軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十九話 魔界六丁目VIII 『タリーズ』

――イブキ山頂上。

ざあざあと、風に揺れた草木が騒ぎ立てるのが煩くて。

妖鬼の少女は一人、寝所を離れて外に出てきていた。

宙を見上げれば美しい夜空。時折月に陰りをもたらす雲も、風に流されて世界の中から消えていく。

ぼんやりと瞳に映る満天の星に、ほうと小さくため息を吐いた。

耳障りに、草木が揺れる。

「……」

否、結局これは方便でしかない。

耳障りな草木に苛立って、寝付けないから外へ出てきた。

そう自分に言い訳してこの頂上へと足を運んで、だからといって心が落ち着くわけではない。

心が、落ち着くわけがない。

寝付けないのは本当だ。けれど、いつかヤタノが作り上げたこの優しい草原の奏でる音は、決して彼女の心をささくれ立たせることはない。

むしろ彼らが教えてくれているようなものだ。

今、自分の大事な人達は。

魔界の地下に構える帝国で、魔王たちと戦っているのだと。

心が、落ち着くわけがない。

そっと胸元に手を添えれば、着物から露出した胸元にひんやりと指先の感触が触れる。寒い、とは思わない。むしろ、熱いくらいだ。

シュテンはきっと今頃、魔王軍を相手に大立ち回りをしているに違いない。

ヒイラギは彼と共に、或いは彼の戦いやすいように、いつも通りの軽口を添えて戦っていることだろう。

フレアリールは自らに刻まれた命を全うするべく敵の押さえに回っているのだろうし。

魔導司書の面々などは、到底自分には出来ない仕事をしているに違いない。

タリーズの知る、イブキ山に縁ある面々はきっと今頃、死力を賭して戦っている。

――自分は弱い。

それは、これまでに何度もあった戦いの中で思い知らされた現実だ。

危ないからと置いていかれた。そのことに、納得してしまっている自分も居る。

大事にされている自覚があった。

ユリーカは本当に昔からよくしてくれているし、イブキは本当の我が子のように己を鍛えてくれた。弟のように思っていたシュテンは今も昔も強かったし、それに比べてどれだけ自分が弱いかは、痛いほどよく知っている。

