軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

カラッポ姫は生きている 前編

その日、あたしは激怒していた。まだ四歳の妹、マリーが熱を出した。しかし両親は言ったのだ、「おまえは部屋に入ってはいけない、医者が寝てれば治ると言った、放っておけばいい」だって。

「いいわけあるか!」

水桶を運びながら、一人で叫ぶ。あの子はまだ四歳よ、熱くて苦しくて、一人じゃ不安に決まってるじゃないの!

水桶の次は、あたしもマリーも大好きな本……『ずたぼろ赤猫ものがたり』を持ち込んだ。大きな声で朗読すると、マリーは笑った。良かった……と、思ったその時。

「アナスタジア、何をしている? マリーの勉強の邪魔をするな!」

サーシャお祖母様に叩かれた。お祖母様は、いつもこうしてマリーをヒイキにするの。きっとあたしが嫌いなんだろう。だけど、叩かれたのは今日が初めてだった。

あたしは泣かなかった。ただ激怒して、ママの所へ走っていった。ママはいつも、あたしをかわいいかわいいと褒めてくれる。きっと、お祖母様の折檻を怒ってくれると思ったの。

案の定、ママはあたしの腫れた頬を見て激高した。

「マリーがやったの!? なんてこと! いくら熱で魘されてるからって」

「マリーじゃないわ、お祖母様よ」

そう言った途端、ママの顔が曇った。

「サーシャ様が? ……そ、そう。……じゃあ、仕方ないわね……」

「……ママ?」

どうして目を背けるの? なぜあたしを慰めて、キスをしてくれないのだろう。

そこへちょうど、お父様がやってきた。お父様は、あまりお祖母様と仲良くない。きっとあたしと同じように、お祖母様を非難してくれるはず……。

「母上が言うなら、そうなのだろう。確かに、マリーは母上の教えをすぐに覚える。賢い、優秀な子だ」

「あ……あたしは? お父様、あたしだってイプス語の本が読めるわ!」

「母上は何と?」

「お祖母様は……あたしは適当に訳してしまうから、マリーの勉強の邪魔になるって。あたしのこと、馬鹿って言った……」

お父様は、フムと頷いた。まるで当たり前みたいに、簡単に。

「母上が言うならそうなのだろう。アナスタジア、お前はもう本など一切読まなくていい」

そうして背中を向けてしまった。

……内気で優しいマリーなら、黙って従っただろう。でもあたしは納得しなかった。ますます怒っただけだった。

――いいわ。誰も助けてくれないなら、自分の手で殴り返す! 殴り込みよ! 両手両足をぶんぶん回しながら、のしのし歩く。さっき叩き出されたばかりのマリーの部屋へ飛び込んだ。

男爵令嬢として育てられたあたしには、罵倒の語彙がない。知っているのは外国の本、やさぐれた野良猫の口上だけだ。頭に彼を思い浮かべながら、扉を開けて、叫ぶ、

「このやろばばあ、しろくろつけよぉーじゃあねえか!」

と――唇を、人差し指でぴたりと押さえられた。サーシャお祖母様だ。その肩の向こうには、ベッドで熟睡しているマリーが見えた。

「やっと眠ったところです。もう起こさないように」

「……う、うん……」

「感染する可能性のある病です。アナスタジア、看病はわたくしに任せなさい」

サーシャお祖母様は、するりと抜けるように廊下へ出ると、音を抑えて扉を閉めた。何も言わず、すたすた歩き始める。

あたしはそのあとを追いかけた。お祖母様は自室へ戻ると、何か、事務仕事を始めた。大量の紙束にざっと目を通したら、サインを入れる。あたしは何となく、その手元を覗き込んだ。

「……色んな国の言葉がある……」

「色んな国のひとに送っていますからね」

返事が返ってきたのは意外だった。

「グレ、ゴール……。これってお父様のお名前だわ」

「本当はいけないことですよ」

手を止めないまま祖母は言う。

「これは公的文書と違い、代筆が違法ということはありませんけれどね。文字には、書くひとの心が現れる。それを、他人の名前で語ってはいけません。受け取る相手にも、名を書かれた人間にも騙る書き手にも、全員にとても失礼なことです」

