作品タイトル不明
薬を呑むなら毒までも②
「もしもしそこの……肌が綺麗なお嬢さん」
突然、そう呼びかけられて、私は手を止めた。
ここは王都の職人街から東へ路地を抜けた先、大通りの左右びっしり歓楽店……通称『 香街(かおりまち) 』。中でも一級の美女が集まると言われる高級店、『花吹雪』。
夜になれば、深い谷間をあらわにした娼婦らが、窓越しに色っぽいポーズをして客引きする。しかし閉店している日中は、すっぴんに粗末な服装で、普通の町娘のように過ごしていたりする。
……なので、色気のない市民服で店先にしゃがみこみ、作業をしていた私を、娼婦と間違えても不思議はない――私はニッコリ笑顔を作って振り向いた。
「はぁーいっ、なんでしょうかぁ?」
甘ったるく間延びさせた高い声。こうすると、たいていの人間は男女問わず毒気を抜かれるもの。
しかし、その女は表情筋を微動だにさせなかった。きっと私が振り向く前からずっと、無表情なのだろう。黒目がちな瞳を半眼にして、店先に突っ立ったまま、先ほどとまったく同じトーンでこう言った。
「人を探しております。あなたの店に変わった客が来ませんでしたか? 十七歳の少年で、金は払うが女は要らない、しばらく匿ってくれなどと言って」
「んー? ちょっと覚えがありませんねえ」
「本当ですか? 隠し立てをしないほうがあなたの身のため――」
「ちょっとっあんた! チュニカちゃんに何を絡んでるんだいっ!」
私が口を開くより早く、店の奥から甲高い声とともに妙齢の女が飛び出してきた。この娼館の女将である。大股でドスドスとやってきては腕まくりをし、無表情の女に詰め寄った。
「この 娘(こ) に何か用? 言っとくけど、チュニカちゃんの卸す商品はまっとうそのもの、いや界隈一番の良品だよ。『 花吹雪(うち) 』の娼婦はみんな、この子の石鹸の虜なんだ。かといって怪しい薬なんて欠片も入ってない――」
「ああお姐さん、大丈夫ですよぉ。落ち着いてぇ」
私はふにゃふにゃ笑って、女将の背中をヨシヨシ撫でた。
「いきなりそんな、喧嘩腰に食って掛かるようなことは何にもされてませんよぉ。ただ人探しをされているそうで、客入りを聞かれただけですぅ」
「は? それじゃああんた、娼婦扱いされたってことじゃないか。それはそれで怒るべきだわ」
ふんすふんすと鼻息荒いお姐さん。自分こそ娼婦上がりなのに。私は噴き出した。
「それでも、肌が綺麗と褒めてもらったんですよ。お姐さん達と同業者だって思われたなら、光栄ですわぁ」
そんなやりとりを見て、来訪者の女は不思議そうな顔をした。
「……この界隈に、店の関係者でもない女性がうろついているとは思いませんでした」
「ということは、今そこにいるあなたも娼婦なのかしら? それにしては愛想がないけどぉ」
私が言うと、女はほんの少しだけ、驚いたような顔をした。といっても目の大きさがほんのわずかに変わっただけ、私でなければ見逃してしまう変化。まだ若いし顔立ちも悪くないけど、こりゃ接客業向いてないなー。
とりあえず私は、持っていた籠を掲げてみせた。中に入った石鹸を、棚の上にコトコト置きながら、
「私は卸売業者です。うちの父親が薬師で、私はそれを納品しに来ただけえ」
「薬師……の娘?」
「です、です。といっても、お国に認可された医薬品なんてカシコイものじゃありません。古めかしい、マジナイまがいの健康食品って感じですけどぉ」
「謙遜するんじゃないよ、あんたの美肌石鹸や入浴剤は、もううちにとってなくてはならないものなんだから」
「あはは。おかげさまで、『花吹雪』さんでは稼がせてもらってますぅ」
籠からひとつ小さな包みを取り出して、無表情の女に渡してやった。
「こちらをどぉぞ、洗顔石鹸のサンプルです。気に入っていただけたら、『くすりやペンドラゴン』でお買い求めくださいまし。道具屋通りにその名前で看板が出ておりますのでぇ」
「ペンドラゴン……?」
女の眉が初めてピクリと動く。それは上級貴族の姓ではないか、と驚いたのだろう。だが私が何も言わずただニコニコし続けていると、それ以上は追及してこなかった。
女は包みを花に近づけ、香りを確かめた。空色の目を細める。
