軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

重なる過去

うらぶれた煮売屋を後にした赤毛の優男は、狭い通路の奥へと歩き出した。

雨よけの板が屋根の間に渡してあるせいで、道行きを照らすのは左右の店の狭い明かり窓から漏れる細い光だけだ。

長らく整備されていない道は、そこかしこで石畳が欠けており相当に歩きにくい。

しかしストラッチアは、平然と音も立てずに路地を進んでいく。

ここよりも暗い地の底の迷宮に通い慣れているせいだろうと考えながら、トールも黙ってその背中に続いた。

やがで、路地はくねくねと蛇行し始める。

不意に曲がり角に現れた分かれ道の一つに、包みを下げたストラッチアは吸い込まれるように姿を消した。

追って足を踏み入れたトールだが、眼の前の景色に既視感を覚えて思わず歩みを緩める。

漂ってくるすえた臭いに、地面に散らばったゴミの数々。

そこは一時期、トールが通いつめた路地裏とよく似ていた。

壁に立てかけてある古びた木板の陰から、今にも鳴き声が聞こえてきそうなところまでそっくりである。

ストラッチアは汚い足元を気にする素振りもなく、さらに路地の奥へと歩き続ける。

そして突き当りらしき場所で立ち止まると、いきなり拳で壁を何度か叩いた。

追いついたトールが訝しげに見ていると、軋む音がして板塀に細い隙間が生まれた。

とたんに淡い明かりが内側から漏れ出して、それが引き戸であったことが判明する。

同時に扉を開けた者の正体も、少しだけ明らかになる。

それはトールが期待していたような猫ではなかったが、影の背丈からしてムーと変わらぬ大きさの子どもであった。

小さく開けた扉から外を確認していた子どもであるが、ノックの主が誰だか分かったらしく大慌てで板戸に両手をかける。

木が擦れ合う耳障りな音が響き、引き戸はすぐに大きく開け放たれた。

「おうじ様だ! みんな、おうじ様がきたぞ!」

幼い声が狭い通路に響き渡り、次いで複数の足音が奥から駆け寄ってくる。

またたく間に集まってきた子どもの群れは、たちまち戸口から溢れ出しストラッチアを取り囲んだ。

「おうじ様、こんばんは!」

「うわ、いい匂い」

「なにか持ってきてくれたの?」

多くは赤毛だが、金髪や額に角を持つ子も混じっているようだ。

ほとんどが、トールの臍のあたりまでの背の高さだ。

「皆、息災なようだな」

「うん、いい子にしてたよ!」

「おなかすいた!」

「そうか、ならこれを食うが良い。チョイ屋の主人の特製だ」

手渡された包みを受け取った子どもの一人が、まだ温かいことに気付いて目を輝かせた。

落とさぬよう大事に抱きかかえると、大急ぎで扉の奥へと駆け込んでいく。

他の子どもたちも歓声を上げて、雪崩のようにその後へ続いて消えた。

あっという間に取り巻きを失ったストラッチアは、振り向いて自嘲めいた笑みをトールに浮かべてみせた。

「なんと儚き持て囃しだ。子どもの心の移り変わりは早いものだな」

「俺も餌をやる前だけ、おねだりの甘い声をよく聞かされたよ」

「ふふ、理解はしていても、つい甘やかしてしまうな」

「仕方ない。そういうものだ」

何かが通じ合ったのか、トールたちは顔を見合わせたまま唇の端を小さく持ち上げた。

「そんなことありませんよ、王子様。いつもみんな感謝しています。本当にありがとうございます」

男どもの会話に急に割り込んできたのは、扉の向こうで手燭を掲げていた少女であった。

背丈はトールの胸の辺りなので、ソラとほぼ同じだろう。

声の響きからして、年齢もさほど変わらぬようだ。

首元で切り揃えた赤い髪と、くっきりした形の良い眉が目を引く。

しかし青い瞳には陰りが宿り、頬も少しやつれているように思える。

「変わりないようだな、エックリア」

「はい、どうぞ中へおいでください。そちらの方も、汚いところですが……」

エックリアと呼ばれた少女の言葉は謙遜ではなく、家中は確かに手前の路地と大差ない様子であった。

床板は腐ってきているのか、なんとも言えない踏み心地である。

今にも割れ落ちそうな羽目板に、細かいヒビが浮かぶ柱。

よく取り壊しにならずに残っているなというのが、トールの正直な感想である。

あまり広くない部屋の中央にはガタガタと音を立てるテーブルがあり、その上には先ほどストラッチアが持ってきた包みが置かれていた。

すでに包んであった布はほどかれ、中にあった深皿が顔を出している。

湯気とともに溢れ出す匂いに、子どもたちの目がギラギラと光を放った。

しかし獣のような取り合いはせず、年長者らしき子がきちんと不揃いな木の皿に取り分けて一人一人に手渡しているようだ。

さらに奥にも寝台があるらしく、そこへも運んでやっている姿が窺える。

トールの視線に気付いたのか、少女がさり気なく言葉を添えた。

「無作法ですみません。まだ、起き上がれない子もいるんです」