なまじ、この山で。ジャポネという狭い世界では強者としてあてはめられているが故に、胸の内に切ない想いばかりが募る。

「……お姉ちゃん、なのに。情けない」

たとえ力で劣っていても。

それでも、守る為なら戦えた。だから今回だって大丈夫。

そう叫ぼうとしても、どうしても胸の中で色んなものが邪魔をする。

自分が行ったところで何が出来るのか。

そも、自分がこの山を離れたら、残る妖鬼たちが危ないんじゃないか。

戦いに挑むだけの理由が、自分には無い。

この感情を、"心配"であると。

タリーズはよく知っている。

いつでも自分は、戦いに行く誰かを見送って、願い祈ることしか出来なかった。

妖鬼なのに。

戦える種族なのに。

心配することしかできない。

思いだけは一人前、だなんて笑い話にもなりはしない。

だからイブキ山の危機にフレアリールを助けられた時は安堵出来た。

けれど同時に、自分ではたった一人守ることが精いっぱいだと思い知らされた。

だから、今はイブキを守るので精いっぱい。

ほう、とため息を吐く。

「……みんな、大丈夫かな」

次々に顔が浮かんでは消える。

そして最後に残ったのは、戦いに向かったという一人の"人間"。

「パパ……」

久しく会っていなかった彼が、今も魔界の為に戦っている。

ユリーカや、シュテンと共に。

この歳になっても、並び立てない自分が悔しかった。

いつか。いつか"する"と決めたのだ。

父に、必ず。

なのに、その機会は今も訪れないまま――

その時だった。

強烈な魔素の反応。渦巻き収束する混沌。

目を向ければ頂上に、見覚えのある大きな渦。

「……っとと、あいつを捜さねえと」

「――誰の、こと?」

「ケチャッ!? び、びびらせんなよ。良かった、起きてたかタリーズ。お前を捜しに来たんだよ」

芝の上に足を踏み入れたのは、一人のオークだった。

戦火の中に居たのだろう、強い火と血の匂いはどうしても拭えない。

だがそんなことはお構いなしに、オーク――レックルス・サリエルゲートはタリーズに向き直った。

「お前の力が必要だ。来て欲しい」

「――わたし、の?」

「そうだ!」

大きく頷くレックルスは、説明している時間が惜しいとばかりに一歩を踏み出す。

しかし、彼の真意が読めなくて。

「……まって」

「なんだ! 時間がねえよ嬢ちゃん!」

「……いっぱい、連れてく?」

自分の力が必要。

そのくらい事態が切迫しているのなら、人員は多ければ多い方がいいだろう。

自分程度が一人増えるよりは、兵卒の頭数が増えた方がいい。

そう判断してのタリーズの問いに、レックルスはしかし首をかしげた。

「いや要らねえ。お前が居れば十分だ」

「――、でも」

分からない。

自分一人で良いなどと。

百歩譲って自分が連れていかれるとして、イブキを置いていくのは、と。

困惑する彼女に、説明をしないハンバーガーもハンバーガーだが、彼からも相当の焦燥が窺えた。だから、応えられるなら応えてあげたい。けれど。

「行けよ、我が娘」

ざ、と頂上へ向かって歩いてくる女が一人。

車椅子でしか動けないはずなのに、あまりにも堂々としたその佇まい。

レックルスは彼女を見るなり目を丸くし、タリーズも一瞬声を失った。

「おいおい、あんたぁもう立ち上がるのも億劫だって聞いてたぜ」

「はっ。馬鹿言ってんじゃないよ。こんな日にババアが一人よぼよぼしてられっかってんだ」

燃えるような赤髪を払って、挑発気に微笑む女妖鬼。

タリーズの養母にして、シュテンの実母。名を、イブキ。

「それにな、血が騒ぎやがるんだよ。あたいの息子が暴れてんだ、間違いねえ。生きるか死ぬかんところで、また踏ん張ってやがる。魔導だなんだ使えなくたって、そんくらい分かるのさ。母親ってヤツぁな」

「ご、ゴリラすぎる……」

「誰が教国の魔獣だコラ」

「いだだっだだだだ!?」

バーガー屋が太い首を一掴みにされて呻くのを気にも留めず、イブキは続けた。

「タリーズ。あんた分からねえかい? わっざわざ、どこへでも行けるこの空飛ぶハンバーガーがあんたを捜しにきた理由が」

「ば、ばーがーや、じゃ、ね……え、ばーがーそのものにされてる……?」

瞳に映る強い焔。

いつだって、どんなに見込みがなくたってタリーズの背中を押し、時に地に叩き伏せてきた母親のその目。

しかし、タリーズにはその理由が分からなかった。

力なく首を振れば、タリーズの目の前にバーガーが飛んでくる。

「馬鹿たれ」

「いたっ」

「げふ!?」

危うく防御姿勢を取ってバーガーを弾いたはいいものの、そう叱られてなおタリーズにはイブキの言わんとせんことが分からなかった。

「しょうがない子だねえ。なら時間もなさそうだし教えてやる。――お前の親父のピンチだよ。あのひょろい魔導師のね」

「――っ!」

「あいつぁ喋らない本だか何だかの影響で長生きしてたっつーが、それが無くなったらもう長生きは仕舞いさ。そうなりゃ、命を賭して何かをしでかすのもあり得る話だ。なんたって、どのみち生い先短いんだからねえ。そうさせねえように、あいつを守れっつーのがこのハンバーガーが来た理由だろう」

