軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【閑話 瑞穂夫婦の荒行】➀

イプサンドロス共和国。

ミズホの国を出て以来、あちこちの国を回ったけれど、ここが一番肌に合う。この国で暮らし始めてから二年、私はこの頃、そう思うようになってきた。

イプサンドロスという国は、東部大陸の西端にあり、全体が港町みたいな国だった。東洋最大の国シャイナと陸続きにありながら、穏やかな海を挟んで西洋の国々とも程近い。おかげで昔から東西の行き来が盛んにおこなわれて来たそうで、街には交易品が溢れている。

特に料理は非常に発達していた。そんなに珍しい食材や調理法があるわけじゃなく、クオリティが高いって言うのかな。国民みんなが、なるべく毎日美味しいものが食べたいって願って創意工夫を凝らしている感じ。どんな安店で食べても美味しいし、市場で売っている食材も新鮮で、ハズレが無い。おかげでこんな小さな家の小さな厨房でも、毎日美味しい料理が作ることができている。

魚の塩焼きにかぶりつきながら、私はしみじみとそう感じていた。

「ああ、美味しい……やっぱごはんって大事だわ。 飯(めし) が不味けりゃ人生真っ暗闇ってなもんよね」

「そうでござるなあ。焼いたのは拙者でござるが」

要らんことを言ったのは、私の正面に座る男、杏侍郎。私はムッと頬を膨らませた。

「何さ、文句あるわけ。あなたが家事と育児をやってくれてる間、私は働いているのだけど?」

「ええ、文句なんかございませんでござるよ」

そう言って、杏侍郎は赤ん坊の頬をつんつん突いた。

「賢く働き者でよく食べる、そんな主に仕えることが出来て拙者はほんに幸せ者でござる」

「……そこは、『そんな妻の夫になれて』と言ってくれてもいいんだけど?」

「 夫婦(めおと) とは、お国と両家の親に認められ結婚をした男女のことでござる。拙者らは結婚していないでござる」

「そ、そうだけどっ! でもほら、こうして可愛い子どもも生まれたことだしっ!」

「子が可愛いことと、正式に夫婦ではないという事実とは関係ないでござる」

「ぐっ……この糞侍っ、この期に及んで往生際が悪いっ……!」

私が箸をギリギリ噛み締めると、杏侍郎は赤ん坊を見つめたまま、ニヤリと笑った。

「往生際が悪ければ、子など作っておらんよ」

自分の話をされているとわかるのか、さっきまでうとうと舟をこいでいた息子が突然ぱっちりと目を開けた。父親の顔を見つめて、へへっと声を上げて笑う。杏侍郎もつられたように破顔した。

「やあ、ほんに愛いでござるなあ。労働の疲れがふっとぶでござる」

「あんた働いてないけどね」

「魚を焼くのも労働でござる」

「……まあ、確かに、私だったら、仕事以上の報酬もらわなきゃやってらんないけどさ。魚って何、骨やら鱗やら邪魔なものくっつけて生まれてきやがって。食べやすいように切り身で泳いでろって感じよね」

「さすが楓様、万物生命体に対して容赦なく傍若無人」

赤ん坊をあやしながら、杏侍郎はからからと笑った。

生まれた国から遠く離れたこの地では、私達の関係に文句を付けてくる輩は誰もいない。私は私らしく、やりがいのある仕事をして、杏侍郎は穏やかに笑って生きている。私は幸せだった。

食卓のそばにある窓から、ふと遠くの空を眺める。

この空で繋がった遠い国、海を渡った大陸に住む、ある一組の夫婦を思い出したのだ。彼らのおかげで私達はこの地で職と家と、家族を得た。私は彼らに恩義を感じて――まではいない、けど、まあそれなりに感謝というか、この私が珍しく、幸せでいてほしいなと思う人達だ。あっちの子どもはもう二歳くらいになるのか。

