軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

翼の向かう先

「少し見せてくれるか」

別人のように気弱な表情を浮かべるチタの肩に、トールは労るように手を置く。

だが、その技能樹を確認しとたん、思わず眉間にシワが走る。

秀でた弓士であり風使いでもあった女性がこれまで重ねてきた努力は、ものの見事に消え去ってしまっていた。

残っていたのは数本の短い下枝スキルと、ほとんど空の水瓶のみ。

蟻の巣で得た根源特性も、すべてなくなっている。

記憶を失うという表現であったが、それは弓の引き方や体捌き、魔技を放つタイミングや効果に対する理解などの長く培ってきた技量だけでなく、根本たる武技や魔技までもが範疇であったらしい。

チタの中からは、冒険者としての経験そのものが根こそぎ奪われてしまっていた。

残されたのは、ただ年齢だけを重ねてしまった人間だ。

「ど、どうにかなる?」

「……無理だな」

すがるようなソラの問いかけに、トールは首を横に振った。

元より<復元>は、人の記憶には干渉できない。

そして技能樹の場合も現在の状態が弄れるだけで、失った 修練点(スキルポイント) を戻すような行為は無理である。

「ふん、だから聖遺物なんて代物、信用できないのよ」

嫌悪の感情を露わにしたキキリリが、なぜかトールのほうを睨んでくる。

もっともな一言だが、今は議論している場合でもない。

押し黙っている兄のチルへ、トールは静かに問いかけた。

「これからどうするつもりだ?」

もはやチタは金剛級の冒険者として、この迷宮に挑むのは不可能である。

トールの言葉に、天嵐同盟を率いてきた男は小さく息を吐いて答えた。

「役割を終えた我らはどのみち引退しかないだろうな。その後は国に帰されるか、交易神殿の下働きが妥当なところか。まあ、常盤家の息のかからぬ場所で一からやり直すのが一番なんだが……」

妹の頭にソッと触れながら、チルの言葉に力がこもっていく。

「こいつは元より優秀な弓士で風使いだ。コツさえ取り戻せば、またすぐに強くなれるだろう。多少、歳を食った程度では、妨げにもなるまい。それに冒険を始めるのに遅すぎることはないと、なにより泥破り殿が身を以って示してくれているからな」

顔を上げた弓士の目には、いつもの鋭い眼光が戻っていた。

その眼差しでトールたちを見回したチルは、少しだけ声を落として注意を引く。

「だが、それにはちと厄介な問題があってな。これを見てほしい」

そう言いながらチルは、妹の被っていた帽子をいきなり取り去る。

その下から現れたのは、奇妙な形をした花であった。

風車状の花びらが、何もない宙に浮かんでいるのだ。

さらに不思議なことに茎から下、根の部分はチタの髪の中にに埋もれてしまっていた。

人の頭部から草花が直に生えているかのような光景に、トールたちはいっせいに目を見張る。

その反応に頷きながら、チルは説明を始めた。

「これが先ほど話した勿憶草だ。この聖遺物が残っている限り、常盤家はこいつを手放さんだろう。だが逆を言えば、これさえ手元に残れば、深い詮索はしてこないとも言える。そこで少しばかりお願いしたいことがありましてな」

