! だーいすきっ! ですっ!』
恥じらいもなくまるで朝の挨拶をするように。状況が理解できないリチャードは問い返してしまう。
『──何だって?』
『だから~~すきですよ。とっても!』
高鳴る鼓動と裏腹にため息をついた。
(また酒か)
こんなストレートにリチャードに抱きついたり甘えたりするのは、彼女が十歳に満たない年齢の頃が大半で。この年になってこうしてくるのは、酒を摂取した場合だけなのだ。
『レーナ、ジェニファー王女に何をされたのかな』
『何もされてません~~お話していただけです』
(…………ダメか)
本人から直接、事の仔細を聞くのは諦め、少しふらついているエレーナを支えながらソファに腰を下ろす。
それからリチャードはジェニファーを睨めつけたのだった。
「──酒を飲ませたのか」
「いいえ」
「では酒入り菓子を勧めたのか」
「…………いいえ」
「その間は何だ。本当のことを言え」
「そんな強いお酒が入った物じゃないわ。毒入りでは無いし、エレーナ様に食べさせてはいけないなんて言われてない」
ジェニファーがリチャードの前に置いたのはチョコレートだった。一粒つまんで口の中に放り込んだ。
(どこが強くないだって?)
含んだ途端芳醇な香りに包まれる。
濃厚で甘ったるい。爽やかなハーブティーを飲みたくなるような味だった。
元々そこまで甘党ではないリチャードには甘すぎる。舌が溶けてしまいそうで、苦味を求めてテーブルに置かれていた珈琲を飲み干した。
(これは酒に弱い者が食べたら一発で酔う。レーナだったら尚更)
そもそもギルベルトが付いているはずだった。彼は何故止めなかったのだろうか。
「ギルベルト」
怒りの矛先が自分に向いたことに気がついたギルベルトは、一瞬その場で跳ねた。
「す、すみません! 他の者に呼ばれまして……ちょっと目を離し……あの、えっと」
目を逸らしながらしどろもどろになる。
「…………弁明のしようがありません」
項垂れる。
「まあいい、口を開けろ」
「はっはい」
リチャードは開いた口にチョコレートを突っ込んだ。
「うわ、これ強い。エレーナには無理ですね。エリナも……多分ダメです」
食べ終わったギルベルトは眉をひそめる。どうやらリチャードの舌の感覚は合っていたようだ。
「いきなりこんな強い酒入りチョコレートを食べさせるのがルルクレッツェの礼儀なのか?」
普通に考えてもおかしい。
「強い……かしら? 私達の国ではお酒に弱い者も食べるわ」
「そうよねルヴァ」とジェニファーは尋ね、ルヴァは頷いた。
「ルルクレッツェは造酒が盛んですから。成人した皆様は飲み慣れていて、スタンレーの方とはお酒の耐性度が違うからかと」
説明する間にジェニファーはふたつみっつ手に取って口に運ぶ。
「あまりお酒の味はしないけれど……エレーナ様の身体には毒みたいなものなのね」
しょんぼりと気落ちしているジェニファーは物珍しい。
「できればジェニファー王女を強く責めないでください。主は本当にエレーナ様と親しくなりたくて、害するつもりは全くなかったのです」
無言になってしまったジェニファーの代わりにルヴァが弁明する。
「…………レーナの体質を知らないジェニファー王女が先に察知できるはずもないか」
それにしても度数が高いとは思うが。反省しているのに加えて仮にもルルクレッツェの次期女王。強く咎めることは出来ない。
リチャードはそれ以上何も言えなかったので、急遽用意した賓客用の客室にジェニファーを案内する。そしてソファで眠っているエレーナの名を呼んだ。
「レーナ」
「んっリーさま……?」
濡れた金の瞳がゆるりと開く。
「外に迎えの馬車を待たせている。私が馬車まで送るから公爵邸に帰ろうか」
「…………はい」
エレーナの身体を支えながらリチャードは馬車まで彼女を送る。
「またね。おやすみ」
扉を閉めようとした次の瞬間グイッと裾を引っ張られる。
「行っちゃヤです。ルイス邸までおくってください」
ぽんぽん座面を叩き、何を思ったのか一生懸命リチャードを乗せようと頑張っている。
しばしの間逡巡して、馬車に乗ればぱっとエレーナの顔が明るくなった。
「着いたよ。おいで」
「んー」
まぶたを擦りながらエレーナはリチャードの手を借りて馬車から降りた。するとエントランスで待っていたのか、エレーナ付きの侍女が駆け寄ってくる。
「──リリアン、後は頼むよ」
「承りました。まあ、お嬢様酔ってますね」
「ちょっとね、こちら側の不手際で酒入りのチョコレートを食べてしまったんだ」
繋いだ手をリリアンに渡す。
「お嬢様、私が分かりますか?」
「りりあん~」
赤ん坊が母親に縋り付くようにぎゅっと抱きつく。
「りりあんも大好き!」
「それはとても嬉しいですが、酔いすぎでは……?」
「わたしは酔ってないわ~~」
くるんくるん楽しそうにその場で回る。ふわっと風にのったスカートが柔らかくはためく。
「はいはい、聞くだけ無駄でした。酔い醒ましの薬をご用意しますから、お部屋に戻りましょうね」
「──まって」
エレーナの足が止まる。
「リーさま、今日も約束破りましたねっ」
ビシッとリチャードを指差す。
「…………今言うの?」
(追及を逃れられると思ったんだけど)
