軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

メッセージが隠されていました

夜、ひとり自室で、わたしは机に向かいながら、これからどうすべきかを考えていた。

キュロス様から提案された選択肢――それを聞いたとき、どうすればいいかすぐには決められなかった。

本当は、キュロス様と毎日共に過ごしたい。家族の幸せな時間を護りたい――だけど。それは、キュロス様にとって幸せなのだろうか。

かつて彼の母、リュー・リュー様はわたしのことで息子に説教をしてくれた。『あんたの妻は大鳥だ。籠に閉じ込めず、ちゃんとはばたかせてやりなさい』と。

その言葉はとても嬉しかった。そしてキュロス様は母親の言いつけ通り、わたしを自由に、学びの機会を与えてくださった。突然与えられた幸運とは違い、自分の努力で得たものは、わたしの自信になっていった。そうやって、今のわたしがここにいる。

……キュロス様は、わたしに自由を与えてくださった。愛ゆえに、解き放ってくれた。

わたしは、彼を縛ってよいのだろうか。

……キュロス様にもやりたいことがある。義務もある。

グラナド公爵という貴族として、領地を、いや国を守らなければならない。いくつもの子会社をまとめる大旦那として、商会の資産、従業員の生活を守らなければならない。

愛する家族を守りたい。できればこの城の生活も……。

春の陽光が部屋の中を照らしている。家具ひとつひとつが、ここで過ごしてきた時間を物語るものだった。これを失いたくない、キュロス様の気持ちはよくわかる……。

「……どうすればいいのかしらね……」

そう、独り言をつぶやいたその時、ふと机に、馬車の模型があるのに気が付いた。

そうだ、ハドウェルからリサにと贈りものをもらったのだ。いけない、あれから色々とあったせいでリサに渡すのを忘れていたわ。

わたしは模型を手に取って、ベッドの上で遊んでいるリサのそばに座った。

「改めて見ると……本当によくできた細工物」

リサに渡すより前に、わたしは馬車をまじまじと見つめた。細部までしっかりと作り込まれていて、手触りからもその頑丈さが伝わってくる。

ディルツの工業技術、職人技は世界一――そんなハドウェルの言葉が思い出された。

彼こそが今の悩みの種、グラナド商会にとって脅威の存在であるはずなのに、彼の言葉に慰められる。自分の国のことが褒められるのって、こんなに嬉しいのね。

「こんなものを量産できるなんて、ディルツの工業技術は本当にすごいのね……」

わたしは呟きながら馬車の模型をリサに差し出した。

もうすぐ二歳になる娘は、積み木や知育玩具が大好きだった。毎日のように色とりどりの木片を積み上げたり崩したりしては楽しんでいる。きっと喜ぶだろうなと思っていたら案の定、わたしの手から模型を受け取るなり目をキラキラさせて、まるで宝物を見つけたような笑顔を見せた。

「うはあー!」

リサの小さな手が、ぎこちなくも好奇心いっぱいに模型をくるくると回し始める。

彼女の指先が車輪に触れると、木製の小さな輪が軽やかに回転し、カラカラと小気味のいい音を立てた。ますます嬉しそうに笑うリサ。

わたしも正直、歓声を上げそうになっていた。

本当にこの馬車、よく出来ている。精巧に作られた馬車は、まるで本物がそのまま縮んだかのよう。車輪の軸には小さな釘が打ち込まれ、馬のたてがみには細い線が刻まれていた。

わたしはソファの端に腰かけて、そんな彼女を見守る。こうやって集中して遊んでいる時、親は邪魔しない方がいい。

それにしてもリサって、本当にこういう模型が好きね。

もしかして彼女こそ工業職人、物作りに向いてるのかしら?