「いい香りですね。……先ほどの女性、女将はあなたがこの石鹸を作っていると言いました。あなたのお名前は?」
問われて、私はにんまり笑った。いつも笑ってるような顔だから、笑顔を見せるときは、もっと思い切り笑う必要がある。
「チュニカと申します。どうぞ、今後ごひいきに」
「――っていう、ちょっと変わったひとと会ったんですよぉ。お父さん」
夕食の席で、昼間の話をする。しかし父は顔も上げず、目もくれない。それはいつものことなので気にしないけど、その手に持つものが不快だった。
にこにこ笑顔は崩さないままで、
「もぉ、その酒瓶はとっくにからっぽでしょ。いつまでもぺろぺろしてないで、ごはん食べましょぉ? 今日のお料理は我ながら美味しく出来ました」
「…………要らねえ」
「実は今日、ごはんのあとデザートもあるんです。お父さん、昔は甘いものも好きだったじゃないですかぁ」
「要らねえ」
「そういわずに、とても美味しそうなマフィンですよぉ。『花吹雪』さんからのおすそ分けで、お客さんからたくさん差し入れをもらったからって――」
「要らねえって言ってんだろう、売女からの施しなんぞ!!」
叫び、床に酒瓶を投げつける父。
バリンと音を立て粉々になればまだ、映えたかもしれない。だけど空っぽの瓶はただゴロリと転がっただけだった。途中で父の手をすっぽ抜けたせいだ。
「……くそっ……! また手が……この手が、ちくしょう……」
力なく開き、ぶるぶる手をにらむように見つめる父。
「この手の震えが止まれば……薬を。俺ァまた薬を作れるのに」
私は、ごろごろ転がる酒瓶を適当に眺めながら、父に話す。いつものように、いつもの文言を。
「ええ、その震えだけ止まればお父さんは名医に返り咲けます。だからお酒はちょっと控えて、お薬を飲みましょうね」
「ちくしょう、ちくしょう」
「早くお体を治してください。それまでは私が代わって調合をしますから」
私がそう言うと、父は渋々仕方なくといった様子で、頷いた。
「ああ……おまえのおかげで俺も何とか養生できている。感謝しているよ、チュニカ」
「そんなぁ、それは言わない約束でしょお父さん」
「俺はじきに、国一番の薬師に返り咲く。それまで家を出るんじゃねえぞ。嫁に行くのも、まして 香街(このまち) の店に入るなんて許さねえ……」
私は笑った。
「どこにも行きませんよ。どこにも行けないって、お父さんはよく知っているじゃありませんか」
私が、薬師の真似事を始めたのは五年前……お母さんが出て行ってすぐのことだった。
理由は 簡単(シンプル) 、貧乏に耐えかねてだ。
十五年前ほどまでは、それなりに羽振りが良かったと聞く。父は若き日に学問の都オラクルに留学し、当時の最高医学を、ディルツ王国に持ち込んだ。この時は確かに『医師』と呼ばれ、貴族の家に出入りしてその病を癒し、救世主がごとくもてはやされた。ペンドラゴンという立派な姓はその頃に戴いた。それでも父は驕らなかった。ここ、王都の下町に住居兼店舗を構え、貧しい者たちにも医療を施していた。
「先生、ただ先生の言う通りの食生活をするだけで、私の寿命が延びるんでしょうか」
「もちろんだとも。医食同源と言うてな。すべての病は悪しき食から始まり、正しき食によって終わりを告げるもの。たまに医者にかかるのではなく、日々の生活から見直せ」
「先生、このところ腹が痛くて、困ってまして」
「ならばこの、日光に干した茸をたくさん食べなさい。いずれ便とともに澱みが落ちる」
「先生、体にやけに重いんです。それに太ってもないのに手足がむくんで、いったいこれはなんという病でしょうか」
「ははあ、さては保存食を食いすぎたな? 塩漬けにしたものには悪い『気』が溜まっておる。りんごを皮ごと食べなさい。ナッツも良いが、水に漬けおき『気』をよく抜いてからだぞ」
「先生、子どもが泣き止まないのです。先生、先生……」
「どうれ、見せてみなさい」
私は幼かったので、あまり贅沢をした記憶はない。だけどそんな、父の調子のいい声は耳に残っている。
その様子が一変したのは、ディルツに『新医師法』という法律が出来てからだった。
