軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

神のまにまに

……神よ。

神よ、わたくしの声が聞こえていますか?

迷える子羊の前に、どうか導きのお言葉をください。

諸外国と比べ信心深くないといわれるディルツだけど、わたくしは毎日、王宮内の礼拝堂で祈りを捧げてまいりました。……ときどき、居眠りしたり、ウロ覚えでテキトーに賛美歌を歌ったりしましたけど……それでも敬虔であろうという気持ちだけは持ち続けておりました。

神よ、お願い助けて。わたくしはどうしていいかわからないの。

誰か……誰か、助けて。

「ルイフォンお兄様が行方不明ぃっ!?」

わたくしは絶叫した。直後、慌てて口を塞ぐ。

夏の王宮、王太子の執務室はあちこちの換気窓が開けっぱなしである。誰かに聞かれてはオオゴトと焦ったけど、意外にもライオネルは怒らなかった。

むしろ珍しく機嫌が良い。視線はデスクの書類に落としたままだけど、口元に笑みが浮かんでいた。

「ああ。もう三日、騎士団の砦にも顔を出していない」

「……それは、フラリアに行くのが嫌で、逃げたということでしょうか?」

わたくしは恐る恐る尋ねた。ぜひそうであってほしいとも願いながら。

三日前――あの夜。泣きじゃくるわたくしを優しく慰め、「自分がなんとかする」と言ったルイフォン兄様。

彼とフラリアの若姫とは、ずっと前から婚約関係にあったらしい。それをわたくしはつい先ほど、長兄ライオネルから聞かされた。そしてこの数日内に輿入れとなることも。

わたくしは世間知らずで鈍感だけど、これをこころから祝福できるほど脳天気ではない。まず、かの二人はろくに会ったこともないだろうし、フラリアの姫クローデッドはわたくしよりずっと幼い年齢なのだ。

紛うことなき政略結婚。国のためお金のために、ルイフォン兄様は自分を売った――いいえ売られたのだわ。この王太子、ライオネルに。

――なんと穢らわしい!

わたくしは兄を睨み付けた。ほんの数日前までわたくしは、彼を厳しいなりに尊敬できる人物だと思っていたわ。だけど今は……。

わたくしの視線に気付いていないのか、ライオネルはクックッと笑う。

「まあ、そうだろうな。大使館でフラリアの王女に失礼をし、そのまま消えたというのだから。まあ放っておけば良い。どうせあいつの逃げ場所は把握している」

「騎士団の砦ですか?」

わたくしは確信をもって尋ねた。しかしライオネルは首を振った。

「ルイフォンがあそこに身を隠すのは不可能だ」

「なぜですの? ルイフォン兄様は騎士団長ですわ。週の半分以上は寝泊まりしているし、五年も務めておられるのだから、気心の知れた者があるでしょう……きっとこの王宮の、実の兄弟達よりも」

わたくしの精一杯の皮肉は、無言の微笑だけで流される。

わたくしはもう兄への敵意を隠していない。当然、兄もそれを知った上で、でも歯牙にもかけていないのだ。悔しくてまた涙が出そう。歯がみするわたくしの背中で、扉がノックされた。

許可を得て、入ってきたのはふたりの男性だった。どちらも長身で騎士の制服を着ている。騎士団式のお辞儀をするふたりを、ライオネルは穏やかに招き入れた。

「ようこそディルツ王宮、国王執務室へ。久方ぶりだな? シュタイナー副団長、ロックウェル書記官」

名を呼ばれたふたりの騎士は、さらに深く頭を下げる。

「ご無沙汰をしております。ライオネル 陛下(・・) におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「五年前には陛下みずからのご鞭撻を賜り、騎士道とはいかなるものかをこの身に刻み込んでいただいた御恩、生涯忘れようもございません」

ライオネルは満足そうに頷いた。

「ふっ、なかなか感心なことを言う。私が騎士団の執務を退いたことで、たるんでいるのではと危惧していたのだが」

「とんでもございません、後釜であるルイフォン団長の采配ときたらそれはそれはもう、厳しいもので――」

ロックウェルの声にトゲが混じる。

「誰もが団長を怖れ身をこわばらせています。砦はいつも戦時中のような緊張感と、葬式のような辛気くささでいたたまれません」

シュタイナーも肩をすくめて続けた。

「ええまったく最悪です、あの団長の情け容赦なさときたら。新人が体調を崩していようとも気にかけず、いつもと同じノルマが課されます。もしも達成できなかったら翌日に上乗せ、さらには連帯責任まで」