「じゃあなんでお父様がやらないの?」

「人間には生来の、向き不向きというものがありますから」

答えになっているような、いないような。首を傾げたあたしの頭に、ぽんと、手が置かれた。

「姉妹にもね。……マリーは根が真面目で、素直な子。記憶力に優れ、違和感があればすぐに気が付き、改善が早い。教えたことをそのままよく吸収し、効率化して使いこなせます」

「…………そうね」

しょんぼり、唇を尖らせて俯く。頭の上に載った手が、左右に動いた。もしかして撫でられた? 驚いて見上げたけど、祖母は片手での作業を続けていた。

「アナスタジアには発想力と、創造性があるのでしょう。何もないところから何かを生み出し、今あるもので特別な遊び方を思いつく……マリーにも、わたくしにもない才能です。作家にでもなればよろしい」

これは……褒められたのだろうか? 声はいつも通りの厳しさだから、よく分からない。だけどなんだかすごく照れくさくなって、あたしは顔をくしゃくしゃにした。祖母はあたしのことが嫌いかもしれないけど……あたしはおばあちゃんのこと、嫌いじゃなかったんだ。

膝に乗りたいな。いきなり乗ったら怒られそう。お願いするタイミングを見計らい、あたしは祖母の周りをうろうろしていた。祖母はただ黙々と作業を進め――。

「――ゴボッ」

突然、血の塊を吐いた。

あたしは悲鳴を上げ、両親に報せようとした。駆け出した腕を、後ろから掴まれる。

「――だ、いじょうぶ。報せなくていい……」

「で、でも!」

「大丈夫……もう、手遅れだから」

言葉の意味は分からなかった、けど、掴まれた手の握力から、あたしは悲しい未来を理解した。祖母はなおも咳き込みながら、レースのハンカチーフで血を拭い、また何事もなかったかのように仕事をする。口の端についた血など気にせずに。

「わたくしの生きた時代には……貴族の女が、向き不向きで人生を選ぶなんて出来なかった。孫世代にはどうか――あなたたち姉妹は――それぞれの特技を活かして、好きな仕事をしてちょうだいね」

サーシャ・シャデランが亡くなったのは、この二ヶ月後のことだった。

持病のせいだと医者は言った。やはり、患っていたこと自体を知らなかった両親は、急のことに呆然としていた。

「――なんてことだ。これからうちはどうなるんだ……!」

「――なんてこと。サーシャ様。サーシャ様がいなくなってしまったなんて……」

二人ともが同じようなことを言っていた。……けど。その様子は、お父様とお母様で、少し違ったの。

お父様は、大量の汗を掻いて困っていた。

お母様は、涙を流して悲しんでいた。

そして二人ともが、マリーの部屋に飛び込んでいった。

父は尋ねた。

「マリー、母上からは、いくつの言葉を教わった? フ、フラリア語は読めるか!?」

母も尋ねた。

「おまえがサーシャ様を殺したの? この間の病を、サーシャ様にうつしたでしょう!」

まだ祖母の死を理解もしていなかっただろう……可哀想に、幼いマリーはただきょとんとして、両親を眺めているだけだった。

物覚えが良いと言っても、まだたった四歳のマリーに、多くのことができるわけがない。王国語の読み書きとイプス語の聞き取り、フラリア語は単語程度しか知らないと聞いて、父はまた血相を変えて出て行った。

母はしばらくマリーを責め立てたけど、マリーはもちろんあたしだって意味が分からなかった。マリーが風邪をひいたのは二ヶ月も前、サーシャお祖母様の病は、風邪とはなんの関係もないものである。だけどその日から、母はマリーと話さなくなった。

マリーは、ずいぶんと困惑したようだった。お母様は前からあたしをヒイキにしている気はしたけども、マリーを嫌ってはいなかった。この赤毛が金髪だったら、このそばかすが無ければと呟きながらも、ちゃんと可愛がっていたと思う。