『国の定めた機関にて教育課程を受け、免許を授与されし者以外、医療行為は禁止。特に根拠なき異国の薬学、健康法をもって医師と名乗ることはすべて 詐欺行為(ペテン) である。発覚次第逮捕拘留、厳罰を与える』
母はあまり驚かなかった。御触れを見せつけるように父へと掲げ、強い口調で言った。
「いつかこうなるような気がしていました。あなた、もうこの商売は辞めてまっとうに働きましょ。どうしても医者になりたいなら、ちゃんとした学校へ行って資格を取って」
そのようなことを、毎日のように母は言ったが、父は聞く耳持たなかった。相変わらず『薬』を作り続け、二度三度、拘留されたらしい。そのたびに母が警察に出向き、こう言った。
「うちは医者ではありません、『健康にいい飲食物の販売店』です。売っているものもこのとおり、茶葉やら虫の殻やらです。こんなもので誰をだませると? 病が治るわけなどないと、誰にだって分かるでしょう?」
そうして父は帰ってくるのだが、同じことの繰り返し。
母はとうとうたまりかねたのだろう、ある日、言ってはならないことを言った。
「お願い、何でもいいから働いて。私もチュニカも、生きていくのにお金がいるの。あなたがそうしてお医者さんごっこをして遊んでいる間、私が何をして稼いでいるか、わかってないわけじゃないでしょう!?」
父は母を、顔の形が変わるまで殴った。
翌日、朝目が覚めた時、母はもういなかった。
私の母は不幸な人だと思う。
……言葉を選ぶ、ということが出来ない、馬鹿に生まれてしまって。
父を哀れな人だと思う。
過去の栄光を忘れられない、愚かで弱い男だ。
「チュニカ、新しい薬の評判はどうだ?」
ここ数年、毎日のように尋ねてくる父。
「ええ、評判いいですよ。みんな、お父さんの薬で楽になったって」
そう答えると、父はすぐに機嫌をよくし「そうだろう、そうだろう」と頷く。
「俺の 調合(レシピ) は万能薬だからな。しかしチュニカ、売女どもには売るんじゃないぞ。毎日毎日遊んで暮らして、さらに楽になりたいなんて甘えは許されん。むしろ罰を受けなければならん者だ」
……どちらかというと、そんなところで働かざるを得ない状況に妻を追い込んだ、あなたのほうが罰を受けるべきだと思いますけどね。
……という言葉は、黙っておく。
父の中で娼婦とは、自身や家族の生活を守るため身をやつす労働者ではなく、ただの好色女ってことになっている。もちろん、現実逃避だ。自分の甲斐性が無いばかりに、妻に身体を売らせてしまったという事実から目をそらしているだけ。酒の匂いのする夢に溺れているだけだ。
私はニコニコしながら、うなずいた。
「ええ、まったく。大丈夫。そういうお店には、頼まれたってお父さんの薬を卸しませんとも」
――お父さんの薬は、ね。
『花吹雪』さんを始め、娼館には私が作った石鹸や美容品のみを卸している。お父さんの 調合(レシピ) で作った薬は、家を出てすぐに捨てていた。あんなものを、世話になっている姐さん達に飲ませてたまるもんですか。
薄暗い家から一歩外に出ると、にぎやかな商店街になっている。路地を横断して、隣の筋にいけばすぐに王都最大の歓楽街、『香街』だ。
「やあおねえさん、お肌がすんごい綺麗だねえ、うちで働かない? 美味しい賄い付くよ、寝床もあるよ」
「ねえちゃんどこの店だ。いくらだ」
ひっきりなしにそんな言葉が飛んでくる。私はいつも微笑んで適当に躱し、時には商品を売りつけて歩く。
人が途切れることない街。私はこの街が好きだった。そりゃ品がいいとは言えないけれど、みんなちゃんと働いている。娼婦も客も、自分で稼いだ金で生活し、遊んでいるのだから立派なことだと思うのだ。飲んだくれているだけの父よりもずっと。
私は家のすぐそばにある、ゴミ捨て場に父の薬をポイと捨てて、
「よおっし、今日もいっぱい石鹸を売りつけるぞぉ」
意気揚々、軽い足取りで道を行く。
その途中、ふと何か違和感を覚えた。思わず足を止めてしまう。
何か今、この街に似つかわしくない物を通り過ぎたような……?
娼館と娼館の間に、細い路地がある。その隙間に み(・) っ(・) ち(・) り(・) となにやら黒い物体――いや、黒髪に褐色の肌をした男が、うずくまって詰まっていた。