軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

歌い継がれる勲し その二

妖かしの沼に漂う瘴霧は、触れた者の体力と魔力を少しずつ奪ってしまう。

もっともそれは通常の大気と混じり、かなり薄められた状態での話だ。

魔女の吐息を間近で浴びた場合は、比較にならないほどの被害が生じると言われている。

あっという間にその体からあらゆる力が抜け出て、身動きもできないまま静かに死に至ったとの記録も残されているほどだ。

当然、まだ距離があるとは言え、これほどの濃い瘴霧に全身が浸かれば無事には済まない。

呻き声も許されぬ静寂が周囲を包み込み、緩慢な死がもたら――されなかった。

「炎樹の梢より来よ――<幻灯>」

ささやくような誰かの祈りの言葉が、不意に白い沈黙を破った。

同時に周囲を照らす光球が生み出され、複数の人影を霧の中に浮かび上がらせる。

濃い瘴霧の中でありながら、影たちは平然と動き回っていた。

続けざまに光球が生み出され、またたく間に閉ざされた視界が明瞭さを取り戻す。

槍を強く握りしめていた副隊長の女性は、その様子に深々と安堵の息を吐いた。

「本当にすごいですね。霧の中とは思えないですよ」

「…………いくぞ」

両手斧を構えていたソルルガムは、状況を把握し短く言い放つ。

動き出した団長に、緊張した面持ちの若者たちが次々と続いた。

後方に控えていた雷哮団が一気に前に出たことで、かなりの人数が赤い丸太床の上に集まったこととなる。

その気配を察したのか、周囲を取り囲んでいた巨人どもがいっせいに頭を持ち上げた。

そのままゆっくりと泥の上を進み始める。

近づいてくるモンスターどもを前に、ソルルガムは白い霧を肺の奥まで吸い込んだ。

雄牛のようにいななきを上げ、長大な斧を掲げて突進する。

そして大柄な体躯に似合わぬほど洗練された動きで、丸太の上に乗せられた巨人の足首を鮮やかに切断してみせた。

バランスを崩したモンスターへ、後続の五人が一糸乱れぬ動きで槍を突き出す。

今度は腰を大きくえぐられた巨人は、あっさりと手をついて倒れ込んだ。

通常ならこの辺りで足元の泥を吸い上げたモンスターは、何事もなかったかのように立ち上がるはずである。

だが沼と切り離されたこの状況ではそうもいかない。

よたよたと体を揺らしながら、無様に足掻くだけだ。

そこへまたも距離を詰めたソルルガムが、大上段から両手斧を振り下ろす。

頭部が四散した巨人へ、流れるように五本の槍が突き出され胴体を深く貫く。

さらに入れ替わるように斧が再び振り抜かれ、泥を飛び散らしながら巨人は動きを止めた。

先に突っ込んだソルルガムが相手を崩し、生じた隙へ槍をいっせいに叩き込む。

これこそが雷哮団の基本の戦い方であった。

しかしながら、今のは見事に連携が決まり過ぎである。

ようやくの本番にいつも以上の力が発揮できているというのもあるが、若者たちの動きが良いのはもっと明確な理由が存在した。

そして快調なのは雷哮団だけではなかった。

連続で魔技を放ちながらも、炎使いたちに消耗しきった様子は欠片もない。

毒に侵された体を癒やし続ける水使いも同様だ。

その理由はソルルガムを取り巻く霧にあった。

この白い冷気に触れているだけで、体力や魔力が間断なく湧き出てくるのだ。

これまで散々、沼地に挑む冒険者を苦しめてきた魔女の吐息が、今は逆に大きく力を貸してくれている。

あまりに皮肉なこの状況に、紫の眼を持つ巨漢は内心でわずかな笑みを浮かべた。

その脳裏に黒髪の少女の姿が思い起こされる。

――<反転>。