よろよろと立ち上がったレックルスが、ああそうだと頷く。

「なんでわかるんだよ」

「勘さね」

「バケモンが」

戦慄するレックルスを置いて、イブキは続ける。

「タリーズ。お前がこの山で修行を積んだのは何のためだい」

「親父の礼を言うためだけに言葉を取り戻したあんたが、一番大事なもんはなんだい」

「偉大であり続けようと必死こいてるあの馬鹿な魔導師に、してやりたいことはなんだい」

『タリーズ、お前が親父を守れるくらいに鍛えてやるからな!!』

『ありゃ親離れじゃねぇ……おまえの娘として誇る為の行いだ。偉大な父を持って、自分もがんばりたいって思った子の姿だ』

いつかの記憶。

「でも、母さんが」

一人で残すのは心配で。そう口にしようとするタリーズに、今度こそイブキは呆れたように額に手をやった。

「かーーーーー!! 親不孝な娘だよ全く!!」

ぱん、と自身の両膝を叩いて、イブキはタリーズに目をやった。

「あたいが!! わっざわざ徒歩で!! 来た理由を考えろ!! お前ひとり居なくたって平気だって見せつけにきてやったんだ!! 黙っていけ!!!!!!」

「……あ」

どん、と背中を押されて、タリーズはようやく。

母の力を貰ったように、胸の内に熱い感情が宿った。

「……レックルス」

「ああ、そうだよ!! 言葉足らずで悪かった!! お前に、シャノアールを守ってもらいたい! お前にしかできない! お前が居てくれたらシャノアールも無茶はしねえ!! 出来ねえように護衛してやってくれ!! 頼む!!」

頭を下げるレックルス。

その言葉の一つ一つが、タリーズの胸に染み渡る。

シャノアールを、守る。タリーズが、その手で。

いつか守られるだけだった自分にそれが出来るなら、どんなに嬉しいことだろう。

「シュテンのヤツは行方が知れねえ。ユリーカちゃんやヴェローチェの嬢ちゃんは前線で奮闘中だ。だから、お前しかいねえんだ」

声に出して、何を言っていいか分からなかった。

だから、隣で腕を組んでいた母親をちらりと見る。

彼女は鷹揚に頷いて、ただ。

「一人立ちした子の姿を見るのは、格別だ。あいつにもその想いをさせてやれ」

レックルスがゲートを開く。

タリーズは迷うことなく、飛び込んだ。

――魔界六丁目。魔神召喚直後。

街には既に人気が無い。

燃え盛る火炎は燃料を求めて地を走り、煌々とその範囲を広げていく。

上空から見る景色はまさしく壮大な火葬か何かのようで、しかしその中心には獰猛かつ暴虐を司る一つの"生"があった。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

魔神は、女神のような姿をしていた。

はっきり見える肢体と、波打ち山を刻む髪が確かにその神性を伝えてくる。

だが纏う衣装は焔の其。

まるで燃え盛る六丁目が彼女のフレアスカートのように広がっている。

地獄が、顕現した。

魔神降臨の儀式は成り、魔王をはじめとした払暁の団の悲願は成就した。

立役者たる彼らは既に舞台を降り、後はただこの人型の嵐が、魔界を飲み込み地上へ侵攻するのをただ見届けるだけ。

その光景を初めて目にしたのは、ゴシックドレスの少女だった。

あまりの威圧に言葉を失い、しかし胸に秘めた闘志は決して揺るぎはしない。

次いでその女神を目撃したのは、空中で二人の堕天使を相手に戦っていた少女。

おかしいとは思ったのだ。

目の前の二人からみるみる魔素が吸われていくのが。

その先を手繰った先に、あの魔神は在った。

魔界六丁目は既に、魔神を中心とする坩堝に呑まれたのだった。

まじん こうりん▼

(専用BGM『艱難数え幾星霜。 秋(とき) は満ちた、喝采せよ魔界戦役を』)