「そろそろあいつらの顔も見たくなってきたわね……」

私が独り言をつぶやくと、杏侍郎も「そうでござるな」と頷いた。

名前を言っていなかったのに、私達は同じ人たちの顔を思い浮かべていたらしい。顔を合わせてフフッと笑い合った。

ああ、心地の良い時間。私は仕事をしている自分が大好きだけど、こういう静かな日常も愛している。願わくばこの穏やかな日々が永遠に続きますように――と。

そんなことを考えた矢先のことだった。

ドンドンドンドン! 激しくノックされる扉。同時にイプス語で、男の叫び声が部屋まで届く。

「カエデさん! アンジェロさんはいるか⁉」

私と杏侍郎は顔を見合わせた。

とりあえず息子を私に預け、杏侍郎は立ち上がり、来客の御用を聴きに行く。玄関口で会話をする声がそのまま聞こえた。

「どうかなされたかな。よほど火急の用事でなければ後にしていただきたい。拙者ら、ただいまお昼ご飯中でござる」

「そ、それどころじゃねえんだよ! 早く工場まで来てくれ、大変なんだ!」

「それって拙者らが今すぐいかねばならんことでござる?」

「ああそうだって言ってるだろ、良いからとにかく早く来いって!」

来訪者は本気で焦っているらしい。私も気になって、息子を抱き上げて玄関口まで顔を出した。見ると来訪者はまだ少年、オグランという名のイプサンドロス人であった。年こそ若いが、工場長という立場を任されている。はて?

「どうしたのよオグラン、工場長がそんなに大騒ぎするなんて、一体なんのトラブル?」

「ああカエデ、本当に大変なんだ、助けてくれ」

オグラン少年はものすごいオーバーアクションで腕を振って、絶叫した。

「作業員同士で大喧嘩だ、オイラじゃとても止めらんねえんだよ!」

……喧嘩?

杏侍郎は首を傾げながらも、とりあえず木剣を手に持って急ぎ工場へと駆けつけた。

私も赤ん坊をおんぶ紐で背に貼り付けて、杏侍郎から少し距離を取りつつ、現場へ向かう。

私達の住む家から徒歩五分、グラナド商会直営の紡績工場だ。建物の群れが見えてくると、風に乗ってハッキリと、男の怒声が聴こえてきた。

「――てめえこの野郎、俺を殺す気かよ! ふざけんなちくしょう!」

「おまえこそ、自分だけ助かろうって算段か? こっちにだって家族がいるんだ――」

どうやら従業員同士で口論が起きているらしい。

殴り合いにまではなっていないようだけど、いつどちらの手が出てもおかしくなさそうな雰囲気だ。杏侍郎は私と息子をさらに少し距離を取るよう下がらせた。そして騒動の現場、紡績工場の奥へと歩みを進めていった。

オグランの言う通り、二人の従業員が向かい合い、互いを罵り合っていた。「殺すぞ」「おまえが死ね」などの暴言も飛び交っている。周囲の従業員たちはどちらに加勢することも出来ないようで、彼らの周囲を遠巻きに見守っている。

襟首を掴み合っている男たちの間に、アンジェロが強引に割って入って行った。彼らの肩を、片手でそれぞれ握りながら、

「はいはいはい、喧嘩はよしなさい。人類みな仲良しこよしが何よりでござるよ」

穏やかに言いながらも、アンジェロの手は彼らの肩を強く握り込んでいた。ミシリッと、彼らの骨がきしむ音が私のほうまで聞こえてきた。

「ギャッ、ぐ、あ、アンジェロさん……」

「さて喧嘩の原因は何でござる? それほどまでに激昂して、さては一方の家の留守中にこっそり日参し飼っていた猫を餌付けして妙な芸をしこんでいたとか?」

「なんだその独特な喧嘩⁉ そんなんじゃねえよっ!」

叫んだのはオグラン少年。若いのに冗談が通じにくい子である。

私は杏侍郎のこういうボケにいちいちツッコみはしない。正直私も、これと似たような程度の理由かと思っていた。しかし男達が答えたのは、もう少しばかり深刻な理由があった。

