作品タイトル不明
英傑の資質
空気を断ち切る音とともに、斧刃が眼前に迫る。
だが近づく脅威を、トールはぼんやりと眺めるだけだ。
その眼差しは定まらず、体の力も完全に抜けきってしまっている。
何もかも諦めたのだと勘違いされても仕方がない態だ。
しかし斧が顔面に届く寸前、持ち上がった刃がその行く手をギリギリで阻む。
トールの剣に弾かれた斧は、明後日の方角へ行く先を変えた。
が、持ち手であるキキリリは、そうなることは百も承知であったようだ。
そらされた勢いを殺すことなく、体を独楽のようにクルリと回す。
トールに背を向けながら加速する戦士。
そのもう片方の手に握られた斧が、またも空気を裂いて襲いかかる。
しかもキキリリの隠し玉は、この逆手打ちだけではなかった。
体を反転させた瞬間、その背後に潜んでいたもう一人が姿を現したのだ。
姉と背中合わせになって隠れていたネネミミの両手には、当然二丁の斧がぶら下がっている。
遠心力が加わった三枚の斧刃が、わずかな時間差で次々と繰り出された。
対するトールは刃を斬り上げたことで、その体は開き脇腹は完全に無防備だ。
加えてその視線は相変わらず、近付く凶器に据えられていない。
固唾を呑んで皆が見守る中、響いた硬音は一つきりであった。
そして次の瞬間、体勢を崩しかけた双子たちは、地面を滑るようにトールから距離を取る。
振り下ろしたトールの刃は、最初の斧刃を正確に撃ち抜いていた。
方向が転じたネネミミの腕は、もう片方の斧の前に晒されることとなる。
それを避けるために強引に残った腕を動かしたところ、背後の姉の手にぶつかってしまったという流れである。
腕がもつれ期待した成果が上げられないと、とっさに判断した双子が自ら攻撃を潔く切り上げたというわけだ。
完璧な奇襲をたった一撃でさばいてみせたトールに、観客がいっせいに沸き立つ。
しかも離れながら放ったキキリリの足蹴を、さり気なく軸足を入れ替えて躱す動きまでやってのけていた。
「やるわね!」
ペロリと唇を舐めたキキリリは、両の斧をいきなり宙に放り投げる。
そして回りながら落ちてきた斧を交差させた手で掴み直すと、再びトールへ向けて走り出した。
その背後に、ネネミミも影の如く付き従う。
三人の打ち合いは、その後二十分近くも続いた。
「まだまだ挑む気は失せてないようじゃな」
一区切りつけて試合場から下りてきたトールに、じっとその戦いぶりを眺めていたダダンが静かに声を掛ける。
すでに第四の階層の発見と、そこでの手痛い敗北は局長の耳に届いていた。
だが訓練場で真剣に打ち合う三人の姿は、恐れていた事態とはほど遠いようだ。
安堵を含むダダンの言葉に、トールは剣を腰帯に戻しながらしっかりと頷いてみせた。
激しい動作の直後でありながら、その額にはうっすらと汗がにじむだけである。
事実、トールは双子の斬撃をひたすら受け流すだけで、積極的に自ら仕掛けようとはしていなかった。
「しかし、なんともまた面倒な部屋に面倒な迷宮主じゃのう」
「ええ、やっとのことで行き着けたと思えば、待ち受けていたのが予想外過ぎる相手でしたよ」
冒険者の多くの戦闘の決め手は、長らく鍛え上げた魔技や武技だ。
トール自身も強力な破壊力を秘めた技は持ってはいないが、止めのほとんどはユーリルやソラの魔技に頼ってきた経緯がある。
だからこそ、それを封じられた状況に簡単に対処することは難しい。
「しかもお主が手こずるほどの相手か。わしがもう少し若ければ、ちょいと相手をしてみたいものじゃがのう」
「ご要望とあればお手伝いしますよ、師匠」
「おいおい、冗談じゃ。今さらこんな老いぼれの出番を作るな。で、どうじゃ? 勝てそうなのか」
「どうでしょうかね。一応、それらしくやってもらったんですが」
トールの見立てでは、あの黒い骨の強さは人そっくりでありながら人とは違うその体にある。
なまじっか人骨と同じである分、勘違いしてしまうが、肉を持つ身体と骨だけの身体では動きが変わってきて当然なのだ。
特に顕著なのは、関節部分の可動域であった。
腱や筋肉で阻害されないため、その範囲が恐ろしく広いのだ。
おかげで、あの舞い踊るような剣さばきが可能なのだろう。
さらに肉がない利点だが、それだけ空気を受ける面積が減るということである。
抵抗が減れば、刃の加速はより容易になる。