ゲートが魔界六丁目に開いたのはその時だった。

続々と飛び出すは聖典への叛逆者たち。

しかし、舞い戻ったレックルスですらこの光景は予期せぬものだった。

魔神が、本当に降臨してしまったとはと、言葉を失う。

魔界に染まれば染まるほど、魔神という威容に対しての警戒は酷く濃くなるものだ。

闇魔力でも剣魔力でもない純粋な魔力でしかないというのに、周囲を埋め尽くす重圧と、呼吸すら奪い去る炎熱の地獄はまさしく相対する気力を奪う女神の権能。

だが。

クレイン・ファーブニルは光の神子だ。

「行くよ、みんな!!」

「ちょ、クレイン、待ってよー!!」

「剣で切れるか、あれは……」

「少なくとも、忍に出来る仕事じゃないよこれ……」

先陣を切り、臆することなく飛び出していくは光の神子。

続くように彼のパーティは、絶望をものともせず突き進んでいく。

魔界へ至り、魔王を倒した彼らにとって、きっと本来ならば今頃ハッピーエンドが待ち受けていたはずなのだ。

しかし目の前の現実は、死闘の上の死闘であった。

辛くもある、苦しくもある。

けれど、誰もが絶望に染まりそうな時。真っ先に行動で光を魅せるのが。

魔神に負けない輝きを魅せるのが、光の神子の仕事なのだ。

「はは、これは負けていられないね。第八席、第三席を頼む」

「ちょ、グリンドル!?」

「彼らとは僕が相性良いからね、援護をするよ。――死なせたくない」

続いて、グリンドルも駆け出していく。

どんなに強い敵が相手でも、気力と根性だけなら負けはしない。

ハルナが徹底的に回復に務め、パーティとしての役割を果たせればどんな強大な敵にも何れ勝てる。

そんな妙な確信があった。そして、彼らの連携を最も上手く活かせる指揮官こそ、第十席グリンドル・グリフスケイルなのだ。

「……ミランダ、ヤタノが戦闘不能っぽい。正直、あたいもこの炎の中じゃろくに戦えはしないというか、相性悪そうっぽい。だから、前線は任せる」

「ならば主さまの不在の間は、私が前に出ますわ」

血で斧を作り上げたフレアリールが翼をはためかせて飛び出す。

「俺もヴェローチェの嬢ちゃんが戦ってる相手に用がある。ここは任せたぜ」

レックルスも、ゲートの中へと消えていった。

残されたのは、シャノアールと――その娘のタリーズだ。

「……そ、そんなに気合いをいれなくてもいいんだよタリーズ」

「…………!」

困ったな、とシャノアールは頭を掻いた。

さっきからずっとこの調子だ。シャノアールのそばを付かず離れず、手に薙刀を持って周囲をぴりぴりと警戒している。

何もそこまでして貰わなくても、迎撃の一つくらいは出来るからと。

そう諭したい気分だった。

「……ごほ、ごほ」

軽く咳が出た。

赤い何かは見なかったことにして、彼は前を向く。

「しかしあれは――女神クルネーアを邪神に堕としたもの、か。本人でないにせよ、人類の希望たる女神の力で人間を滅ぼそうとは魔王も徹底している」

「……クルネーア?」

「ああ。しかしあれに物理攻撃が効くのかどうか――」

シャノアールの視界の先で、生まれたばかりの邪神が狂声を上げる。

その声がまるで波紋のように広がり、周囲の建物を突風が如く弾いていく。

先頭を走っていたクレインが吹き飛ばされ、手を伸ばしたハルナごと空へと飛ばされた。それをフレアリールが回収し着地。

あの状態だと、近づくことすらままならない。

魔神の貌は、眼を閉じたまま不気味な無表情を保っている。

口を開けばあの声の圧ともいうべき攻撃が何度でも飛び出すことだろう。

そうでなくても、纏った炎のドレスが動くだけで猛威を振るう。

圧倒的な巨躯。数百メレトは離れたこの場所にも、伸ばせば手が届きそうだ。

『やあやあこちらミネリナ。酷いことになってるんだけど、誰か助けてくれないかい』

「なっ……き、きみはまさかあの中に!?」

と、耳元に通信。

シャノアールの顔から血の気が引いた。

彼女は魔界六丁目の真っただ中に居たはずだ。

あの炎の中に居るとなれば、いくら吸血皇女でも長くはもたない。

飛び出そうとするシャノアールをしかし、タリーズが掴んで止めた。

「タリーズ、離してくれ! 仲間が危ないんだ!」

「……だめ。パパは、だめ」

「そんなことを――」

言っている場合じゃない。

と口走る前に、シャノアールはしかし目にした。

大地の炎を映し、赤く染まる地底の空にきらりと耀いた一条。

瞬く間に瓦礫の中へ突っ込んだその光は、すぐに赤髪の少女を抱えて外へと飛び出した。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