聞いたこともないその魔技は、モンスターから生じるあらゆる物をひっくり返してしまうらしい。

動きだけでなく、その効果でさえもだ。

そして当然ながら、腐蝕霧と呼ばれる魔女の吐息も例外ではない。

考えられぬほどの強化を得た"灼炎の担い手"と雷哮団の面々は、押し寄せる泥毒の巨人どもを容赦なく薙ぎ払い始めた。

戦闘は一時間にも及んだであろうが。

すでに三十匹近いモンスターどもが、泥に還っていた。

途中、何度も魔女に霧を吐かれたが、それらは全てソルルガムたちを増強するだけに終わった。

だが伝承の存在だけあって、魔女もそう甘くはない。

その巨体が揺れる度に、新しい巨人どもが次々と産み落とされていく。

次第にその数は増し、倒される数よりも増えていく。

いつしか泥毒の巨人どもは、丸太床の周りを埋め尽くすほどの数となっていた。

その凄惨たる光景に、若者たちは思わず槍の穂先を地面へ落としかける。

だがソルルガムは大きなその背に力を込めて、無言でモンスターどもへと対峙した。

紫眼族は基本的に実力主義である。

能力に秀でたものが前に出て、皆を引っ張る。

だから努力を怠らず己を高めていけば、先に進み続けることができると。

そう信じたソルルガムは自らを鍛え上げ、周囲にも同等の励行を課した。

この道を歩めばいつかは金剛級に達し、やがて英傑になれるはずであると。

しかしその考えは、双子の戦士と雷使いの登場によって簡単に覆されてしまう。

もちろん彼女たちも、相応の努力は重ねてきただろう。

だがキキリリとネネミミの二人がソルルガムを押し退けて先に金剛級へと進んだ理由は、圧倒的なその才のおかげであった。

そして今回の忌まわしい霧を、たやすく逆手にとってみせた魔技。

負荷に慣れるため何度も何度も霧にその身を晒した訓練が、心底馬鹿らしく感じる有り様である。

いかに常人が奮起しようとも、常軌を逸した才を持つ者には敵わないのではないか。

今まで積み重ねてきたものなど、ただの自己満足でしかないのでは。

いくら鍛え上げようとも――。

その先の言葉を口にしかけて、ソルルガムは激しく歯を食いしばった。

まだだ。

そう言い切るには、まだ早すぎる。

湧き上がる感情に、あふれ返る闘気が混ざり合う。

内側から破裂しそうな怒りを、ソルルガムはその両手に握る得物へと託した。

眼前には群れをなして近づいてくる巨人ども。

ゆっくりと持ち上がった両手斧は、天をまっすぐに指し示した。

黒雲がソルルガムの闘気に応対するように、またたく間にその頭上に集う。

同時に輝きを帯びた斧が、白い霧の中に灯台のように浮かび上がった。

仲間たちが距離を取ったことを冷静に見とったソルルガムは、大きく息を吸いこんだ。

そして視界を埋め尽くすモンスターへと振り下ろす。

――< 轟放雷落(ごうほうらいらく) >。

雷雲から放たれた眼を焼くような輝きが、霧を穿ちモンスターどもへ降り注ぐ。

轟音が鳴り響き、蒸発した泥が一瞬で舞い散った。

間をおかず空気に独特の臭気が入り交じる。

雷動が収まった後に現れたのは、上半身を失い倒れ込む巨人たちの姿だった。

赤い丸太の上で崩れ去り、汚い泥の塊へと戻っていく。

固唾を呑んで見守っていた副隊長らは、その様子に口々に感嘆の声を上げた。

そして団長に続けとばかり、もう一度槍を強く握り直す。

そして魔女もまた、その動きを見過ごすことができなかったようだ。

ゆっくりと小山のような体が揺らいだかと思うと、その足らしき泥塊が一歩前に進み出る。

それは真銀級に留まらざるを得なかった男たちが、伝承の存在を動かしてみせた瞬間であった。