「この野郎が、俺の仕事を横取りしやがったんだ!」

「仕事を……取られた? 押し付けられたでは無くて」

「ああ、俺達の給金は出来高制だ。俺の手元に材料が回って来なきゃ作業のしようがねえ。それをこいつが一人占めしやがって……」

片方の男が激昂して叫ぶと、もう一人の男も負けじと声を張り上げた。

「うるせえ! うちにはチビがいるんだ、寮で一人暮らしのおまえの何倍も稼がないといけないんだぞ。必死なんだ!」

「そんなのみんな一緒だろうが! ただでさえ最近は素材が不足がちで、みんな困って――」

「ちょ、ちょ、ちょっと! ちょっと待ってちょうだい!」

たまらず私は駆けつけた。

仕事の取り合い――正確に言えば布織物の生成作業に使う、素材の奪い合いだったってことは理解できた。そのことは、私も一応把握していた。

三か月ほど前からだった。イプサンドロスでは今、未曽有の品不足現象が起きていた。その素材は、多くが東の大国シャイナから貿易によって仕入れられている。品薄なのはシャイナで何か災害でも起こったのだろう、ならばひと月もしないうちに、別の村から買い付けて、イプスの市場は復活するはず――そんな風に楽観的に考えて、私は出産に臨んだ。

それから何も追加報告が無かったし、きっと読み通り流通が回復したのとばかり……。

杏侍郎は首を傾げながら、とりあえず二人の肩から手を離した。

「なんにせよ、ここで喧嘩をしても素材が増えるわけでなし、何の解決にもなりはせん。意味の無い喧嘩で意味の無い怪我をしては、まさに骨折り損のくたびれ儲けでござる。冷静になりなさい」

「う……は、はい……」

「とりあえず、目先の収入が必要ならば、別の部門に出向をすればよかろう。楓様、たしか建築のほうで力仕事のできる人手を欲しがっていたのでは」

「ええ、この街を開拓した時の、がれきの撤去はまだまだ残っているからね。そっちで二人、受け入れてもらえるよう采配しておくわ」

「あ、ありがてえ……」

男たちの不満はとりあえずそれで収まった。

が、この喧嘩だけ辞めさせても、根本的な解決には程遠い。いやそれどころかもっと深刻な、最悪の展開へと繋がっていくような気がする。

私とアンジェロは真剣な顔を見合わせて、頷いた。

「いったい何でこんなことになってるのか、調査が必要ね。なんとかしなくちゃ」

「そうでござるな……」

「お、オイラ公爵様に聞いてみるよ。ディルツに手紙を出す!」

オグラン少年も顔を赤くして叫んだ。

私は自分の腕の中で、上機嫌に私を見つめる赤子へと目をやった。

……この子のためにも全力を尽くさないといけない。何か対策を考えなくちゃ……そう強く思った。

それから私は杏侍郎を護衛に付けて、できる限り、イプサンドロスの市場に日参してみた。やはり織物、工芸品の類がごっそりと売り場から消えていた。私はすぐにピンときた。

商店街の入り口で、ひとり呟く。

「……これは、どこかの誰かが買い占めてるね」

「はあ、布織物をでござるか? それは何とも……変わった性癖の持ち主がいたもので」

「たぶん性癖は関係ないと思うよ、あと食欲もね」

早口で言うと、杏侍郎は「アアッ先に言われた!」と叫び、頭を抱えていた。ばーか。

そうして早々に目星は着けたものの、その黒幕――買い占めをしている豪商あるいは貴族のボンボンってのが見つからない。

楽観的に考えていた私にもさすがに少し焦りが出てきた。

……作業用の素材が尽き、工場が完全に機能停止して一週間。このままじゃ在庫の製品すら尽きて、売り物が無くなる。すると今は他の部に回している従業員たちにも給金が出せなくなる。いよいよ何とかしないと――。

そんな時だった。ハドウェルと名乗る、オラクルの商人が接触をしてきたのは。

――のそり。

音にすればそんな感じで、彼は不意に、わたしの背後に現れたのである。

ちょうどイプサンドロスの市場をうろついて、綿か織物かの在庫がないかと聞いて回っていた時だった。

「在庫はまったく無い、あったとしてもあんたらに売らんがね」

「はあ? なんですって、もう一回言ってみなさい!」

と、店員の胸ぐらを掴み上げる。

「私達はグラナド商会の者よ。もう何年間も、この市場はキュロスの旦那に世話になってるはずでしょうが。今更恩を仇で返すようなこと――」

と、その時ふっと視界が暗くなった。背後に何か大きなものが立ち、日光を遮ったらしい。突然入道雲でも出来たかと振り返ると、そこに大男が立っていた。

ただの順番待ち、ではない、絶対。だって振り向いた私と鼻先がぶつかるほどの近さだったから。

「ひっ――きゃああああっ!」

思わず悲鳴を上げる。直後、杏侍郎が割り込んでくる。赤ん坊を抱えたままなので、体当たりで男にぶつかった。悲鳴も無く、案外簡単に吹っ飛んでいく大男。体格こそ杏侍郎よりも大きいが、喧嘩慣れしていないのが私にもわかった。まあ杏侍郎より強い男など見たこと無いけどね。