急に丁寧な口調になったチルは、視線をトールではなく始終無言であったユーリルへと向ける。

「どうかオーリンドール殿に、渡りをつけていただけないでしょうか? 凍白のユーラルリール殿」

「…………ええ、分かりました。オードルなら事情を話せば、喜んで手を貸してくれると思いますよ」

いきなり昔の二つ名で呼ばれたユーリルだが、動揺する素振りもなく淡々と返答してみせる。

突然、名前が出てきたオーリンドールとは、ダダンの探求神殿に属する薬合師で、ユーリルとは旧知の間柄である女性だ。

しかし今の状況との関連が分からず首をひねるトールたちへ、灰耳族の女性は馴染みの笑みとともに理由を教えてくれた。

「オードルは植物に属する聖遺物関連では、それなりに名がしれた研究家なんです。しかし私のこともですが、よく調べておいでですね」

「よく聞こえる長い耳はございませんが、我らにも優秀な羽は生えておりますからな」

目途が立ったことに安堵したのか、チルは薄っすらと笑みを浮かべて軽口を叩いた。

もとより聖遺物は、それぞれの神殿において最重要な機密である。

それを惜しげもなく部外者へ明かしたのは神殿への離反の気持ちもあると思うが、大本の狙いはトールたちを自らの事情に巻き込みつつ同情を誘ったといったところか。

前々からユーリルに執心であったのも、こうなることを見越して手を打とうとしていたのだろう。

したたかなやり方を見せたチルだが、妹へ向ける眼差しは別人のように柔らかであり、トールは静かに顎の下を掻くだけに留めた。

「ところで少々、気になったのですが、迷宮主を解放、つまり浄化されたとおっしゃられましたね」

「それは何かまずいんですか? ユーリルさん」

やや咎めるような声調にトールが口を挟むと、ユーリルは困った感じで耳先をわずかに動かした。

「ええ、聖遺物の影響はとても大きいのですよ、トールさん。おそらくですが、この先、数ヶ月から数年単位で新しい迷宮主が発生しない可能性がありますね」

「ふふ、この最中によくそれに気づいたわね、貴方。ま、それについてはおいおい交渉させてもらうとして、いい加減、上に戻らない? ここは気が滅入って仕方ないわ」

強引に割り込んで話を締めくくってきたのは、なぜか寝そべったままのキキリリであった。

だがその言葉ももっともだったので、トールたちは来たばかりの迷宮から撤退することにした。

沼の岸辺にある砦までたどり着いてみたものの、当然、迎えの飛竜艇はまだ来ていない。

チタたちの乗ってきた竜は居たが、それを操るのも今となっては無理である。

「飛竜とは長くともに暮らしてようやく真名を教えてもらい、背に騎乗することが許されるものなのだ」

「たいへんなんですねー。うーん、改めて考えてもひどい話です。十年間分の生きてきたことがなくなるなんて……」

「ああ、俺もつくづくそう思う」

ため息を漏らしたチルは、片目をつむりながら無理やりな笑みを浮かべた。

「だから少しばかり卑怯な手を使っても、許してくれると助かる。ムー殿、チタにあの竜の真名を教えてやってくれまいか」

「なまえ? えっと、りゅうすけだぞ!」

「それはなんか違うって気がするよ~」

「えー。いいなまえなのになー」

ほっぺを軽く膨らませた子どもは、チタの耳にこしょこしょと耳打ちした。

「うん、またありがとう。ムーちゃん」

「どーいたしまして。えっへん」

それから数日が経った。

どうやらオードルの施術は上手くいったようで、聖遺物の勿憶草は無事に交易神殿へ戻されたとのことだ。

常盤家との交渉も終わり、チルたちは家名を捨て干渉を受けない土地でやり直すこととなった。

それと従来の素質もあって、あまり遠くない距離なら飛竜もすでに乗りこなせるようになったらしい。

二人が旅立つ日、トールたちは街外れの飛竜の発着場に見送りに出向く。

おおやけにせずダダンから出ていくせいか、他の知り合いは元天嵐同盟の三人だけであった。

「お元気でねー、チタさん、チルさん!」

「いつの日か、どこかで会えるのを楽しみにしていますよ」

「またひりゅうにのせてなー、はねのねーちゃん!」

口々に別れの言葉を告げる女性たちの横で、トールは手を伸ばして二人に餞別を渡す。

「ふむ、これくらいかな」

「なんと!」

そこに立っていたのは、十代の姿に若返ったチタであった。

失われた記憶に合わせて、<復元>でその年齢に相応しい体に戻したのだ。

若かりし頃に戻った妹の様子に、チルの眼が飛び出しそうなほど見開く。

そして同時に自らの変化にも気づく。

「お、俺の体まで……」

「まあ、ついでだ」

「ふっふっ、ふははは、本当に……本当に凄まじい魔技だな。ああ、心底驚いたぞ。いや、まことに若返りが可能なのだな」

「これで心置きなく、新しい人生を始められるだろう。気にいらんのなら戻してもいいが」

「いや、なんと礼を言えばいいか……。ただ、心から感謝する」

一息置いたチルは、鋭い眼差しを向けたまま言葉を紡いだ。

「トール殿、以前にこいつと見た光景を覚えておいてくれと頼んだことがあったな」

「よく覚えてるさ。忘れようがない」

「あの日、こいつは珍しく興奮しながら語っていてな。お主らなら、きっといつかあの場所にたどり着いて、あの大穴をどうにかしてみせるかもとな」

トールたちに背を向けながら、去りゆく男は最後の一言を呟く。

「俺も今、切にそう思ったよ。泥破りの英雄殿」