軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

蹂躙

いつも通り真っ先に動いたのは、切り込み役を自負するリッカルであった。

素早く二本の剣を抜きさり、モンスターの側面に回り込む。

のっそりと木立を抜けてきた猪は、そのまま足を止めることなく進み続ける。

勢いをつけ踏み込んだ赤毛混じりの少年は、躱しにくく反撃されにくい獣の脇腹へ剣を突き立てた。

鉄の刃が皮を浅く裂いて、少しだけ茶色の毛皮が赤く染まる。

次の瞬間、持ち上がった猪の中脚が、リッカルを無造作に蹴飛ばした。

鈍い音とともに、地面の上を滑るように少年の体が移動する。

木の根元に激しくぶつかったリッカルは、悲鳴混じりの息を吐き出した。

うめき声を漏らしながら、少年はなんとか剣を支えに立ち上がろうともがく。

だが力が入らず、幹にもたれたままふいごのように息を吸い込んだ。

リッカルの体は革鎧の上からでもハッキリ分かるほど、胸部が凹んでしまっていた。

「……に……げろ」

気泡混じりの血を吐き出しながら、かろうじてリッカルは言葉を発した。

その声にようやくシサンたちは正気を取り戻す。

とっさに円盾を構えたシサンは、皆を守るべくモンスターの前に進み出た。

数回、攻撃を受け止めれば闘気がたまり、<石身>を繰り出せる。

そうなれば、少しは時間を稼げるに違いない。

時間を稼いでどうなるものではないのだが、呆れるほどの体格差を前にシサンの思考はそこで止まっていた。

修練通り身を低くした少年は、巨体が近づいてくるのを待ち受ける。

「ねぇ、ねぇ! 返事しなさいよ!」

その後ろでは涙を浮かべたアレシアが、懸命にリッカルに呼びかけていた。

神殿で習った通り脈を測りながら、少女は形を留めていない胸骨にひたすら魔技を施していく。

しかし彼女の使えるレベル1の<水癒>は、血止め軟膏よりもややマシな程度でしかない。

紫色にそまる唇と光が失われていく少年の瞳を見つめながら、アレシアは込み上げてくる嗚咽を必死でこらえた。

動き出した仲間たちを見ながら、ヒンクはいまだ立ちすくんでいた。

弓に矢をつがえることさえしていない。

リッカルの言葉通り、ここは逃げるしかないだろう。

これまでパーティが崩れそうになるたび、ヒンクは何度も逃げ出したい衝動と戦ってきた。

そして今、逃げ出さねば確実に死ぬ状況において、その体はなぜか動こうとはしない。

視線をあちこちに動かしながら、少年は残り少ない時間を呆然としたまま費やしていった。

「こ、こい!」

シサンが掠れた声で、目の前のモンスターへ呼びかけた。

本人は叫んだつもりであろうが、今にも消えいりそうなほど小さい。

しかし猪には届いたようである。

数歩の距離が一瞬で失せていた。

凄まじい速度でぶつかってきた巨体を、少年は為す術もなく正面で受け止めた。

本来なら盾を傾けて受け流すのがセオリーであったが、そんな余裕は欠片もない。

猪の伸びた牙が円盾を紙のように貫き、持ち手の肩まで到達する。

そのせいで軽々と吹き飛ぶはずであったシサンの体は、縫い留められたように牙の先に留まった。

猪は牙に引っ掛かった少年を邪魔だと感じたのか、その場で鋭く首を左右に振った。

人形のごとく振り回されたシサンは何度か意識を失うが、そのたびに想像を絶する痛みに呼び戻されてしまう。

血を流しながら牙先にだらりとぶら下がった少年は、もはや声を上げる気力もなく荒い呼吸だけを続けていた。

再び猪が首を振るモーションに入ったのを見取ったシサンは、絞り出すように喉奥から言葉を発した。

「…………や、めて……たす……」

無情にも、二度目は届かなかったようだ。

派手に振り回されたシサンの体は、その暴力に耐えきれず肉が千切れとぶ。

肩を大きく抉り取られた少年は、宙を舞って木立の一つに激突したあとドサッと地面に落ちた。

まだ円盾は刺さったままだが、スッキリしたように猪はいなないた。

無機質な獣の目がぐるりと動き、瀕死の少年に声をかけ続けていた少女へと定まる。

そこで初めてアレシアは、自分が狙われる可能性に気づいた。

モンスターの巨体がこちらへ向きを変える様が、少女の瞳に映し出される。

普段は後詰めのため、アレシアにはモンスターの敵意を直に受ける経験はほとんどなかった。

身を竦ませた少女は歯の根が合わずカチカチと音を立てだしたのを、慌てて手で押さえつける。

その腕が横から押された。

驚いて目を向けると、リッカルが立ち上がろうとしていた。

半ば虚ろな瞳のまま、アレシアを押しのけて前に出ようと弱々しくもがいている。

あくまでも自分をかばおうとするリッカルに、少女は歯を食いしばって覆いかぶさった。

すすり泣く少女に猪が襲いかかろうとしたその時、不意に飛んできた矢が瘤だらけの顔に突き刺さる。

続けてもう一本。

攻撃を受けたモンスターの首が回り、黒い目が射手を見据える。

ヒンクはいまだに一歩も動けずにいた。

だがアレシアがリッカルを守ろうとしたのを見た瞬間、その手は弓を持ち上げ矢を放ち終えていた。

振り向いた猪の六本の足が交互に動き、地面を蹴りつける動きを見せつける。

弓を構えた少年がゴクリと生唾を飲み込むと同時に、巨体が疾走った。

迫りくる質量に恐怖が限界に達したヒンクの腰がストンと落ちる。

