軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

俺はマリーを奪いたい

……夢でも見ているのだろうか?

俺は何度も瞬きして、これが明晰夢ではないことを確認した。

マリーが俺の手を握ったのだ。一度はただの誤解だったらしい。だが解放したあと、また手を重ねてくれた。

あなたが好きです、という言葉と共に。

……またなにか、俺が勘違いをしたのではないかという疑いは、彼女を抱きしめたあとで湧いてきた。もしそうだったら大変だ、またマリーが萎縮してしまう。それは避けなければならない。

それでも離すことが出来なかった。

当然だ。ずっと、ずっと、この身が焼けるほど待ち焦がれていたんだ。自ら離すことなど出来なかった。

仕方なく、彼女に乞う。

「俺の聞き違いだったら、今すぐ突き飛ばしてくれ。そうでなければ、このままで」

それでもマリーは抵抗せず、むしろ頷くように、額を俺の胸に押しつけてくる。

全身に甘い痺れが走った。つま先から頭頂まで小刻みに震えて、俺はさらに強く彼女を抱いた。

――やった。

何がキッカケだか分からないが、ついにマリーに想いが届いたのだ。これでやっと、俺たちは本当の意味で婚約者になれる。

やった――やったっ!

「マリー、マリー、ありがとう。心から君を愛してる。絶対幸せにするっ!」

彼女は返事もせず、ただ俺にもたれかかってきた。支えられないほど重くはないが、身体の密着度が上がる。薄布を纏ったマリーの身体……柔らかな肉の感触や、凹凸までが感じられた。 耳朶(じだ) に届く息づかい。体温、匂い、鼓動、マリーのすべてを感じ取って、俺は彼女の背中をポンポン叩いた。

「マリー、ちょっとくっつきすぎだ。嬉しいが、よろしくない」

しかし彼女は退かない。むしろさらに体重が乗ってきて、俺はいよいよ困惑した。

「よくないぞ。嬉しいが、いけない。そこは君が慮るべきだ、男というものを理解して欲しい」

それでも退かない。

な、なんだ……? まさかマリー、いつもはあんなに控えめで素直なのに、いざとなったらこんなに積極的になるタイプだったのか!?

自分の心臓の音で鼓膜が痛い。俺はマリーを抱き留めながら、脳内に王都全域の地図を展開した。市場からグラナド城までの道中に、休んでいけるところをピックアップする。駄目だ、俺が仕事で使う所はキュロス・グラナド伯爵の顔をよく知っている。支配人含め従業員総出でのお出迎えとなり、恥ずかしがり屋のマリーは逃げ出してしまいそうだ。

だったらいっそ、馬車預かり所……あそこの二階は宿泊所になっている。うまく空室があれば……いやでも、壁もマットも薄い簡易宿だし、風呂もムードも何もない。

マリーが、どうしても今すぐというならどうにでもする――具体的にはホテルごと買い取る――けど、いやでも、あれだ。こういうのはもっとこう……あれでないと。だから今日の所はあれは置いておこう。城に帰ってからあれこれしたほうがいい。それでも少しは。この馬車の中でも、何ひとつ出来ないってことはないのでは?

俺は、恐る恐る窺うように、マリーの顔を見下ろした。

……目を閉じている。

「マリー。……口づけの許可をくれ」

俺は囁いた。抱擁していた腕を解き、彼女の顎を持ち上げて、唇を寄せる。触れる直前でもう一度。

「俺は、君とキスがしたい。どうか許可を。どうか――」

マリーの身体がグラリと傾いだ。

えっ? 俺の支えをなくした彼女は、糸が切れた人形のように脱力して、その場に崩れ落ちた。馬車内の床にごろりと寝転がる。

俺は慌てて屈みこんだ。顔を見ると、やはり目を閉じたまま、フッフッと浅い呼吸を繰り返している。

「まさか、眠っている?」

呼びかけても返事がない。

……熟睡しているらしい。

「嘘だろ……」

俺はがっくりと肩を落とした。頭を完全に垂らしたまま、彼女を抱き上げる。俺の膝を枕にして、ベンチシートに横たえた。

それがちょうどいいかんじだったのか、微動だにしない。

俺は嘆息してから、呟いた。

「まあ、いいか」

……どこからどこまでが寝言かわからないが……あのエメラルドや、手を握ってきたのまで夢遊病とは思えない。進展は、したはず。

それに、そうでなくても、構わない。

今日一日、マリーは楽しそうだった。こうして眠ってしまったのも、はしゃぎ疲れたせいだろう。自分の賃金で買い物し、王族のルイフォンにも必要以上に萎縮せず、会話を楽しんでいた。