使節団の対応に少々手こずり、本当ならティータイムを一緒に過ごす約束を破ってしまったのだ。ただ、エレーナは酔っているので何も言われないだろうと高を括っていた。
「ジェニファー王女とお話するのも楽しいですが」
頬をふくらませる。
「わたしはリーさまに会いに行ったのです! 約束破りは二回連続ですよ! それに久しぶりにお会いできるから粧し込んだのに、なーにも反応ありませんし」
ぷいっとそっぽを向いてエレーナは腕を組んだ。近づけばリリアンの背に隠れてしまう。
「…………どうしたら機嫌を直してくれるかな」
(というか、拗ねるほどのことだったんだ)
酔っているとはいえ、普段なら言わない些細なこともエレーナはリチャードにぶつけていた。
申し訳なさよりも、珍しくて愛おしさを覚える。
「じゃあ、明日会いに来てください。それで許します」
「お、お嬢様!? リチャード殿下はお忙しいのですよ。そんな急には」
リリアンが慌てて止めに入る。
「え、だめ?」
「ダメに決まってます! すみませんリチャード殿下、真に受けなくて大丈夫です」
「いや、別に……」
(こじ開けようと思ったんだが)
リチャードの中でエレーナのお願い事は優先度が高い。今も普通に叶えるつもりだった。
「──わかった。明日の朝、会議の前に会いに来るよ」
「わっ! 約束破らないでくださいね」
「レーナこそ前言撤回しないでね」
「しません~~ふふっ」
浮かれているエレーナの隣でリリアンが心配そうにしている。
(さて、どうなるかな)
王宮に戻ったリチャードは、花が好きなエレーナに折角だから花束をあげようと、今日一日の罰としてギルベルトに用意させたのだった。
◇◇◇
翌朝、ルイス邸に横付けた馬車から約束通りリチャードが降りてきた。
目の前には真っ青になっているエレーナが居た。
「リー様すみませんすみませんすみませんっ! ああ、お忙しいのに昨日の私の妄言……ぜんっぜん無視してもらって構いませんでした、というか無視して欲しかっ────んん」
平身低頭のエレーナの謝罪は途中で途切れる。なぜなら花束で一部の使用人達の視界を遮ったリチャードが、エレーナに口づけしたからだ。
「──ご要望にお答えしたよ。婚約者殿」
「っ!」
薔薇の匂いが鼻腔をくすぐり、耳元に囁かれたエレーナは熟れた林檎のように頬を赤く染めた。
彼女は使用人達が見ている前で行われたことを恥じているらしい。
わなわな震えて彼らにこう尋ねる。
「見たっ?!」
「──見てません」
花束で遮られた方と反対側。バッチリ目撃していたが、訓練された使用人達は見なかったことにした。
「リリアンから朝、聞かされましたが……わたし、ここまで願いました?」
花束に顔を埋めながらエレーナは問う。
(そうだとしたら何て破廉恥な!!!)
幻滅しただろうかとエレーナはちらちらリチャードの様子を窺う。
「うん」
サラリと嘘をつく。彼女が昨日、リチャードにお願いしたのは会いに行くことだけだ。口づけは入ってない。
リリアンも聞いてないので知らない。そして彼女から教えてもらっているはずのないエレーナは、まんまと騙されてしまう。
「…………そんな、私……」
恥ずかしすぎて気絶してしまいそうだった。婚約を結んでから何度かそういうことはあったが、自分から望んだことなど無かったのに。
「というのは嘘だよ。私がレーナにしたかったからした」
エレーナの精神が持たなそうなのを察し、事実を明かした。
すると彼女は少しの間固まってしまって。硬直から抜け出すと、涙目になりながらリチャードを全く力の入ってない拳でポカポカ叩く。
「騙したのですかっ」
「騙したね。おかげでいい顔を見れたし、ちょっと時間が迫っているから帰るよ」
声を上げて笑いながら、リチャードは逃げるように馬車の方に向かう。花束をリリアンに渡したエレーナはそんなリチャードに言う。
「…………あの、酔った挙句に迷惑をおかけしまして申し訳なかったのですが、それと同じくらい朝から会えてうれしい……です。たとえ騙されても」
その言葉にリチャードもふっと表情を崩した。
「私も会議前に会えて嬉しかった。これで頑張れそうだ」
エレーナの横髪をとって耳にかける。彼女はくすぐったそうに肩をすくませた。
「……会議があるので?」
「ああ、ルルクレッツェからの使節団と合同の」
端的に言えばあの事件の後処理である。国王である父がリチャードに押し付け、代わりに出ることになったのだった。
(それは大変だわ……あ!)
エレーナはいそいそとポケットを探り、リチャードの掌に数個の飴玉を落とす。
「これは?」
「昨日、差し入れに持っていったのですが渡しそびれてしまった物です」
そう言って、侍女から受け取った色とりどりの飴玉が詰まった瓶も渡す。
「いつも休憩無しで執務を行っているとギルベルトから聞きました」
心做しか怒っているように見える。
「お茶を淹れてお菓子を食す時間が取れなくても、飴玉を舐めるくらいの間は休んでください。無理をすれば倒れてしまいます」
(全然倒れるつもりないけど)
こんなことで体調を崩していたら執務が滞ってしまうし、休みを入れるのもしかりだ。
だが、エレーナが心配するようなら大人しく従った方がいいだろう。
「分かったよ。きちんと休憩はとるようにする」
頷けばエレーナは満足気ににっこり笑い、リチャードを見送ってくれたのだった。