突然拒絶されたマリーは、母のぬくもりが恋しかったのだろう、なんとか気をひこうとしていた。花を摘んで渡したり、笑顔のお母様の絵を描いたり。使用人の仕事を手伝って、大変な家事をやってみせたり……アピールは、それから何年も続いた。それでも、母親は邪魔そうにするだけだった。

――一度だけ、ふと母親の目が優しくなったことがある。

「お母様、聞いて。わたし、フラリアの本を一冊、自分で読めたの。お父様がこれで遊べって、玩具と取り替えっこしたの」

そう言って、分厚い本を差し出すマリー。母は手を伸ばし、マリーが持つ本の表紙を撫でた。

「……これは、サーシャ様の本ね」

それだけ。マリーのことを褒めも、撫でもしなかった。それでもマリーは顔を輝かせて、

「声に出して読むことも出来るの。とても面白いお話だったのよ、聞かせてあげるね」

その場で本を開き、朗読を始める。母はあたしの髪を編み込んでいた。髪飾りを差し、ドレスを着せ替えて、紅を乗せると、黙って部屋を出て行った。

……聞くひとがいなくなってからも、マリーは最後までその本を読み上げた。

「マリー、学校へ行ってみたくないか?」

父がそう言ったのは、マリーが十二歳になったとき。

「経営学の基礎に加え、いくつもの国の言葉を学べる。留学生との交流会もあるらしい。色んな外国人と楽しくお喋りが出来るぞ。遊びに行っておいで」

マリーはその時、ちょっと嫌そうな顔をした。内気で人見知りの少女にとって、ずっと年上の外国人はただ怖いだけだ。しかしお父様が珍しく、優しく語りかけたせいだろう、こくんと頷く。それから心配そうに見上げた。

「でも……勉強するのに、たくさんのお金がかかるのではないですか。……もう、馬車も宝飾品も売りはらってしまったでしょう」

「心配いらない、なんとでもする」

「でも、庭師がもう二か月、お給料をもらってないって。お父様に言っても金がないからの一点張りだって。ねえお父様、わたしたちの好きなものより先に、ひとに渡すべきお金があるのでは――」

「黙れ! 私の経営に口を出すな!」

急に怒鳴られ、マリーはすくみ上った。

「……ご……ごめんなさい……」

「私はお前のために言っているんだ。マリー、お前は……可愛くない女だからな」

マリーは、絶句した。母親から可愛がられていないのは分かっていた。姉より背の高い自分が、可愛げがないのも承知していただろう。それでも、父親から「可愛くない」と言われたのは……これが初めてだった。

「ぱ、パパ……?」

あたしも驚いてしまって、非難の目を父へ向けた。父は少しだけ、気まずそうにしていた。背を向けて吐き捨てる。

「マリーは、家族の悪い所どりをした娘だ。アナスタジアと違い、誰からも可愛がられず、結婚もできない。社交界に行ったところで嗤われるだけだろう」

「……は……はい……」

「だからせめてこのシャデラン家で、私の経営を手伝いながら暮らせばいい。――醜く、生意気な女がひとりで生きていくなど絶対に、不可能だ。死んでしまうんだ。私は、お前のために言っているんだぞ」

「はい……」

「……学費は……そうだな、確かに、無駄遣いはよくなかった。忠誠心もない、無能な使用人達を解雇しよう。お前が家事をすればいい」

「えっ。は、はい。……はい」

「当座の支度金は、お前の服を売ろう。勉強には不要だ。わずかな木綿の服で着まわせばいいだろう」

「はい」

「分かればいい。そう、私の言う通りに従って、反論などせず傅いていれば、少しは可愛げが出るものだ――」

それから……マリーの生活は一変した。

早朝から、煤だらけになってパンを焼き、重い教科書を背負って走り、帰宅してすぐに家事と復習。くたくたになって、睡眠をとるのがやっと。艶やかだった赤い髪も、数少ない木綿の服も……十二歳の少女も、あっという間にずたぼろになっていった。

