作品タイトル不明
最後の主
部屋の奥行きは、徒歩で三十歩足らずであろうか。
横幅も同等である。
高い天井には黒い靄が垂れ幕のように幾重にも立ち込めており、輪郭さえ定かではない。
その靄の合間を、明滅する光の粒が星のように散らばっていた。
おかげでさほど暗くはなく、隅々まで見通すことができる。
ただし黒い敷石に覆われた床の上で確認できるのは、部屋の突き当りに壁を背にして置かれた玉座とその主だけであった。
玉座の上には大きなくぼみが一つあるだけで、他に目を惹くような箇所はない。
どうやら第四の階層は、この部屋一つのみのようだ。
だだっ広かった上層とは、比べ物にならない狭さである。
だが空間に満ちる禍々しさは、桁違いなほどに増していた。
ゆっくりと部屋を見回したトールは、そのあまりにも異質な雰囲気に静かに推測を漏らす。
「ここがおそらく最下層だな」
その言葉に誰も異を唱えない。
ただし同意ではなく、そうする余裕さえもないといったところが正しいようだ。
扉を開けて中を覗き込んだ瞬間、双子たちは大きく飛び退った。
クガセは両の拳を持ち上げ、ラッゼルは大きな剣を抜き放ち、それぞれ身構えながら数歩後ずさる。
後ろに控えていたバルッコニアやラムメルラたちも、強張った表情で己の身をかばうように杖を掲げていた。
唯一、冷静さを保てたのは、ソラとユーリルだけのようだ。
怯える様子を見せずに、二人はトールへ頷いてみせる。
ムーは扉を開ける前から何かを感じ取っていたのか、トールの太ももに顔を押し付けたままギュッと目を閉じていた。
金剛級の冒険者たちの視線を釘付けにし、その体を 戦慄(わなな) かせるほどの脅威。
それは成れの果てであるはずの一体の骸骨の仕業であった。
玉座に腰掛ける骨の体は、その身が抱える剣と同様に漆黒に覆われている。
やや背骨を丸めた姿勢で、眼球が失われた空虚な二つの穴を正面の扉へ向けたまま身動ぎ一つしない。
確かに見た目は、ただの人間の骨でしかない。
これまで屠ってきた屍の龍や魔族の長たちとは、比較にならないほどの小さな体躯である。
だがこの場にいた全員が、その朽ちた存在がこれまで出会った中で最大の脅威であると認識していた。
それはまるで瘴気が凝縮されたかのような存在であった。
「…………なんなんですか、……あれ……」
「聞かれても分かんないわよ……」
ボソリと漏らしたクガセの問いかけに、キキリリが生唾を呑み込みながら答える。
だが二人とも内心では、すでに分かりきった答えに行き着いていた。
この廃棄された地下監獄の全てを統べる主。
かの骨こそが最後の迷宮主であると。
完全に気圧された様子の仲間たちの姿に、トールは思わず顎を掻きかける。
が、そこへ狙いすましたように少女の声が響いた。
「ねー、トールちゃん。あの骨の人倒したら、ホントーに終わり? なんかすごく弱そうだね」
空気を読まないソラの疑問に、ラムメルラたちは二、三度まばたきをする。
しかし考えてみれば少女が冒険者を志して、まだ一年にもなっていないのだ。
長らく瘴地の奥で瘴気を浴び続けてきた人間たちとは、感じ取るものが違っていても仕方がない。
だがその一言で、場の緊張が解けたのは間違いなかった。
苦笑しかけたトールの代わりに答えたのは、いつもの氷が溶けたような笑みを浮かべたユーリルだ。
珍しく片目をつむってみせた銀髪の女性は、楽しげに言葉を返す。
「ふふ、そうですね。あの骨を倒せば全部終わりですよ、ソラさん」
「はー、よかったー。やっぱり地面の下ばっかりだと飽きてきますよねー」
「何よそれ。たしかにそうだけど。……うん、おかしくはないわね」
「ええ、心から同意いたしますぞ、ソラ殿。ここは本当に狭くて暗くて、ええ、この頭の上が遮られる感覚は誠に息が詰まりますな」
「うん、ボクもそう思うよ、ソラっち。まったくもってうんざりだよね」
「そうですね。私もさっさと地上へ戻りたいですね」
キキリリの突っ込みを皮切りに、一行は口々に本心を述べ合う。
珍しくモルダモまで心情を明かしたのを見計らい、トールは作戦の変更を申し出た。
「よし、どうだろう。もう、ここで一気に方を付けないか?」
このまま地上に戻れば、再びここまでやってきてあの骸骨と対峙するには、相当の気力が必要となるだろう。
だが三層の迷宮主を倒した今なら、勢いはまだ失われていない。
精神的な疲れはあるものの、体力と魔力は万全である。
ここは好機だと踏んだトールの提案に、全員が力強く首を縦に振ってくれた。
「なら、まずはここから攻撃を仕掛けてみるか」
「では、ここは私が参りましょう。仮に反撃があったとしても、私ならそうそう戦力に影響は出ませぬからな」
そう言いながら杖を持ち上げるバルッコニアに、ソラは少し唇を噛んだ後、何かあればすぐさま動けるよう付き添うように立つ。
口ひげを引っ張った炎使いは、朗々と玉座めがけて祈句を唱えた。
「我が身の松明より、解き放たれし火の粉よ。寄りて無辺の闇を穿ちくだされ――<火条鞭>」
杖の先から燃え上がる赤い火が、空を貫くように真っ直ぐに走る。
「えっ!」
誰の声かは定かではない。
だがその声は、その場の魔技使いの内心を見事に表していた。
炎の筋は部屋の中央まで達した瞬間、急速にその進路を違えたのだ。
いきなり上方へと向きを変えた炎は、そのまま天井へと向かう。
そして黒い靄に吸い込まれるように、放たれた魔技は姿を消した。
「そ、そんな馬鹿な。あ、ありえませんぞ!」
続けざまに火弾を撃ち出してみせるバルッコニア。
だが結果は、ことごとく同じであった。
全ての魔技が急激に方向を変え、天井に吸い込まれて消えてしまう。
頷いたユーリルが放った氷結の魔技も同様の結果となった。
「魔技が通用しないのか……」
「そのようですね」
「直接、叩くしかないということか」
強化系魔技をかけてもらったトールは、剣を抜きながら大きく息を吸った。
部屋の中へ一歩踏み込みながら、その未来を双眸に映し出す。
そして足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
視界に浮かぶのは、骸骨と剣を交える無数の光景だ。
だがその中の一つたりとも、トールの勝利する姿は映し出されていなかった。