拙い、とシャノアールが叫ぶより早く、魔神の腕が彼らの居た場所を薙ぎ払う。

ごう、と烈風にすら熱を孕んだその腕を直接受けたら、ちっぽけな生命たる人々は一たまりも無いだろう。

本当に、住民たちを逃がして良かったと安堵するシャノアール。

だが、同時に恐れをなした。

あれが、地上に出るなどということがあれば。

魔王どころではない。世界が終わる。

「ミネリナちゃんはっ――」

はっとした。助けられたのは良いが、今彼女はどこに――

「熱い熱い熱い熱い熱い!! あっついよテツ!!」

「少しは我慢を覚えましょうや、ミネリナ嬢」

居た。

あろうことか、魔神の腕に乗って肩の方へと駆けあがっている。

ミネリナの魔導でどうにか熱を緩和しながら、片手に少女、片手に鎗を握った男が魔神の顔めがけて全力で駆けている。道理で視認できなかったはずだ。

「はああああ!!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

鎗を眉間に突き刺す一撃と同時、魔神のハウンドボイスがテツとミネリナを吹き飛ばした。

だが。

確かに今、魔神の身体は揺らいだ。

攻撃を加えたのが人類最強であるが故にいまいち確信は持てないが、確かに鎗の一撃は効いたらしい。

これならば、とシャノアールは拳を握る。

だが。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「っ、僅かな傷でさえ再生したっ……!?」

シャノアールの瞳に見えたのは、魔神の眉間に穿たれた穴が一瞬で修復される瞬間。

「……魔素。この街にはびこるダンジョン化の影響で、豊富な魔素が――否、そもそも供給源があるはずだ」

「もしもし、聞こえるかいミネリナちゃん」

『――』

「ダメか。こりゃ、通信拠点は完全に燃え崩れたか」

ミネリナが確保していたホテルは、彼女の手により一種の要塞と化していた。

堅固堅牢なものではないにせよ、彼女の魔力を媒介として魔導を操作する社。

ここを拠点にして、ミネリナは通信手の役割を果たしていた。

ホテルを潰された今、彼女とシャノアールの間に連絡は難しい。

魔神により近い位置に居る彼女から、あの魔神の魔素の供給源を探って貰おうと考えたのだが――どうやら自分で調べた方が早そうだ。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

叫び、その溢れんばかりの暴威に身を任せる魔神。

あれはまさに破壊の化身だ。しかも、シャノアールの目測が正しければ、時が経つにつれて徐々にその巨躯がさらに増しているようにも見える。

このままでは魔界六丁目どころか、魔界地下帝国を飲み込まんばかりだ。

「……供給源?」

隣のタリーズの呟きに頷く。

「タリーズは、魔導具店を覚えているかな。あそこにも色んな魔導具があった。魔神は、周囲の魔素を吸収し、より輝く灯火。うちにあった魔導具と同じだ。だが、どうしてもそこには魔素の源となる部分が必要になる」

「それさえ潰せば?」

「潰せば少なくとも、あの無限回復じみた権能だけは失せるはずだ」

「……それ、だけ」

「それだけでも十分さ。可能性が0から1になるのだからね」

さあ、魔導の時間だ。

シャノアールは手を翳し、己の中に残った僅かな魔素を絞り出すように展開する。

口の中に感じる鉄の味は、ひとまず気にしない。むしろ、血液から直接魔素を搾り取れるので好都合だ。

「――さて、どこだ。どこにある」

そんな状態で、魔素を行使して情報を探ろうとしたものだから。

だから、一瞬。死角からの攻撃に対する意識が出遅れた。

「シャノ兄!! 避けて!!」

「っ!?」

振り返れば、そこには堕天使の姿。

もう一人の義娘の面影をどこか彷彿とさせる、しかし濃密な死の気配を孕んだその魔族。

カトラスを振りかぶった彼女に対し、シャノアールは慌てて手を翳す。

「第三攻性魔導改――っ、ごほ、げほっ」

不味い。

既に、ただ一度の砲撃すらも危ういほどに魔素が持っていかれていた。

スローに感じる世界の中、振りかぶられたカトラスが彼の脳天目掛けて降ろされるのを、珍しいくらいに目を見開き、動揺の中でシャノアールは見つめることしか出来なかった。

「――はああああ!!」

火花。耳に響く金属音。

シャノアールより頭一つ分低い背中が間に割って入り、そのカトラス二刀を相手に薙刀で一合二合三合四合。

後ろから追いついてきた少女が、驚いたように声を上げた。

「タリーズ!?」

「……ひさしぶり」

まるで結界のような、薙刀の演舞。

弾かれたように飛び下がる堕天使を相手に、タリーズは油断一つせず正面から見据えていた。同時、タリーズの隣に舞い降りる少女――ユリーカは、ほっと息を吐いたように後ろの男へ一瞥をくれる。

