作品タイトル不明
いよいよ対決の時が来たようです
ヤン・ダッチマンの家政婦、ビビが語った、ハドウェルの滞在場所――港の倉庫群に、わたし達はやって来た。
倉庫群といっても、納屋がたくさん並んでいるという感じではない。ひとつの大きな、横長の建物があって、そこにたくさんの小部屋が連なっているという長屋式。港町ではよく見られるものだった。島を開拓し始めた時期からあるものだろう。年季が感じられる。
赤レンガ製の壁板は長年の潮風で色褪せ、ところどころひび割れていた。
周辺はとても静かだった。港の市場からかなり離れているせいだろう。日中だというのにどこか薄暗くて、吹き抜ける風が骨を冷やす。
……これ、倉庫のなかも結構寒いだろうな。温かい外套を重ね着しても、ここで寝泊まりするのは快適とは言い難いんじゃないだろうか。寝床を持ち込んでも倉庫はあくまで倉庫であって、一般住宅でもホテルでもないのだ。色々と不便もあるだろう。
「ここで間違いないか?」
キュロス様が問いかけると、ビビは恨みがましそうに彼を睨んだ。もう一度、今度は低く唸るような声で言うと、ひっと小さく悲鳴を上げて頷く。
「は、はい、確かに……ヤン様は、帰省のさい自分以外の商人はここを定宿にさせていると……行っていました」
「それで、自分は公爵の屋敷やリゾートホテルでぬくぬくか。ヤなヤツだな」
キュロス様が半眼になって言う。わたしも心の底から同意した。ヤン、ヤなヤツだ。
「で、今日も間違いなく、ここにいるんだな?」
「はい……昨夜ヤン様と落ち合った時、そのように、聞いています……キュロス・グラナドが島を出るまで、自分は雲隠れしておく……から、報告はハドウェルに手紙を託せって……」
「朝のうちに、納屋の様子を見て侵入者がいなかったか確認しろと言われたんだな」
「……は、はい。そうです……」
震えながら頷くビビ。
ものすごく怯え切っているけれど、キュロス様が彼女に何か、暴行を加えたわけではない。ただ彼女が一方的に、キュロス様を怖れ、震え上がっているだけだ。
キュロス・グラナドは背が高い。そして、妻のわたしも忘れがちだけれど、その面差しは結構怖い。彫りの深い端整な顔に、褐色の肌と怪しく光る緑の瞳は、美しさと共に魔性じみた妖しさがあるのだ。彼に本気ですごまれたら、獅子だって震え上がるに違いないのだ。
「ということは、あちらにはわたし達がイルダーナフ島に来ていることは伝わっているんですね」
「ああ、そうなるな」
「ではやっぱり、なんとしてもハドウェルさんと先に接触をしないといけませんね……」
わたしが言うと、キュロス様はそうだなと頷いた。
「ハドウェル・デッケンは、家族を人質に取られ、脅迫されているだけだ。あいつと戦うわけにはいかない。あいつをヤンから引きはがし、護らせないってのは重要だ」
「家族が無事に戻ってこれば、ハドウェルさんはわたし達の味方についてくれるでしょうか?」
「……味方、とまで言える仲になれるかはわからないが……ヤンを捕まえる邪魔まではしないだろう」
「早くご家族と会わせてあげたいですね。彼女達も、早く牢から出してあげたい……」
わたしとキュロス様は視線を合わせ、頷き合った。
……ハドウェル・デッケンからのメッセージは、監禁された家族の解放を求めるものだった。
昨夜、キュロス様から牢屋での彼女らの様子を聞いて、わたしは涙が止まらなかった。何も聞かされずに牢に入れられ、夫と引き離され、その夫の安否も分からない。どれだけ不安だったろう、苦しかっただろうと。
キュロス様も、彼女らの姿に妻子を重ねたのか、わたしに話しながら一度、涙をこぼしていた。
――絶対に助けだそう。
わたし達はお互いの手を握り、そう誓い合った。
……その日は嫌な天気だった。空には厚い雲が垂れ込め、いつ雨が降り出してもおかしくない。そのくせ潮風は生ぬるくて、髪や肌から急速に水分を奪っていく。今自分の顔を撫でたらひび割れてしまいそうだ。
重い鉄の扉を開く――。
「来ましたね、グラナド公爵! お待ちしておりました!」
「――えっ⁉」
わたしは大きな声で絶叫した。
声の主は、笑顔を浮かべた小柄な男だった。彼は軽快な足取りで近づいてくると、手を大きく振りながら挨拶をしてきた。ヤン・ダッチマン――!
「ヤン! おまえがなんでっ――」
「さあどうぞこちらへ! どうぞどうぞ!」
キュロス様の叫びを遮って、ヤンは倉庫の中へわたし達を導いた。
薄暗く湿った空気だ。外の潮風の香りとは対照的に、内部はかび臭さが漂い、しばらく使われていないかのように埃っぽい。壁には古い帆布や木箱が積み上げられており、ここがかつては貿易のための倉庫だったことを物語っている。
床は雑多に散らかっていた。ゴミや空き瓶、中身が入っていなさそうな木箱がゴロゴロと転がっている。でも、生活用品らしいものは見当たらない。たとえ一泊でも寝泊まりするならば絶対に必要な寝具、飲食物も……見当たらない。せいぜいつかの間の防寒具だろう、毛布の山がヤンの足元に落ちているくらいで。
つまりここは、彼らの定宿なんかじゃなくて……わたし達を誘い込むための罠。
キュロス様は、自分が手綱を握る女を見下ろした。緑の瞳に睨まれて、ビビは小さな悲鳴を漏らす。
「ヒっ、嘘、なんで、わ、私は何もッ、知らなくてっ」
「おまえがここに案内したんだろうが。ついさっきも、ハドウェルが寝泊まりしているところだと」
「だ、だって、それはヤン様がッ――」
か細い声で反抗するビビ。待ったをかけたのはヤンだった。
「おっと、おれの下僕を虐めるのはやめてくれ。彼女は嘘を。吐いちゃいない。おれがそう言って聞かせてたんだよ」
「……メイドまで騙していたのか。それも、俺達が来るよりずっと前から」
「あたりまえだろ。こんな、鞭で叩かれたら誰にでもついていく 駄驢馬(だろば) に、ぺらぺら真実を話せるかよ」
……わたしはちらりと、駄驢馬よばわりされたメイドを見た。彼女は特にショックを受けたり、悲しそうな様子は無かった。暴言で侮辱されるのも珍しくないことなのかもしれない。
「おまえ、本気で最低のヤツだな」
キュロス様に睨まれても、ヤンは鼻で笑うばかり。キュロス様は呆れたように嘆息し、ビビの縄をほどいた。優しさで解放したのではない、その手を彼女を拘束するのに費やすのではなく、腰の剣を握るために。