軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

02.熱の中で

(あつい……)

エレーナはぱっちりと目を覚ました。正確に言えば、微睡みの中にいたもののずっと起きていた。

夕方くらいから違和感があったが、酷く体が熱くて寝られないのだ。

「あっ」

喉が渇き、寝台の隣に置いてある水差しに手を伸ばすと誤って床に落としてしまった。

大きな音が静まり返った邸に響き渡る。

叱られると思ったエレーナは、はっきりと働かない頭で言い訳を考えるが、誰も部屋に来そうになかった。

(あついよぉ。おかあさま……りりあん……)

起き上がろうにもよろめき、寝台に身が沈む。

(誰か……よばなきゃ)

呼び鈴を探すが運が悪いことに目の見える所に置かれていない。

「どうしよ……」

この間にも落としてしまった水差しからは水が流れて床を濡らしているし、熱さはなくなりそうにもなかった。

「うぅぅ」

幼いエレーナは体の不調から不安で怖くて涙が出てくる。

「おかあさまぁ、おとうさまぁ」

涙は嗚咽に変わり、エレーナは気力を振り絞ってフラフラな体で部屋の外に出る。

今にも倒れてしまいそうなほどおぼつかない足取りで、真夜中の明かりもほとんどない廊下を歩み、両親が寝ている部屋に向かう。

ようやくたどり着いた時には体力が尽きる寸前で、自分の体重をかけて寝室の扉を開けた。

「……だれ? こんな夜中に」

扉の開いた音にヴィオレッタが目を覚ました。瞼を擦りながら上半身を起こす。

「デューク、まだ朝にもなってないわ」

執事だと勘違いしたヴィオレッタはそれだけ言ってまた夢の世界に入ろうとしたのだが──

「ちがうもん、デュークじゃないもん」

舌っ足らずな声にヴィオレッタはピタリと止まった。上にかけていたシーツを剥いで体を起こす。

「ふらふらするし、とっても熱いの。燃えちゃいそうなくらいに」

エレーナは自分の母を目に捉えて安堵したのか、びぇぇっといつもより大きな声で泣き出し、体力が尽きてその場で崩れ落ちた。

「レーナちゃんっ?! どうしたの? 大丈夫?」

崩れ落ちた愛娘を見て心臓が冷えたヴィオレッタはすぐに駆け寄り、抱え込む。そして娘の額に手を当てた。

(熱いわ。なんて熱いの)

