軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

王太子は鉄錆色の恋をする③

ゆっくりと、溜め息みたいに言葉を吐き出して……公爵は微笑んだ。

「……彼を恨んではいません。むしろ感謝をしています」

大きな背中を畳むように丸めて、ぽつりぽつりと小さな声で言葉を紡ぐ。

「良い夢を――良い夢を見させてもらいました。楽しかった。幸せでした。得るものばかりでした。何も失っていません」

「……コルネリス卿」

「もともと何にも無かったもんが、やはりどこにも無かった、それだけなのです」

たぶん、本心から言っているのだと思う。彼の口調から、後悔は感じられなかった。真実その通りではあるだろう。

夢も希望も無くし、弱った人の心には、 一時(いっとき) 、偽りの 灯(ともしび) でも、温もりのようなものが感じられたのだ。それを愚かだと 嗤(わら) うことはできない。

キュロス様は目を閉じ、公爵と同じくらいまで頭を下げた。

「ご息女のことは、お悔やみを申し上げます」

掠れた声でそう吐き出してから、ふと彼はわたしのほうに目を向け、ぎょっとのけぞった。

わたしは泣いていた。ぼろぼろと零れた涙が顎まで滴り、ドレスが濡れるほど大量の涙が溢れて止まらない。ぎゅうっと握り込んだ手が、血の気を失くして真っ白になっている。

……これは憐憫じゃない。同情、共感だ。

ああ姫様、怖かっただろうな。悲しかっただろうな。寂しかっただろうな。

彼女が自死を選んだのは、きっと思い悩んだからではない。楽しかったからだ、希望を持って彼を待ち続ける日々が楽しすぎたから、その時間が終わらせたくなかったんだ。

ライオネル、ライオネル。どうして――最後まで騙し続けてあげなかったの。愛されているのが分かっていたくせに。その愛の重さを知っていたくせに――!

怒りで震える手を、キュロス様がぎゅっと握ってくれた。冷え切った指が彼の手のひらで温められる。キュロス様の手も、いつもよりずいぶん冷えていたけれど、それでもわたしよりは温かい。わたしは彼の体温に甘え、自分を慰めた。そして亡くなった彼女に、一度はこの温度を与え、そして失わせたライオネルを強く憎んだ。

……許せない。

わたし達の様子に気付き、公爵はハッと表情を変えた。

「ああ申し訳ない! いや、湿っぽい昔話などしてしまった。こんなつもりじゃなかったのですが!」

「いえ、こちらから聞いたことですし……」

「本当にただの昔話です。あれっきり、殿下とはまだ一度もやりとりをしていませんが、もう待ってなどおりません。今どこで何をしているのやら、興味もありませんね」

「……ライオネルは、今は」

「もしアレの戴冠式が行われた折には、ツルハシ持って乗り込んでやろうと思いましたがね!」

わはははっ、と豪快に笑う公爵。わたしも、多少無理やりではあったが笑みの形に顔をゆがめた。隣でキュロス様も明るく笑う。

「それは良いですね。その時には我々夫婦も馳せ参じます」

「なんと心強い、英雄ジークフリートの末裔のお言葉!」

さらに大笑いする公爵。キュロス様と二人、空っ風が吹くような笑い声をあげてから、公爵は口元だけでニッコリ笑った。

「そう、キュロス卿。あなたの存在があれば、とても心強い。申し上げました通り、このダッチマン家には跡継ぎがおりません。長女は遠い異国に嫁いだきり、私はもう妻も失くし身軽ですから、爵位を返上し民間に下るのも良いかと思っています」

「それでは、この島は国に預けるおつもりで?」

「ええ、しかし思い入れがあるのも正直なところで……。いきさつはさておき、二十年大切に育て上げたこのイルダーナフ島の将来が心配です。もしグラナド商会に守っていただけるなら、心置きなく隠居できる。あなたならこの地をディルツとオラクルの中継地として、上手く利用してもらえるのではないかと期待しています」

「……そうですね。あの賑わった市場は魅力的です。しかし鉱山は……」

「お好きになさってください。まだ赤字にならない程度には採れますが、今はもう人手を割くのがもったいないので閉鎖していますし。鉱夫達の宿舎もそのまんまですよ」

「……鉱夫の宿舎がそのまま……」

キュロス様の緑の瞳がきらりと光る。

彼は少しだけ思案をしてから、改めて公爵に向き直り、その場で深く頭を下げた。

「恐れ入ります、公爵様。今、ディルツでは『人余り』が発生しています。福祉の制度はありますが、人間暇を持て余すとろくなことをしないので、適当な仕事を作って国から給料を与えています」