僥倖だ。マリーの自意識を高める計画は極めて順調らしい。それもそのはず、マリーはもう、化粧やドレスアップ無しでもすさまじく可愛い。今のマリーを見て、醜いと難癖を付けるのは不可能だ。

――醜いと、難癖を付けるためのずたぼろ。――

それに気がつきさえすれば、シャデラン男爵の不可解な言動は、理解できた。

――マリーの魅力を、マリー自身含めて誰にも気付かれないための隠れ蓑。

――他の男に、奪われてしまわないように……。

この感覚は、皮肉なことにこの俺が一番わかる。もしもマリーと社交界で出会っていれば、絶対に恋をした。

どだい男というのは単純なもので、美女ならばただすれ違うだけで劣情を抱く。娘十八、男子多勢の学校に通いながら一度も口説かれないなんて無理がある。娘自身も、さんざんモテれば自意識だって高くなる。嫁入りすれば貧しい暮らしから抜け出せる、自分ならもっと『上』の男を落とせる、都会に出ればいい思いが出来るのでは――そう考えて、家出をするのはよくあること。そうして地方農村は過疎化した。社会現象になるほどありふれた話だった。

――マリーは有能だ。家を出て行かれたら困る。

――シャデラン家は、マリーを 男爵家(いえ) に縛るために、娘を醜女に落とし込めたのだ――

……そう考えると、あのナンパも、いい展開になるかもしれない。マリーは俺や使用人達からの褒め言葉はお世辞でしかないと考えがちだ。これで少しは、自分が美女だと自覚しただろう。

……なんならいっそ、王侯貴族の夜会に連れて行ってみるか? マリーなら間違いなく男達に囲まれる。自分の魅力を思い知り、実家での扱いが不遇過ぎたのだと気付けるかも……

名案だと思った。が、無意識に、奥歯を噛みしめていた。

……だめだ。嫌だ。

彼女を、他の男に晒したくない。

それが俺の、本当の本音だった。

眠る彼女の肩を握る。

――女性の身体に許可無く触るな、と、ナンパ男に言ったくせに。

もう絶対に離さない、逃がしてなるものかと掴む。

――君は俺の所有物じゃない、と、紳士面をしておいて。

俺は何も望んでいない。君が城で、ただ楽しく幸福に暮らしてくれたらそれでいい。笑っていてくれマリー。それだけで俺は幸福だ。

――そう口にしたのは、ほんの数日前のこと。

嘘をついたわけではないのに。

実現すると、足りなくなる。

城を駆け回る彼女が好きだ。

それなのに、閉じ込めたくなる。俺だけしか入れない、隅から隅までクッションと花が詰まった部屋、ふかふかのベッドに寝かせ身動きもできないようにして、開かれた口に、甘いケーキを運び入れたい。

これじゃあシャデラン男爵と同じじゃないか、絶対に駄目だ。マリーにはもっと広い世界を見て欲しい。結婚だけが人生じゃない、彼女には俺と過ごす以外の時間も必要だ。趣味や仕事を充実させたり、使用人や城の外にも友人を作って、なんなら俺以外の男と恋をしても――

奥歯が鳴る。

……駄目だ。誰にも渡してたまるものか。

我が子のように慈しみながら、俺だけの妻を求めてしまう。

そっと手を繋ぐだけじゃない、全身を重ねたい。

女神のように崇拝しながら、玩具のように弄びたい衝動に駆られる。

俺は自分の感情を持て余していた。この愛に溺れているのはこの俺だ。頭の中にはただひとつ、マリー、マリー、マリー、マリーが欲しい。それだけが溢れて 呼吸(いき) も出来ない――

「……マリー……」

震える指で、彼女の髪を摘まんで 梳(けず) る。剥き出しになった頬を、指の腹で撫でる。

俺はホッと息をついた。

自分に言い聞かせるまでもない、俺は幸福だ。

今ここにマリーがいる。それで十分じゃないか。

二ヶ月前には出会ってもいなかった。一度は訃報を聞いて絶望した。

こうして生きていてくれただけで十分、他に何も望むことなんて――

「……ん?」

ふと、違和感を覚える。マリーの顔が紅いのだ。喋っていた時は照れているようだったが、熟睡しても紅潮が続いているのは変だろう。

額にかかっていた髪が、汗で濡れていた。浅い呼吸のリズムがおかしい。

俺は血の気が引いた。そうして体温を下げた手を、マリーの額に押し当てる。熱い!

「ル――ルイフォン! ルイフォンっ!」

御者台に続く戸を叩き絶叫すると、友人がヒョイと顔を出す。

「どーしたキュロス君、死にそうな声を出して」

「死にそうなのはマリーだ、馬車を止めろ! いや、急いで医者に行ってくれっ!」