軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

身も心も、愛にすべてを

大変なことになってしまった。

「あの……キュロス様……」

ん? と軽く首を傾げるキュロス様。

「と、とりあえず、お部屋に入れてもらっていいでしょうか」

彼は一瞬、怪訝そうな顔をしながらも、自室の扉を開けてくれた。二人で一緒に室内へ。

立ったままもじもじ、言葉をまとめようとして、まとまらない。

いやまとめるも何も、さっき言ったことをそのまま繰り返せば良いんだわ。わかっているけど声が出ない。何度か彼に促され、わたしはやっと声を出した。

「あのぅ……な、なぜ、わたしを追いかけてきたのですかっ?」

ああっ違う! そんなこと言うつもりでは……あっでもいいわ。キュロス様が追いかけてきてくれたのは、わたしを引き止めるため……だと思う。それならきっとなにか甘い言葉を言ってくださる、そうしたら「わたしもです」と同意して、それで完了だ。さっきの告白を繰り返さなくてもいいわよね。よしっ。

ほっと息をつく。そんなわたしを、キュロス様は抱き寄せ――は、しなかった。

「ああ。君に伝えることがあって――『アーサー』のことなんだが」

えっ? 想定外のセリフにきょとんとするわたし。彼は呻くような低い声で、言い含めるようにわたしに伝えた。

「ここを出て行くなら、言わない方が良いのかとも思った。けど、やはり話しておく。――彼は、逃げた」

「逃げた? お姉様が!?」

思わず大きな声が出る。キュロス様は困ったような顔をする。

「アーサーがアナスタジアというのは、俺は半信半疑なんだけどな。何せ会う前に失踪した。ノーマンいわく、身売りに出されたせいでもとより貴族を嫌っていたそうだ。ノーマンに連れられて来たものの、グラナド城を見てやっぱり逃げたんじゃないかって」

「そ、そうですか。ではアナスタジアの生存はハッキリしないまま……」

また、寒気に襲われる。小さく震える指先を、キュロス様が握った。大きく、温かい手で包み込み、わたしの恐れを溶かしてくれる。

その手はとても優しいけれど、説く声には厳しさがあった。

「マリー、聞け。アーサーは、アナスタジアじゃない。――仮にアナスタジアが難を逃れ、男装をして職人街にいたとしても、それはアナスタジアじゃない、アーサーだ」

「……どういうことでしょうか」

「盲目のノーマンと違い、アーサーは字が読める。王都中に貼られた手配書も見れるし、その足で、シャデラン家なりグラナド城になり行くことが出来るんだ。アナスタジアが、それを望んでいたならば」

「……でも、それは……。……お姉様は、あなたのことを知らないから……」

「お姉さんを、馬鹿にしてはいけない」

わたしの手を握る、彼の手は、優しい。

わたしはその指を、じっと見つめていた。

「マリー。アナスタジアは大人だ。君がよく知る通り、気丈な女性なら、自分の人生は自分で選ぶだろう。それが他人の目から見てどうであれ。……あの街にはたくさんの人間が生きている。職人より伯爵夫人の地位を選ぶはずという思い込みは、彼らへの侮辱だし――お姉さんを否定することになるぞ」

「…………姉を否定……」

「ひとは、生き方を自分で選べる。それを分かっていて欲しいんだ」

一言、一言、言い聞かせられて。わたしは一言、一言を噛みしめた。

そうね……その通りだ。わたしは、この城の使用人達がみなやりがいを持って、楽しく働いているのもよく知っている。色んな国の文化や風習、色んな人間の生き方を見聞きするのも好きだった。自分と違う生き方に憧れていた。それなのに……わたしったらそんなことも忘れて、自分が好きなものを、姉にお仕着せていたのね……。