「ああ、公共事業というやつですな」

さすがオラクルの上級貴族、すぐに俺の意図を察して頷いた。

「その者達を、この島へ誘致することが出来れば全員にとって良いかと思います。受け入れていただけますか」

「それはそれは、願ったりかなったりです。大歓迎ですよ!」

公爵は今度こそ笑顔になった。お茶がひっくり返るほどの勢いで立ち上がると、メイドのビビを呼び、なにやら書類の束を持ってこさせた。

テーブルの上に紙を広げて並べ、嬉々として説明をしてくれる。

「これは鉄鉱山の地図でございます。ほら結構おおきな山でしょう? この手前、ここからここまでがすべて鉱夫のための宿舎ですよ」

どれどれと覗き込んでみると、確かに四階建てほどのアパルトメントがずらりと並んだ一角が描かれている。これだけの規模だと住人は二百か三百、その家族を含めれば千人以上、ここで生活をしていたことになる。立派な街だ。

「食堂や髪切り処もありました。当時は私もここに別宅を構えて、一緒に土を掘ったりしましたよ。毎日泥だらけになって、みんなで一緒に炊き出しもして――」

喋りながら、老人の目がだんだん潤んできた。不意に零れた大粒の涙を乱暴に拭って、公爵は顔を覆い、震えた。

「ああ……あの鉱山がまた賑やかになって、またみんなで暮らせたら――こんなに嬉しいことは無い。そう――私は嬉しいのです。家族が居ない老人にとって、残り少ない生き甲斐なのですから」

「……そうだな。家族のありがたみとは、本当に、それが一番なのかもしれない」

キュロス様がぼそりと、独り言みたいにつぶやいた。

キュロス様は、今でこそ人に恵まれた環境にいる。グラナド城は多くの人で賑わっているし、お仕事もいつも誰かと一緒。きっと寂しいと思う時間なんて無いだろう。

特に子どもが生まれてからは、お仕事以外の時間、いつもわたしやリサのそばにいてくれる。もっと自分ひとりの時間を持ってもいいのよと進言したが、キュロス様は驚いて、「どうして? 俺の楽しみを取らないでくれ」と笑って見せた。

家族との時間が俺の生き甲斐だと、彼はよく言う。わたしも彼に同意だった。

彼もわたしも、家族を失ったことがあるから。

出会ってから数年、彼を見つめてきてなんとなく気が付いたことがある。キュロス様は、家族を失うことをとても怖がる。

強くて美しくて、地位にも財にも、力にも恵まれて、何でも持っているキュロス様。彼の持つ財産は莫大で、少々削り取られたからってびくともしない。だけど家族だけは、決して代わりなど見つからない。失ってしまったらもう、その穴が埋まることはない。

キュロス様……もしわたしが彼の前から居なくなったとしたら、彼はどうなるのだろうか。もう帰ってこないことがわかっていても、ずっと探し続けるのだろうか。他に縋れる何かを見つけられるのだろうか。いつかまた幸せに、笑えるようになるのだろうか……。

なんとなく物思いにふけってしまったわたしの横で、公爵同士の会話は続いていた。

「ところで、コルネリス卿。ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」

キュロスが問いかける。

……? なんとなくその語調に違和感を覚えて、わたしはキュロス様の横顔を見つめた。

何かを、確信している?

公爵も感じたのだろう。眉を顰めながら、それでも頷きどうぞと促してくる。

キュロス様は簡単に礼を言ってから質問を続けた。

「今、跡継ぎがいないとのことですが……この家をお尋ねしたばかりの時、公爵様は『男所帯』とおっしゃってました。その後も、『我々』『自分達』と。ひとり暮らしとは一度も言われませんでした」

……ああそういえば、そんなことを言ってたような?

