軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第93話 黒と金 並んで歩く 夏の街 後編

お義兄さんと一緒に劇場と同じ敷地内にある野球場へと移動していた途中、資材置き場で作業員達の人だかりを見つけた。

普通の休憩といったマッタリした感じじゃあなく、なんだかみんなワイワイと騒いでいて楽しそうな雰囲気だ。

「あれは何をやっているのだ?」

「なんでしょうね、ちょっと聞いてみます」

人垣になっているところに俺達が近づくと、こちらに気づいた奴隷達がヤベっという顔をして頭を下げた。

別に俺が査定とかするってわけじゃないんだけど、相手からしたら社長が見回りに来たみたいなもんだろうから、そりゃ気まずいか。

「これ何やってんの」

「いやー、メンチさんがなんかぁ……」

「メンチが?」

なんとなく歯切れの悪い作業服の兎人族を横にどけ、そのまま人をかき分けて中心に向かう。

その先ではマジカル・シェンカー・グループの幹部である鱗人族のメンチが、ボクシング用のグローブを右手にはめているところだった。

「これはご主人様! スレイラ閣下もご一緒ですか」

「何してんのメンチ? ボクシング?」

「そうです。そこな男が私に懸想をしておりまして、ボクシングで私に勝てたら交際してやると言ったら五日と開けずに挑んでくるので困っているのです」

懸想!? メンチに!?

一瞬その驚きが顔に出そうになったが、さすがに悪いと思って必死で抑えた。

彼女もあれで若い女、蓼食う虫もなんとやらだ。

その蓼食う虫は鱗人族にしては珍しく、少しひょろっとした男だった。

「あの……ご主人様、僕は運送部のガナットです……」

「あ、そうなんだ……」

あちらから自己紹介してくれたのはいいんだが、なんだか声も小さくて言葉にもあんまり覇気が感じられない。

これから交際を賭けてその相手と殴り合うってのに、そんなことでいいんだろうか?

「ご主人様、よろしければ審判をお願いできますか? そやつを一発で沈めてご覧に入れますので」

戦う前からドヤ顔なメンチのその言葉を受けて、俺は一応お義兄さんに伺いを立てた。

「お義兄さん、少しだけ……いいですか?」

「構わん。報告は受けていたが、ボクシングというものを実際見るのは初めてだ」

お義兄さんは興味深そうに顎を撫でながらそう言った。

ガナットは自作なんだろうか綿をマシマシにしたヘッドギアにマウスピースまで付けて準備万端のようだが、メンチは右手にグローブをつけただけ。

相手が相手とはいえ、完全に舐めプだな。

「メンチ、準備はそれでいいのか?」

「構いません」

「それじゃあ……」

俺はメンチとガナットの顔を交互に見比べ、チョップの形で上にあげた手を「よーい、始め!」という言葉と共に振り下ろした。

「うおおおおおおっ!」

「ふん!」

それと同時にか細い雄叫びを上げてガナットが突っ込んでいき……

そのままメンチの右ストレートを受けて、突っ込んだ距離の倍ぐらいを吹っ飛ばされて戻っていった。

「ガナット? ガナットどうだ?」

「む、無理です……」

ギャラリーの中にもんどり打って倒れ込んだ彼は力なく小刻みに首を振ってそう言い、俺はメンチの右手を持ち上げた。

「勝者! メンチ!」

「おおー」

「すげー」

特に盛り上がりのない試合だったから仕方がないのだが、ギャラリーもシラけた様子。

しょうがないわな、花より団子のメンチに手加減なんて考えはないだろうし。

一応怪我だけないか見てやろうと思ってガナットの方に歩き始めると、ギャラリー達のぼそぼそと話す声がかすかに聞こえてきた。

「あー、またかぁ……」

「もうちょっと頑張ってくれねぇと賭けにもなんねぇよな」

「ま、でも本命はボクシングじゃないんだろ」

どういうことだ?