それが少年に幸運をもたらした。

といっても、ほんの少しだけであったが。

少年が姿勢を低くしたことで、猪の鼻面はぎりぎりを掠めて通り過ぎる。

しかし、その後に続く六本の脚が、荒れ狂う嵐のごとくヒンクの体を踏みにじった。

走り抜けた巨体はそのまま、重なるように立っていた木立に激しく突っ込んだ。

一呼吸おいてメリメリと音を立てながら、衝撃をもろに受け止めた太い木が地面に倒れる。

猪が通った後に残されていたのは、手足が奇妙な角度にねじれてしまった少年の姿だった。

わずかに胸部が隆起しているので、まだ息はあるようだ。

「あ……あああ、……うう……」

顔を上げたアレシアは、目の前に広がる惨状に言葉にならない声を漏らした。

ほんの十分前までは少し口喧嘩をしていたくらいで、いつもと変わらぬ時間を過ごしていたはずだ。

それが今、三人の仲間は血を流して地面に横たわっている。

本当に何もできなかった己の無力さと、考えの甘さ。

そしてあまりの理不尽さに、少女はきつく唇を噛んだ。

目の前の怪物を睨みつけながら、アレシアはゆっくりと隣の少年に向けて最後の祈りを唱えた。

「生命の樹の 御主(おんあるじ) よ。寄る辺求めし子らに、一滴の雫をお与えください――<水癒>」

残り少ない魔力が失われ、少女の意識に絶望が広がっていく。

それでもアレシアは顔を上げた。

目をそらさず涙でぐしゃぐしゃになった顔を、真っ直ぐ前に。

少女が終わりを受け入れようとした、その時――。

「よく、耐えたな。もう、大丈夫だぞ」

ポンッと誰かの手が肩に置かれた。

その瞬間、アレシアを覆っていた喪失感がスッとなくなる。

驚きで視線を巡らすと、びっくり顔のリッカルと目があった。

その顔からは先ほどまでの死相が、綺麗さっぱり消え失せている。

「この子らを頼んだぞ、ソラ。ムーはトーちゃんに力を貸してくれ」

「まかせて! トールちゃん」

「らい!」

アレシアが数回まばたきすると、いきなり現れたその中年の冒険者は、地面に転がるヒンクにいつの間にか手を差し伸べていた。

手足が折れ曲がって身動きさえできなかったはずの少年は、目を見開いたまま手を引っ張って立ち上がらせてもらう。

小走りでこちらへ走ってくる少年の顔には、驚きが張り付いたままであった。

新たな乱入者を認めたモンスターが、ゆっくりと体を動かして向き直る。

その小山のような巨体に、アレシアは改めて息を呑んだ。

だが男はスタスタと近づいていく。

数歩の距離。

六本の足を持つ巨獣にとって、一息で詰められる間合いだ。

どちらが先に動いたのか、アレシアには区別がつかなかった。

気がつくと猪は前に出ており、男はそのかたわらに立っていた。

モンスターの牙に引っ掛かったままの円盾の陰を巧みに利用して、男は猪の側面へ回り込むとそのまますり抜ける。

男が目指したのは、木の根元で大量に血を流していた盾士の少年であった。

近寄った中年の冒険者が抱え起こすと、シサンは唖然とした顔ですんなりと立ち上がる。

その肩部分は革鎧が無残に破けてはいるが、下から覗く身体には何一つ異常がない。

目を見張るアレシアの前で、鼻息を荒くした猪が苛立たしそうに六本の脚で足元の地面を踏みつけた。

またも男は音もなく移動して、シサンから距離を取る。

突進の妨げになると考えたのか、男は木立に紛れ込んだ。

しかしその内の一本をやすやすとへし折った猪の突進を目の当たりにした少女にとって、それは愚行にしか思えない。

警告を発しようとしたその時、背後から軽く肩に触られた。

「トールちゃんなら、きっと大丈夫だよ」

気が抜けるような声と裏腹に、肩に置かれた手が強張っていることにアレシアは気づいた。

そちらに気を取られたせいで、肝心な場面を見逃してしまう。

大きな物音に慌てて振り向いたアレシアは、眼前の風景に息を止めた。

男の位置が少しだけ横に移動しているように思える。

問題はその隣。

なぜか猪は、二本の木の間で横倒しになっていた。

荒い息を吐いて脚を無闇やたらに動かしてるが、完全に挟まれてしまったのか抜け出せないようだ。

いったい何がどうなってしまったのか、さっぱり分からないまま少女は深々と息を吐いた。

アレシアの心を占めていたものは一つだけ。

あれほどの危機が、もうなくなったという安堵だけである。

「…………うっ、……ううう……ぁぁあああぁぁあ」

とめどなく涙が流れ出し、アレシアの頬を伝って落ちた。

喉奥からは声が次々と溢れ、胸がじんじんと苦しくなる。

なぜか近寄ってきた幼い子どもがポンポンと頭を叩いてくれたので、少女は少しだけ息が楽になった。

涙が少しだけ収まってきたアレシアの横では、いまだに状況が理解できない赤毛混じりの少年が疑問の声を発し続けていた。

「えっ、ね、オレどうなったの? なに? えっ、なにがあったの?」

「……わかんね」

「えっ? ヒンク、見てなかったのかよ! アレシアはなんかわかる?」

「グスッ……ううん、わたしもわかんない……」

「えー? なにがどうなったの?」

大騒ぎする少年と少女は、そのせいで不思議な点を見落としてしまう。

最前まで横倒しになっていた木が、 どこにも(・・・・) 見当たらない(・・・・・・) という事実を。

そんな三人組を横目に、中年の冒険者は動けない猪の肛門へ剣を突っ込むと容赦なく蹂躙しはじめた。