でもそれがどうしたというのだろう。わたしは疑問符を浮かべたが、黙っておいた。

公爵は数秒、目を白黒させてから、「ああ」と頷いた。

「はい、男の二人暮らしですよ。といっても、普段は仕事で大概出払っているもので、めったに帰っても来ないのですが」

「それは跡継ぎとして迎えた養子、ではないのですか?」

その問いに、今度は公爵は渋面になった。

「……おっしゃる通り。嫁入りした長女の、末の子でして」

「お孫さん、ですか」

「ええ、そうなります。しかし嫁ぎ先が遠方であったため、私はつい最近までその子に会ったこともなかったんですよ。しかしある日突然、一人で訪ねてきましてね――」

『この家には跡継ぎがいないと聞きました。おれにその席をいただけませんか?』

彼の孫は、いきなりそう言ったのだという。

……ずいぶん図々しい――もとい意志の強いお孫さんだな、とわたしは思ったが、どうやら公爵にとっては良い思い出、とても嬉しい日だったらしい。

その時のことを思い出しているのか、公爵は青い目を細めて微笑んでいる。

あまり交流の無い孫でも可愛いものなのね。『おじいちゃん』の顔になった公爵に、わたしは思わず自身の祖母を重ね、首を振った。サーシャお祖母様が孫を可愛がっていたなんて、とんでもない! まったく記憶にないし想像もできないわ!

いや、あの厳しい厳しいご指導も、彼女なりの愛というか、孫への期待の現れだったかも。少なくとも楽しんで虐めをしていたわけじゃないからね。

そしてキュロス様の父、アルフレッド様にエリーザベトを見せた時のことも思い出す。アルフレッド様は病床にあり、今にもその命が尽きようかという状態だった。それでもリサの小さな手を握ったとたん、目に輝きが戻った。穏やかな笑顔は間違いなく『おじいちゃん』の顔そのものだった。アルフレッド様の亡き後、すっかり気落ちしていたリュー・リュー様も、リサの面倒をお願いしてからは元気になった。明るく快活で、十も二十も若返ったように見える。祖父母にとって孫とはそれほど特別なものらしい。

公爵という、雲の上の人みたいな上級貴族でも、孫可愛さはみんな同じなのね。

思わずクスッと笑ってしまう。わたしの視線を感じ取ったのだろう、公爵はまた照れくさそうに笑った。

「ああ、お恥ずかしい、孫といってももう三十を過ぎた大人なんですよ。可愛いなんて言っちゃいけませんな」

「お気になさらず、きっと同じ孫を持つ祖父母ならみんな同じ気持ちでしょうから」

「いやそれが、この孫本人がとても怒るのですよ。どうも、可愛いと言われるのが嫌な 性質(たち) のようで」

「……。まあ成人男性なら普通ではある、か……」

キュロス様は呟きながら、何か熟考しているようだった。

――実は、隣に座るわたしも何か、引っかかるものがった。

……なんだろう。こんな和やかな雑談だというのに、頭の中で警鐘が鳴っている。

なにか――聞き流してはいけない。そんな気がしてならないのだ。

もしかしてキュロス様も同じ……?

彼はとりあえず何も気にしていない 体(てい) で、公爵との話を続けようとした。

「俺も、お孫さんと会った時にはうっかり可愛いと言ってしまわないように気を付けます。もともと自分から見れば大抵の人間は小さいもので、自分より年上の男でも可愛らしく見えてしまうことがありますし」

「ああ、よくよく気持ちがわかりますよキュロス卿!」

ダッチマン公爵は本当に嬉しそうに目を細めた。

「孫は東洋の血が半分入っているせいか、とても小柄でしてね。我々オラクル人の目からはどうにも幼く見えてしまうもので、つい出会った時、言ってしまったんですよ。なんと可愛い子だ、と……」

紅茶を飲むために、持ち上げかけていた手がピタリと止まる。

――とても小柄なオラクル人――。

……まさか。

わたしが固まっている間にも、会話は続いていく。

「なるほど、それはそれは、まさに目に入れても痛くないほど可愛いでしょうね」

「ええ、まあ。そうなんですが、あれは失言でした。孫は背が低いこと、年より幼く見えるのをえらく気にしていたようで……その場で大激怒され、以来すっかり嫌われてしまいましてね。めったに顔を合わせることもありません。……たまに帰って来ても部屋には入らず、屋敷の隅にある、納屋で寝泊まりしているようで……」

「では跡継ぎにするのは諦め――」

「あの! お孫さんの名前は?」

キュロス様と公爵の会話を遮って、わたしは大きな声を上げた。

公爵は、なぜそんなことを聞かれるのか不思議そうにしながらも、問われたことにちゃんと答える。

「名前は、ヤン。私との仲はこじれてしまいましたが、本当に可愛くて商才もある、いい子なんですよ」

わたしは言葉を失った。

キュロス様も大方予想していたのだろう。青ざめてはいたが、「やっぱり」という表情をしていた。