本命がボクシングじゃないなら、何があるんだろうか?

「はっはっは! 勝った勝った! おいガナット! 今日も貴様の奢りだぞ!」

「奢り?」

「ええ、私から言い出したことではありませんよ? 奴が『勝者を讃えたい』などと殊勝な事を言いましてな、私が勝ったら全てそやつの奢りで飯に行くことになっているのです」

お前……それって……

まぁ、意図はわかった。

メンチのバカさと食い意地を利用したいい作戦だと思う。

問題があるとすれば、やはり少々、女の趣味が悪いことか……

「おい、大丈夫か?」

「はい!」

俺が立ち上がってヘッドギアを外したガナットにそう言うと、彼ははにかんだ笑顔を見せながら頭を下げた。

そのヘッドギアを横からひょいと取り上げたお義兄さんは、興味深そうにそれとガナットの顔を交互に見つめた。

「これが防具か、見た所鼻血も出ていない。顎を殴られて歯がぐらついたりはせんのか?」

「あの、これをつけていますので」

慌ててグローブを外したガナットが口からマウスピースを取り出すと、お義兄さんはそれも手に取ってまじまじと裏表を確かめた。

「なるほどな、頭を覆う防具と拳を覆う武具のおかげで実力差があってもケガをしにくいというわけか」

「いや、多分こいつが鱗人族だから特別丈夫なんですよ……普通はあんな殴られ方したら鼻血が出たりはしますよ」

お義兄さんがふぅんと言いながらガナットにマウスピースを返したので、涎のついた彼の手にハンカチを握らせる。

彼は礼を言うでもなくそれで手を拭って俺に返すと、今度はガナットのグローブを触り始めた。

ガナットは丈夫な鱗人族だから大丈夫だろうが、一応回復魔法をかけてやる。

メンチみたいな女に懸想する勇者への、俺からの手向けだ。

「あ、ありがとうございます」

「いいよ、メンチの相手は大変だろうけど頑張ってな」

はい、と答えながらはにかんで俯く彼の心は、きっとこの夏のように熱く燃えているのだろう。

頑張れよ、青年。

「おい」

「えっ? あ、はい」

俺が他人の青春にちょっとほっこりしている間に、なぜかお義兄さんはガナットのヘッドギアを頭に付けていた。

なんで?

ちょっと付けてみたかったのかな。

野球みたいにやってみたいなんて言われても、俺は殴り合いなんかできませんよ……?