「……はい。よくわかりました。ありがとうございます……」

わたしが頷くと、彼はホッと息をつき、分かってくれてよかったと微笑んだ。

そっと握っていた手を放し、代わりに、わたしの髪を一房つまんだ。

「アナスタジアが 城(うち) を選ばなかったように、俺だって、彼女を好きになるとは限らない。黄金より、赤銅に憧れる男だっている」

もしもこの言葉を、三ヶ月前に聞いてもわたしは信じなかっただろう。いえ、実際そう言ってもらっていたのに、わたしは理解できなかった。

今ならすんなりと理解できる。わたしもまた彼の、魔性と忌まれる瞳が好きだから。

わたしの髪を摘まむ、キュロス様の指。まだどこにも触れられていないのに、それでも彼の体温が伝わってくる。……このまま、頬を撫でてもらえないかな……。

「わ、わたし、も」

ドキドキしながら、わたしは目を閉じ……。

「マリーも……自由に生きればいい。俺との結婚だけが幸せじゃない」

――ん?

「貴族の家に生まれても、他に生き方はある。なんなら別の名前を用意してあげられる。それが、グラナドでなくても……必ず助ける。それだけは、安心してくれ」

んん?

「一度あの家に帰るという選択も、良いと思う。自分の目で見て、考えて、選ぶんだ。俺はもう、君を閉じ込めはしないから」

ええとっ……。

わたしは上目遣いに、キュロス様の顔を見た。切なく細められた双眸は、じっとわたしを見つめている。ど、どうしよう。いたたまれないほど気まずい沈黙。たっぷり時間を浪費してから、恐る恐るわたしは手を挙げた。

「あのう……それって、グラナド城に、帰って来てもいいのでしょうか……?」

「そりゃもちろん、そのつもりで部屋も永久保存する」

即答するキュロス様。ホッとして思わずへたり込んだわたしに、キュロス様はやっと、察してくれたらしい。わたしの肩を鷲掴みにし、大きな声を上げた。

「もしかして、本当に帰ってきてくれたのか!?」

「はっはいっ。すいません、意外と早い帰還で色々台無しですいませんっ」

「なにが台無しなものか! マリー!」

ぎゅうっ、と強く抱き寄せられる。顔面が彼の胸に埋まり、わたしはウギュッと呻いた。

「よかった。ありがとう……」

頭の上から声がする。

ああ……キュロス様の声と体温、においで、わたしの中が全部いっぱい。

嬉しい。もっと強く抱いて、もっと……このままどこまでも蕩けてしまいたい。わたしはうっとりして、彼の背中に手を回そうとして――べりっ、と引っぺがされた。

「そうと決まったら、みんなにも言ってまわらないとな!」

立ち上がるキュロス様。あっあっあっ、わたしは追いすがろうとして、彼の腕を掴み損ねて空振りし、そのまま前のめりにコケた。挫けずすぐに立ち上がる。

「あのっ、キュロス様、その前にですねっ」

「なんだ? 急がないと、リュー・リューが秘蔵のワインをヤケ酒で飲み散らかしてしまう」

「それはその、ワインは美容にいいですし。ミオがなんとかしてくれる気がしますし」

首を傾げながら退室しようとするキュロス様。

ああっやだやだ、待って行かないでーっ!