アナスタジアの姪だから、ありえるわよね。まだ二歳にもならないのに、こんな風に細かいものに興味を示すとは思わなかった。まだ小さな手を一所懸命に動かして、何かを作り上げようとする姿を見ていると、将来が楽しみで仕方ない。

いずれリサが成長したら、自分で何か設計図を引いて、大きなものを作っているかも……そんな娘の将来を想像して、わたしは誇らしい気持ちになった。

これからもリサの成長を見守っていこう。いつか彼女が、自分の特技を活かして、やりたい仕事ができるように――。

――と、突然。

「ああー!」

リサが大きな声で叫んだ。

「どうしたの⁉」

慌てて駆け寄ると、彼女の手には、さっきまで完璧だった馬車の模型が無残なバラバラ姿で握られていた。

「ああー!」

「あ、ああ……壊れちゃったの。残念……」

少し、首を傾げながらもばらけた部品を片付ける。おかしいな、凄く頑丈で、投げても踏んでも壊れない商品だって聞いたのに……。

いや、言っていたのはオモチャ屋の店主ではなくハドウェルか。

わたしは嘆息した。彼との会話は、お互い言語が片言程度で、意思の疎通が難しかった。ハドウェルの言葉は正しく翻訳できていなかったのかもしれない。

あの言葉、信じなければよかったな。絶対壊れないと聞いていなければ、もっと大切に遊ぶよう、リサの動向に目を光らせていたのに……。

破片を拾って、また首を傾げる。

……ん? これ、全然破損していない。バラバラになったパーツには割れどころか傷ひとつなく、むしろ綺麗に外れているようだった。これもしかして壊れたのではなく、綺麗に分解されただけなのでは?

……もしかすると、元に戻せるかもしれない。

わたしは床に膝をつき、散らばった部品をかき集めようとした。まずは馬車の胴体を手に取って、そっと持ち上げて……どこからかカサッという小さな音が聞こえた。何の音かといぶかしみ、手の中の模型をよく見てみた。

すると馬車の胴体の側面、ちょうど荷台の部分にあたる小さな隙間に、何か白いものが挟まっていた。

何だろう? なにかメモのような……取扱説明書かしら。

分解しないと出てこない内部に、そんなものが封入されているとは思えないんだけど……。

わたしは指先で紙を摘まみ、そうっと引っ張り出した。やはり、折りたたまれた小さな紙だ。破ってしまわないよう、慎重に広げてみる。

……手書きの文字が掛かれた、メモだった。署名は無い。だけどこの字には見覚えがあった。

この馬車を受け取ったあの日、あの場所で、いくばくかのやりとりをしたあの人。筆圧の高さがうかがえる、インクがたっぷり乗った力強い文字。

『たすけて』

その文字と共に、簡素な絵が描かれていた。紙が小さく、簡素すぎてよく分からない。だがおそらくそれは地図だろうと察しがついた。

中央にはぐにゃっと大きく曲がった線が走っていて、おそらく川だろう。まるで蛇が這うようにうねっているのが特徴的な川だった。川のそばには、三角形が二つ重なったような印。山か丘を表しているのかもしれない。その横に一本の縦線……縮尺がおおよそこの絵の通りなら、ものすごく大きなものだ。塔? 巨大な木? おそらくこれが一番特徴的な目印だった。その頂上と思しきあたりに、赤いバツが描かれていた。

――これは……何? どこかの場所を指定している。そして『たすけて』という言葉。

どういうこと? ハドウェル・デッケンの身に何が起こっているの? わたしは地図を両手に持ち、わななきながら、これの意味をぐるぐると考え始めた。

リサがわたしのそばで一人遊びを始めていた。

幼子の無邪気な笑い声が、鈍痛のようにわたしの胸を衝く。

……息子がいると、ハドウェルは言っていた。

……まさか……。

心臓が急に冷たくなって、胸の奥からじわじわと冷気が広がっていくような感覚がした。

わたしは紙をもう一度見つめ直し、地図の曲がった川と山の印をじっと見つめた。だけどわからない。この特徴的な地形は、わたしの知る限りディルツのどこにも無いのだ。

他に暗号は無いか、何か手がかりはないか、何か分かることはないかと目を凝らしたけれど、見つからない。

意味の分からない地図に、ハドウェルの笑顔が重なって見えた。