「グローブはどう付ける?」

「あ、それは手を入れてですね、紐で縛って……」

「右手はいいが、左手は?」

「それは他人がつけます、これをこうして……」

「ふぅん」

ちょうどガナットとサイズがピッタリだったのか、問題なく入ったグローブをお義兄さんはグッグッと握りしめる。

いや、似合ってるけど……まさかね……

「お前、ちょっと打ってみろ」

「えっ?」

お義兄さんがそう言ってグローブで指したのは、俺ではなくメンチの方だった。

「ご主人様……」

「えーっと……」

さすがにメンチも困った顔で俺の方を見るが、俺だって苦笑いだ。

お義兄さんが見た目ほど堅苦しい人じゃないって事は知ってるけど、さすがに貴族と奴隷を打ち合わせるわけにはいかないよな。

「閣下、勘弁してもらえませんか……彼女はうちの大事な人間なんですよ……」

そんな俺の言葉に、お義兄さんはうっとおしそうに首を振った。

「自分の命を遂行した人間を咎めたりはせん。かまわんから打ってみろ。どうせ当たらん」

「……あー、じゃあ、メンチ、ちゃんと準備をしてから胸を貸して頂きなさい」

「はっ!」

負けず嫌いな彼女はどうせ当たらんと言われた事に腹を立てたのだろう、手早く身支度を済ませ、今度は両手にグローブを付けた状態でお義兄さんの前に立った。

「閣下、一手ご指南仕ります」

「ああ」

俺が合図をする間もなく、メンチの鋭い拳がお義兄さんの鼻を目掛けていきなり飛んだ。

当たった! と思ったのだが……近づいた拳と同じ距離だけ、手品のようにお義兄さんの体が後ろに下がっていた。

メンチはもう一度踏み込んで、今度は横腹を目掛けてフックを繰り出す。

だがそれも、さっきと同じように必要なだけ後ろへ下がったお義兄さんの体にはかすりもしない。

「いくぞ」

そう宣言してから、お義兄さんは逆にメンチへと踏み込んで彼女の顎へと左手でジャブを打つ。

メンチは上体だけを反らしてそれを避け、お義兄さんの顎目掛けてアッパーを返す。

何度も何度もパンチの応酬が繰り返されるが、どちらのパンチも一発もまともに当たらない。

俺もギャラリー達も、やたらとレベルの高い野試合にポカンと口を開けたまま見入っていた。

「こうかな? こうか。なるほど、拳でしか攻撃が来ないなら上体だけで避ければいいわけか」

しかし、お義兄さんがそんな事を呟いた途端試合がガラッと様変わりし始めた。

二人の距離が極端に近づいたのだ。

のけぞって相手のパンチをかわすスウェーを見て覚えたお義兄さんは、メンチのパンチを超至近距離で捌き始めた。

ボディへのパンチは的確にガードし、顔面へのパンチは指一本分の距離で避ける。

何でもすぐにできるようになる人ってのはいるんだなぁ。

「これぐらいでいい」

そう言ったお義兄さんは、メンチの攻撃を余裕で避けながらスルスルと下がる。

「メンチ! 終わり!」

闘気剥き出しで挑んでいたメンチも俺の言葉でお義兄さんを追うのをやめて一歩後ろに下がった。

彼女もさすがは冒険者グループの棟梁なだけある、あれだけ激しく動いていたというのに軽く息を切らせているだけだ。

俺なら殴られなくても途中で体力が切れてただろうな。

「おい」

「はいはい」

紐の結び目をこちらに向けるお義兄さんのグローブを解いて外し、ヘッドギアも脱がす。

金の髪から一筋の汗が流れるが、彼自身は全く息を切らせていない。

体力お化けじゃん。

「メンチとか言ったか」

「はっ! 閣下!」

「なかなかいい動きだった。元軍か?」

「そうであります!」

「綺麗な軍隊式だ、だから避けやすかった。俺のような軍人ならばともかく、それ以外に負けるような事はあるまい」

「あ、いえ、います……もっと強いのが……」

名前は忘れたけど、メンチはどっかの髭のオッサンにボコボコにされてたんだよな。

メンチもお義兄さんが褒めるレベルだって事を考えると、あのオッサンは一体どんだけ強かったんだろうか……?