さらに無茶な動きをして、筋肉が断裂する心配もない。
ならば、あの信じ難い剣速にも納得がいくというものだ。
その辺りを考えてキキリリたちにはなるべく手数を増やし、軽めの斧を使ってもらっている。
さらにトールは、基礎である部分をもう一度鍛え直そうと試みていた。
「困ったら基本に帰れが、師匠の口癖でしたね」
「ふん、木の根っこは幹や枝を決して裏切らんからな」
トールの土台を形作っているのは、小鬼の森で何十年も続けた角モグラ狩りだ。
地面の下から奇襲してくるこのモンスターに対処するために学んだことは、視線を一箇所に集中させてはいけないという点である。
周辺全体をうっすらと俯瞰することで、盛り上がる土の些細な挙動を捉えることが可能となるのだ。
先日の戦いは異様な場の雰囲気に初見の相手、そして凄まじい剣の動きに囚われすぎて、視界が狭まってしまっていたのも大きな敗因である。
視線を居着かせないこの戦い方こそが、変幻の剣筋に対するトールの答えであった。
それに空っぽの眼窩に騙されていたが、あの骸骨は明らかにこちらの剣の軌道を読み取る動きをしていた。
おそらくトールの目の動きから、その辺りを察していたのだろう。
そういったことを踏まえての受け身の練習であったが、トールの淡々とした表情から禿頭の老人はあっさりと核心を突く。
「じゃが、双子ではちと物足りんといった顔じゃな。まあ、あの二人には良い稽古になっておるようじゃが」
確かに金剛級である双子の速さは、この境界街でも一二を争うほどだ。
しかしながら、あの骸骨に比べるとやはり数段落ちてしまう。
延々と素振りをしながら次の出番を待つラッゼルも、言うに及ばずである。
もっとも本人は気にする様子もなく、むしろ期待に満ちた顔でトールが試合場に上がるのを今か今かと待ち構えている。
煉獄の階層の迷宮主を倒してから、紅尾族の剣士は吹っ切れた表情をよく浮かべるようになっていた。
「ふむ、鍛錬を積むには相手が力不足という問題か。かといって、わしでは役に立たんじゃろうしな……」
「ええ、お気持ちはありがたいですが」
ダダンは現役を退いて三十年以上となるが、未だに生半可な腕では太刀打ちできないほどの古強者である。
だが、その被弾を顧みずに全力で両手斧を叩きつける戦いぶりは、黒い骸骨と対極にあるといっても過言ではない。
むろん剣もそれなりに扱えるが、すでに腕前ならトールが余裕で勝っている。
ダダンに師事して学んだことの多くは、剣を振るう基本的な心構えであった。
もっともその部分こそが、今の自分の根底にあるのだと、トールも重々に承知していた。
「うーむ、話を聞くとどうにもズマの剣舞流とよく似ておるようじゃな。ならばストラッチアが適役なのじゃが、つくづく間の悪い弟子じゃて」
弟弟子である双剣の使い手は、今は本国の危機のため里帰り中であった。
ダダンの境界街一の剣士と謳われたストラッチアだが、基本の手ほどきはその生まれ故郷であるズマの国で受けている。
そのため我流に近いトールと違い、優雅な剣捌きを旨としていた。
「うむむむむ、剣舞流なら心当たりが一人だけおるが、上手く頼めるかのう。いや、お前には壁の修復の件で返していない借りがあったな。よし、ここはわしに任せておけ!」
「それはたいへん助かります、師匠」
大瘴穴を封じられるかの瀬戸際で細かい借りの話をあえて持ち出してみせる老人に、トールは思わず笑みを浮かべた。
ダダンも分かっているのか一笑いしてみせた後、不意に真面目な顔に戻って話を続ける。
「お主のその折れない心、本当に見事じゃな。よくぞ、そこまで鍛えたもんじゃ」
「諦めが悪いのが俺の持ち味ですからね。意固地なだけだと散々言われましたが」
「言わせておけ。それは不屈の意思、大瘴穴に挑むもっとも必要なものじゃて」
さらりと発せられた師の言葉に、トールは唇の端を持ち上げながら言い返した。
「諦めを覚えるな。そう叩き込んでくれたのは、他ならぬ師匠ですよ」
顔を見合わせた二人は、強く頷きあった。
「ところで、師匠。わざわざ訓練場までお越しとは、何か他の用件でもあったのですか?」
「おっと、忘れておったわ。魔族についてお前の話をぜひ聞きたいと言い出した奴がおってな。まったく、わしを使いっぱしりにしよって」
そう言いながらダダンが顎で示したのは、訓練場に隣接した冒険者局の建物であった。