軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ミズホの国の来訪者

ドンドン、ドンドンドン。

ノックは徐々に強くなってくる。

「……もしかして、島長かしら? もうカスタネットに飽きたとか」

わたしは呟いたが、なぜか女将は返事をしない。仕方なくわたしが立ち上がったが、キュロス様に手を掴まれ、止められた。女将も眉を顰めている。

「島長はノックなんかしないよ。ルハーブにはそんな紳士はいないさ」

ノックはまだ続いている。

焦っているようなのに、勝手に扉を開けることはない。こちらが開けるまで待っているようだ。キュロス様が目つきがいよいよ険しくなる。

「……女将、今夜は俺達の貸し切りだよな」

「もちろん。というか客室がひとつしかないからね」

女将さんも違和感を覚えたのか、慎重に、扉越しに質問した。

「どなた? ガイドの依頼なら昼間に出直してきておくれ」

「――観光ではない。とりあえず開けていただけないだろうか」

男の声――フラリア語だ。

「勝手に開けな、鍵はかかってないよ」

「では、失礼いたす」

静かに、扉が開く。

夜空を背景に立っていたのは、ひとりの男だった。

彼の姿を見て、わたしは目を丸くした。

――知らない国の人だ。

それが彼の第一印象だった。

年齢は、三十を少し回ったくらいの男性だった。金髪碧眼、白い肌に彫りの深い顔立ち、まばらに生えた無精ひげ。優しそうな雰囲気で、特に外見に気になるところはない。ちょっと不思議な髪型――長い髪を高い位置でひとつに結び、襟足は刈り上げているのが、特徴といえば特徴だろうか。

何より目を引いたのはその服装だった。前合わせのバスローブみたいな上衣、やたらと裾の広い長ズボン。胸元には謎の紋章も描かれている。男自身は西の大陸の民族に見えるけど、こんな民族衣装の国はあったかしら? 腰に差している物も、剣にしては細いけどレイピアにしては短そう。鞘の宝飾は全く見たことが無いデザイン。なんだろうあの武器……。

