軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

地底の死闘

黒い塊が疾走った。

巨大な質量と異様な硬度を持つモンスターは、土煙を蹴立てて一瞬で赤毛の剣士との距離を詰める。

迫りくる脅威に対しストラッチアが選んだのは、右でも左でもなく正面だった。

前脚と顎を双剣で弾いてわずかな隙間を作り、そこへつま先から滑り込む。

そのまま虫の腹の下を通り抜けつつ、再び刃は振るわれた。

鋼を打ち合わせたような音が響き、踏みつけに来た脚は軌道をほんの少しずらされる。

黒い蟻が通り過ぎると同時に、窮地を切り抜けたストラッチアも立ち上がって即座に身構えた。

巨大な蟻は獲物を仕留めそこねたことをすぐに察したのか、六本の脚を巧みに使い向きを変えてみせる。

黒い鎧姿のストラッチアと黒く輝く蟻型のモンスターは、数歩の距離で対峙する。

狂乱相と化した女王蟻は外殻を削ぎ落とした分、一回り縮んでいた。

もっとも、まだ二頭立ての馬車ほどの大きさは残っている。

そのうえ、恐ろしい速度までも手に入れたようだ。

女王蟻の背の部分が、不意に剥がれて伸びた。

薄く広がった部位は、またたく間に空気を叩きながら不快な音を発し始める。

それは四枚の禍々しい黒い翅であった。

空を飛べるのは蒼玉蟻だけという認識は、どうやら間違っていたらしい。

空気を細かく切り刻む翅音が高まり、黒い巨体が唐突にブレる。

気がつくと、蟻はストラッチアの眼前へと到達していた。

先ほどの動きよりも一段と速い。

衝突の鈍い音が壁や地面を叩き、撥ね飛ばされた赤毛の剣士は宙を舞った。

とっさに剣で顎の一噛みは弾けたが、勢いを全て殺せなかったようだ。

土壁にしたたかに体をぶつけたストラッチアへ、容赦なく黒い影と化した蟻が追撃した。

圧倒的な体重に押しつぶされ、肺の中の空気を絶叫とともに絞り出される。

だがストラッチアも、やられっぱなしではなかった。

回避と引き換えに突き出された両の剣は蟻の両目を的確にえぐり、その勢いを辛うじて止めていた。

白く輝き出した剣を引き抜いたストラッチアは、奇妙にかすれた吐息を漏らしながら間合いを空ける。

たった数合の斬り合いで、すでに腐屍龍の牙の剣には刃こぼれが生じていた。

鱗鎧も肩口が裂け、その下の肉がめくれ上がって溢れ出した血が吸われていく。

おまけに肋骨も何本か折れたようだ。

左手の剣を地面に突き立てたストラッチアは、空いた手で眼帯をむしり取ると兜の面頬をようやく下ろしてみせる。

薄く持ち上げていた唇が隠れると同時に、剣士は双剣を構えて前に出た。

それは戦闘継続の合図であった。

以前の時は、この狂乱相を確認してからの撤退だった。

しかし今回は最短距離を進めたうえに、トールの魔技もあって魔力はかなり温存できている。

隊長の判断に小さく頷いたニネッサは、状況を打開する切り札を唱え始めた。

「天焦がす輝きの樹よ。今こそ、その炎威の枝を揺らし、紅焔の葉を広げし時が訪れり……」

<磁戒>と三体の土人形らで二十匹近い金剛蟻の小さな分身を引き付けていたクガセが、詠唱に気づきその身を翻した。

懸命な形相で、入り口近くに控えていたトールたちの場所まで走り出す。

その距離を見定めながら、ラムメルラも小さく祈句を捧げ始めた。

「生命の樹の 御主(おんあるじ) よ。守りたまえ――< 杯水之陣(はいすいのじん) >!」

「灰燼をもたらす火葬の弔花よ、舞い咲き誇れ――< 百火燎乱(ひゃっかりょうらん) >!」

<心意炎昇>により、ニネッサの双眸が燃え上がるように真っ赤に染まる。

同時にその体中の傷口から、再び赤い血潮が溢れ出す。

