軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

クロの怠惰な一日

カーテンの隙間から差し込む陽光に、黒猫はゆっくりまぶたを開いた。

しばらく間を置いて、ふわぁぁと大きなあくびをする。

前足を突っ張って大きく伸びをした猫は、そのままベッドを横切って床へ降り立った。

途中、まだ眠りこけている縞猫と下僕の少女の顔をムギュリと踏みつけたが気にも留めない。

そんなところに居るほうが悪いのだ。

「う、ううん。はぁふ、おはよー」

「ウニャオォ」

いつも通り黒猫に起こされた一人と一匹は、息を合わせたように目覚めの声を上げる。

それを横目に見ながら、黒猫は器用に頭で扉を押し開けて部屋の外に出た。

廊下の先にある台所からは、すでに毎朝の心地よくリズムを刻む音が聞こえてきている。

この家の主は、猫よりも早起きなのだ。

「ニャアオ」

まな板に向かっていた女性は、その鳴き声に手を止めて振り向いた。

そして朝の日差しに白銀の髪を透かしながら、満面の笑みを浮かべる。

「おはようございます、クロさん」

エプロン姿の女性は、膝を曲げてそっと手を差し伸べた。

そこへ頭を持ち上げる黒猫。

白い指に柔らかく撫でてもらいながら、黒猫は挨拶代わりに喉をゴロゴロと鳴らした。

「ふふ、みんなには内緒ですよ」

ひとしきり黒猫の毛並みを堪能した女性は、唇に人差し指を当てながら肉の切れ端を餌皿にこっそり置く。

これも毎朝の秘密の取引である。

食いしん坊な縞猫が起きてくる前にお肉をぺろりと平らげた黒猫は、軽く一鳴きしてから窓枠に飛び乗り、開いていた隙間から外へ出た。

庭をゆっくりと見回り、異常がないか点検する。

この縄張りの住人たちは、そういったところが無頓着なので困りものだ。

「ニャアニャア」

何事もなかったので台所に戻ると、ずいぶんと騒がしくなっていた。

三角巾をつけた少女が朝食作りの手伝いに加わったせいだ。

「ユーリルさん、サラダの盛り付け終わりましたよー」

「スープもそろそろ……。うん、美味しい」

「あ、トールちゃん、おはよー。ムーちゃんもおはよー」

「ああ、おはよう」

「ふぁあぁ、おはようだぞ」

「おはようございます。もうすぐ朝ごはんができますよ」

「はい。ほら、急ぐぞ、ムー」

「うむにゅ」

家の主に急かされた大きな男は、あくびを噛み殺す子どもを抱きかかえ足早に外の井戸ヘ向かった。

遠くから聞こえてくる水音とはしゃぐ声を聞きながら、黒猫もようやく朝食に取り掛かる。

髪の長い女性が床に置いた皿には、食べやすい大きさに刻んだ肉が並んでいた。

あの大きな男は、この辺りの融通が利かなくて本当に困ったものだった。

「ウニュウニャア」

相変わらず縞猫は食べる時にうるさい。

我慢しつつ黙々と平らげる。

長い付き合いなので、今さら取り合いもない。

問題があるすれば、たまに下僕の少女が不気味な視線を送ってくる程度だ。

「ウニャーニャ」

腹一杯になったので柔らかなソファーに移動し、ゆっくりと毛づくろいを始める。

人間の方もそろそろ食事のようだ。

「いただきまーす。うん! ユーリルさんのスープは今日も絶品ですね」

「ソーセージもうまいぞ、ソラねーちゃん!」

「そういえば明日は雨だそうですよ、大家さん」

「それじゃあ、今日の内にシーツを洗ってしまおうかしら」

人間の子どもが心底楽しげに食べる光景を、黒猫は尻をついて足の毛を舐めながらちらりと眺めた。

この子どもが黒猫たちの縄張りにいきなりやってきたのは、もうずいぶんと昔のことになる。

あの日はとても寒い日だった。

あまりの地面の冷たさに餌を探すことを諦めた猫たちは、路地裏の隅で丸まってやり過ごすことに決めた。

少しでも暖かい場所を探しながら奥へ奥へと進んだ黒猫たちだが、不意に体を低くして背中の毛を逆立てる。

耳慣れない音が聞こえてきたせいだ。

警戒して顔を見合わせる二匹。

こんな時に真っ先に動くのは縞猫である。

忍び足で暗がりの奥へ進んだ縞猫は、慌てた顔ですぐに戻ってきた。

気になった黒猫が続いて覗くと、壁際に座り込んでいたのは手足を縮こませガタガタと凍える人間の子どもだった。

鼻水を垂らし歯の根を震わせていた幼子は、黒猫たちの気配に気づいたのか真っ青な顔を上げた。

暗闇に浮かび上がる紫色の瞳。

黙ったまま見つめ合う二匹と一人。

しばしの沈黙の後、子どもは何も言わずただ両手をわずかに広げてみせた。

猫にとって人間たちの事情など知ったことではない。

例え寒空の下、幼い子どもが今にも涙がこぼれそうな瞳を向けてきたとしてもだ。

なので本来なら踵を返して、近よりもしなかっただろう。

しかし、その日はあまりにも寒かった。

それだけだ。

「グルグル」

「ニャァ」

「にゃーたちはあったかいなー」

かくして小さな人間の子どもが黒猫たちの群れに加わったわけだが、そこからいろいろと大変だった。

何も知らないため、縄張りの見廻り方や獲物の捕り方、さらにトイレの場所や爪のよい研ぎ場所まで教えなければならないことはいくらでもある。

もっとも冬はぬくぬくだし、痒いのがなくなったのもはいいことではあった。

そんなこんなでなんとかやってきたのだが、どうにも困った問題があった。

子どもは人間のくせに同じ人間を怖がっており、路地裏から全く出ようとしないのだ。

仕方がないので黒猫たちが餌を取ってきてやったのだが、それにも限界がある。

そこで猫たちが考えたのは、人間の世話は人間にさせようという魂胆だ。

幸いにもこの街には、それなりに余裕のある人間も多い。

表通りを歩く何人かを呼び止めて、いろいろ吟味した結果、黒猫のお眼鏡にかなったのはあの大きな男一人であった。

ただし面倒なことに、あの男は猫たちに夢中になりすぎて小さな子どもの存在に気づこうともしない。

かといって無理やり引き合わせようとしたら、今度は子どもが怖がって逃げてしまいかねない。

どうしようかと考えあぐねていたところへ登場したのが、あの下僕の少女というわけだ。

で、結果として新しい縄張りに移れたのだが、今のところ清潔だし食事もちゃんと出くるのでまぁまぁ合格である。

手のひらで顔を拭いながら、黒猫はもう一度、テーブルに並ぶ面々を眺めた。

ふむ、特に問題なく新しい群れに馴染んでいるようだ。

お尻を上げ大きく背を反らした黒猫は、窓枠に跳び上がって空を眺めた。

ひげの湿り具合からして、午後もいい天気なのは間違いない。

もう一度、軽くあくびをした黒猫は満足気に舌を出した。

さて、今日もこの最高のひだまりで、惰眠を貪るとするか。