「そうあれはもはや訓練じゃなくて折檻、指導なんてもんじゃない、ただ自分の強さを自慢しているだけですね。感服はすれども、学ぶものが何もない」

「みんなピリピリして、牢獄のようですよ。我ら騎士団一同、あの『鉄面皮団長』のことが大嫌いですとも」

まあ。わたくしは目をぱちくりさせてしまった。

ほ、ほんとかしら? なんだかイメージが違いますわね。

ルイフォン兄様は三人の王子で唯一、わたくしと遊んでくれる兄だった。上の兄ふたりはあまり勉強が得意でないわたくしを怒鳴るばかりだったけど、ルイフォン兄様は時々くすぐったり冗談を言ったり場を和ませながら、だけども粘り強く、解き方を教えてくれた。あのユーモラスで明るく優しいお兄様が、騎士達にはこんなに嫌われていたなんて……職場での殿方ってそういうものなのかしら。

実弟の悪口をまくしたてられて、ライオネルはなぜか嬉しそうだった。「ははは」と明るい笑い声まで上げて、

「そう言ってやるな、アレも凡才なりにしっかりやらねばと気負っているのだろう。いつの世も、小心者ほど大物ぶって虚勢を張るものだ」

「おおなるほど、そうでしたか!」

「たしかに、納得」

騎士達はとても楽しそうに笑った。

「安心しろ、ルイフォンが去ったあとはまた私が……とはいかぬが、私の手の者を新団長に派遣する」

「はっ、ありがたきシアワセ! また陛下のご指導を賜れる日を、騎士一同こころより楽しみにしております」

ふたりは改めて深々と頭を下げた。ライオネルは満足そうに頷くと、わたくしを振り向き、顎をしゃくった。

「――と、いうことだ。残念ながらあの砦にルイフォンを慕う者などいないし、頼れる者もいないだろう」

「……では、恋人の家とか……」

「それもない。だな?」

ライオネルに問われ、騎士達は頷いた。

「ええ、団長は王宮と砦を往復するばかりで、職務が早く終わってもどこかへ立ち寄る様子はありませんでした」

「ええまったくもって色気のない、哀れな非モテ男です。仕事一直線でユーモアの欠片もなく、話がつまらないからでしょうね」

そうだったのか。わたくしはてっきりルイフォン兄様はモテるひとだと思っていたわ。我が兄ながらまず容姿がこれ以上なく麗しいし、お喋りは上手で面白いもの。だけどそれは、わたくしの前でだけ無理をなさっていたのかしら。

胸がギュッと締め付けられる。

ああわたくし、ルイフォン兄様のことを何も理解していませんでしたわ。優しくて大好きだったけど、長兄の言う言葉を信じ、あちこち気まぐれに遊び歩いている道楽者だと思っていたの。

……そんなルイフォン兄様を見て、わたくしは我が身を呪っていた。無責任な第三王子と違い、王国貴族の女は結婚相手を選べない。王宮から出ることすら滅多に出来ないもの、運命の出会いなんてあるわけがない。

だからこそわたくしは、キュロス様に執着した。身分が釣り合うなかで唯一、好感を持てたのが彼だった。このひとを逃したらどんな男に嫁がされるかわからない、わたくしだって愛するひとと結婚したいわ!

……だから、彼を奪った女が憎かった。マリー・シャデランをつまらない女だと思いたかった。わたくしは哀れな 被害者(ヒロイン) のつもりでいたのよ。

そうして、相思相愛のふたりを引き剥がそうとした。わたくし 悪役(ヒール) になってしまうところだったのね。愚かだわ、自分がそうであるのと同じように、彼らだって愛するひとと結ばれたいでしょう。

そんな当たり前のことにやっと気付いて、諦めて……もう覚悟をしていたのに。

ルイフォン兄様が、わたくしの身代わりになるだなんて!

ひと月前ならば、仕方ないことと納得したかもしれない。だけど今のわたくしの脳裏には、あの仲睦まじく寄り添うふたりのシルエットが焼き付いていた。あれこそが真なる夫婦の形だわ。

うん、やっぱり政略結婚なんて間違えている。王族だからって国のためお金のため、他人が決めた通りに婚姻するなんて時代遅れなのよ。戦後五十年、泰平の世。わたくしたちは王族だからこそ、変えていかなくてはいけないことだわ!

わたくしは胸の前で手を合わせ、密かに祈った。

――ルイフォン兄様、今どこに居るの? お願い、このままフラリアに行ったりしないで。どうか逃げて! 遠い異国ででも、愛するひとと幸せになってくださいませ……!