思わずまじまじと見つめていると、ちょうど彼もわたしに目をやった。空中でばちっと目が合う。

あ――綺麗な目。透き通った湖のような、ではなく、もっと濃くて強い青色だ。夏の空? いやルハーブの海に似ている。

思わず目が奪われてしまう――。

「ま、マリー?」

キュロス様の声で、ハッと覚醒する。いやだわたしったら不躾に、他人様をじろじろ見つめたりして、はしたない。

「し、失礼しました」

わたしがお辞儀をすると、彼は笑った。目の周りに深いしわが集まり、クシャッとなる。そして腰を九十度に曲げて、

「食事中でござったか。これはたいへんご無礼をつかまつった。誠に申し訳ない次第、お詫び申し上げる」

「……はあ?」

きょとんとする女将。きっとこんなに深々と頭を下げるひとに初めて会ったのだろう。わたしも、わたし自身以外で初めて見たかもしれない。

それに、なんだか不思議な言葉遣い。基本はフラリア語なんだけど、端々がどこかおかしい――まるで戦前の、文語みたいな話し方だわ。

イサクがイカの塊をもぐもぐしながら立ち上がり、

「ご宿泊ですか? ごめんなさい、明後日の昼まではこちらのお客様でいっぱいなんです」

わたしは小さく「すみません」と詫びたが、男は首を振った。

「左様でござるか。であれば食事休憩だけでも取らせていただきたい」

「ええっ、ええと――うちはテーブルは一つしかなくて――」

「お断りだ」

イサクを遮って、キュロス様がキッパリ、言い切った。

「……キュロス様?」

なんだかその声が、すごく冷たく感じられて、わたしは戸惑った。

来訪者はその答えを予測していたのか、動じない。やはりニコニコと微笑んだまま、

「そんなご無体なことをおっしゃられるな。もう日も暮れた、これから麓まで戻るのは少々酷でござるよ」

「だったら俺達が食べ終えるまで、外で待っていろ。ルハーブの夜は暖かいし、星が綺麗だぞ」

「キュロス様、どうなさったの?」

わたしはギョッとして、キュロス様の裾を掴んだ。

「いいじゃないですか相席で。しかも待つなら外へ出ろなんて、冷たいわ。困ってらっしゃるじゃない」

キュロス様は、目をそむけたくなる悪党や、自身とその家族を脅かす敵には容赦をしない人だ。だけどそれはあくまでも目的があっての制裁、性根はとても穏やかで、万人に優しい紳士だった。それを突然、今だけ急にひどく不親切な態度。一体何が引っかかったのか、わたしには全く分からない。

そこで、男が「ああ」と手を打った。

「今しがた、お連れ様と見つめ合ったことならば、お気になさらず。ただ拙者の出で立ちが珍しくて、目をやってしまっただけでしょう」

……? もちろんその通りだけど……いや、この男は何を弁解しているのだろう?

意図を測りかねてキュロス様を振り返ると、彼は何か、ものすごく嫌そうな顔をしていた。

「……何の話だ。別に俺は、おまえを排除するために相席を嫌がっているわけじゃない」

「まあまあ、落ち着いて」

「これ以上なく落ち着いてる」

「心配なさらずとも、拙者がご婦人を気に入って、あとを付けてきたなんてことはござらんよ。それにこちらも、女連れでござる」

女連れ?

男が体半分、横にずれると後ろには確かに、女がいた。

あっ、とわたしは声を上げそうになった。東洋人だ。

艶やかな黒髪に、真っ黒の瞳。年齢は……よく分からない。背丈は子どもほどしかないが、唇と目元には化粧紅を差している。髪は肩より短く切りそろえられていた。ディルツなら幼い子供の髪型だけど、ルハーブや、彼女の出身国では違うのかもしれない。

彼女の方は、彼に輪をかけて不思議な服装をしていた。外見はシャイナ人のようだけど、あれが民族衣装だとしたら別の国の人である。いったいどこの……。

「我々は、極東の島国ミズホからの観光客。こちらの貴婦人、カエデ様はとある名家のご令嬢にござる。先ほど躓いて、足を痛めてしまいまして」

見ると確かに、彼女――カエデさん? の左足に、麻布がしっかりと巻かれていた。

「実を言うと、食料は手持ちがございます。ただ痛みが引くまでの間、彼女を休ませてやりたいのです」

「……そう言われると、追い出しにくいのだが……夜までに治らなければどうする? そこのお嬢様、雑魚寝に耐えられるのか?」

「できれば御仁らと相部屋にしてもらえれば」

「無理を言うな」

即答するキュロス様。さすがに、これにはわたしも頷いた。

先ほど見てきた客室は、お世辞にも広いとは言えない。さらにベッドは一つしかなかった。

あんな所で大人四人……というか、初対面の異性と一緒に眠るなんて無理だわ。

「もちろん、ご婦人のいる部屋に拙者は入らぬ。カエデ様だけ寝室に入れて差し上げてくれないか」

「……それで? お嬢様はいいのか。見ての通り、俺は男だが」

キュロス様が尋ねても、女性は肯定も否定もしなかった。まるで何も聞こえなかったようにどこか遠くをぼんやり眺めているだけ。彼女を庇うように、男がまた前に出る。

「失礼、カエデお嬢様は西洋の言葉を解しませぬ。拙者は名をアンジェロと申し、カエデ様の通訳に雇われた者です。ご用件は拙者にお申し付けください」

「通訳……ではそちらの女性は、ミズホの言葉しか話せないのか」

キュロス様の問いに、アンジェロさんは無言で頷いた。わたしは違和感を覚えた。極東の島国の言語だけ? それではもしアンジェロさんとはぐれでもしたら、彼女は途方に暮れてしまう。二人は異性だ、アンジェロさんが入れない場所で、人にものを尋ねる機会もあるだろう。ミズホ語しか話せずに海に出るのは、不安というか――ちょっと不自然に思えたのだ。