<因果返報>、肉体が傷つけられた分、魔技の効果が倍増するニネッサの根源特性である。

これのために、あえて彼女は危険な前線へ出向いていたのだ。

炎柱と化した女性の周りに、数十、いや百の燃え立つ花が浮かぶ。

その花々は宣言通り、殺到する蟻どもへと手向けられる。

次々と息つく間もなく炎の花弁が舞い上がり、一瞬で蟻どもを溶かしては地面へと引き伸ばす。

赤い嵐はそのまま相手を選ばず、荒れ狂うように炎を撒き散らし始めた。

凄まじい勢いで部屋中が燃え上がり、恐ろしいほどの熱が生み出される。

触れるだけで火傷しそうな空気が満ちていく中、トールとラムメルラ、そして間一髪で間に合ったクガセは深々と息を吐いていた。

その周囲を覆っているのは、半円形の大きな泡だ。

この伏せた杯のような物は、あらゆる異変を完璧に遮断してみせる水系魔技の上枝スキルである。

「はぁはぁ……こ……れで、どうにか…………なるですか?」

体力と魔力が限界に達したクガセが、安堵したように地面へとへたり込んだ。

息も絶え絶えの少女に魔力回復薬を手渡しながら、ラムメルラは額の汗をハンカチで拭いつつ押し黙って虫どもが焼けていく光景を眺める。

上枝魔技を放ったせいで、魔力の消耗はかなりのものなのだろう。

だがしっかりと立ったまま、ラムメルラは食い入るように部屋の有り様を見つめていた。

配下の金剛蟻を焼き尽くした火炎の花は、当然ながら黒い女王蟻も見逃しはしない。

幾重にも取り囲んだ炎花は、次から次へとその体表にぶつかり轟々と音を立てて燃え上がった。

もがくように翅を震わす女王蟻だが、紅蓮の炎はますます盛んに火の粉を撒き散らす。

だが炎に巻き付かれたモンスターは、まだ闘志をハッキリと示していた。

狂ったように飛び回りだすと、間近にいたストラッチアへ襲いかかる。

赤い刃が閃き、その巨躯がいきなり向きを変えて壁へとぶつかる。

泡に守られたトールたちとは違い、女王蟻と戦闘中であったストラッチアは容赦なく炎に巻き込まれていた。

その全身は火と熱を存分に吸い込み、また違う色へと変わっていた。

今度は黒から赤へ。

そこに立っていたのは、兜の意匠と相まって人の形をとった赤き龍そのものであった。

兜の中でストラッチアはくぐもった叫びを上げる。

熱を放つ真っ赤な双剣が振り回され、女王蟻の顎の一本をへし折った。

紅の軌跡を宙に描きながらストラッチアの剣が走り、振り下ろされる脚を強引に打ち砕く。

比べるのもおかしい体重差を物ともせず、赤毛の剣士は拮抗した勝負を繰り広げていた。

獣じみた咆哮が再び放たれ、人ではあり得ない動きでストラッチアが壁を走り跳躍する。

対する女王蟻も燃え立つ翅を揺らしながら、目にも留まらぬ速さで飛び回り空中でぶつかり合う。

火花が飛び散り、重く鈍い音が何度も響き渡る。

数合、いや数十合の打ち合いと激突が続き、地面や壁が揺れ動く。

果てしなく続くかと思われた戦いだが、どうやら火に包まれ続けた女王蟻のほうが少しだけ限界が早かったようだ。

再度、吠えたストラッチアが、高々と宙を跳ぶ。

そして振り回された触角を弾き飛ばし、女王蟻の額へ双剣を深々と突き立てた。

地面へと落下したモンスターは、足掻くように脚を動かしたが、そこで力尽きたように止まった。

同時に力尽きたように、ストラッチアも動きを止めてうなだれる。

「…………勝った? えっ? や、やったですよ!」

大声を上げるクガセの横で、満面の笑みを浮かべそうになった蒼鱗族の少女だが、不意に凍りついたように視線を一点へ向けた。

トールもつられてそちらへ顔を向ける。

そして、思わず目を鋭く光らせた。

そこにあったのは奥の壁の黒い根から、新たな女王蟻がズルリと姿を現す光景だった。