作品タイトル不明
第一話 イブキ山I 『キキョウ』
帝都グランシル――栄えある帝国の首都であり、国主のおわすところとしても知られるその場所。だが、帝都グランシルにおいて最も有名な場所といえば帝の御所よりもかの"帝国書院"であった。
いつからか軍に成り代わり、帝国の人々の平穏を守る一大組織。
中でも精鋭部隊書陵部といえば臣民の憧れの的であり、その頂点に君臨する魔導司書などはもはや羨望と憧憬のまなざしで見られるのが当たり前とまで言えた。
帝都グランシルの中央に構える巨大な建造物。鉄の街グランシルにあって、もっとも威厳に溢れたその建築物の最上階。通称"紅蓮の間"と呼ばれる大広間に、今日多くの人の姿があった。
「――デジレ・マクレイン」
「……はい」
甲高くどこか緊張したような幼い声色に続いて、押し殺したような返事。
ここ紅蓮の間は帝国書院の総帥が式典の時に使う場所だ。タロス五世が崩御した今、この部屋の主は帝の血筋であるグレセレスという少年。未だ幼く、半ば傀儡というような扱いでの就任。しかし彼は責任感に篤く、子供ながらに懸命に仕事をこなしていた。
紅蓮の間全体を見渡せる、周囲より一段高い場所にある玉座。
目の前に呼び出したのは、"帝国書院書陵部魔導司書"という、国にとって最重要とされる特殊部隊のメンバーの一人。それだけでも緊張するというのに、呼び出された青年は総帥に隠すそぶりも見せないほど不機嫌であった。
「デジレ・マクレイン。貴方を、帝国書院書陵部魔導司書、第二席に任命します」
「……拝命します」
「では、これを」
グレセレスのそばに控えていた一人の男が、黒く畳まれた布をグレセレスに差し出した。それを受け取ると、大きく広げる。瞬間、紅蓮の間に集まっていた者たちからどよめきが広がった。
なぜなら。彼ら全体に見せつけるようにその黒い布に書かれていたのは、大きく縫い込まれた『II』の文字。帝国に身を置く者ならば誰も避けては通れない、偉業をなした英雄の数字。
グレセレスが広げた布は、果たして一枚の黒いコートであった。
魔導司書のみが身につけることを許される、ナンバーを刻み込んだ猛者の証。
「……アイゼンハルトさんは、生きていたのか」
「えっ?」
ぽつりと、目の前に膝をつき頭を垂れる男が呟いた。思わずグレセレスは小さくも声をあげてしまう。幸いそれを誰か周囲の者が気づくことはなかったが、しかしグレセレスにとっても今の言葉は聞き逃せない。
「デジレ・マクレイン……あなた、今――」
「いえ、第二席の任……謹んでお受けいたします」
「え、ええ……」
顔をあげたデジレの瞳には、有無を言わせぬ力があった。
手順通りにデジレの背にまわって彼にコートをかけると、彼は立ち上がり周囲に向けて一礼する。
わ、とあがる歓声。万雷の拍手。
実に二年振りだ。二年振りに、魔導司書の席が全て埋まる。
これでまた盤石の体制が整ったのだと、書陵部内外を問わず喝采が巻き起こる。
グレセレスにもう一度膝をつき、忠誠を誓う儀式を行ってから。デジレは、自らが控えるべき定位置に戻ってきた。自分はすでに、第五席ではない。新たな席次を考えれば、両隣に座るのはどうしようもないほど扱い辛い二人だ。
「おかえり、デジレ。これからもきみの活躍に期待しよう」
「ふふ、楽しくなるといいですね」
「……」
二人の歓迎には答えずに、しれっとデジレは彼らの間に立った。
まだ祭典は終わっていない。今グレセレスが一生懸命これからの帝国、帝国書院のあり方について語っている最中だ。その拙いながらも熱のこもった頼もしい弁舌に耳を傾けながら、しかし一つだけ言わずにはいられないことがあった。
「……アイゼンハルトは、元気だったのか」
「 僕(やつかれ) から干渉はしないと約束した。何の不自由もなく、元気で居る。第二席にきみを推薦したのも、彼だよ」
「……そう、か」
