軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

大事の前の一休み その一

昼下がりの台所は、甘酸っぱい匂いで満たされていた。

テーブルの上に山と積まれていたのは、みずみずしい真っ赤なリンゴたちだ。

今朝早く、知人からお裾分けと称して贈られてきた品である。

「もう出回る時季なのね」

こぶりな実を一つ持ち上げたユーリルは、灰色の瞳を細めながら誰に言うともなく呟いた。

初夏に採れるこの夏リンゴは、朝市で並べられるとすぐに売り切れになる人気の品だ。

毎年欠かさず早朝から並んで、これを買うのがユーリルの夏の始まりであった。

しかし今年は残念ながら時間がとれず、買いそびれてしまっていた。

なので、この差し入れは本当にありがたい。

手のひらに載せた赤い実を眺めながら、ユーリルの唇の端が持ち上がり笑みを形作る。

この小さなリンゴは、甘そうな見た目に反してかなり酸味がきつい。

おそらく知らずにかぶりついたソラとムーは、目を丸くして口をすぼめるに違いない。

そんな場面を思い浮かべながら、ユーリルは包丁を当てると皮をくるくると剥き始めた。

またたく間にリンゴたちは丸裸になる。

芯を取って短冊状に切ると、鍋にひたひたの水と入れてかまどの上に置く。

あとはグツグツとしばらく煮込むだけだ。

しんなりしてきたら、火をゆるめて砂糖をたっぷりと。

さらに掻き混ぜたところへ、今度は剥いてあった皮を加える。

たちまち透き通っていたリンゴが、淡い赤色に染まった。

この瞬間が、ユーリルは何よりも好きだった。

ほどよく色がついたところで皮を取り出し、捨てるのがもったいないのでスプーンで皮の裏の実もこそげておく。

もう一度と軽く煮込んでから、熱湯につけておいた瓶に移す。

これでリンゴジャムは完成だ。

窓際にずらりと逆さまに置かれた瓶たちが放つ薄紅色の美しい輝きに、ユーリルは満足げに頷いた。

そして今度は、寝かせてあったパイ生地を取り出す。

本日のお茶会は、りんごジャムたっぷりのパイでもてなす予定であった。

普段は食べ物に無頓着なトールが、珍しく口元を緩ませて食す一品だ。

その瞬間を想像しながら、ユーリルは再び小さく呟いた。

「このジャムも今年で作り納めかしらね」

庭先。

椅子に座ったトールは、ぼんやりと流れ行く雲を見上げていた。

その体には白い大きな布が巻かれ、耳元からはシャキシャキと小気味よい音が響いてくる。

不意にその音が止んだと思ったら、茶目っ気を含んだ声が頭上から振ってきた。

「どうですかー? お客さん」

差し出された手鏡に映る自分の顔を、トールは興味なさげにチラリと眺める。

なんとも代わり映えしない中年男の面構えだ。

「ああ、良いんじゃないか」

「そう? こことかすごくかっこよくない? 会心のできばえだよー」

ハサミを手にしたまま背後からくっついてきたソラが、鏡に映るトールのもみあげを得意げに指差してみせる。

「うんうん、もっと男前になっちゃったねー」

「いや、気のせいだな」

髪の毛を優しく払い落とすソラの手の感触を心地よく感じながら、トールはそっけなく少女の言葉を否定する。

元が冴えないので、少しばかり髪を整えたところでどうにもならない。

「しかし初めてにしちゃ上手いな。ありがとう、助かったよ」

散髪はいつもはユーリルに頼むのだが、今回はソラがぜひやりたいと手を挙げたのだ。

正直、不安ではあったが、蓋を開けるとそう悪くない仕上がりである。

トールの感謝の言葉に、ハサミを鳴らしながらソラは嬉しそうに笑ってみせた。

「いえいえ、どういたしまして。失敗しても戻せるから髪を切る練習にぴったりだねー、トールちゃんの頭って」

「じゃあ次も頼むか」

「うん、まっかせてー」

別に床屋に行く金が惜しいわけではない。

それに今のトールなら、タダどころか金を出してでも店を利用してほしい床屋も多いだろう。

それが少々、億劫なのだ。

街を歩けばどこへ行っても期待に満ちた眼差しが、容赦なく突き刺さってくる。

半年ほど前までは、無視か蔑む視線の二択しかなかったというのに。

