作品タイトル不明
消えた瘴穴
「封印の件、本当によろしいのですか? トール様」
バルッコニアの真剣な口調に、手を差し伸べたトールは静かに頷いた。
確かに大瘴穴を塞ぐことで、冒険者時代とは比べ物にならないほどの富と名声が手に入るだろう。
それに見合う責任や面倒な仕事も、もれなく背負うことにもなるが。
だが一時は泥漁りとまで蔑まれた中年の冒険者からすれば、これ以上はない出世の機会である。
もっともその長い下積み時代を通して、トールは己をよく理解していた。
恩人である幼馴染の少女を救うためとはいえ、普通ならば二十五年もかけて馬鹿正直に役立たずなスキルを育てたりはしない。
意地もかなりあったが、成し遂げた原動力の大半は、危険な森を歩きモンスターを仕留めることに楽しみを見出してきたからであった。
そしてこの半年、見知らぬ場所へ出向き、新たな脅威に対峙することでトールはその思いをいっそう強める。
多くの人間は見ることも叶わない素晴らしくも畏怖に満ちた光景。
命を脅かす存在へ立ち向かう時の、肌がひりつく緊張感。
そして死力を尽くした先の勝利。
苦楽をともに分かち合う仲間。
結局のところ、トールは心の底からそれらを全部ひっくるめた冒険という行為が、どうしようもなく気に入っているのだ。
それにどのみち一つのことにしか注力できない不器用な性分は、大勢を率いて街を治めるような役職に向いているとは思えない。
「俺は長い間、剣を振ることしかしてこなかったからな。街長の椅子が似合うような人間じゃない」
「それはあまり気にせずともよろしいのでは。トール様がその気になりさえすれば、進んで手を挙げる者も多かろうと思いますぞ。それに、その……期待も大きかったようですし……」
珍しく語尾を濁らせるバルッコニアに、トールは顎の下を無言で掻いた。
おそらく友人であるシエッカから、央国人の職員たちや町の住民の多くがトールに肩入れしていることを聞き及んでいるのだろう。
央国人の大半は"昏き大穴"が生じた際、国境の辺りに居を構えていて生き残った人々の子孫である。
それらの町や村も、ほとんどはすでに瘴地に呑まれ消え失せてしまっている。
だからこそ央国人の名を冠した境界街を作ることは、生まれし土地を失った人々の悲願でもあった。
「皆が望んでいることも分かってはいる。でも先へ進めるうちは足を止めたくないんだ」
スッパリと言い切ったトールに、助け起こしてもらったバルッコニアは目を丸くした後、可笑しそうに口元を綻ばせた。
「それもまたトール様らしいお言葉ですな。ならば、またご一緒できる日を心待ちしておりますよ。ええ、勧めておいてなんですが、私もまだまだ引退するつもりはありませんからな」
目を合わせた二人は、握りあっていた手にいっそうの力を込めた。
トールがさり気なく笑みを浮かべながら視線を向けたことで、バルッコニアは自らに起こった変化に気づく。
「むむ、私の髪がすっかり元の長さに! おや、口ひげまでも! な、なんと素晴らしい偉業を。これは街長にしておくほうがもったいないスキルですぞ!」
感激のあまりいつも以上に早口でまくし立てるバルッコニアだが、その頭を無心で撫で続けていたムーは違ったようだ。
頬をまんまるに膨らませて、トールの太ももをポカポカと叩き出す。
「やー! トーちゃん、すべすべなおしちゃダメでしょー」
「いやいや、とんでもない。そこは喜ぶべきところですぞ、ムー様。見てくだされ、この立派で優雅な口ひげを!」
「おっちゃんはすべすべじゃないと、みりょくはんげんでしょー!」
仲良く口論を始めた二人に軽く吹き出したトールは、視線を奏士の女性と水使いの男性へ向けた。
横笛と波状の刃を持つナイフは、それぞれの懐にとっくにしまい込まれている。
二人の眺める先には、まだのろけ話を続けているソラと、それに相槌や質問を入れるクガセの姿があった。
それといつもは理知に溢れ美しく澄んだ瞳が、井戸の底の水面のように真っ黒になっていくラムメルラも。
リコリたちに近寄ったトールは、懸念であった点を率直に尋ねた。
「ちょっと確認しておきたいんだが、"悲嘆の苦水"とやらは大瘴穴を封じる際や後でまずい点はないのか?」
「ええ、それは心配ありません」
「うん、吐き出せばおしまいだからね。むしろ育てるほうが大変なのよ、あれ。だから、さっさとケリつけたかったんだけど……」
心配そうに妹を見守る姉であったが、その表情には今しがたの切羽詰まった様子はない。
隣のモルダモからも、思い詰めたような雰囲気はすっかり抜け落ちている。
二人の変化に安心したトールは、改めて用件を切り出した。