「あ、あなた! あなた!!! 起きてくださいまし!」

「ん~ヴィオ、まだ夜中だ。ほら、空に星が鏤められているよ」

寝ぼけ眼で窓の外を指さす夫の体をヴィオレッタは揺する。

「一大事なのですよ! 起きて下さらないと一生怨みます! このままだとレーナが死んじゃいます」

愛娘の名前にルドヴィッグは飛び起きた。

「え、エレーナが!? 何でっ?!」

「ほら、明かりをつけて見てくださいまし」

ルドヴィッグはエレーナを抱き抱えているヴィオレッタに代わって明かりをつけた。

明るくなった室内は、先程まで見えていなかったエレーナの様子を鮮明にさせる。

額からは玉のように汗が浮かび、頬は熟れたリンゴのように赤い。息苦しいのかヒューヒューとかすれた呼吸で、極めつけには首に現れている発疹。

「これは……」

「ああ、どうしましょう。あなた流行病よ」

最近巷で流行っている病だった。罹患するのは子供のみで、三人に一人は重篤になり、治療薬を飲まないと六人に一人が命を落とす病である。

症状は普通の風邪と似ているが、高熱が出やすい。見分け方は簡単で身体のどこかに必ず発疹が現れること。

「お……かあ……さま」

「無理して声を出さなくていいのよ。大丈夫、大丈夫だからね。すぐによくなるわ」

優しく額を撫でる手が気持ちよくて、エレーナは瞳を閉じる。そして、母の中にいるという安堵感からか浅いものの眠りにつく。

「なんで気が付かなかったのかしら。寝る前、レーナちゃん少しだるそうにしていたのに……」

眠たくてぐずろうとしているのかと思ったのだ。だから彼女が寝るまでそばにいて、寝息が聞こえてきたら寝室に戻ってしまった。

自分が寝ている間も、娘は熱に魘され苦しんでいたと思うと数時間前の己の行動をヴィオレッタは責めてしまう。

「すまない……私も食欲がないな……とは思ったんだが」

ヴィオレッタとルドヴィッグが自分達を責めている間に、エレーナの泣き声を今度は聞きつけた使用人達が集まってきた。

「旦那様、奥様、お嬢様が部屋にいらっしゃらないようなのですが」

ここが泣き声の現場だとは思わなかったらしく、先に子供部屋を確認したデュークが険しい顔で部屋に入ってきた。

ランプをドアの取っ手に引っ掛ける。

「デューク早くお医者様を呼んで。お願い」

ヴィオレッタは切実さを滲ませながら懇願する。

「何故医者が必要で────ってお嬢様?!」

デュークもエレーナの様子を見て驚いた。

「分かったでしょ? ね、早く」

「かしこまりました。すぐに手配致します」

そう言ってデュークは医者を呼びに駆け出していった。

「リリアンはいるかしら」

「はい」

使用人たちの人だかりからリリアンが出てくる。

「盥に張った氷水とタオルと飲み物に、エレーナの新しい服を持ってきてちょうだい。私が自分で看病するから」

「直ちに」

踵を返してリリアンもその場をあとにした。

◇◇◇

叩き起されたザリアルがやって来て診察をしてもらうとエレーナは重篤ではないとのこと。

最悪の事態にはならずにほっと安堵したが、熱は下がらず、エレーナの意識は朦朧としていた。

リリアンやヴィオレッタが夜通し看病している内に日が昇り、朝がやってくる。一日が始まりを迎え、普段と同様に邸内が騒がしくなる。

そして刻々と迫る出勤時間にルドヴィッグは焦り始めた。

「ああ、やはり心配だ。今日は休んでしまおうか」

「馬鹿な事を言わないでくださいまし。今日は重要な会議があると前から言っていましたよね」

エレーナの額に浮かぶ汗を拭きながら、出勤するよう促す。夫がいても役に立たないので、それなら国のために働いてもらった方がいいのだ。

「だが……」

「私が付きっきりで見ていますから。ほら、副官様がいらっしゃいましたよ」

外から馬が馬車を引く音がする。

「閣下迎えにあがりました! 今回こそログウェアル様を黙らせましょう!」

鼻息を荒くした副官がデュークに案内されて寝室に現れる寸前。ルドヴィッグは慌てて部屋の外に出て、彼を迎えた。

「閣下、どうしました? 早くしないと遅刻しますよ」

「ああ分かってるんだが……ううん。私は休も──」

「ほらほら」

何も知らない副官は、ルドヴィッグが会議に出たくなくて渋っているのだと勘違いし、そのまま引きづるように連れて行ってしまった。

「……おかあさま。お水が飲みたいわ」

エレーナは数時間ぶりに意識をはっきりさせた。喉が異様に乾いている。視界はぼやけていた。

「はい、どうぞ」

輪郭を捉えられない。〝手〟らしきものからコップを受け取ろうとして、落としてしまう。

「ご、ごめんなさい」

「謝らないで。仕方ないわ」

半泣きで項垂れている娘をあやし、ヴィオレッタは寝かしつける。

温かい手を感じながら、ウトウトと微睡み始める。

(ああ、そういえば。今日はでんかに会えるはずだったのに)

前々から約束していた日だった。時刻はお昼にさしかかろうとしている。殿下の元にはエレーナの体調不良の知らせが届けられているだろう。

(たのしみ……だったのに。なんで熱でちゃうのかなぁ)

体力を奪われているエレーナは徐々に眠りに引き込まれる。

(おあいできなくて……ごめんなさい……しなきゃ……ぁ)

「おやすみレーナちゃん」

ヴィオレッタが額にキスを落とす。

そうしてエレーナは再び眠りについたのだったのだが────

ふと、ひんやりとした感触が手を通して伝わってきた。

「おか……さま」

エレーナは瞼を開ける。だが、誰も居ない。

「──レーナ」

耳元で囁かれる。その声に聞き覚えがあった。

一気に脳が覚醒する。

「うそっ?!」

慌てて顔を右に向ける。

「やあ」

リチャード殿下はエレーナの視界から外れるよう、しゃがんで寝台の横に隠れていた。

「で、殿下なんで……ここに……いらっしゃるので?」

リチャード殿下はふっと笑った。

「ちょっとツテを使って来たんだ」

王宮に来ていたギルベルトを脅したことは言うまでもない。

「不法侵入はしてないよ。公爵夫妻は知ってる」

突然現れた王子殿下に一時、階下はパニックになったことは伏せる。

「でも……どうして?」

「今日会う約束していただろう? 会えないなら会いに行けばいいと思ったんだ」

「……ですが、わたし、流行病らしくて。移ってしまいます」

自分で言って、気がつく。

(早く殿下と距離をおかなきゃ)