別にそのことに不満はない。

事を成せば評価は変わる。当たり前の話だ。

むしろ昔の褒めるべきような部分がほとんどない自分を、見捨てずにずっと手助けしてくれた人がいるほうが驚きである。

防具屋の主人や冒険者局の受付嬢の顔を思い浮かべながら、英雄と呼ばれ始めた男はさっぱりとした顔で椅子から立ち上がった。

彼らに報いたいと思いつつも、トールの関心は新たに事をなすこと。

そして、そこから見えるであろう次の景色へと向かっていた。

「どう? 変じゃないかしら」

「それ聞くの、もう五回目ですよ。ラムちゃん」

「いいからどうなの?」

「はいはい、よく似合ってますよ」

内堀近くの道。

首から金剛色の冒険者札をぶら下げた女性が二人、仲睦まじく並んで歩いている。

一人は茶色で地味な奉仕神殿の神官服姿のクガセ。

もう一人は白いつば広の帽子をかぶり、すみれ色のシンプルなワンピースに身を包んだラムメルラだ。

一見、飾り気のないように思える蒼鱗族の少女の装いだが、スカートのひだに凝った刺繍があったりと、よくよく見るとなかなかに可愛らしい。

気取り過ぎず、かといって野暮ったくもないギリギリを狙って、丸一日かけて悩みつつ選び抜いたコーディネートだそうだ。

しつこく己の印象を尋ねてくる友人に呆れたように言葉を返すクガセだが、それは紛れもない本心であった。

とてつもなく似合っており、素晴らしい美少女ぶりである。

事実、似合いすぎて街中でお供をつけずにいても、男性が気後れして話しかけられないほどだ。

そして同時にしみじみと茶角族の少女は思う。

自分には全く似合わない格好だと。

トールとほぼ同じ背丈を誇るクガセは、自分には女性っぽい服が似合わないと思い込んでいた。

スカートなんかもってのほかだと。

もっとも本人の自覚は薄いが、出るとこは出て引っ込むところは引き締まる素晴らしいプロポーションは、隣の少女に負けず劣らずに魅力的であったりするが。

「しっかし、気合い入れ過ぎですよ、ラムちゃん」

「そ、そうかしら?」

トールの下宿先へお茶を飲みにいくだけで、この張り切りようである。

だがそういったところも、この友人の可愛いところだとクガセは思っている。

キラキラと瞳を輝かせる乙女の横顔を見てると、柄にもなく恋も悪くないなとか考えてしまうのだ。

けれども同時に、その思いが叶うのはたいへん難しいことだとも分かっていた。

ラムメルラ以外はとっくに気付いているとある事実を、クガセはさり気なく伝えるべく努力する。

「そういえば、その首飾りもぴったりですね、ラムちゃん」

首元の青い鱗を引き立てる柔らかな色合いの銀のチョーカーを褒めると、ラムメルラはすぐさま嬉しそうに相好を崩した。

「そう? さすがはトール様の紹介された方ね。ついでに頼んでみたのだけど素晴らしい出来だわ」

誘導が上手くいったことに内心で頷きながら、クガセは話を持っていきたい場所へと移す。

「おっちゃんの鎧もカッコよかったですね」

「ええ! 炎神ラファリット様と見間違うほどにお似合いだったわね」

「それはちょっと言い過ぎですよ。あとユーリルさんやチビスケのも良かったですよ。ソラっちのも――」

そこでクガセは言葉を止めた。

いや、止めざるを得なかったというのが正しい。

ラムメルラの表情は一変していた。

その青い海のような瞳から光が失われ、虚ろになった眼差しがいつの間にかクガセへ向けられている。

恐ろしいほどの友人の変わりように言葉を失った少女へ、一瞬で元の顔つきに戻ったラムメルラが小首をかしげた。

「あれ、なんの話だったかしら?」

「…………な、なんでもないですよ」

生唾を飲み込みながら、クガセは慎重に言葉を返す。

その背中には冷えた汗が、大量に滴り落ちていた。

さきほどまでの雰囲気が嘘のように消え失せたラムメルラは、楽しそうに声を弾ませてクガセを急かす。

「そう、なら早く行きましょうか。遅れたら失礼になるわ。あと、私の格好、変じゃないかしら?」

「うん、ぜんぜん変じゃないですよ」

少し歩調を上げた友人についていきながら、クガセはボソリと呟いた。

「うーん、やっぱりボクには恋とかまだ早い気がしてきたですよ」