作品タイトル不明
十階の洗礼 その二
「おそらく、先ほどのは< 虚霧(きょむ) >と< 屍櫃(からひつ) >ですね」
ユーリルの解説によると、白い靄のような塊が<虚霧>で、死霊が本体にまとった黒い空気の渦は<屍櫃>という名称らしい。
<虚霧>は触れると、魔力や体力を奪いとってしまう効果を持つ。
沼地の魔女もそっくりな霧を吐いていたが、あれの範囲と効果の縮小版とのことだ。
<屍櫃>とは死者を納める棺を指し、一定の空間に<腐弾>と同じ効果を持つ空気を満たすことができる。
すでに腐っていたり実体のない屍骨系のモンスターが、よく使ってくるらしい。
「ということは、今のは 闇技(あんぎ) 使いですか」
「ええ、そうなりますね」
闇技というのは、一定の知能を有するモンスターが邪神たちから授かる特別な技だ。
それが使えるということは、どうやら十階より下はより凶悪な囚人どもを収監していたようだ。
様子を見ようと距離を取れば、躱しにくい<虚霧>の連弾で動けなくされてしまう。
かといって距離を詰めれば、<屍櫃>の範囲に入ってしまい無力化されるというわけだ。
数で押してくる上の階の囚人たちも厄介だったが、こちらはさらに手強い相手であった。
「さすがに深くなってくると、簡単に死ねそうなのが出てきやがるな」
今の戦闘も対応を誤ったせいで、あやうく総崩れとなるところだった。
初見での判断の遅れで取り返しのつかない状況にあっさり陥ってしまう相手の登場に、改めてトールは固定ダンジョンの探索が遅々として進まない理由を理解した。
「でも、トールちゃんもぜんぜん負けてないよ! 気づいたら奥にいるし、ホントびっくりしたよー」
「いきなりきえたから、ムーもびっくりしたぞ」
少し眉根に力が入ったトールの言葉を、打ち消すようにソラが声を張り上げる。
ピッタリとくっついていたムーも、不思議そうな顔でトールの足をペタペタと撫でた。
無邪気な称賛の目を向けてくる二人に、トールは唇の端を持ち上げて頷いた。
「そうか。実戦じゃ初めてだったが、思った以上に使えそうだな」
つい今しがたのモンスターを屠ったトールの動きは、第三の魔技である<加速>の仕業であった。
従来の性能なら武具の動きを速めるだけで使い所が難しいスキルであったが、それが先日、とうとうレベル10に到達したのである。
その成果は――。
<加速>――戦闘に関わる対象者の時間を加速させる。
レベル:10/使用可能回数:一時間十三回/発動:瞬/効果:三十三秒以内/範囲:接触。
ついに生身にも使用可能となったのだ。
ただし対象者ということは人間のみで、モンスターには使用不可である。
これが何にでも可能であったら、片っ端から触るだけで壁や地面にめり込ませてしまえるのだが。
それと当然ながら、その危険性も相変わらずである。
わずかな動きでも大幅に速さが増加されてしまうので、とっさに使う場合はそれこそ神に祈るしかない。
使用しても確実に安全だと思える状況をまず確保する必要がある点では、<復元>や<遡行>の使い勝手の良さにはまだ一歩及ばないと言える。
「まあ、使い込めば、そのうち形にはなるだろうしな。焦る必要もないか」
それに<加速>の危険性に関しても、対策がないわけでもない。
もっともこちらも、まだまだ慣れるまで時間がかかりそうではあるが。
「よし、種も割れたことだし、どんどん狩っていくとするか。頼んだぞ、ソラ」
「まっかせてー!」
「ムーにはまかせないのか? トーちゃん」
「いや、頼りにしてるぞ」
「私はなんのお役に立てませんが、頑張って応援しますね」
「いえいえ、決してそんなことは」
「ユーリルさんは居てくれるだけで安心安全安泰ですよー」
「ユーばあちゃん、ムーがおーえんのやりかたおしえてやるぞ!」
そう言いながら子どもは、その場で両手を上げてぴょんと飛び跳ねてみせた。
「まけるなー、トーちゃん!」
「あら、勇ましいですね、ムムさん」
「ほら、やって!」
「ふふ、私もですか?」
「もう、てれてるばあいじゃないでしょ!」
「そうですね。がんばってください、トールさん!」
両手を持ち上げて軽やかに跳んでみせた銀髪の美女の姿に、トールは思わず見惚れたあと、さり気なく持ち上がりかけた口元を押さえた。
闇技使いの死霊は、基本的に一体のみの登場だった。
複数の骸骨が胸元にくっついている時点で、一体という数え方は間違いかも知れないが。
飛来する白い靄を浴びたトールは、平然と通路を突き進む。
その足取りは、前にも増して力強い。
ソラの<反転>により、闇技の効果が逆に作用しているのだ。
むろん体を蝕む黒い霧も平気である。
むしろ切れ味の上がった刃は、より鋭さを増して死霊の体を斬り裂いていった。
二時間ほどで北区の探索を切り上げたトールたちは、六階の安全地帯まで引き上げる。
十階の階段を休息所に使えれば便利なのだが、準備もないので仕方がない。
復路は慣れてきたせいか、三時間足らずで螺旋階段にたどり着けた。
翌日は十階の南側の探索を始める。
幸いにも鉄格子は上がったままであった。
北側はまだ終わっていないが、それにはちょっとした理由があった。
そろそろ路地裏の防具屋の店主に頼んでいた装備一揃いが、出来上がる頃合いだからである。
どうせ<反転>するならという腹づもりだ。
南側も北側と変わらず荒れ果てていた。
ただ向こう側は古びて崩れ落ちた感じであったが、こちらは何かがぶつかったような穴が多く見られる。
気を引き締めて進むトールたちの前に現れたのは、すっかり馴染みとなった甲羅型の鋼人形だ。
いつもの如く天井からぶら下がっている。
「あれ! こっちも変わってない?」
「ああ、何かくっついているな」
ソラの指摘通り、小型の鋼人形にも変化が起きていた。
その甲羅部分から、円錐形の突起が伸びていたのだ。
半透明のせいで氷柱そっくりである。
「うう、寒すぎて凍ったのかな?」
「だとしても、あれだけに氷柱が生えるのは不自然だろ」
「右手奥の通路から、足音が聞こえます。気をつけてください」
新型の鋼人形は、感知範囲も広がっていたようだ。
耳障りな硬質の足音を響かせて、曲がり角から四本足の鋼人形が姿を現す。
こちらの見た目は変わっていないようだ。
あっさりと<霜華陣>を踏んで、通路の天井で押しつぶされる点まで同じである。
すかさず甲羅型の鋼人形が駆け寄る。
これも既視感のある眺めだ。
が、次の変化は、初めて見るものだった。
こちらへ突き出した鋼巨人の両の手のひらから、頭部の突起そっくりな円錐形が飛び出してきたのだ。
となると、次の攻撃パターンもだいたい予想できる。
剣を構えたトールは、息を静かに吸ってタイミングを見計らった。
まばたきをする間もない一瞬――。
トールの目に、あり得ない光景が映し出される。
それは己の胸部に深々と埋め込まれた二本の氷柱の姿だった。