軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

お姉様強化計画③

「――という、経緯でね」

アナスタジアお姉様はそう言って、肩を竦めた。

「ルイフォンだって、ナイフを使ったことあるはずなんだけどなあ。なんか忙しかったのか、妙に愛想悪くてさ。それでも言ってることには一理あるから、ミオさんを訪ねて来たってわけ」

「はあ……なるほど」

わたしは頷き、隣に座るミオを見た。

いつもの侍女は、いつも通りの無表情。その眼差しから感情を推し量ることはできない。ただつぶらな瞳を少しだけ半眼気味にして、アナスタジアを眺めていた。

「ってことだから、ミオさん、お願い! 今日一日、基礎だけでいいから」

「申し訳ありませんが、私はナイフが使えません」

ミオはちょっと意外なことを言った。

「正確には、対人間用に刃物を使うことを禁じられています」

「禁じられている? 何それ、初耳よ。キュロス様がそんな命令をしているの?」

「旦那様ではなく、その親のほうです。私の養育者でもあります。初めは反発心もありましたが今は納得しています」

と、あまり気のなさそうな返事をする。

そうしてきっぱりと断れたアナスタジアは、それでも明るく笑った。

「ううん、ミオさんから教わりたいのはナイフじゃなく、素手の格闘術。ルイフォンが言ったのは、自分と同じく小柄で非力な女性に教われってことだから」

「……確かに、近しい体型に見えるでしょうが……服を着ていれば」

ミオはぼそりと続けたけれど、アナスタジアは聞き逃したようだった。上機嫌で、

「でしょ? それで刃物を使わず、城主の護衛もしているのだから、本当にすごいことだわ。ぜひその格闘術を教えてほしいの」

ミオはしばらく考えるように沈黙してから、不意に、フッと鼻で笑った。

「承知しました。ディルツ王国第三王子ルイフォン・サンダルキア・ディルツ殿下よりお役目を賜ったからには、誠心誠意、アナスタジア様に手ほどきをさせていただきます」

「お、お願いしますっ」

アナスタジアは背筋を伸ばした。

威勢のいい返事に気を良くしたのか、ミオは鷹揚に頷く。

「先ほど申し上げました通り、私は刃物を使用しません。純粋にこの体だけを使った格闘技を教えることになります。まあ運動になりますから、健康にもよいでしょう」

むっ、とアナスタジアは頬を膨らませた。

「あたしが習いたいのは健康のための体操じゃないわ、人を倒せる格闘術よ」

「存じております。ただ二次効果として申し上げたまで。体幹を鍛えれば、あなたの職人としての技術も向上するでしょうし」

「ほんと? それはありがたいわ!」

アナスタジアが歓声を上げる。わたしは横で、「え?」と妙な声を上げてしまった。

なんだか、わたしの理解を超える速度で何かが展開したみたいで、ついていけてないんだけど……え? あれ?

何!? ミオがアナスタジアに格闘技を教えるって!?

わたしがまだ混乱している間に、二人の間で会話が進んでいく。

「私が習得したのは、東洋に起源のある武術です。流派によっては刃物を使うこともあるそうですが、私が取得したのはあくまで護身術――それも、筋力ではなく技を使うものです」

「技術……」

「分かりやすく代表的なのが、『急所突き』。どれほど屈強に鍛え上げた戦士でも、人間である以上、急所――脆い箇所が存在します。私達のように体が小さく非力な者は、そこを狙わなければなりません」

アナスタジアは「なるほどぉ」と楽しそうな声を上げ、ウンウン頷いた。

「細工作業で、どこにどうノミを入れるかってのと同じね。最適な角度と力加減で狙い打てば、宝石だって簡単に割れるもの」

「はい、そういうことです。理解が早くて助かります」

な、なんだかいい感じに進んでいる……!?

「大事なのは常に冷静であることです。殺意や恐怖に心乱されることなく、戦場での殺し合いを、テラスでのティータイムと思うように」

「そ、それはさすがに……あたしには難しそうだわ」

「自己暗示をかけるのです。自分は人喰いの猛獣――狩りは日常の食事でしかない。何も特別な時間ではないのだと」

人喰いの猛獣……。

わたしとアナスタジアは同時に顎に手をやり、同時に首を傾げた。

……王都の周辺に、猛獣と呼べる獣はいない。大型の獣が潜めるような、豊かな森がないからだ。いるのはせいぜいキツネ、鷹、イタチ……最強でも狼? 酪農村出身のわたし達姉妹にとって、獣とは家畜を狙う害獣であり、人間にとっての脅威ではない。むしろ家畜、牛や馬や鹿のほうが危険だったりするのよね。うっかり蹴り飛ばされたら本当に命を落としかねないもの。

わたし達がピンと来ていないのを察し、ミオが助け舟を出す。

「私は師匠に、『虎』をイメージするよう指導されました」

虎……。本物に 遇(あ) ったことはもちろん無いが、図鑑で見た覚えがある。

しかしアナスタジアの記憶の中には無かったらしい。床と水平になるほど首を傾げてから、そっとわたしに囁いた。

「ねえマリー、トラって知ってる?」

「ええっと、東部大陸や、南部の森林地帯に棲むという、とても大きな獣です。たしか猫の仲間だったかと」

「猫ね、なるほどなるほど」

妙に深々と頷くアナスタジア。自分を呼ばれたと思ったのか、床の赤猫が「ウにゃあ」と鳴いた。

心の中に猛獣を宿す――というイメージトレーニングを、彼女なりに一所懸命やっているのだろう。黙り込んで唸っているアナスタジアに、突如、ミオが声を掛けた。

大きな声で、まさに獣の咆哮のように――。

「――目覚めよ、虎の魂っ!」

パンっ、と手が叩かれる破裂音。

弾かれたように顔を上げ、アナスタジアは叫んだ!

