軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

おまけの番外編③ マリーの一日 【中編】

歌のレッスンを一時間ばかりこなしたあと、マリーは城の図書館へと移動した。

今度こそ読書を楽しむ時間か……と思ったら。

「お待たせしました、ウォルフガング。これ、作業が終わった分ね」

と、持ってきた書籍をテーブルに置く。

待機していたらしい、グラナド家の執事ウォルフガングは本を受け取ると、マリーに頭を下げた。

「お疲れ様です、奥様。重かったでしょう、お呼びくださればこのウォルフが運びましたのに」

「いいえ、ほとんどはキュロス様が持ってくださったの。ではウォルフ、わたしこれから畑だから。お昼過ぎにまた来るわね!」

そんな会話をして、すぐに退室した。

……作業って、なんだったんだろう。

俺は小走りで行ってしまったマリーにではなく、残されたウォルフガングに尋ねてみた。すると老執事は、おやご存じなかったので? とばかりに剽軽な顔をする。

「索引付けでございますよ」

「索引……本の分類?」

「ええ、そうです。この城の蔵書量は、王国図書館にも引けを取らぬほどですが、なにぶん雑多な寄せ集め。棚に差されている順も適当でございましょう」

「一応、使用人たちが手隙の時に整理はしていたはずだが」

「はい。しかし今まで 法則(ルール) というものが曖昧でしてな……。題名や作者の名前、サイズや表紙の色なんかで各々勝手に突っ込んでおりました。リュー・リュー様が困っているのを見かけ、マリー様は書籍の内容ごとに分類し、番号をつけてから並べていくようご提案なさったのです」

番号……先ほどマリーが持ち込んだ書籍を一冊、手に取ってみる。

フラリア語で、「新章・金の塔」……小説? 建築の本か? タイトルだけではジャンルが全く分からない。中を読んでみると、時代や国を問わず金箔を使用した絵の画集であることが分かった。マリーが貼り付けたらしい、背表紙の索引には「F・120ー41 美術」とある。

「アルファベットがジャンル、数字が棚、下が概ねの内容になっております。こちらの一覧通り」

と、ウォルフが差し出した紙束を受け取る。見ると確かにマリーの字で、それぞれの記号の意味と棚の位置が書かれていた。

使用人はみんな、読書家というわけではない。マリーはこういった、一見ではよくわからない外国語の本を読み、内容を理解して、分類ごとに索引札をつける……という作業を行っていたらしい。

勉強嫌いの某男爵など、聞いただけ卒倒しそうである。

「……なるほど、完成すれば便利だろうな。というより必要不可欠な作業だった」

「ここは公式な図書施設ではありませんゆえ、今まで適当にしておりましたね。いやはや」

笑うウォルフガング。……城主としては、実は笑い事ではない。今でこそ平和な時代、ここは俺個人の家でしかないが、城砦だ。いつかの未来、戦や天災で王国図書館が焼失すれば、ここの蔵書は貴重な王国の資料となる。いざという時、どこに何があるかわかりませんでは、大きな問題になる可能性があった。

その重要度を理解したものの、やはり俺は首をかしげた。

……確かに重要だが……リュー・リューとマリーがそこまで考えていたなら、城主の俺に相談したはず。そうでないということは、あくまで二人の読書範囲、趣味のためにやりはじめたことなのだろう。

しかしマリーが持っていた本……美術画に、王国古式の槍術、薬師の専門書、幼児向けの絵本、建築図画。マリーが好んで読みそうにない気がするのだが。

ウォルフガングに問うてみると、老執事はフフッと、とても楽しそうに笑い出した。

「最初はリュー・リュー様に依頼されたぶんと、ご自身が好きなジャンルだけのつもりだったようですがね。やりだすと止まらなくなったのだそうです。実際、とても楽しそうに作業をなさっていますよ」

ふうん? 読書家ゆえなのかマリー個人の性分なのか、どちらだろう?

よく分からないが、とりあえずマリーが楽しんでいるなら何の文句もない。とりあえず納得して、俺はマリーのあとを追った。

それから昼食まで、ヨハンとともに庭仕事をしたマリー。一度、風呂で汗を流したあと、選んでおいた花を持って食堂へ。

昼食の皿が並ぶ前に、 卓上花(テーブルフラワー) を飾り立てる。慣れたようすに俺は仰天した。

「この卓上花、マリーがやってたのか? 今までもずっと、毎日!?」

「え、ええ。すみません、まだまだ下手ですけども……上達するには数をこなしたほうが良いと思いまして」

気恥ずかしそうに恐縮するマリーだが、俺がそうと気づかなかったくらいだから十分上手い。

やがて運ばれてきた昼食は、いつもの通り当料理長トッポ手製、美味しそうな料理。しかし、妙に皿数が多い。量が多いのではなく、特別な日の会食スタイルになっているのだ。当然、シルバーカトラリーもずらりと並んでいる。