キュロス様も同じ疑問を抱いたらしい、アンジェロさんに尋ねると、彼は笑顔で即答した。

「ミズホの公用語は、シャイナと同じ言語でござる」

アンジェロさんはそう言って、微笑んだ。

「もちろん、多少の違いはありますが。ほら、スフェイン語とフラリア語も起源が同じで、お互いの言語で話しても問題なく通じ合えるでしょう? それと同じく、ミズホでもシャイナ語が通じるでござるよ」

「……なるほど……それなら、まあ。大きな港町ならガイドを雇えるか……シャイナ語を勉強している人間は多いからな……」

「うむ、ここまでそうして来たでござる。しかしルハーブに来てからは少々困っております。拙者はともかく、カエデ様はシャイナ語しか話せない、言葉を聞き取ることも出来ませぬゆえ」

なるほど、であれば、納得だ。

ルハーブは観光地だけど、島民にあまり商売っ気がないせいか、観光客に優しい仕様とは言い難い。港に案内所も無いし、母語が使えるガイドを雇うのは至難の業だろう。

この二人はさぞお困りだろうし、不安だろう。なんとか助けてあげたいのだけど……。

わたし達の気持ちが同情に傾いているのを察したか、アンジェロさんは、改めて深くお辞儀をした。

「 夫婦(めおと) の 閨(ねや) を荒らすようなお願いで、誠に申し訳ない。しかしどうかお助けくだされ。もちろんお二人の宿賃もすべてこちらで持ちます」

「でも……本当にいいのですか? キュロス様の言う通り、お嬢様は女性なわけで」

「背に腹は代えられません。何、そちらの紳士は、あなたのように美しい女性をそばに置きながら、旅の女に狼藉を働くような輩ではありますまい」

「そ、それはもちろんそうですけど」

……これは、困ったことになってしまったわ。

もちろん正規の先客はわたし達なので、きっぱり断ってしまっても構わない。だけどここまで粘るってことは、彼らもよほど切羽詰まっているのだろう。キュロス様は困り果て、後ろ頭をガリガリ掻いて、ため息をついた。

「参ったな……俺がもしマリーを連れて同じ状況になったら、お前さんよりも強引に、何が何でも宿を取るだろうし……」

「でもうちにはもう寝床が無いよ。家族の寝室はこのリビングなんだ、客人が寝転がれるほど床の空きは無いって」

女将が首を振って言った。

うーん……。わたしとしては、せめて婦人だけでも受け入れてあげていいのではと思う。けどキュロス様が許可しないのは、何か考えがあってのことだろう。わたしは口を出さず、その場は 膠着(こうちゃく) 状態になった。

そうこうしている間にも、夜はどんどん更けていく。カエデさんが足を痛めているなら、早く休ませてあげたいし。結論を出してあげないと……。

「……女将よ、予備の寝具は何かないのか? 厨房やせめて軒下でも、柔らかな寝床だけあれば外よりいくらか寝やすいだろう」

そこで、わたしはアッと声を上げた。

「キュロス様! 今夜は彼らに、客室を譲ってあげましょう!」

「だめだマリー、同情で自分を犠牲にしてはいけない。俺は君を床で寝かせるなんてさせないぞ」

「床ではなく、もっと良いベッドがあるじゃない? ほらあそこ!」

わたしは窓を開け放ち、庭園の暗がりを指さした。今は暗くて見えにくいけど、あそこにはハンモックが二つ、ぶら下がっていたはずだ。キュロス様は半眼になった。

「……マリー。その提案は、あの二人への優しさじゃなく、むしろ君の希望だな?」

「もちろん!」

わたしは元気よく、即答した。

だってわたし、本当に憧れていたのよ、ハンモック!

ディルツ王国は涼しい国で、夏でも夜には毛布が欲しいほど冷え込む。屋外で眠るなんて、夢のまた夢だった。実は現物を見るより前、この南国に来た時からちょっと期待していたの。

どうやらワクワクしているのはわたしだけらしい。女将やイサクさえも引き気味で、わたしを物珍しそうに見つめた。

「マリー様、変わってますね……あんなところで一晩寝るなんて、ぼく達ルハーブ人もめったにやりませんよ」

そ、そうなのっ? そうかなあ……?