「にゃー!!」

「……ぶっふぅ」

ミオは思いっきり吹き出した。

「ええっ!? 何で笑うの!?」

困惑し、抗議をするアナスタジア。しかしミオはツボの深いところにハマったらしい、お腹を抱えて悶絶している。それはわたしも初めて見るミオの姿だった。理由はどうであれ、あのミオを床に這わせるとは――わたしは心から感心して、姉の手を掴んだ。

「さすがです、お姉様!」

アナスタジアは、なんともいえない 表情(かお) をした。

◇◇◇

「騙されたわっ!」

部屋に入るなり、開口一番、あたしは叫んだ。

釦屋ノーマンの工房兼自宅である。合鍵を使って勝手に入っていたルイフォンは、「何のことだい」とすっとぼける。あたしは外套を投げつけた。空中で受け止めて、彼はやはりニコニコと笑っていた。

「荒れてるね。ミオちゃんは君に、戦闘術を教えてくれなかったのかな?」

「ええまったく! それどころか、なぜか延々と猫のモノマネをやらされたわよ! 『アナスタジア様もっと大きな声で』とか煽られて、途中でマリーまで笑いだすし!」

「猫のマネ……?」

「さすがのあたしもコレで強くなれるわけないと気が付いて、いい加減ちゃんと格闘技を教えてくれって言ったら、『生兵法は大怪我の基、という言葉がございます。その意味は、ルイフォン様に聞いてくださいませ』ですって!」

ルイフォンは自分に責任を投げられても、やはり笑っているだけだった。

こういう展開になることは予想していた――いや狙い通り、最初からこうなることを期待して、あたしにミオさんを紹介したのだ。この男、たまにこうして意地の悪い悪戯をする。

あたしが責めると、ルイフォンは肩を竦めた。

「だって僕が諭したって、君はすんなり納得なんかしないだろ」

「そ、そんなこと……ないもん」

「僕一人に説得されるなら、砦で剣を振った時点でわかったはずだ。自分は戦えない、と」

あたしは無言で、鞄を床に置いた。

ルイフォンは容赦なく、あたしの耳が痛くなる言葉を続ける。

「まず君は、戦うということを侮っている。騎士にせよミオちゃんにせよ。生まれつきフィジカルとセンスに恵まれた人間が、長い年月をかけて鍛え上げた力だっていう理解が足りていない」

「……別に、あなた達を侮ってたわけじゃないわ。ただあたしだって――」

「無理。小柄に生まれ二十歳過ぎまで深窓の令嬢だった女性が、今から鍛えて、暴漢に勝つことはできない。絶対に」

キッパリと、断言するルイフォン。

「戦えば殺される。抗っても無駄。諦めて命だけはと慈悲を乞うのが最適解。君の場合は、全力で逃走するのが一番の防御だ。もっと言えば危険な場所や人間に近づかないことだな」

「…………そこまで言わなくったって良くない?」

あたしが頬を膨らませて見せても、ルイフォンはやっぱり退かなかった。

微笑みだけは優しいまま、あたしを真正面から見つめている。そのアイスブルーの目が鋭く、冷たくて、あたしは思わず目をそらした。

「アーニャ」

呼ばれても返事をせず、あたしは彼に背を向けた。コーヒーを入れに厨房へ行く。不機嫌が抑えきれない。

背後から、優しい声が掛けられた。

「僕が護るよ」

大きく長い腕が、あたしの体を抱きしめる。ゆっくりと、強い力で。

「コーヒーが飲みたい時、ミルやケトルを使うだろ。同じだよ」

「……ケトルは、あたしに夜道を歩くななんて言わないわ……」

「僕も言わない。ただ連れて行ってくれ。僕の力を借りたからって、君のやりたいことは何も制限されない。ただ便利な道具と思えばいいんだから」

……この人は、こんなふうに甘ったるい、口説き文句みたいな言葉をよく口にする。

その大半は冗談で、あたしが照れたり怒ったりするのを楽しむために言っているだけだ。

だけど、今は違う……本心で言っているのだとわかる。わかってしまって、アタシはもう、なにも言えなかった。

そう……分かっている。

この人は、何があってもあたしを護ってくれる。あたしだけじゃない、自分の 兄弟妹(きょうだい) や部下である騎士達、国民全員を命懸けで護ろうとしている。

だけど……だからこそ。

その重荷を、ほんの少し……あたし一人分でも軽くしたいって。そんな風に思ったのよ。

あの日、騎士団の砦で他愛もないイタズラをしてきたルイフォン。

その手からは血の匂いがした。

素振りで豆でも潰したのか、演習でケガをしたのか。いずれにせよ、彼らしくない匂い。

嫌だな、と思った。普段なら 気障(きざ) だと笑う、香水の匂いが恋しかった。

強くて優しくて心配性のあなたが、安心して、剣を置ける日が来るように。

ルイフォンの手に頬を摺り寄せて、あたしはこっそり、そんなことを願った。