わたしは走ってキュロス様を追い抜くと、扉の前に立ち塞がり、両手を広げた。

「どうしたマリー。ははは、そこを通してくれないと出られないぞ」

両脇を掴まれ、ヒョイと横に除けられた。扉を潜ったところを、背中の服を掴んで止める。

「通せんぼゴッコをしてるわけじゃなくてですね」

「……? なんだ、まだ話すべきことがあったか。悪かったな。なんだろう?」

「話というか、と、とりあえず、こっち……」

わたしは部屋の奥まで戻り、手招きした。やっぱり首を傾げながら、入ってきてくれるキュロス様。

「と、扉を閉めて。こっち……」

さらに奥へ。とうとう、もうベッドしか後ろにない所で、わたしは手招きした。扉を閉めてくれたところで、ベッドへ腰掛ける。そこで、両手を広げた。

「き、て、ください……」

彼は眉を顰めた。立ったまま、近づいてもきてくれない。頭を抱えるようにして、嘆息した。

「マリー。一応、確認なんだが……俺たちの婚約は、再度結ばれたんだよな……?」

「えっ。そ、そうで……えっ嘘、もうダメなんですか!?」

ぶわっと涙が浮かぶ。キュロス様は慌てて駆けつけ、ベッドのそばに跪いた。わたしの顔を覗き込むようにして、涙を拭い、頭と背中を高速でヨシヨシヨシヨシと撫で回す。

「ダメじゃないダメになんかなってない、そうじゃなくて、いやそうだからこそ、ちょっと君のそれはちょっとまずいというか」

「なにがまずいの?」

「だからその、俺の理性がな。……一応、結婚式までは、大事にしておくべきかなとか……」

「え! わたしのこと、結婚式までしか大事にしてくださらないんですかっ!?」

「ちがーう!」

キュロス様はベッドをバンバン手で叩き、しばし悶絶。やがて、ぼそっと吐き出した。

「……別に、誰に禁じられているわけでもないし。君が望むなら……」

「ですよね。結婚式までハグは禁止なんて聞いたことないもの」

「え、はぐ? だけ?」

キュロス様の目が点になった。ん? なにかまたわたしたち、お互い思い違いをしていたのかしら。やっぱり言葉にするべきなのね。

そう……今までのわたしは、自分の気持ちを口に出さず、我慢をしているばかり。この城に来てからやっと言えるようになってきたところだ。

これからはもっと、ちゃんと伝えなくちゃ。自分の言葉で、して欲しいことを……。

わたしはフウと息をついた。鼓動を抑え、彼に、伝える。

「キュロス様……わたし、あなたが、好きです」

彼は決して茶化したりしない。照れ笑いすらせず、真摯に耳を傾けてくれる。

「あなたのことが好きです。結婚を、したい、です」

「……うん」

「いっしょに暮らしていきたいです。この城が、わたしは大好きです。ここで一緒に、あなたの家族として、生きていきたいのです」

「うん……」

「あなたに、わたしの生涯を捧げます。あなたは……わたしを愛して頂けますか……?」

彼はわたしの手を取った。跪いたまま、まだ何もない薬指に唇を寄せる。騎士が女王にするのと同じようにして、キュロス様は厳かに、囁いた。

「永遠に、この愛を君に捧げると誓う」

「……ありがとうございます……」

指先で、彼の顎を撫でる。美しい双眸は、いつでもわたしをまっすぐに見つめてくれている。

彼の両頬に手を添えて、わたしは身を屈めた。

生まれて初めて、自分から求めた口づけは、ちょっとだけ失敗してしまった。目を閉じていたせいで歯が当たり、カチッと小さな音がした。

苦笑しながら身を引いたけど、すぐに腕を引き寄せられる。今度はキュロス様から、優しいキスが贈られた。

わたしはつい嬉しくなって、もう一度、彼の唇を咥える。角度を変えて二度、三度――重ねられるたび深くなっていく。

数えるのを忘れた頃、ふと肩のあたりに寒さを覚えた。自身の体温が上がったせいで、外気が冷たく感じたのだ。

蕩けた目で、キュロス様の手を探す。……前のめりになった彼は、ベッドに手をつき体重を支えていた。その手のひらが恋しい。わたしはそこへ指を乗せ、掻くようにしてくすぐった。

彼の名を呼ぶ。ん、と音だけで問うキュロス様に、わたしは囁いた。

「抱いて、ほしいの……」

数秒の静寂――のち、キュロス様はわたしの腰を引き寄せた。こてん、と簡単にひっくり返されて、わたしの背中がベッドにつく。

……あれ? おや? んん?

なんか思ってたのと違うような。

――しばらく困惑していたけど、わたしだってもう十八歳。恋愛小説も二、三冊なら読んだことがあるし、家庭レベルの医学知識なら持っている。

あっそういうこと……と理解した。理解はしたけど……ええと、どうしよう?

ここからわたしはどうしたら……えっ、どうもしなくていいの? いいのかしら。

いいような気がする。いけない理由がない。……いいか。うん。

いいや……。

それから、キュロス様は二度、わたしの意思を確認した。

わたしには答える言葉がわからなくて、無言のまま頷いた。一回だけじゃまた誤解が生じるかもしれないと心配して、こくこくこくこく、目が回るまで何度も何度も頷いた。