マリーは一度だけ、手元でメモ帳を一読し、

「……えーと……基本的には外側から……。スープ皿は手前側に傾けて、スプーンを奥へ……」

――などと、小さく呟きながら、ゆっくりと食事を進めていく。

……俺はそれを真横で見ながら、内心ハラハラしていた。俺自身は慣れているのでどうということはないが……。

「マリー、それでは料理の味がしないんじゃないか?」

そう尋ねてみると、彼女は笑って首を振った。

「平気です。この城でなら、たとえ失敗しても嗤われることはないですもの」

「しかし普段からそんなに気を遣わなくても……王侯貴族相手の特別な会食の日でもなければ、もっと気楽にガツガツ食べたって構わないぞ」

「その特別な日に緊張しないで、会食を楽しめるよう、身につけておきたいのです。大丈夫です、美味しくいただいてますよ」

微笑むマリーの後ろから、トッポがそそっと近づいてきた。俺に密告するような手つきで、しかしマリーにもしっかり聞こえる声で、

「初日は皿が鳴るほど手が震えて、何を食べたか分からないわとかおっしゃってましたけどねぇー」

「ああっ、やだトッポったら、ほんとに初日だけでしょ! キュロス様に言わないでよー」

赤面し、破顔するマリー。それでもテーブルマナーを間違えることはなく、美味しそうに完食していた。

それから、マリーは図書館へ戻り、索引付けを行っていった。

要領の分からない俺は、とりあえず近くのテーブルで自分の仕事をする。

時折横目で見ていたが、なかなかの重労働、かつ根気のいる作業だと思った。

書籍は、ものによっては一抱えほどの大きさ、重さがある。それを棚から取り出し、内容を確かめ、テーブルで作業をして、また戻すのだ。

ウォルフガングや他の使用人もいたが、彼らに劣らぬ長身のマリーは、高所の作業も積極的に行っていた。

もし脚立から足を滑らせたら――俺はヒヤヒヤして、ちっとも仕事が進まない。それでも邪魔はせず、いつでも抱き留められる心づもりで、黙って見送っていた。

「えっと……この単語は……」

古いシャイナの本を見て、唸っているマリー。俺は首を伸ばして覗き込み、

「『 八面六臂(はちめんろっぴ) 』。顔が八つ腕が六つの鬼神の姿で、ここではとんでもない強さで大活躍したという比喩だ」

「あっ、そういうことなんですね! わかりました。ありがとうございます」

知識が増えたことを喜び、さらに続きを読み進めていくマリー。どうやら戦記小説らしい。

「……つらくないのか? 趣味に合わない物を読むだけでも大変そうだが」

そう尋ねてみると、やはり首を振り、楽しんでいますという返事が来る。

「たとえ自分の趣味ではなくても、他の人にとっては興味深く、大切な本ですもの。今読書に興味の無いひと、未来にここを訪れた人の役に立ったらって……そう考えたら、嬉しくて、楽しいんです。わたしも新たな発見がありますしね」

その笑顔に、俺はふと既視感を覚えた。

――わたし、イプサンドロスの物語が大好きなの――

美しく、知的で、それでいて無垢な子どものように笑う。――初めて出会ったあの日に見た、本当に好きな物を語るときの顔だ。

「……そうか」

俺は、仕事の書類を片付けると、立ち上がった。さっきマリーが脚立を使っていたところへ、腕を伸ばし、本を取る。

マリーは眉を垂らし、申し訳なさそうに俺を見上げた。

「手伝ってくださるのですか? あの、でも、キュロス様はお仕事が……」

「休憩。マリーがあんまり楽しそうにしているから、俺もやりたくなってきた」

外国語の翻訳は俺も得意分野だが、あえてマリーに任せる。彼女はこの仕事を、そのあふれんばかりの知識欲と向上心のもと、楽しんでやっているのだ。俺は単純な肉体労働に徹したほうがきっとマリーのためになるだろう。

その時、フフッ――と、笑い声がした。

「どうした?」

振り向いて尋ねてみる。しかし彼女はくすくす笑いながら、

「なんでもないですよー」

珍しく冗談めかした口調で、そんなふうに答えた。

夕方、暗くなってくると、マリーはまたいくつかの書籍を自分の部屋へと持ち帰った。じっくり内容を読み込まないと分類が難しいジャンルらしい。何時間でも集中力を切らすことなく読み続けている。