「良かった。シャノ兄が細切れにならなくて」

「あ、ああ……たすかったよ」

言葉を交わしながらも、相対する二人から目を離さないユリーカ。

舞い降りてきた、斧を握る男の堕天使。正対する女の堕天使。

シャノアールの瞳に映る――おそらくはユリーカの両親。その成れの果て。

「ユリーカ、この二人は」

「分かってるよ、シャノ兄。でも大丈夫。戦えるよ」

にこ、と。

彼女は半身で振り向いて、黒い翼を小さく羽ばたかせた。

合わせた視線を見る限り、彼女の中に寂寥や辛苦は見られない。

――なら、大丈夫か。

少しだけ胸の痛みをおさめて、シャノアールは一歩退く。

今の自分は戦えない。

けれど。

「……ユリーカ?」

「大丈夫よ、タリーズ。この人達は、あたしの両親――だった人たち。だけど、形だけ。形だけだし、今はもう何ともないから。戦えるよ」

「……」

驚いたように小さく瞠目して、タリーズはまじまじと敵を見据えた。

両親。

そう聞いて、タリーズの頭に浮かぶのは笑顔のイブキと、背後に居るシャノアール。

そして、自分を生んだ両親。

あれからもう二百年経った今、最早うっすらとも思い出すことができない両親の顔。

ユリーカにとっての両親がそうであったということも聞いていた。

決して、軽んじるつもりはないけれど。

タリーズにとって母親は、自分を守って亡くなった存在だ。

ユリーカにとって両親は、探しても探しても居なかった故人だ。

だからタリーズはただ一言「そっか」と言ってから。

「……パパが、居るもんね」

「そだね」

だから、心配ない。

そっと構えた薙刀は澄み切っている。

後ろから彼女らの背中を見ていたシャノアールの胸に、言葉が響く。

自分は、そうだ。父親なのだ。

タリーズにとっても、ユリーカにとっても。そして、ヴェローチェにとっても。

「……死ぬわけにはいかないな、このボクは」

「当たり前、死なせないよ」

間髪入れずにユリーカは頷く。

そして、もう一人は。

「ねえ、パパ」

振り向いて、珍しく微笑んだ。

「わたしもね。二百年待ったよ。恩返し」

「――っ」

言葉を失うシャノアールよりも先に、タリーズは一気に駆けだした。

狙いはエウレカ。カトラス二刀。

「はあああああああ!!」

「っ」

タリーズの発声とはとても思えないその咆哮じみた鬨の声に、ユリーカもシャノアールも驚いた。

しかしユリーカも負けてはいない。

タリーズに迫る斧を投鎗で弾き、そのまま長弓で牽制。刀を握って突っ込んでいく。

「行く……!」

カトラス二刀の使い手は、タリーズより遥かに格上の存在だ。

ユリーカが一人で二人を相手にしていたからこそ目立たなかったが、その実力は魔界四天王に比肩する。

そんな相手を前に、彼女は一歩も引かずに刃を交え続けていた。

拮抗。

その表現が一番正しく思えるその剣舞を目の前で見せつけられて。

シャノアールは一人、口を閉ざした。

『タリーズ、お前が親父を守れるくらいに鍛えてやるからな!!』

『ありゃ親離れじゃねぇ……おまえの娘として誇る為の行いだ。偉大な父を持って、自分もがんばりたいって思った子の姿だ』

「預けて、良かった」

あの日、彼女はただのか弱い童女でしかなかった。

シャノアールのもとに居たとしても、きっと武芸の類を教えられはしなかった。

ユリーカも一から子供に剣を教えられるほど暇ではなかった。

イブキ山に居たからこそ、彼女はこんなに強くなれたのだ。

「――ユリーカ!」

「分かってる!!」

一瞬の出来事。

タリーズがカトラスを一本弾いたと同時、ユリーカはまるでツバメが虫を攫うようにカトラスを奪い取り、そのまま斧使いの方へと突っ込んだ。

「っ――!!」

「終わりよ」

深々と突き刺さる刃と、得物を手放したユリーカによる"大斧"の一閃。