流行病は王子だから罹患しない、とはならない。咳き込みながら扉を指す。

「お帰り……くださいませ。移したくありません」

頭がまたぼんやりとしてくる。薬が切れて、熱が上がってきているのだ。

「──かからないよ」

「──かかりますよ」

少しの間両者ともに相手をじっと見つめた。

「分かった。こうしよう。レーナが薬を飲んで寝たら帰るよ」

リチャードはさらりと嘘をついた。帰るつもりなど毛頭ない。

(帰ってと言う割には、ひとりにしないでって寝言を呟いてた。それ聞いたら無理だ)

エレーナの本音がどちらなのかを見抜いていたのだ。

今も熱で瞳が潤み、ぎゅぅぅっとリチャードの手を掴んで離さないのは、寂しさから来る甘えなのだろう。

リチャードはサイドテーブルに置いてあった小瓶を手に取った。

琥珀色の液体が瓶の中で揺れる。

小気味いい音を立てながらコルクを引き抜いた。

「そうだ、その前に」

瓶に蓋をする。

リチャードは寝台に手を置き、体重をかけた。ギシッと軋み、少しだけ寝台が沈む。

「な……にを?」

エレーナの問いには答えず、リチャード殿下の顔が近づいてきた。

ぎゅっと瞼を閉じた次の瞬間、コツンっと音がして額が重なる。

「やっぱり高いね。つらいだろうに」

漏れ出た息が顔にかかる。

それもほんの数秒のことで。絡まった前髪がはらりと落ちていく。

だけどエレーナを真っ赤にさせるには十分だった。

「まって、顔がさっきより赤い。急に熱が上がったの?」

そう言って確かめるために、また顔が近づいてくる。

「ちがっ、これ、は、殿下の……〜〜っ!」

蒸気をあげそうなほど火照ってしまった。

むず痒く、ぎゅっと締め付けられる心を隠すように、エレーナはガバッと頭までシーツを被る。

(なんでなんでなんで?! 心臓が変!)

病にかかっているのも忘れて、暴れたくなってしまう。

「あっ」

リチャードはシーツを剥ぎ取った。

「頭まで包まっていたら窒息するよ。寒いならせめて、肩までに」

空気を含ませ、ふんわりと再びエレーナの身体にかけた。

「ん、これでいい」

満足気にエレーナの柔らかい前髪を撫でる。

慈しむような視線を一身に注がれ、エレーナはモゾモゾと口元までシーツを手繰り寄せた。

心臓の早鐘は収まりそうにもない。

「くすり、飲んだら帰ってくれますか」

「帰るよ」

(嘘だけど)

薬には睡眠作用がある。即効性なので、すぐに眠りにつくだろう。そうなれば居るかいないかなんて、彼女には判断できない。

コルクを取って、一緒に置かれていた匙でとろみのついた液体を掬う。

小さい子でも飲めるようにシロップがふんだんに使われている。

「はい」

リチャードはエレーナの口元に匙を運ぶ。突然の行動にエレーナの思考は追いつかない。だけど匙は目の前まで来て。ふにっと柔らかい唇に接触した。

「飲まないと治らないよ。ほら、あーん」

手本を見せるように口を開けたリチャード。ちろりと彼の赤い舌が見える。エレーナはおずおずと同じように口を開けた。

「んっ」

舌に木の匙が触れる。なめらかな手触りのそれは少し傾いて、甘いシロップが舌の上に乗り、喉を滑り落ちていく。

「もうひと口」

すっと差しだされた匙を、エレーナは拒否した。

「レーナ?」

「ひ、ひとりで、のめますっ!」

こんな居た堪れない感情を抱くのは一回で十分だ。

だけどリチャード殿下は不服そうに眉をひそめた。

「…………私が好きでやっているから。止めないで欲しいな」

「好き……で?」

「うん」

今度は笑顔で言いきられた。エレーナはぱちくりと目を瞬かせる。

自分だってエルドレッドが風邪をひいていたら看病したいと思うが、それとこれとは別だ。

(だって殿下お忙しいのに……ここにいるのも……好きだ、はいつもおっしゃってるし)

疑ったのが分かってしまったのか、リチャードは一旦匙を皿の上に置いた。

そしてまたエレーナの前髪を撫でる。

「公爵夫人が言っていたよ。レーナはコップを持とうとして落としたって」

「うっ」

(な、なんでおかあさま……殿下に!?)