やがて夕食時になると、彼女は粘ることなくすぐ作業を中断し、すっぱり意識を切り替えて、食事を楽しんだ。

風呂上がり。窓辺で夜風に涼みながら、彼女はミオから、お茶の淹れ方を教わっていた。

趣味が半分、半分は、いずれ王侯貴族との茶会で披露するためだろう。

そうして彼女は一日に何冊もの本を読み、語学と知識、技術を磨いていた。

俺はもう、マリーに「無理をするな、働かなくていい」とは言わなかった。

……甘やかすことと、溺愛することとは別――かつてリュー・リューが言った言葉を思い出す。

母の言葉は、丸一日、表情の見える距離で見つめているとよくわかった。マリーはマリーなりに、伯爵夫人――この城の住人になろうとしているんだ。自分で仕事を見つけ、やるべきこととやりたいことをしているのだ。決して気負っているわけでもなく、当たり前の日常として。

「どうぞ、キュロス様も、お味見してみてください」

俺のカップに、教わったとおりにお茶を注ぐマリー。俺は礼を言ってから一口吸って、その出来を確認した。

「……うん。美味い。濃さも温度もちょうどいい」

お世辞ではなく、そう評価する。マリーは、ふふっと声を漏らして笑った。

ともにお茶を楽しみ、夜が更けた頃。

ミオは俺たちの前でお辞儀をした。

「それでは、私はそろそろ休ませていただきます。おやすみなさいませ」

「……ああ、もうそんな時間か。では俺も」

と、立ち上がって扉へ向かう。ドアノブを引いたところで、背中にトンと重みが乗った。

振り向くと、マリーがもたれかかってきていた。

俺の肩に額を押しつけて、抱きつくでもなく、じっとしている。

……意図が分からなくて、俺は小首をかしげた。

「マリー?」

「――ありがとうございます、キュロス様。わたしのしたいことを、させてくださって」

顔を上げないまま、マリーは囁いた。

「……わたしの、やってみたいっていう子供みたいな気持ちを、否定しないでいてくれて。挑戦させてくれて、ありがとうございます。

……まだ未熟なところも、笑わず見守ってくれて……学ぶことを許してくれて。無駄なことや、少し危険で心配になることも、やめろと取り上げないでいてくれて、ありがとうございます」

――そんなことは当然だ――と、俺の母ならば即答しただろう。

だが俺は、反省を込めて苦笑した。

「……思い出したんだよ。出会った時のことを」

「わたしたちが、出会ったとき?」

疑問符を浮かべながら、俺の顔を見上げるマリー。山吹色の瞳が知的に輝き、俺の言葉の真意を探ろうとしていた。

ああそうだ、この目――俺は彼女が「ずたぼろ」と呼ばれる姿だったとき、この眼差しに強く惹かれたのだった。

「キュロス様?」

俺は彼女の髪を撫で、額と頬に口づけた。

「おやすみマリー。愛してるよ」

マリーは急速に頬を染め、思いのほか驚いたのか、ヒックとしゃくりあげた。可愛いしゃっくりに笑いながら、俺は自分の部屋へと帰る――。

と、歩き出したところで、つんのめる。今度は背中をがっつり掴まれたのだ。

「キュロス様、お仕事の書類!」

「あっそうだ、忘れるところだったっ」

慌ててマリーの部屋へと戻る。

デスク代わりの鏡台には、俺の仕事道具が広げられていた。速やかに片付け鞄にしまい、改めて退室する。

「すまない、長々と邪魔したな。じゃあ、また明日っ」

「ええ、また明日。お休みなさいませ」

笑いをかみ殺しながら手を振るマリー。俺はバツの悪さに頭をかきながら、扉を閉める。

……その途中、ふと違和感を覚えて手が止まった。

マリーは、まずティーテーブルへ向かうと、そこにあった筆記用具をデスクへ運んだ。それから、俺が書類を広げるさいによけていた小物を綺麗に並べ直す。

さらにあたりを見回して……キャビネットの燭台、置物の位置を整える。俺が上着を置くのに動かしたものだ。

そして、ティーテーブルと椅子、ソファのクッション。カーテン、ラグマットを指さし点検して、「よし」の声。

そうして彼女は満足して、やっとベッドに腰を下ろした。

……あれ? ……これは……マリー。もしかして……。

俺は唸りながら、自室へ戻る道を行く。といっても、今日の寝床は城塞の隠し部屋ではなく、館にある本来の私室だ。マリーのいる賓客室からさほども離れていない。

すぐに到着し、扉の前で、もう一度唸った。

「まさか……いや確かに、ちゃんと言ったことはなかった気がする」

もし……そうだとしたら。

……俺は本当に間抜けだな。彼女がこのグラナド城の住人となるために、絶対必要な物が欠けていた。彫像などより先に、彼女に与えるべきものがあった。そんなことに、今更やっと気がつくなんて……。

『グラナド伯爵』の私室は広く、豪華な調度品が揃い、使用人によって綺麗に掃除はされている。足りない物が何もない部屋だが、めったに寝泊まりしないせいか薄ら寒い。

そんな部屋に……廊下側とは別の壁に、一枚の扉がついている。今まで、一度も握ったことのないドアノブだった。

なんとなく息を呑みながら、扉を開く。そして俺は初めて、その部屋に足を踏み入れた。