「う、ぐっ…ぐ……」

地面に倒れたまま呻く男。

私は一度、まるで女の子みたいな悲鳴を上げてしまったのを咳払いで誤魔化して、私は腰に手を当てた。地面に転がっている男を見下ろし、怒鳴りつける。

「なんだいこのデカブツ、真っ昼間っから痴漢か? まさか後ろに立っただけなんて言い訳すんじゃないよ、そんな距離感じゃなかったでしょう」

「……い、いや……違う。でも……」

赤毛の大男はなんとか身を起こしながら、何か口の中でもそもそとするめでも噛んでいるような口調で呟いた。

「グラナド……キュロス・グラナドと聴こえた、から……」

それだけ言って、黙り込む。やけに口数が少ないが、どうやら外国人で、イプス語の出力が出来ないだけであるらしい。私は腕組みをしたまま、思いつく限りの言語で話しかけてみた。

「あんたどう見ても東側じゃないわね。ディルツ? フラリア? スフェイン? それともルシアの南西部?」

「お、俺は、オラクル……」

「なんだオラクル人か、先にそれを言いなさいよ」

私がオラクル語で言うと、男は目を見開いてから、すぐに立ち上がった。やっと言葉が通じる人間に出会えたのがそんなに嬉しかったのか、餌をもらった大型犬みたいに満面の笑顔であった。

「嬉しい、会話ができる。俺の名はハドウェル・デッケン、オラクルから来た商人だ。といっても、俺は貿易商というわけではないのだが」

「貿易商でもないオラクル人? 珍しいわね、どうしてここイプサンドロスに?」

私が問うと、彼は一瞬だけ躊躇をし、それから素直に回答をした。

「……その……店から、綿織物を買い付けに……」

「え?」

さっき私を門前払いにした店員を振り向くと、カウンターに肘をつき、手のひらに顎を乗せてニヤニヤとこちらを眺めている。

なんと、私はまさに買い占めの現場に遭遇してしまったらしい。

ハドウェルを振り向くと、大きな体を小さく丸めて、ハドウェルは何やらもじもじしていた。

どうやら言語関係なく、無口で口下手なのは素らしい。

「……申し訳ないとは、思っている。そのうえでさらに……いよいよ厚かましいとは承知している。だがしかし、だからこそグラナド卿に――」

ぼそぼそと、朴訥とした口調で話し始めるハドウェルに私はいったん「待った」をかけた。手のひらを拡げて掲げ、彼の口上を遮る。

「なんかその話、長くてややこしくなりそうね? こっちにも事情があるとか、そういう」

「……ああ。しかし長くは……立ち話できない。誰に聞かれるか……」

なにやらあたりをキョロキョロ見回すハドウェル。

私は嘆息して、肩を竦めた。

「だったらうちの馬車に乗って。そのまま旧市街地、今はグラナド商会の製品工場地帯まで来てくれたら、密談できる場所はいくらでもあるわ」

「あっ――ありがたい、聞いてほしい……!」

「うんうん、聞くから安心して。ただ一応……ね。ほら、事情を聞いたら可哀想になっちゃうかもしれないから、今のうちに。心置きなく、やっとこうと思って」

「うん?」

私が宙に手を差し出すと、杏侍郎がポンと扇子を置いてくれる。私はそれをギュッと握りしめ、ハドウェルの脳天を思い切りしばいた。

「――よくもおめおめと顔を出せたわね、バカ野郎!」

これは結構いたかったらしい、こめかみを抑えて地面に座り込むハドウェル。

……ふ。私に悲鳴を上げさせた罪の償いはこれで、今日のところは勘弁してやりましょうか。