「そうなのか、なかなか田舎といえど侮れんな」

そう言って爽やかに笑った彼とは対象的に、メンチはボクシング大会の屈辱を思い出したのか何やら不機嫌そうな顔をしていた。

ごめんガナット、今日のメンチはやけ食いするかも……

そんな事のあった後、お義兄さんと一緒に向かった野球場は、彼が以前来た時とは比較にならないぐらいの混雑になっていた。

他に行くところはないんだろうか、老いも若きも男も女もやって来て、賭け券握って大騒ぎだ。

もちろん騒ぎながらもヤジなんか飛ばしたりしない、酔っぱらいだってお行儀よく試合を見ている。

今は貴族リーグのリーグ戦真っ最中だ、平民がヤジなんか飛ばして首が飛んだんじゃたまらないからな。

「ここもだいぶ人が増えたな、前に来た時はここまでじゃあなかったはずだが」

お義兄さんは日除けのあるVIP席で売店で貰ってきた官製煙草を吸い込みながら、不思議そうにそう言った。

「今ちょうど貴族リーグ戦の真っ最中でして、街をあげて盛り上がっているところなんです」

「貴族リーグね、まぁ余暇に何をやっても自由というものだが……待てよ、もしかしてうちの妹も参加しているのか?」

「参加してますよ」

まぁスレイラ白光線団はこっちに貴族としての基盤のないチームだから、どうしてもローラさんのワンマンチームになっちゃって弱いんだけどね。

多種多様な魔球魔打球を繰り出す他のチームと比べて、やっぱり切れるカードが少なすぎる。

スタミナの問題だってある、ローラさんが気を吐いて抑えても普通のピッチャーの時に点を取られてしまうのだ。

「ローラの事だからそこそこにはやっているのだろうが……勝っているのか?」

「あ、いえ……スレイラ白光線団はリーグ最下位ですけど……人気はありますよ。応援団もいますし」

「最下位……? 負けているのか?」

そう言って珍しく本当に不機嫌そうに顔を歪めたお義兄さんは、まだ七割も残っている煙草をぐっと灰皿に押し付けた。

「その……うちの団はローラさんが強いだけですので、軍人揃いの貴族チームにはなかなか……」

「言い訳はいらん、他にどんなチームがある」

「スレイラの入っているリーグですと、スノア家のチームと魔導学園のチームと、ザルクド……」

「ザルクドだと! 海軍のザルクド流か?」

「え、ええ……剣術使いのチームなので体のできた選手が多くて……」

この人が声を荒げるところは初めて見たかもしれない。

物凄い目つきでこっちを睨むお義兄さんに、俺は完全にビビりながらもしどろもどろに言い訳を続ける。

しょうがないじゃん、スポーツなんだから勝ち負けはあるんだって……

「ザルクド流め……こんな所でまで」

彼は不機嫌そうに右の瞼を歪め、右手の親指で顎を掻く。

イケメンは不機嫌でもイケメンだけど、普通の人が怒るより絶対怖いって。

なんとか言い訳を考えようと空を見上げると、ドン! とお義兄さんの席から大きな音がした。

椅子から五センチも飛び上がって慌ててそちらを見ると、彼の座っていた椅子の肘掛けはへし折れ、ギリギリで椅子に繋がっている木片が空中にプラプラと揺れていた。

こえーよ、でっかい音した時に死んだかと思ったわ。

周りの貴族の方々も何事かとこちらを見ているようだ、なんとかお義兄さんには落ち着いてもらわないと……

「その……お義兄さん、落ち着いてください、人目もございますので……」

「私は落ち着いている」

落ち着いてないでしょ。

「気に入らん」

「え……?」

「仮にもスレイラの名を持つものが海軍に、しかもザルクド流なんぞに負けることが気に入らんと、そう言っている」

んなこと言われたってなぁ……

よっぽど王都でザルクド流と何かあったに違いないけど、それは王都のスレイラと王都のザルクド流の話であって、こっちは関係ないのでは……

とは思うが、絶対に言えない俺なのだった。

「サワディ」

「あ、はい!」

呼びつけるだけ呼びつけておいて、お義兄さんは新しい煙草に火を付け、煙を深く吸い込んだ。

そうしてこちらを向くこともないまま、ゆっくりとそれを吐き出して静かに言葉を続けた。

「部下を貸してやる、勝て」

「えっ? 部下って……」

「トルキイバで連絡員をやらせている寄子の家の者がいる、団に入れてやるから、なんとしてでもザルクド流に勝て」

「ほ、本気ですか……?」

「後でローラにも言い含めておく」

そう言って、彼はローラさんと同じ瑠璃色の瞳でじっと俺を見つめた。

ごくりと生唾を飲み込むが、喉はからからのままだ。

「いいか、これは戦役だと思え。スレイラとザルクド流の……野球戦役だ!」

夏だというのに、冷や汗が止まらない。

ついこの間も同じようなことがあった気がするが、俺がそれを思い出すことはなかった。

この瞬間、俺の意識はお義兄さんの気合に当てられて、宇宙の彼方へとぶっ飛んでいたからだ。