「そうか……」

相槌を返しながら、トールはさり気なく子どもたちを見回した。

よく見ると無事な姿の子は、かなり少ないようだ。

だいたいの子どもの顔や首には、焼けただれたような酷い傷跡が目立っている。

「俺をわざわざ連れてきたということは、もしかして……」

「ああ、この子らはボッサリアの災禍から逃れてきた民だ。たまにこうして餌付けを施している」

「親は出かけているのか?」

「いや、大半はこの子らを逃がそうとして身を捧げたよ」

返ってきた言葉に、トールはわずかに顔をしかめた。

このあばら家にいるのは、どうやら三十人ほどの子どもたちだけらしい。

「ここ以外には?」

「裕福な家の人は、伝手があるので内街に行きました。私たちはその……見た目も…………」

おずおずと答えるエックリアの返事に、トールは黙って顎の下を掻いた。

確かに大きな火傷を負った子どもを、わざわざ迎え入れる家は少ないだろう。

ちらりと視線を向けると、エックリアの右の頬から顎にかけて、やけに白さが目立っていた。

手燭の獣脂に交じっていた匂いは、どうやらこの少女の紅粉の香りであったようだ。

同じく見た目が酷い人間を、わざわざ使うような店も多くはない。

それで傷を化粧で隠しているのだろう。

詳しく聞いてみると、まともに外に働きに出ているのは最年長のエックリアだけであった。

他の子どもらは路地裏のゴミ箱を漁ったり、屋台の片付けを手伝って残飯を恵んでもらっているそうだ。

派手な冒険者が集い活気がある外街だが、一歩裏道に入り込むと、この子どもたちのような現実が待ち構えている時がある。

瘴地から押し寄せる脅威に対する防波堤なため、外街は誰でも受け入れてもらえる。

だがそのせいで、行き場を失ったり過去を問われたくない人間たちの吹き溜まりとなっている面もあった。

大喜びで肉団子や丸芋にかぶりつく子どもらの様子を、トールは何も言わず眺めた。

その姿が紫眼族の幼子と重なるが、差し出せるほどその手の数は多くはないと分かっていた。

それはストラッチアも同じなのであろう。

いかに強靭な肉体であろうとも、その両拳で握れる手のひらは限られている。

ゆっくりと頭を振った長髪の青年は、静かにトールへ問い掛けてきた。

「この子らは、このままでは何者にもなれない。だが故郷が元に戻れば、道が開かれるかもしれん。手を貸してくれないか、兄弟子よ」

「お前、俺が断れないと分かってて、連れてきやがったな」

そう言いながらトールは、伸ばした手を少女の手の甲に軽く重ねた。

急な行為に驚きで顔を強張らせたエックリアは、軽く息を呑みながらストラッチアへ視線を移す。

そして黙ったままの王子の態度に、いきなり連れてきた客人の意味を勝手に解釈して悲しげに目を伏せた。

その諦めと悔しさが入り交じった瞳に、トールは遠い昔の自分を重ねていく。

唐突に故郷を失い、死にかけた幼馴染と老人の三人でこの街にたどり着いたあの日の少年の眼差しに、それはとてもよく似ていた。

先行きへの不安と焦り、理不尽に押し流されるしかない怒り。

あの時の感情は長い年月を経ても、まだトールの心のどこかにくすぶっていたようだ。

ストラッチアがここにトールを同行させた理由は、子どもらの惨状を見せて奮起を狙ったのが一点。

もう一つは、副隊長のニネッサの古傷を綺麗に消し去った行為の確認を兼ねたのだろう。

そして同じ痛みを知るトールならば、必ず手助けせずにいられないとも。

「ほら、治ったぞ」

「…………………………えっ?」

何が起こったのか分からぬまま、少女は小さくまばたきをした。

そして頬の引きつりがないことに気付いたのか、驚きの声を上げながら手を伸ばす。

ペタペタと何度も自分の顔に触れていたエックリアだが、その瞳の焦点が徐々にトールへと定まっていく。

「なに……が…………?」

少女が理解できたことは二つ。

頬を覆っていた醜い跡が、すっかり消えてしまったこと。

そしておそらく、それを成したのがストラッチアが連れてきた目の前の男性であること。

次の瞬間、濁流のように込み上がった感情が、少女の口からうめき声となって漏れ出した。

「ふぐっ……うう、うう……うううう…………」

急激に盛り上がった涙が、耐えきれずに頬を伝い始める。

すすり泣くエックリアの姿に、食事中であった子どもたちも慌てて手を止めた。

皆の注目が集まる中、少女は絞り出すように声を発する。

「あ、ああ……、ありがとう……ございます。どのような、お返しを……」

「金を取る気はないから、安心しろ。よし、先に症状の酷い子から治していくとするか。案内してくれるか」

「えっ? あ、あの…………えっ?」

「そうそう、施療神殿には秘密で頼むぞ」

そう言いながらトールは、伸ばした人差し指を自分の唇に当ててみせる。

いい大人がする仕草としてはおかしかったのか、そこで少女は初めて花が咲いたような笑顔を見せた。