それでも、マリーは逃げなかった。

働いて、学んで、走り続ける。そんな生活が六年……たった一度も……マリーは弱音なんて吐かなかった。

「あの子はあれでいいのよ」

ママが言う。この頃には、ママは全くマリーに手を触れなくなっていた。

「あの子は好きでああしてるの。綺麗な服にも、男の子との恋にも興味がなくて、趣味の勉強が何より大事なんだわ」

「……家事や、パパの仕事を手伝うのも?」

「そうよ。大変なときはあるでしょうけど、自業自得。だって可愛くないんだもの。むやみに背が高くて愛嬌が無くて……あの赤い髪! まったく、サーシャ様に似ていない」

ママはマリーに触らない。その代わりに、あたしを溺愛した。

あたしがマリーを手伝ったり、お古のドレスを分け与えようとすると激怒した。せっかくの美貌に傷がついてはいけない、おまえはあの子とは違うのだからと。

毎日あたしの部屋に出入りして、あたしを着替えさせ、髪をブラシで 梳(と) きにくる。そして毎日、マリーの悪口を言う。アナスタジアは、どうかあの子のようにはならないで、と。

「ああなんてきれいな金髪……青い瞳も白い肌も、サーシャ様にそっくりで。……まるで、生きているみたい……」

……ママ。あたし、生きてるわ。

十五歳になる頃には、ママとパパは、あたしの嫁入り先を必死で探し回っていた。美しいお前に相応しい男を、自分たちが探してあげると言って、あたしを部屋に閉じ込めて……。

日焼けを禁じられ、閉ざされたカーテンの向こうでは、マリーが今日も働いている。教科書を片手に走り回って、出入り商人と交渉し、お父様の仕事を手伝って、男のひとみたいに重たいものを持ち上げているだろう。

マリーには、やるべきことがいっぱいある。

あたしには……なんにもない。

「……うらやましい」

分厚いカーテン越しに呟いた。

うらやましい。あたしもマリーみたいに、きりりと凛々しい大人になりたい。あれこれと依頼を受けて働く、かっこいい人間になりたい。

汗を垂らし、働いているマリーを見ると心臓が痛くなる。あたしはいつしか、マリーとほとんど話さなくなっていった。

それはひどく退屈な生活だったけど、ひとつだけ、あたしは趣味を見つけていた。

自分の理想の女性……気高く凛々しい女傑をイメージした、男装服の制作だ。古着から寄せ集めた生地や釦ばかりだけど、だんだん形になってきた。

「うん。素敵」

完成品を前に惚れ惚れする。いつかこんな服が似合う、かっこいい大人になりたい――そう思って作り始めた服は、いつだってマリーのサイズ。

だってあたしが、そんなふうになれるわけがないもの。

わたくしの前に、男たちがずらりと並ぶ。

「お初にお目にかかります、アナスタジア様。かねがねお伺いしていた噂の通り、いやそれ以上にお美しい」

「ありがとうございます」

「どうか私とダンスを。そのためだけに、運河を越えて参りました」

「ようこそシャデラン家へ。卿はどちらからお越しで? おお南真珠貿易の跡取り……」

彼らはみんな、同じような言葉をかけてくる。同じような返事をし続けるあたしの横で、両親が同じことを言い続けている。

その日はマリーの十八歳の誕生日だったけど、そんなことは関係ない。

今日は、わたくしの『セリ』の日だ。

わたくしは、商品。見た目だけが取り柄で何の役にも立たない娘は、そうして売りに出しお金に換えるしか価値がない。

わたくしは、人形。持ち主の手で着飾られた作り物。中身はカラッポのお姫様。

……仕方ないのよ。わたくしには『可愛い』だけしか無いのだから。

パーティ会場にマリーの姿はない。こういった華やかな場が嫌いで、恋に興味のないマリーには退屈で仕方ないからだろう。……わかるわ。いいな。うらやましい。

許されることならばわたくしも、今すぐここから飛び出したい。

うらやましくて、うらめしい。大嫌いで、大好き。

わたくしの可愛い妹、マリー。わたくしはこうして『買われて』いくけども、どうかあなたは、あなただけは、好きに生きて頂戴ね。