だけど次の瞬間、わたくしの祈りは儚く散る。

「ルイフォンは、グラナド城に匿われています」

聞き慣れた声に、わたくしはギョッとして振り返った。

大柄な騎士ふたりの後ろにはもう一人、男がいたのだ。どうやら彼が二人の騎士を連れてきたらしい、騎士達が左右に割れて道をあける。わたくしはぼんやりと、彼を見上げた。

「……リヒャルト……お兄様……?」

ライオネルはクックッと笑った。

「やはりか。まあ、あそこくらいしか身を隠せる場所はないのだから、おまえに追跡を任せるまでもなかったがな」

頷くリヒャルト。

「はい。城主でありグラナド商会の元締めでもあるキュロス・グラナド伯爵は、ルイフォンの十年来の友人です。ルイフォンから事情を聞いて同情したのでしょう。ルイフォンが駆け込むなり城門を閉ざし、来訪者を受け付けない態勢になっていました」

「そうか、それはそれは、都合が良い」

ライオネルはニヤリと笑った。……どういうことだろう? グラナド城は要塞だ。平時は気の良い門番が簡単に通してくれるけど、いざとなったらその護りは王宮以上に堅固。戦馬車を突っ込ませても無理、本格的攻城兵器が必要だ。南の果てとはいえ一応は王都、人目もある。城に匿われているルイフォン兄様を攫うのは、ほとんど不可能なはず――

「リヒャルト、グラナド城には確かに、外部からの秘密通路があるのだな?」

ライオネルの問いに、リヒャルトは深く頷いた。

「はい、間違いありません。戦時中の要塞建設計画図案には、いざというときの逃亡や補給用の隠し通路が描かれています」

「古い建物だ、今でも使えるかどうか、あるいは塞がれているかもしれないぞ」

「先日、潜入したさい現物を確認しました。巧妙にカモフラージュされており、城主キュロスを始め現在の住人にも忘れられているようですが」

「ほう……」

「リヒャルト兄様!!」

長兄の感心した声と、わたくしの悲鳴じみた罵声とが重なった。

リヒャルトはわたくしをチラとも見ず、ただ淡々と報告を続ける。

「ええ、ですから時を急がず、我々は数日間、『失踪した第三王子を必死に捜索』し、『王子監禁の容疑者をキュロス・グラナドと特定』、騎士団の精鋭であるこの二名で秘密裏に城内へ潜入、制圧し、『監禁されている第三王子を救出する』のが得策でしょう」

「なるほど。お手柄だリヒャルト!」

……な、なんですの、それ。

それじゃあまるで……最初からグラナド城の陥落が目的で……ルイフォン兄様の失踪すら、道具として使ったようじゃありませんの。

なぜそんなに嬉しそうなの、ライオネル。グラナド家を取り潰してなにが楽しいの。キュロス様に恨みでもあるの?

王太子は……王とは、国益のため、民のため、公正な政治のためにいるのではないの?

あの日リッキ兄は、わたくしのワガママを叶えるためについてきてくれたんじゃなかったの? 初めから策略だったの?

建築の話を、マリーと楽しそうに語っていたのは……あれもすべて演技だった……?

「褒美をやらねばならんな、リヒャルト。キュロスを断罪しグラナド商会の財産を没収したさいには、おまえに城を建ててやろう。いや領地のほうがいいか? 欲しいものがあればなんでも言ってみろ」

いよいよ機嫌を良くしたようで、弟の肩を叩いて笑う長兄。……我が国の王太子は、こんなに下品に笑う男だったのか。

対して、褒めちぎられたリヒャルトは仏頂面をしていた。わたくしの稚拙な判断力ではその心理を読み取れない。笑いをかみ殺しているようにも、涙を堪えているようにも見える……そんな顔で、彼は言う。

「では、マリー・シャデランを我が妻に」

ライオネルはいよいよ楽しそうに高笑いした。

……わからない。

もう何も、わたくしには理解できなかった。それが悔しくて仕方なかった。

男達はわたくしを完全に放置して、いくらかの策略を相談してから解散した。去り際、騎士副団長に頭を叩かれた。いや、撫でた? 驚いて見上げると、彼はヘラヘラと笑っていた。わたくしは犬歯を剥いて唸る。

「誇り高きディルツの騎士道は、今どこにあるのかしら」

「ここに持ち歩いていますよ、いつだって」

騎士達はドンと胸板を叩いて見せた。

私室で一人、目を閉じて祈る。

わたくしにはもうそれしかできないから。

神よ……どうかお導きを。

わたくしの前にある道を、一条の光で照らしてください。

それだけくだされば、わたくしは奇蹟など望みません。わたくし、自分の足で歩きます。いいえ全力で駆け抜けます。だからどうしていいのかだけ教えて、お願い。どうか……わたくしの神よ――。

――コツコツ。

窓ガラスに、小石が当たったような音。それがコツコツコツコツと断続的に続いている。

……何よ、ひとが一所懸命まじめに祈ってるってのに……はっ。まさか!?

本当に神の御使いが!?

わたくしは慌てて窓辺へ駆け寄り、カーテンを開いてみた。

そこには純白の翼を広げた天使が――ではなく、漆黒の羽を持つ鳩がいた。いっぱい。二十羽ぐらい。

「えっなに、怖っ」

わたくしは思わず一回、カーテンを閉めた。