左隣に立つ、デジレよりも幾ばくか低い身長の人物。男なのか女なのかさえ判然としないその者の名はアスタルテ・ヴェルダナーヴァ。魔導司書をまとめる、事実上の頂点。
彼の言葉に、デジレは一つだけ頷いて。
そして、覚悟を決めた。
――元帝国書院書陵部魔導司書第五席デジレ・マクレイン。第二席、就任。
「……こっち」
「お、おう。どういうこっちゃ」
ところ変わって、とある山中。獣道を、迷うことなくさくさく歩いていくのは先頭の娘。そして彼女に袖を引かれるようにして青年が続く。歳の頃は、少し娘の方が上だろうか。大して変わらない年代の、それも同じ種族の者が連れ添っているという光景は少々の誤解をうんでも仕方のないことかもしれない。
二人は、同じ妖鬼であった。黒く捻れた二本角が、その存在を強く主張している。
と、そんな二人の後からついて行く童女が一人。
ばさりばさりとその黒翼を羽ばたかせ、獣道という悪路でもおかまいなしと言った風にすいすいと。しかし、その快適な通行とは裏腹に鋭く赤い瞳は前を進む二人から一切離されることはない。
「シュテンさまのお姉さまだから大丈夫シュテンさまのお姉さまだから大丈夫シュテンさまのお姉さまだから大丈夫シュテンさまのお姉さまだから大丈夫シュテンさまのお姉さまだから大丈夫……」
「フレアリール、ついて来れてるかー?」
「あ、はぁい! 大丈夫です!」
青年妖鬼が振り返ると同時、フレアリールと呼ばれた少女の表情はころりと変わる。満面の、可憐な花のような笑みに青年は頷くと「タリーズ、ちょ、速いって」と文句を言いながら前の娘についていく。
「嫉妬、って感情にしちゃあ、随分どろついてんなあ、ガキ」
「……ええっと、シュテンさまのお母様」
「イブキで構わねえさ……あの野郎また女ひっかけてんのか。しかも、こんな子供を」
「こ、子供じゃないです!」
「拾った時のタリーズよりゃマシだが、その程度だ。まだまだガキだっての」
そんなフレアリールのさらに背後。さくさくと、勝手知ったる道といった風にもう一人歩む女性が居た。少々露出が多い防具に身を包み、しかしながらその風貌は剛毅という言葉が一番似合う。美人であることは間違いないが、少なくともそこらへんの優男ではとても釣り合わないような苛烈さを感じることが出来た。
「タリーズ!! そのまま部屋に連れていきな!」
「……ん!」
イブキ、と名乗った女性は先頭に居る娘に対して一言伝えると、そのまま跳躍する。
「おいオカン! どうなってんだ!!」
「どうも何もあるか!!」
「あぁ!?」
会話の様子を見るに、どうやら青年は何も知らされずにしょっぴかれているようだ。
それでは流石にたまらないと叫んだ言葉も、あっさりとした笑みによってかき消される。木々に飛び移ったイブキは、青年に向かって笑いかけた。
「大事な息子が帰ってきたんだ。村総出で酒宴に決まってんだろが!!」
「……や、ちょ、村って」
「んじゃな!! あ、お前はこっち来い」
「え、ちょ、きゃあああああああ!!」
「おい、オカン!!」
正直なところ、青年が何故これだけ困惑した顔を見せるのかさっぱりわからなかったイブキ。しかしながら、青年の悩みなぞどうせ大したことではないとあっさり割り切ってイブキは三人の前から姿を消した。
フレアリールも、まとめて拉致する形で。
取り残された青年はたまったものではないのだが、前を行くタリーズも迷うことなく一路山奥に進んでいくのだ、置いていかれる訳にもいかない。
「なあおいタリーズ、どういうことなんだ」
「……お姉ちゃん」
「ああはいはいわかったよ姉貴。これでいいのか?」
「…………妥協」
「そうかい。そいつぁ何よりだ。随分渋ったな。まあいいや。あの、さ……」
「……なに?」
少々濁した青年の言葉に、振り返ったタリーズはそのサイドテールをこてんと揺らして首を傾げる。本当に心あたりがないようで、青年としては混乱がさらにきわまるも。