「薬は貴重だ。こぼしたらもったいない。大人しく僕の手から飲んだ方がいいと思うけど?」

「それでも……いやだって言ったら?」

「うーん仕方ないから諦めるかな」

そう言うリチャード殿下は酷く悲しそうで。そんな顔をされてしまっては、断ることも出来なくなってしまう。

まあそれを想定してリチャードは今の表情を作ったのだが。

エレーナの諦めムードを感じ取り、リチャードは匙をとる。

「──終わりだよ」

適量分飲み終わる頃には、エレーナの目がとろんとしている。薬の睡眠作用が既に効き始めていたのだ。

夢と現実の境目にいると思考が緩くなって本音が漏れる。

「あいにきてくれて、うれしかったです」

ふにゃりと笑いながらエレーナは呟く。

「ならよかったよ」

リチャードも優しく返す。

「わがままいっても?」

「いいよ」

「…………ねるまで手、握っててください」

それだけ言って、リチャード殿下の返事を聞く前に夢の中に落ちていった。

「仰せのままに。僕の天使様」

すやすやと健やかな寝息が聞こえ、リチャードは小さな手を取って甲に口付けした。そしてずっと握っていたのだった。

◇◇◇

二時間弱過ぎた頃だろうか。廊下から足音が聞こえてきて、エレーナの部屋の前で止まった。

「時間か」

「そうですよ。前みたいに篭城しないでもらえると扉を破壊しなくて済むので助かりますね」

「殿下ぁ大人しく出てきてください……私が怒られます」

聞き覚えのある声に、リチャードは扉を開ける。

「おお今回は素直なことで」

にこにこと出迎えたのは護衛のヴォルデ侯爵である。

「侯爵様、感心してる場合ではないですよ。ミュリエル様がお怒りです……雷が落ちます」

顔面蒼白なのはリチャードに脅されたギルベルトだった。

(今日は王宮に顔を出さなければよかった。父上の忘れ物を届けに行っただけなのに運が悪い)

お陰でこんなめんどくさいことに関わってしまった。

「…………そもそも籠城した覚えはないが」

「お忘れですか? 過去に一度ありましたよ。授業をサボって部屋から出てこないので斧でドアを壊したことを」

「あれは教師がレーナのことを侮辱したからだ。回数に入らない」

高位貴族は何をするにも人任せでいいご身分だ。特にルイス公爵家の令嬢は、王子に色目を使っているやら、王宮に来る度五月蝿いやら、その他諸々、廊下でほざいていたからである。

偶然耳に入れてしまったリチャードは教師の授業をさぼり、出席しなければならなかった行事も無断欠席し、自室に閉じこもったのだった。

困り果てたお目付け役兼護衛のヴォルデ侯爵がドアを破壊し、侮辱した教師を解雇し、個人的に仕返しして収束した件。

「珍しく殿下、キレていましたね。普段は興味も見せないのに」

「自分が何か言われるのは別にいい。だけどレーナに矛先が向かうのは許さない」

そう言って一度、エレーナの寝顔を覗く。

「またね。早く元気になって会いに来て」

柔らかい頬に口づける。彼女はくすぐったそうにぴくりと動いた。

「リーさま。ふふ、だいすき」

寝返りを打ったエレーナは寝言をつぶやく。

その顔はとても幸せそうで、どのような夢を彼女は見ているのだろうか。

リチャードには分からないけれど、口からこぼれた久方ぶりの愛称を聞いて、その場に座り込んだ。

「ねえ、まって、不意打ちは反則……」

大きなため息をつく。

「ほんとに可愛い。あぁもう……」

顔を覆いながら本音を零せば、背後からクスッと笑う声が聞こえた。

見るとギルベルトが口を隠しながら笑っていた。

「…………ギルベルト、お前覚悟しとけよ」

冷えきった声色と殺意の籠った目に射抜かれたギルベルトは、かすかに悲鳴をあげ、ヴォルデ侯爵を置いて一目散に逃げ出したのだった。