「やっぱり、どうしてもだめ?」

キュロス様を見上げて言うと、彼は顎に手を当ててフームと唸った。

一人、建物を出ていくと、ハンモックに歩み寄っていく。上から下から横から斜めから、身を屈めたり背伸びしたりして、フックやロープの作りを確認していた。安全性が気にかかったらしい。

結構な時間が経ってから、彼はやっと戻ってきた。

「うん、思っていたより頑丈だった。成人が寝ても壊れることはないだろう。一応日よけ雨よけのターフもあったし……虫除けの香をしっかり焚けば、一晩寝れないことはない」

「いいんですか!?」

「問題は防犯性だ。ルハーブの治安は良いし宿の敷地内ではあるが、万全を期したい。もしものことがあったら目も当てられん。敷地に入れそうな通路は封鎖、明かりを置いて、マリーが寝るのは俺の背後側」

そういうことじゃなくて――貴族の令嬢らしくないと、思わなかっただろうか?

わたしは今更その可能性に気づき、恐る恐る、キュロス様を見上げた。しかし彼は「ん?」と首を傾げただけ。一応、はしたないでしょうかと尋ねてみると、彼は声を上げて明るく笑った。

「マナーは文化。何を持って貴族らしくないとかはしたないとか、そんなものは個人で変わる。せっかく国を出たのだから、こういうカルチャーショックは積極的に楽しんだほうがいい」

それに、と彼は言葉を続けた。

「君の顔を見たら、駄目とは言えないよ。俺が一目惚れをしたのは、君のそのキラキラ光る目だったんだから」

話がまとまったのを察したか、アンジェロさんは大きな体を再びきっちり九十度に曲げて、キュロス様、それからわたしにも頭を下げた。

「本当に助かりました。なんとお礼を言ったらいいか……そうだ、まだお名前も聞いておりませんでしたな。宜しければこのアンジェロにお教えください」

「キュロス・グラナドだ」

「マリー・シャデランと申します」

キュロス様とわたしと、同時に握手の手を差し出した――けど、アンジェロさんは、わたしの手だけをぎゅっと握った。

「マリー殿。容姿とお心だけでなく、お名前まで美しい」

――どすっ!

なにかひどく鈍い音がした。ギョッとして出所を探すと、カエデさんの肘が、アンジェロさんの脇腹に刺さっていた。

「うごっ!?」

「あっ、アンジェロさん!?」

慌ててわたしが気遣い、伸ばした手を、カエデさんにバシッと叩かれた。

「痛ッ?」

わたしの悲鳴に、キュロス様が怒声を上げるよりも早くアンジェロさんが叱責する。

「カエデ様!」

「――ふん!」

彼女は分かりやすく鼻を鳴らして、フイとそっぽを向く。その態度に、暴力を振るわれても怒らなかったアンジェロさんも容赦がなかった。

「いけませんカエデ様、こちらの方はカエデ様の御足のために大変親切にしてくださったのです。かような態度では失礼極まりない、あなたは謝罪をせねばなりません」

カエデさんに言い聞かせている言語は、フラリア語だった。彼女はシャイナ語しか分からないので、これはわたし達に聞かせるため言っているのだろう。カエデさんだって、何を言われているのか大体察しはつくはずだけど、真横を向いたままだった。

「……ふん」

「カエデ様!」

ど、どうしよう。なんだか急に気まずい雰囲気になってしまった。どうやらわたしはカエデさんを怒らせてしまったらしい。理由は全然わからないけど、とりあえず謝ろう! わたしは半ば反射的に体を折りたたむほど頭を下げた。

必死で記憶を掘り起こし、うろ覚えの発音で……。

「あの―― 不好意思(ごめんなさい) 」

一瞬だけ、カエデさんの眉がピクリと動いた。だけど彼女が微笑んで許してくれることはなく……やっぱり黙ったまま、背を向けられてしまった。