「……村、襲撃されたんじゃなかったのか?」
「……けっこう、前?」
「まあ前っちゃ前だな、もう、二年くらい?」
「……シュテンが居なくなった頃?」
「っ! あ、ああ、そうそうその辺」
青年――シュテンはタリーズの問いかけに頷いた。
唇を噛む。一つ、気づいたことがあるからだ。シャノアールの養女であったタリーズがこの場所に居る時点ですでにわかり切っていたことではあるのだが、やはり歴史が変わったのだと。
一月ほど前、シュテンは堕天使の少女ユリーカと共に二百年前の過去へと出向いた。その時に出会った幼き童女タリーズ。確かにその面影が、目の前の少女にはある。
本来の歴史であれば、シュテンは二年弱ほど前にこの山を滅ぼされ、彼自身は精神を封じられて塔の番人にされてしまっていたのだ。それが、この歴史時空ではどう変わっているのか、それが気になる。
生存を喜ぶよりも、混乱が先に来てしまうのは仕方のないことと言えた。
しかし。
そんなシュテンの困惑をよそに、タリーズはシュテンの袖を掴んでいない方の拳をぐっと握りしめると、まるでガッツポーズでもするようにしてシュテンの方を振り向く。
その目はイヤに輝いており、いつかのか弱さなどみじんも感じさせない。
「た、タリーズ?」
「……ぶっちめた」
「へ?」
「…………二年前、きた奴らぶっちめた」
「お、おー……そうかぁ……」
「……シュテン?」
サイドポニーの髪を揺らせて、うんうんと頷くタリーズ。
確かに、尋常ではない力を彼女からは感じていた。それがおそらくイブキの指導によるものだとも、薄々は分かっている。しかし、それとは全く別の理由でシュテンは力が抜けた。
あの悲劇は、起きなかったということだから。
○○の大将! ○○の大将! と若い衆が必死になって自らに助けを乞い、しかし叶わず次々と目の前で葬られていった事実。様々な魔族が集落を魔導で焼き、魔導で張られた罠によってあっさりと壊滅した妖鬼の里。そして、それを身動き一つとれないままにまざまざと見せつけられた、あの日。
地獄のような光景は、起こされなかった。
「……ところで、俺なんで居なくなってたの?」
「……心配、した。お散歩中にマッドウィザードにさらわれた、って」
「あれえ!? 平和の代償に俺アホの子になってる!?」
「……義母さんが、ほうっときゃ帰ってくるって。過去に来たシュテンはもっと強かったから、ひょっこり帰ってくるって……」
「オカンマジぶっ飛ばす。息子くらい助けろや」
そこで死ぬようなタマじゃない、と信じられたことは嬉しいことこそすれ、いくらなんでも親のすることではないだろう。妖鬼の親なんてそんなものかという諦観と、いやいやそれはないと思う子供の心がシュテンの中でせめぎあう。
と。ふと思った。
「な、タリーズ」
「……ぷい」
「の姉貴」
「……ん?」
「俺の名前、なに?」
「……シュテンは、シュテン」
「……いや、あの」
「……義母さんが、つけた。こいつが、あのシュテンになる……って」
「……わっほい」
「……?」
ふう、と息を吐いた。
まあつまり。シュテンという名前を偽名だとも言わず、イブキの前で二百年前にわっしょいしてしまった結果。息子の名前はシュテンなのだろうとでも、思ってしまったのかもしれない。
「……真実は、闇の中」
「……どしたの?」
「いや、なんでもねえわ」
「……そ。あ」
「あん?」
ずんずんと、そこそこ長い間突き進んできた森の中。
その視界が、一瞬で開けた。
懐かしい、光景。
山に囲まれた、盆地集落。かやぶき屋根のほったて小屋ばかりで、ろくに店もないような、そんな場所。唯一自慢出来るのは、真ん中にあるでかい広場と、その中央にある祭り櫓。
そんな、文化のかけらもないようなこの集落はまさしくシュテンの生まれ育った場所で。
「……おかえり、シュテン」
「……あぁ……ただいま」
思わず、ふざけることすらも忘れてシュテンは感慨深げに頷いた。