それは、離別の言葉だ。

父であったもの。

父であった人への、せめてもの手向け。

彼女は葬魂幻影という魔導が使われた現場を見たことがない。

だから、これが、初めての死者への弔花だ。

「――ありがとう。ユリーカ」

この後に起きることを、ユリーカは知らなかった。

「――大きくなったね。頑張って、楽しく生きるんだぞ」

「えっ」

思わず顔を上げた時には、既に彼の姿はない。綺麗に焔の火花となって、六丁目の空に消えていった。

「……タリーズ! 今行くわ!」

振り向けば、そこにはエウレカと戦うタリーズの姿。

まだこの戦いは終わっていない。

何もかもが終わっていない。

だから、自分が助けなきゃ。

しかしユリーカの瞳に飛び込んできたのは、そう。"意地"だった。

一本になったカトラスで攻勢を仕掛けてくる女性に対し、タリーズは薙刀ごと身体を預け、力押しによる戦いを選択した。

二本なら捌かれていたであろう攻撃も、一本となれば話は別だ。

妖鬼の。

妖鬼ならではの力押し。

「――はは、やっぱり姉弟だ」

吹き飛ばしたエウレカに、畳みかけるような薙刀の一閃。

タリーズの口から、小さく言葉が漏れた気がした。

「……だって、お姉ちゃんだもん」

――魔界六丁目。魔神眼前。

「どうしてこんなになるまでホテルに居たんで!?」

火の手がまだ上がっていない場所に着地したテツは、魔神の動向を気配だけで監察しながら少女を問い詰めていた。

「あ、はは。いやあ。それがね」

抱き留められたままの彼女は、照れ臭げに目を逸らしながら呟く。

危ないとか、なんだとか。心配してくるテツに、お前が言うなと言いたいのをぐっと堪えたうえで彼女は言う。

「――必要だったんだ。通信が。わたしにしかできないのだから、頑張るしかないだろう? 窮地を救うためにもさ」

何を?

とテツは首を傾げた――と同時。

魔神の苛烈な気配を察知して振り向く。

魔神が狙いを定めた 腕(かいな) の一閃。その先には、クレイン・ファーブニル。

不味い、とテツは駆けだそうとして――やめた。

クレインの前には、リュディウスが剣を構えて立ち向かい。

ハルナが防御の壁を張ったうえで、グリンドルが全員の力を高めていた。

あれなら早々、防御を砕かれることはない。

が。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

その咆哮に、テツは目を見開いた。

先ほどは気が付かなかったが、あれは魔導を破壊する性質を持つハウンドボイス。

瞬く間にハルナの障壁が砕け散り、グリンドルの神蝕現象でさえ防ぐのが精いっぱいだ。

リュディウスの背後に居たクレインはまだしも、ハルナとジュスタは無防備に近い。

この直撃を食らえば、あっさり死に至る。

「――だからって、私をアレの案内人にしなくてもいいじゃない」

テツのそばで、声がした。

聞き覚えのあるその高い声と、眼前にふわふわと触り心地の良さそうな九つの尾。

「シュテンが居ないこの状況だ。何をさせても手につかないと思ってね」

「探させてよ、じゃあ」

「戦力を遊ばせる余裕がない」

ミネリナとの会話に、おそらくこの二人の間で何かがあったのだろうと察することは出来る。だが、テツには何のことだか分からない。

そんな、中で。

振るわれた魔神の腕。

遠くでハルナたちが一撃のもと、殺されてしまったのではないかというこの状況で。

しかし再度、テツは安堵した。

「怪我をおして来てみりゃあ、でかいだけの化け物に街一つ潰されてるたぁ。クソ忌々しい状況だな、おい」

背にはII。

ジュスタとハルナを守るように構えたその大薙刀から発せられるエネルギーは。

確かに、あの魔神の咆哮と、腕の焔すらも見事に無効化してみせた。