「なら、封印は任せていいか? 面倒事を押し付けるようで済まないが」
「いえ、とんでもない。むしろ、こんな卑劣な真似をした我々で本当によろしいのですか?」
バルッコニアと似たような質問を投げかけるモルダモに、トールは先ほどと同じく静かに頷いた。
ちらりと顔を向けると、こちらを見つめていたユーリルと目があう。
その表情からは、少しだけ安堵の色が見て取れた。
「事情はよく知らんが、どうしても新しい街が必要なんだろ。誰かのためになるなら、それで理由は十分だ」
数週間の付き合いとはいえ、リコリやモルダモが私欲で行動するような手合いでないことはよく分かっている。
そもそもそんな人間なら、こんな危険な戦いに最後まで律儀に付き合うはずもない。
あっさりと言い切ったトールに、モルダモの表情がくしゃりと歪んだ。
急いでうつむきながらその目元を手で覆うが、蒼鱗族の男性の顔は首元の鱗までよく分かるほど赤みを帯びていた。
顔を伏せたまま、モルダモは絞り出すように言葉を返す。
「トール様……、あなたはやはり英雄と呼ばれるべき人ですね」
「やめてくれ。むず痒くなっちまう」
思わず自分の顎に手を伸ばしかけたトールだが、そこへいきなりクガセから声がかかる。
「トールのおっちゃん、ちょっといいですか?」
「うん、どうした?」
「あと一息っぽいので、そろそろ止めをお願いするですよ」
「なんか物騒な物言いだな。どうすればいいんだ?」
「なーに、簡単ですよ。おっちゃんはソラっちのことどう思ってるんですか?」
その質問に、ラムメルラの背筋がビクリと揺れた。
不安そうな眼差しが、トールとソラの間を忙しなく行き交う。
慕われているとの認識はあったが、どうやら本当に心から想ってくれていたようだ。
ならばどう答えても、ラムメルラを傷つけてしまうことは間違いないだろう。
思わず眉根を寄せかけたトールだが、心を決めてハッキリと答える。
「そうだな。心の底から大事に思っているよ。叶うなら、ずっと一緒に居たいと」
「ト、トールちゃん……」
「ムーも、トーちゃんとずっといっしょだぞ!」
いつの間にか近くにいたムーが、トールの腰にしがみついて金の巻きげをグリグリと押し付けてくる。
同じく駆け寄ってきたソラが、胸に飛び込んで顔を埋める。
「あら、誰か含まれてないようですけど」
「あ、いえ、もちろんユーリルさんもですよ」
背後から響いた冷え冷えとした声に、トールは振り向くと慌てて手を差し出した。
歩み寄った銀髪の美女は、その手を握りながらいつもの笑みを受かべてみせる。
三人に触れながら、トールはラムメルラへまっすぐに顔を向けた。
ここで誤魔化すのは、あまりにも男らしくない行為だ。
「気持ちはものすごくありがたいし嬉しいよ、ラム。でも俺みたいな――」
中年の冴えない男と言いかけて、トールはそこで言葉を止めた。
意味なく自分を卑下することは、好意を寄せてくれた相手の気持ちを貶すことになる。
小さく首を横に振ってから、今感じている温もりへの思いをそのまま伝える。
「すまないな、今はこの二人で俺の手はいっぱいなんだ。お前の気持ちに応えることはできない」
「そう…………で……すか」
その瞬間、ラムメルラの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
同時に異様な圧のようなものが生まれ、その小柄な体躯をまたたく間に包み込んだ。
だが一瞬のうちにそれは収束し、少女の中へと消え去ってしまった。
「う、上手くいったようですね。うん、よく頑張ったですね、ラムちゃん」
鼻声で慰めながら、クガセはラムメルラの肩を優しく抱く。
走り寄ったリコリも、支えるように妹の体に手を貸した。
「さあ、さっさと穴を封じて、街に戻って宴会するですよ!」
「うん、そうだな。あんな見る目のない男のことなんてすぐに忘れろ、ラム」
ぼんやりとした顔で頷いたラムメルラは、クガセたちに導かれるまま歩き出す。
しかしそこへ、行く手を遮るように誰かが立ち塞がった。
ラムメルラたちのやり取りに興味をなくし、迷宮の主の死骸を調べていた双子たちだ。
「邪魔しないでください、キキ姐」
少しばかり怒気を孕んだクガセの物言いに、双子の姉は大げさに肩をすくめる。
そして黙ったまま、顎でクイッと背後を指した。
そこに立っていたのはラッゼルであった。
皆の注目が集まる中、剣士はおもむろに手に差し出す。
そして驚きの事実を告げた。
「瘴穴が消えたぞ。それとこれが落ちていた」
ラッゼルの手のひらに乗っていたのは、赤い骸骨の鍵であった。